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シューマンの指
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シューマンの指の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.74pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全110件 21~40 2/6ページ
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ミステリに幻想・狂気・特殊能力(オカルトですね)を持ち込むと、 なんでもアリになっちゃって、面白くない。 いかようにも物語がつくれちゃう。 その手口があまりにも鮮やかだったり、幻想性に歴史的な奥行きや普遍性があると、それはそれですぐれた作品に仕上がることもある。奥泉氏の過去のミステリには、そういう作品があった。 しかし本作は、そうならなかった。残念。 物語の半ばまで、延々とシューマン論が繰り広げられ、クラシックファンであってもなくても、もういいよと、ちょっと辟易とするのではないだろうか。しかもいつもの奥泉氏の作品の小気味いい美文調と異なって、この装飾過多の文章は読み進んでいくうちにうんざりしてくる。 それもこれも、最後の最後まで読めば、それなりに納得できる理由がある。 過剰なまでのシューマンへの惑溺、文体の持つ作りモノめいた装飾性、ボーイズラブみたいな男の子同士の関係、そうしたことにはちゃんと根拠があるのである。なるほどと納得がいっても、 真相を知るまでは読者は我慢して長い文章を読み進まなければならない。このへんのところが、むつかしいなぁ、とつくづく思う。 物語の中盤でやっとこさ殺人事件が起こって、その謎に引きずられて読み進めるようになってくるのだが、前半の延々と続くシューマン論のところどころにも、思わせぶりな伏線をもっと張ってくれていたら、読みやすかっただろうにと思ってしまう。 天才を自らの内奥にに引きずり込もうとした凡なる人の物語、です。 余談ですが、 本作はキンドルで読みました。 紙の本って、読んでる間、物語全体が具体的な重さと大きさでもって自分の手中に納まっている という安心感があるのですが、 電子書籍にはそれがありませんね。 次のページが天からすいっと降りてくる感じで、なんだか落ち着きが悪い。 読んだ部分をちょっとぺらぺらめくって確かめてみる、ということも紙の本より数段めんどう。 いろいろメリットも大きいのはわかりますし、老眼にはありがたい機能もついていますが、 まだ慣れません。 | ||||
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殺人事件の謎解き。犯人探しと言った、所謂ミステリー作品として読むと、決して出来の良い作品では無いのかもしれない。 ただ、そもそも奥泉光はミステリー作家ではなく、現代の純文学の代表作家であるのだから、それは当然と言えば当然で これまでの作品においてもそのほとんどが、ミステリーの要素は入っているものの、作品の一番のテーマや魅力は そこでは無かったはず。 本作をミステリー小説としての評価だけで論ずるのは、例えば『ノルウェイの森』を読んで こんな物は恋愛小説では無い。と断罪するのと同等ではないか。 と考えれば、本作で読者が読み解くべきは【音楽】と言うものが持つ魔力や業であり、 才能を持つ者持たざる者の視点であり、ある人間の、そして音楽の実存を証明するものは何か?と言う難解な問いであるように思う。 旧作にも度々描かれた、登場人物を導く役割を果たす、とある存在も(今までよりも控えめであるが)登場することからも分かる通り 本作は、『我輩は猫である殺人事件』『鳥類学者のファンタジア』『新・地底旅行』と地続きの作品でもある。 とりわけ、ピアノ演奏を圧倒的な筆致で描く場面、音楽によって何らかの理解が半ば自動的に成される心理描写などは 『鳥類学者〜』と符合する部分が多い。 奥底に込められたテーマに関しても共通する部分は多いが、それをポップなキャラクターやギャグ要素をふんだんに取り入れながら 描いた『鳥類学者〜』とは違い、本作は圧倒的にシリアスかつストイック。 その重さゆえ万人受けし難い作品ではあるが、胸にズシリと来る読後感は、文学による読書体験でしか得られないもので、私は支持したい。 ちなみに、作中に出てくるシューマンの解説がしつこいと言う意見には同意。 しかし、登場人物の心理と重ねて見せるためには、あの長さが必要だったのだろう、とも。 | ||||
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ひたすら本格ミステリについてマニアックに語り尽くすミステリがありますが、それをまったく本格ミステリを知らない人が読んだらどんな感じなんだろう、と長年思っていました。この作品は、シューマンについて言葉を尽くして語りまくっています。私はクラシック音楽は一切聴かないので、「全然何を言っているのかわからない。でも、当たり前だけど、やっぱりどの世界も奥が深いんだなあ」と感じました。この本のおかげで、シューマンを聴いてみたくなりました。 しかし、ミステリとしては四流です。殺人事件も唐突だし、特に謎もないし、最後のどんでん返しでかなりがっくりきました。別に反則ではありませんが、この作品で使うと脱力必至の手です。非常にバランスの悪い作品でした。 | ||||
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私の知る範囲では、シューマンのことはよくわからないからこの作品を敬遠するというより、むしろ逆に、これをきっかけに4シューマンの音楽に関心を持った層が少なくないようだ。 シューマン自身の「新音楽新報」の文体に親しめていた人には、この小説の文体はそれを彷彿とさせるものものがある。 この作品は、ミステリーとして読むのではなく、そうしたシューマネスクな文体に身を浸しながら、じわじわと迫り来る狂気の領域全体を味わうのがいいように思える。 | ||||
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冒頭から指をなくした筈の音楽家のリサイタルの報と言う「謎」からスタートし、ぐいぐいと読者を引き込んでゆきます。 中盤になって、高校のプールの更衣室で起きた女子高生殺人事件が登場し、一層「謎」が深まります。 こうしたミステリー的な趣と同時に語られる「シューマン論」。 クラッシック音楽にそれほど深い馴染みのない私には、それがどこまで正確なシューマン音楽の分析なのか、判断のしようがありませんが、少なくとも作者のシューマンに対する知識の深さや憧憬の深さを感じます。 最後の決着のつけ方については余り感心はしませんが、主人公の人格に作者のシューマン感が強く反映している様に思えました。 シューマン生誕200年を期して書かれた本ということですが、そうしたことを抜きにして素晴らしい作品だったと思います。 | ||||
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学生時代、音楽評論家を職業としようとした友人がいた。 当時から「レコード芸術」なる月刊誌があり、その新譜評を書きたいという希望であった。ところがそういう希望者は何万人もいて、なおかつ新譜評担当の評論家ポストは十人前後で絶対にやめない名誉ある仕事らしい。事実、宇野功芳なる御仁などは当時から現在までそのポストにしがみついている、ゆうに40年はたっている。プロ野球選手になるよりも総理大臣になるよりもむつかしい日本国民あこがれの希少ポストらしい。 さすがに友人はあきらめて銀行員になった。 小説家奥泉 光さんも学生時代そんな夢を抱いていたのではないか、かなわぬ夢への趣旨返し。思いっきりシューマンのピアノ曲の評論を書いてみたかったのだろう。 あまりにお粗末なミステリーの顛末などは気にもとめない作者思い入れの一冊でした。 | ||||
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前半は、シューマンの音楽論が延々と続き、辟易しましたが、“永嶺修人”には興味津々。 この本の中核を成す曲、シューマン≪幻想曲ハ長調≫もインターネットで検索し、聴いてみました。 ミステリーという括りに、疑問を持ち始めたころ、物語は思わぬ展開を見せ、ページをめくる手も早まりましたが、このオチは如何なものなのか。 私は、フェアではないと思うのですが……アリでしょうか? | ||||
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音楽好きじゃないと読んでられないだろうなあ と途中思いながら最後まで読んで唖然。 ミステリーとして云々と否定派が多いようですが、私はすごく良かったです。 途中から予測できたという人もいますが、それはすごい能力ですね、羨ましい限りです。 特にミステリというつもりで読まなかった私としては大変面白かったです。 皆川博子さんの「死の泉」以来の衝撃でした。 まあ、いずれにしても賛否両論わかれる作品ですよ。 | ||||
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評者のようなシューマン素人にしてみれば、前半に延々と続く「シューマン論」は、「これがミステリーとどうつながるの?」と期待しつつ、薀蓄もそれなりに面白かった。 ミステリーの構成としては、結局「シューマンじゃなくてもいいのでは?」というものだった。「シューマン」と「ミステリー」をつなげる説得力が今ひとつだった。 # それにしてもライノベも含めこの手の落ちが多くなったな... | ||||
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とても面白かったです。 シューマンと主人公のエピソードが重なり合うように書かれており。シューマンの説明や音楽がうまく差し込まれ、面白く読むことができました。最近は見なくなった、演奏家の名前やCDを例にあげている部分は、この本を読んでシューマンの音楽を聴きたくなる要素だと感じました。 終わり方について、個人的には最後の「種明かし的説明部分」の10ページがなければ、物語として想像力をかき立て、もっと深みが感じれたのでは。と思いました。落ちとしてはシューマンの「薬指が動かなくなったことで、演奏家を断念して作曲家活動に移行した」ことと「精神病」の部分は関連づけてあり「なるほど」と。それに前者の「薬指」のエピソードには疑惑があり、そこもこの本での「疑惑」が重なり読後に思い返すと色々と考えが広がって楽しめる。でも「種明かし的説明部分」の最後は「分かりにくいから後から付けたのでは」と感じてしまい、読んでいてうんざりしてしまった。最後の文章だけに印象に残り残念。そこがなければ最高の音楽青春小説だと思う。 | ||||
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これは音楽小説にミステリー要素を加えたという感じですかね。私はクラシックに造詣がないですが、それでも面白く読めたと思う。芥川賞作家ということもあって、音楽を言葉で表現するということにはある程度成功しているように思える。ただ、シューマンの薀蓄があまりにも長いかなという印象はありますね。 指を切断したはずのピアニスト永嶺修人が外国のコンサートででシューマンを弾いていたというところから始まって、主人公の回想シーンが永遠と続く。前半は、シューマンの薀蓄を聞かされている感じで、本題にいけよとマジで思った。後半近くから、ミステリーらしきところに入っていく。主人公の卒業式の夜、彼らが通う高校で女子生徒が殺害された。その後、永嶺修人が指を切断するきっかけとなる事件が起きる。 まあ、ミステリーとしてはあっそうですかという感じです。よくわからなかったので、思わず再読してしまった。 | ||||
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おもしろい小説を書く人は読み手の専門外の知識を補完すべく、あらゆる手法を使って巧みに描写し、読者をその世界観に巻き込もうとします。私自身、あまり音楽に詳しくないので序盤は本当に退屈しました。中盤にはおまけのようにミステリー要素を加える手法にも納得できず、絶えず登場人物の音楽観をつらつら書いている小説にすぎません。この小説には話の軸というものが大きく欠如しているため、大変つまらない作品になってしまったと思います。 | ||||
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一人の天才ピアニスト修人を仲介役として、シューマンの音楽や精神性に取り憑かれた主人公の生涯を本人の回顧譚風に綴った物語。一作毎に分野を変え、その分野に関する徹底的な調査の下で作品を発表する作者の特徴は良く出ている。今回の分野は音楽(クラシック)で、音楽の持つ魔性をテーマにしたかったのかも知れない。 だが、主人公(作者)の一人よがりだけが目立つ非常に退屈な作品。記述の大半がシューマンの音楽論、ピアノの演奏技術論、そして修人に対する主人公の同性愛的崇拝で占められており、読んでいてウンザリ感が漂う。主人公の精神性(生涯)をシューマンのそれと重ねようとする余り、作品のアチコチに綻びが見え、それが上述のウンザリ感を助長している。また、冒頭から作品全体を茫洋とした狂気めいた雰囲気が覆っており、一種の妄想小説の感を呈しているのも、作者にとってマイナスではないのか。途中で殺人事件が起こるのだが、これを純粋なミステリ趣向と捉えられないのもここに要因がある。そうかと言って、この妄想感を取り除くと作品自体が成立しないと言うお粗末な創り。 青春時代特有の夢想や偏執といった手垢にまみれたテーマを、音楽という題材を通して描いただけの作品に映り、結局、作者の意匠が奈辺にあるのかサッパリ分からなかった。 | ||||
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本書は、クラシック音楽小説であり、青春小説でもありますが、分類としてはミステリーに含まれるのでしょう。 私自身は、クラシック音楽が好きなので、シューマンに関する部分も楽しめましたが、そうでない方には退屈な部分かも・・・ ミステリーとしての、事件は後半にならないと起きませんが、序盤からそのための伏線を幾重にも張っています。 結末まで読んで、改めて読み返しましたが、もしコアなミステリー読者なら、10頁も読まないうちにしかけに気がつくかもしれません。 本当に面白かったです。大賞を取った「謎解きはディナーのあとで」もミステリーでしたが、本格度としてはこちらの法が上だなと思いましたが、先に記述したように、シューマンになじみがない人にとっては取っつきにくいのかもしれませんが、青春小説・ミステリー小説として秀作です。 | ||||
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冒頭で「謎」が提示された後は、シューマンに関する記述が延々と続く。曲に対する印象や好き嫌いの記述は所詮「個人の感想」と思って軽く読み進めたが、さすがに161ページに出てくる幻想曲第三楽章のコード進行には違和感があったので、手許の楽譜で確かめたら、やはりおかしい。プロの音楽家のレビューもあったらしいが、こういう正否がはっきりするところは抜かりなくやってもらわなければ。格調高いスノビッシュな雰囲気が台無しだ。 一方、ミステリーとして見た場合、中間部にシューマンに関するウンチクが居座っているものだから、量的に不充分。また、他の方のレビューにもあったように、終わり方はミステリーとしての常道を逸脱しており不満が残る。(帯にはラストが読みどころのように書いてあったが、とんでもないセールストークである) 結論から言えば音楽小説としてもミステリーとしても中途半端。化合ではなく単なる混合にとどまっているのだ。もし、作者がシューマンの音楽を血や肉として指先まで行き渡らせているのなら、こんなに散漫にはならないだろう。実力ある作家なら、こんな「付け焼き刃」に頼らずに、自らの世界を自らの語り口で堂々と作り上げて欲しい。 あと、蛇足ながら申し上げると、14ページの試金石という表現はシューマン愛好家の発言としてあり得ない。確かに一般人の話し言葉としては慣用になりつつあるのだが、156ページに出てくる「独擅場(どくせんじょう)」(独壇場ではない)という単語を知っている程のプロ作家がやらかすような誤用ではなかろう。 ミステリーではないけれど、音楽がらみの小説だったら佐藤多佳子の聖夜 ― School and Musicの方が、読後の満足感は数段上であった。 | ||||
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延々と続く著者の「シューマン論」。私はクラシックが好きで、シューマンの作品も好きなのだが、そんな私でさえ辟易とさせられ、読むのが苦痛だった。これに散々付き合わされた挙句、やっと中ほどで事件らしい事件が起き、その謎解きはというと、散々読まされた「シューマン論」とは全く関係ない。 しかも、オチが…。他のレビュアーの方も書いていらっしゃるが、このオチ自体が「禁じ手」に近い(ミステリー作家が、そのオチを使っちゃおしまいでしょう、というオチ)。 この作品は期待はずれと言わざるを得ない。 | ||||
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延々と続く著者の「シューマン論」。私はクラシックが好きで、シューマンの作品も好きなのだが、そんな私でさえ辟易とさせられ、読むのが苦痛だった。これに散々付き合わされた挙句、やっと中ほどで事件らしい事件が起き、その謎解きはというと、散々読まされた「シューマン論」とは全く関係ない。 しかも、オチが…。他のレビュアーの方も書いていらっしゃるが、このオチ自体が「禁じ手」に近い(ミステリー作家が、そのオチを使っちゃおしまいでしょう、というオチ)。 この作品は期待はずれと言わざるを得ない。 | ||||
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このオチはないでしょう… まさに今、読み終えたところなのですが、このガッカリ感をどうしたらいいものか… こんなに丁寧に作り込まれた文章に、あんなどんでん返しをつける必要があるでしょうか? 衝撃のラスト!といえば聞こえは良いですが、この手のオチは実際はありがちで、 ミステリー作家の逃げ道というか…どんなに美しい作品も、 瞬時に安っぽいものに成り下がってしまう技法だと思います… 読んでいて、「まさか、あのオチじゃないよね?」とうっすら予感し、 あとはガッカリ感を明確にしていくだけの作業でした。 技巧的なメロディーを奏で、「音楽」が聞こえなくなったのは作者なのではないでしょうか。 本当に、ガッカリしました… | ||||
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このオチはないでしょう… まさに今、読み終えたところなのですが、このガッカリ感をどうしたらいいものか… こんなに丁寧に作り込まれた文章に、あんなどんでん返しをつける必要があるでしょうか? 衝撃のラスト!といえば聞こえは良いですが、この手のオチは実際はありがちで、 ミステリー作家の逃げ道というか…どんなに美しい作品も、 瞬時に安っぽいものに成り下がってしまう技法だと思います… 読んでいて、「まさか、あのオチじゃないよね?」とうっすら予感し、 あとはガッカリ感を明確にしていくだけの作業でした。 技巧的なメロディーを奏で、「音楽」が聞こえなくなったのは作者なのではないでしょうか。 本当に、ガッカリしました… | ||||
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新聞広告で「指を失ったピアニストが奏でるシューマン」に興味を持って手に取った。 小説のリアリティは、99のホントウにたった一つのウソを混ぜることによって得られる、というような話を聞いた覚えがあるが、本作はとにかく音楽評論が本格的で、それが本作の99のホントウとしてリアリティの芯を作っていることは間違いない。延々と続くシューマン論。ミステリとしての謎かけと謎解きは、分量からすればシューマン論への香り付け、という程度でしかない。しかし読んでいて決して退屈はしないし、その全編に漂う暗い緊張感はあくまでもミステリのものなのである。 構成も巧みで最後の最後まで気が抜けない。この重厚感はミステリの仕掛けではなく、やはり音楽評論がもたらすリアリティのなせる技であろう。素直に凄い、と思った。 | ||||
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