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冷血
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冷血の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.76pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全75件 1~20 1/4ページ
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(上・下巻通してのレビューです)人間が人間のことを100%理解できるわけもなく、事件、取り調べ、起訴、裁判、判決という手続きの枠に収まらずこぼれ落ちるものがある。枠に収めたい(そうでないと安心できないし、そもそも世の中が回らない)人間と、枠からこぼれ落ちるものが気になってしまう人間と。くねくねと髙村式に考え続ける。正解は無い。 | ||||
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心ならずも犯人に寄り添うことになる刑事を狂言回しとして、複雑なストーリーが展開します。犯人たちの生育環境に同情的な描写が多く、一方で被害者家族の描写がきわめて少ないことに違和感を覚えたり、別の事件の詳細がまざりこんで来たりして、なかなか歯ごたえのある読了感でした。果たして、「冷血」というのは、犯人たちのことだったのか、それとも機械的に作業をすすめる刑事、検事、弁護士、犯人の親族、無関心なマスコミ、被害者の親族、著者の意図がなんであったのか、考えさせられますね。 | ||||
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いつもながら、高村薫の文章のうまさには脱帽。 まるでノンフィクションのような内容は、読み応えたっぷりで面白い。しかし卑劣な殺人鬼であるはずの犯人2人が、なんだか妙に子どもっぽくて憎めないという、不思議なお話。2人とも文章が非常に上手だったりするのは、さすがに少々ご都合主義っぽいが、それにしても何故か犯人に親しみを覚えてしまう謎。 ひとつ気になったのは、筑波大附属が誰もが知る有名校みたいに書かれていたこと。最近、天皇の甥が入学したことで少し有名になったけど、この本が書かれた頃はほぼ無名だったはず。私自身、筑波大附属の出身だけど、いつも「茨城から来たの?」とか「(私は女なのに)駒場?」とか、学校名を言ってもろくな反応が返ってきたことなかった。 なにはともあれ、カポーティのほうも読んでみようと思う。 | ||||
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残忍な一家殺しの場面を避けたくて読み続けるのが苦痛だった。けれどそこはさらっと事件後にワープされていて、殺人の動機の解明に重点は絞られていた。被害にあった家族への思いの比重が重くならないように、犯人たちの内側や捜査をする合田たちの思いの方に導入された。読後に残るものがあった。 | ||||
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被害者家族、犯人たち、警察、それぞれのサイドから事件の状況が描かれます。高学歴、高収入、由緒ある家柄、申し分のない幸せな家族と、生まれ育った環境により、社会を転げ堕ちていった人間たちの生活圏が偶然交錯したことで生じた事件をどのように読み解いていくのでしょうか? 次巻が楽しみですね。 | ||||
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①歯科医師四人家族を殺害した犯人二人のうち、一人は病死、もう一人は死刑。罪状からして四人殺害は死刑執行は当然である。 ②死刑になった井上には、躁鬱病があったが、躁状態での殺害は考慮されなかった。過去の犯罪歴も、暴力的傾向の持ち主と鑑定され、躁鬱病の病歴は殺害に至った動機としては考慮されなかった。しかし、それで片付けて良いのだろうか? ③二人とも仕事を続け、学校時代の成績は良く、頭も良かった。何が二人を犯罪へと駆り立てたのだろうか? 共通するのは生育歴の悪さである。戸田は教育ママから見捨てられた。井上は薬物中毒の両親に、見捨てられた。両親の愛情を十分に受けて育てられていない子供は、情緒不安定になりやすい。二人とも結婚せず、家族もいない。この家庭環境は考慮されるべきであった。 ④二人とも過去に前科を持つが、出所後の本人たちのケアはどのように為されたのであろうか? その記述はこの小説には欠けている。少し残念である。 恵まれない生育歴を持つ若者であるからこそ、出所後のケアが大切であったと思う。 本当にいろいろ考えさせる小説だ。 お勧めの一冊だ。 | ||||
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①前科のある若者二人の犯罪。SNSで知り合い、コンビニのATMを壊しまくる。そして歯科医家族四人を殺害し、キャッシュカード等金目の物を奪う。 ②しかし、これだけなら小説のネタになはならない。この若者二人は本当に歯科医家族四人を殺害したのか?ここからが本当のミステリーの始まりだ。 ③前科を繰り返し、反省もなく暴力を繰り返す男。器用な手先を持ちながら窃盗·障害を繰り返す男。二人とも仕事を持ち、普通に働いていた。しかし、生きる張合いや目標がない。無気力=虚無感に満ちた日常生活を生きていた。「何か面白いこと、ワクワクすること、スカッとすること」がATM破壊と窃盗なのが虚しい。 現代若者気質を見事に描いている。 お勧めの一冊だ。 | ||||
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単行本2012年11月30日初版にて読了、 個々の生、または死と題された第三章だけを収録し、全編が調書作成のため奔走する合田の物語であり、上巻よりも少ないページ数だが読了に時間がかかった、 一部の同僚・同業者たちから冷ややかに見られるレベルで合田が犯人たちに肩入れしてしまうのはお約束だろうか、 本作が参考にしたと思われる事件の一つである市川の連続殺人事件犯人のようにまったく同情できないキャラクタと異なり、本作の犯人二人を作者は同情的なり読者がシンパシーを抱きやすいように造形していると思う、 著者の筆力によって脳裏どころか眼前に浮かび上がる場所場所が立ち上がらせる喜怒哀楽の広がりは素晴らしいが、本作には”レディジョーカー”のような大作・大河感はなく、結果読後感は意外に軽く、これはここに着地するしかないとわずかな嘆息とともに読了した、 私的に”レディジョーカー””我らが少女A”は愛おしい小説だが、本作にそこまでの愛着はわかない、 ひとつ驚いたことがある、 調査の行き届いた物語を書くのが常の作者だからいちおう地図を確認しながらの読書だったが、なんと犯人二人の出身地も出身学校も実在の名称がそのまま使われているのである、 舞台となる土地土地、そして人人の間に固有で毒々しくトグロを巻く地縛霊のような悪意や狂気は実在すると本書全体で宣言しているようにも感じた、 その悪意や狂気がある日、最も遠いと思われていた場所と家族を相手に暴発してしまったことになる、 誰でもできうる限り交際はおろか接触することも避けたいと思わせる犯人たちがまるで狙いすましたように襲ってきたのだから、本作もカポーティの冷血も物語は特に主張していないが、個人の自警はいかにあるべきかと永遠に問い続けることになると思う、 ”レディジョーカー”を経た合田は犯人に過剰にコミットしてしまう性癖はそのままだが、かつてのように腹の底に重い屈託を抱えていないようだ、 すでに二十年以上警視庁勤務だから(つまりその年月だけ厚生年金が積まれているから)、この辺で退職して別な道を探してもよかったろうと余計なことも考えてしまう、 合田ほど生真面目で優秀な人物なら再就職先を探すのは容易だろうし、そもそも少しも”遊ばない”らしい合田の口座には人並み以上の桁数の金が貯めこまれているに違いないのである、 だから本作後、司法試験受験に失敗し警視庁に奉職した考えすぎる男を教官にしたのは作者の中で整合性がとれているからだと思う、 さて、合田が退職前に小説として語るに相応しい事件を解決し、晴耕雨読の暮らしに無事たどりつけることを期待したい、 読書中からずっと?なのがスキの実物を見たことがないので凶器の実感がわかないこと、 近所の中サイズのホームセンターでは扱いなし、 はて、家の中で振り回せる大きさなのか? 以下メモ: P.250 雄一郎は何かひどく大事な部分が抜け落ちてゆくのを感じ、それを止められない胸苦しさを覚えては、ああ、おまえは絶望しているのか、と自問してみたことだった。 →本書の結論のように感じた、 272-273 被告人は極めて豊かな感性と知能に恵まれていたにもかかわらず、劣悪な家庭事情によって、こころの安定や成長を阻害された結果、家族や人間への関心が希薄な反面、孤独を埋め合わせるために他人に甘える狡猾さを身に着け、人のこころを巧みに弄ぶに長けた子供であったとのことである。人の痛みを理解せず、表面的な善悪しか学ばず、他社と自分と双方への無関心によって自他の人生を軽んじ、表向きは地道な暮らしぶりながら、その内実はすかすかの海綿のごとき空洞であって、人並みの人生の充実を求めるこころもなければ、向上心もない。 →最大級に辛辣な評価かもしれず、読んでいていたたまれなくなる、と同時に読者それぞれの人生観が作者によって試されているようにも感じる、 282 出口のない自意識の迷路 →警察組織で迷子になっている合田のことでもあり、人生の迷子でもある読者にも向けられている、 合田が犯人に差し入れする地誌方面の書籍: ゲーテ イタリア紀行 ジイド コンゴ紀行 ルナール 博物誌 串田孫一 博物誌 柳田国男 野草雑記・野鳥雑記・蝸牛考 長塚節 土 寺田寅彦 随筆 蓑虫と蜘蛛 | ||||
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2012年11月30日単行本初版にて読了、 二年前に”新リア王”を上巻途中で棄権して以来、高村作品に距離を置いてきたがやはり合田シリーズだけは全巻読もうと先ずまったく内容を知らない本作を手にした、 上下二段の文字量に一瞬ひるんだが、読み始めるとじつにハイスピードで読み進み三日で読了、 近過去を詳細に語り当時を彷彿とさせる作風は”我らが少女A”の前にここで完成されていたのだった、 物語はタイトル通り、カポーティ”冷血”の最上質パロディ、 上巻は、第一章事件として犯人二人の出会いと犯行、そして合間に少しではあるが彼らの履歴が語られ、続く第二章警察で合田雄一郎が登場、係長となった合田はいわゆる次長の立場で総勢57名の捜査チームの実質運営責任者、不可解な犯行だが地道な総当たり捜査は徐々に成果を上げてゆき、ほどなく逮捕に至る経過を語る、 ”マークスの山”や”レディジョーカー”のようなサスペンスもスリルもないが、近過去風俗小説としての娯楽性は読者の嗜好によってはたまらない面白さである、 特に国道16号線の沿線や登場する場所に土地勘のある人にとってはご当地作品の性格も帯び、作者の取材力並びに取材から得たデータを文字化する能力の高さは言葉通り恐れ入るのレベルである、 主犯が逮捕される場所はわりと馴染みがあったので、確かに作者は現地を訪れ調査していると推測できる取材力にはやはり恐れ入ってしまう、 後半で合田の捜査過程に関するコメントが書き込まれ始めると、犯人二人ともに家族崩壊による情緒障害者であり、主犯は双極性障害、従犯は骨髄炎による鎮痛剤の過剰摂取により正常な思考・判断能力が瞬間的に消失する人物のように見えてくる、 さて下巻は、調書を完成させるために考えすぎる性格の合田による試行錯誤が長々と語られるに違いない、 カポーティ”冷血”のように対象との距離を間違えると合田の精神が破壊される可能性がありそうだが、その後、無事に”我らが少女A”で活躍できたので、ほどほどの場所に落ち着くのだと思われる、 下巻で書き続くか不明だが、警視庁幹部のスキャンダルも登場する、 ただのトッピング・エピソードの可能性もあるが、警察小説らしい魑魅魍魎跋扈に合田がいかに対処してゆくかも書かれているほうが面白そうに思いながら下巻を読もうと思う、 | ||||
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「マークスの山」「レディ・ジョーカー」で高村薫の大ファンになった私にとって、その後の「照柿」「晴子情歌」 あたりから、彼女の小説の方向性がより内省的、観念的(という表現でいいかどうか)になっていく 中、なかなか寡作の彼女の作品を手に取ることが憚れてきた。この「冷血」も書かれてから10年ほど 経ってから手に取ることになった。この小説もかなり重いものだと書評等で知らされていたので 覚悟しながらじっくりと読むことにした。ネットの裏掲示板で知り合った若い男二人が、年末資産家の 歯医者一家宅に侵入、留守だと思っていた家人4人を殺害、キャッシュカードと貴金属類を奪って逃走する。 高村らしくディーテイルに拘り、彼らが知り合い、犯行に及び、逮捕され、警察の聴取を受け、 起訴される様子が、まるで法律関係書類を読むが如くに淡々と語られる。別に金欲しさの犯行でも なく、まして4人を殺害する妥当性もなく、行き当たりばったりの犯行。犯人二人から得られる供述からも 皆が納得できる動機は出てこない。二人にとってこの凶行は何だったのか。巻末には、遺族たち 自身が亡くなった4人の人間たちへの思いが複雑であったことも述べられる。犯罪という一般人に 取っては最も非日常的な行為は決して教科書のように皆が納得できる理由付けや、ストーリーを常に 持っているものではないということを高村は言っているのか。人生経験を積み、成熟した刑事合田 雄一郎とともにこの犯罪を考えていくという読者の立場を楽しみながら読了した。考えさせられる 作品だが、決して退屈ではない。高村薫の筆力を見せつけられた気がした。 | ||||
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本作のタイトル通り「冷血」な犯人のひとり井上に対して、もうひとりの犯人戸田の生い立ちには哀愁が漂う。戸田を象徴していると言っていい彼の悲惨な歯の状態は作中で彼の両親が子供に無関心であったことの表れのひとつとして描写されている。 しかし、戸田が昭和四十三年生まれであるということを考慮するとこれは一概に親のせいにできるものではないと思う。 1970年前後の日本では「虫歯の洪水」といわれるほど虫歯が蔓延していた。当時虫歯の痛みに苦しんでいた子供は何も戸田だけではなく日本中に存在していたのである。そして乳歯は生え変わるのだからと治療をしないでいることが珍しくなかった。幼少の戸田は学校検診で治療勧告書をもらうと治療を受けさせてもらっていたようなのでまだ幸福な方だといえる。 今でこそ子供を持つ親は子供に歯が生えるとすぐに歯磨きを始め、歯科医院で定期検診やフッ素塗布などの予防処置を受けさせているが戸田が生まれ育った時代ではそれこそ歯科関係者の子供でもなければそんなことをしてはもらえなかったであろう。昭和三十一年生まれの私の両親も、あの時代は親が子供の歯を磨いてやる習慣などなかったと言っていた。(なんなら令和の今ですら田舎ではそんな習慣のない家庭はあるのだ。) 戸田は「歯列矯正をしてもらえなかったせいで歯磨きがまともにできてなかったんだと思う」と言っているが、当時の日本で歯列矯正を受けられる子供などそうそういまい。今ですら高額な治療費が払えず歯並びが悪いままの人は少なくないし、歯磨きがしやすいよう歯並びを整えるという発想をする親が昭和の時代にどれだけいたであろうか。今ですら歯列矯正を美容整形の一種だと思っている者がいくらでもいるのだ。昭和半ばならば親が矯正治療の存在そのものを知らないかもしれないし、そうでなくとも役者を目指すわけでもないなら歯並びなんかどうだっていいというのがその時代ではスタンダードではなかったか。 昭和中期の生まれである戸田の両親は恐らく戦前~戦中の生まれであると推測できる。教師になっているのであるからその世代にしては恵まれた環境に育った可能性が高いが、それでも戦中や戦後のひもじさを、歯を食いしばって耐えてきたことであろう。子供にはせめてそんな思いをさせまいと、将来いい暮らしができるように子供に学歴をつけさせようとするのは自然なことであろう。確かに戸田の親の教育熱心さは異常といえるが、そもそも戸田と同じ昭和四十年前後生まれの人々の少子化の今とは比べ物にならぬほど厳しかったそうだ。そんな時代だと教師の親は自ずと厳しくもなるだろう。 そういったことを考えると、戸田は毒親の犠牲者というより「虫歯の洪水と受験戦争」の時代の犠牲者なのかもしれない。 小説そのものは文句なしに面白かったので星五つ。 | ||||
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生きること、死ぬことについて考える。未決囚や脳性麻痺の子ども、殺された一家の生と死に向き合う合田雄一郎。精密機器のような職業人でありつつ泥臭いヒューマニズムにまみれた合田雄一郎が魅力的で、一気に読了した。 | ||||
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合田雄一郎の個人生活の描写が大変好ましい。農業を始めたり、検事さんと旅行を計画したりサボテンを育てたり。 迷い常に悩んでいるのも人間らしい。 | ||||
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上下巻を通した感想になります。 カタルシスのない犯罪・警察小説であり、その点で著者の小説をエンタメの世界に閉じ込めておきたい従前の読者からは不評です。 しかし底本になっているカポーティの「冷血」を読みこなせる方でしたら、この小説全体を貫く著者の問題意識や善意・誠意といったものに敬服の念を抱けるでしょう。 一家殺人という一般に「重い」とされる犯罪にしては、あまりにも軽薄な犯人たち。 しかし、メディアなどが増幅してその「冷血」さ、残忍さを暴き煽りたてる犯罪者の素顔はこんなものかもしれないと納得させます。 終盤になると「冷血」なのは犯人だけではなく、むしろ犯人の履歴に寄り添わない社会・司法・死刑制度・国家ではないかと思い知らされるでしょう。 たとえば残酷と諸外国から評される日本の死刑制度の存置について無関心な私たちの「冷血」さ。 「マークスの山」「照柿」などで得られたカタルシスを求める人にはどうにも不満かもしれません。 しかし、著者のスケールは慰みものの小説には収まりきらないことを知らされるに違いない名作かつ問題作です。 人間というもの、その「罪と罰」の固定観念を穿つ恐ろしさ。 ありきたりな小説ではないので、読む人を選ぶでしょうが、読後に覚える満足感は高村薫作品だからこそのものです。 小説や文学に対して「冷血」でない方には相当な刺激になることは間違いありません。 | ||||
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下巻になると被害者側の印象がすっかり薄くなります。てっきり殺された家族の友人知人の動向や発言を描くことで事件の悲劇性を増幅させるのかと思っていました。ところが本作では、ほとんどの頁を犯人二人の調書を記述するばかりです。そのあたりに他の犯罪小説とちがう、本作の独自性があると思います。 残り100頁あたりからの、死へ向かう戸田、手紙を記す井上、合田刑事の独白を読むにつけ、人間の生や死、あるいは人間そのものの存在について深く考えさせられます。 この小説は読み手の年齢や人生経験によって受けとめ方がかわる作品だと思います。何年か経ったらもう一度読まなければならない、そんな気がした一冊です。 | ||||
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下巻はまだ読んでいません。上巻のみの感想です。 第一章では、被害者一家の長女である中学一年生あゆみ、加害者の戸田、同じく井上の三人のモノローグが交互に語られます。 あゆみの語りからは無邪気で平和な日常が淡々と描かれ、読者の共感を獲るのに十分な描写です。一方加害者の二人の発言や行動からはおよそ常人からは理解できない狂気が匂わされ、不穏な空気が強く漂います。 そして両者が対照的であればあるほど、その後に待つ悲劇性が顕著になります。ある程度先の展開が分かっているだけに、読んでいて息苦しさを感じるほどでした。 第ニ章の冒頭になると既に犯行後数日が経った場面になります。犯行そのものが具体的に描写されない分、かえって悲惨な情景が想起され、凄みを増す効果が出ていると思います。その後、犯人の二人は相次いであっさりと捕まり、取り調べが始まるところで上巻は終わります。 事件そのものは上巻で終わってしまいました。下巻で何が描かれるのか現時点で全く分かりません。ただ、この作品が単純な捜査や謎解きに重点を置いたものでないことは確かです。この後も高村薫さんの世界を存分に楽しみたいと思います。 | ||||
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読み応えありました、いつもながら高村薫先生。 冷血とは、誰を示すのか、何を示すのか…。 | ||||
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犯人はすぐにわかるし、早々に逮捕される。いわゆる推理物ではない。 犯人の動機探しというか、警察的・検察的な動機付け、とでもいおうか。 途中、確かに「これは、合田刑事である意味はあるのか?」と問いながら読んで、 匙を投げかけた時もあったが、我慢して下巻まで読了して、 「なるほどこれは合田でなければならなかった」と納得。 そして、「冷血」のタイトルにも疑問がわきつつ・・・ この後は下巻のレビューで書きたい | ||||
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下巻は、ほぼ、合田と同じ目線でただひたすら調書を読む。 彼と同じように、犯人を知りたい気持ちがわいてくる。 タイトルに疑問もわいた。 犯人は4人殺した「冷血」な奴らだったろうか。 「真相」とでもつけた方がよかったのではないか。 真に冷血だったのは、冷血な犯人像を描きたかった検察、国の方ではないのか。 決して犯人に同情しているわけではないが、このまま彼らを殺してしまってよいのかとも思った。 <少しネタバレ> 上巻では合田である必要性に疑問を感じていたが、 ギンリョウソウのシーンで、ああ、この作品は合田でなければならなかったと納得した。 不必要に感じていた医療過誤の捜査も、犯人の葉書のセリフのためにだけ、必要だったのだとこれも納得。 | ||||
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確かに高村さんの作品は難解だったり読み進め難い点もあります。でも、好きな作家さんだったらまず読んでみようよ、と思うんですが・・。最近ここのレビューを見てつい買うのをためらう事が多々あるので。冷血は合田刑事が出てくるから一瞬おおーっ!と思って買われる方もあるのでしょうが、一家4人が惨殺され、その犯人を巡る心の動き、合田ありきではなく、事件そのものを描いているんだと思って読んでみたらどうでしょうか。最新作の我らが少女Aでも合田さんが出てきますが、私は最後の最後、あのたった一行に涙し、やはり高村作品はいいなぁと感動しました。 | ||||
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