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シューマンの指
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シューマンの指の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.74pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全110件 1~20 1/6ページ
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友達とのやり取りでシューマンの話をしていたときにこの小説の名前が出てきたので興味を持って、作者や本に関する前知識無しで読みました。 前半は音大を目指すピアノ弾きの高校生の青春ストーリーがシューマンの曲や思想と絡めて語られるという感じなのですが、これだけシューマンに耽溺してるならもう少し文章自体に詩情が欲しいなぁと思いながら読みました。 後半になると事件が起き、心情的にもドロドロした幻想的ロマン的な色合いを帯びてきて、おぉ、ロマン派か!となるのですが、最後二重のどんでん返しのような展開があって、結局描かれたことの半分以上は精神疾患がある人の妄想だった的なところに落ち着いてしまって、「何だよそれ」ってなりました。 著者がシューマンが好きなことは伝わりますし、面白く読めはしましたけど、読書体験としては終わり良くなくて台無しという感じでした。 あと、クラシックそれなりに好きな身としても、どの曲の何小節目のどの音がみたいな記述が多すぎて、わざわざ楽譜を確認したり曲を聞きながら読んだりはしないので、そういうところは流し読みしました。 | ||||
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後半に進むにつれ濃さの種類が多面的、心地よい緊張感で読めました。作者とは別の方による解説は堅苦しくて苦痛。解説最後の頁の文面を解説最初に持ってきたらいいのに、と思いました。 | ||||
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私は日頃、全くミステリを読まないのですが、『シューマンの指』というタイトルに惹かれて読んでみました。シューマンの楽曲はかなり好きで、特に「幻想曲」は雄大な高揚と繊細な陶酔を兼ね備えた傑作で、好んで聴く楽曲だったからです。 読後、まず脳裏によぎったのは「エキセントリック」という言葉。確かにこれはシューマンの音楽の中にある性質の一面であって、ときに鼻につくような気取りがあるかと思えば率直にやさしくなったり、英雄的な雄々しさを見せていたその次の瞬間に冷たい孤独に沈潜したり……これは青年期の人間の心の動くさまを、やや誇張した所もあるもののよく反映しているように思われます。 ミステリとしての出来栄えを云々する資格は私にはありません。しかしこの作品は、シューマンに対するオマージュとしては、非常に良いものだと思います。登場人物たちによる芸術に関してのやや青臭い議論も、青臭いがゆえのリアリティと懐かしさがありました。 夏の暑いさなかでも、一気に読める面白さでした。 | ||||
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シューマンについての記述がオリジナルか出典のあるものか分かりませんが、その部分を楽しめなければ、成立しない作品だと思います。 | ||||
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かなりクセのある作品だが、音楽的素養が皆無の私でも、腐臭の漂う異様なムードに酔わされ、シューマンについての蘊蓄や独断的議論を、興味深く読むことが出来た。腐臭と書いたが、精神を病んだ男らしい女性嫌悪が強烈で、男色へ傾倒する主人公の心情が生々しく表現されていたと思う。 恐らくこの腐臭に毒されていたのだろう。ラストのどんでん返し連発に、私は素直にアッと驚き仰天した。レビューを書くため思い返すと、そりゃあないよ、という手法なんだけど、読書中に覚えた興奮を、素直に評価したい。 本書は幻想文学的腐臭の漂う、大胆不敵なトリックのミステリである。万人向けではない。 | ||||
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主人公の最後の告白、事件の真相の証明に驚かされるが、その先にはさらに大どんでん返しが待っている。音楽サスペンスを超えたまさに虚構の舞台を見たという思い。何も解決されていないようにも見えるが、そこで生きたあるいは存在したように見えた人物の一人一人に命があり、分裂、錯乱しながらも共存を許されたことは、通奏するテーマであるシューマンの人生への評価に裏打ちされているからではないだろうか。 | ||||
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難しい漢字や言葉を使いすぎ、さらに言い回し方もしつこくて、文章の流れが素直に見えず、情景が浮かばない。 本当に文章の上手な人は、やさしい漢字や言葉使いで、その情景が誰でもすぐに浮かび、その小説の中に引きずり込まれていくものです。プロの作家は、プライドが高いのか、難しく書くことが自分のレベル高さを表していると勘違いしている。困ったものだ。 | ||||
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音楽の素晴らしさみたいな、ことを確認できる、筆者の豊富な含蓄に裏打ちされている音楽談義が、好きです。筆者と友達なら喫茶店で音楽について喋りたい。出てくる僕の大好きなグレングールドの、そこの意見は合いませんね、とか、言いたいなあ そして、推理もある。音楽のものと、理数系が同居しております。しかし日本人初のフィールズ賞を取った数学者はピアノが大変得意であったように、まあ、同じですわな。弦と弦の間の相対距離を正確に描けば描くほど、完璧に美しいものができる。 で、推理の部分も、話せばネタバレなんすけど、 松本清張。点と線、とかでないけども、なんか、現代の人間の苦しみみたいなものが入っていて、このトリックが!とかでない、妙に深く、直裁でいて複雑、哀しく切ないものがあります。 | ||||
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シューマンを聴き直したくなった、CD買ってしまった | ||||
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以前図書館で借りて読んでいたのを忘れて購入。途中で既読であることに気が付いたけど、面白く一気に最後まで読み切ってしまった。 | ||||
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音楽小説としては興味深く面白かった。 不気味な、あるいは妖しい妄想と同性愛 が、ミステリーとしては、すっきり明確な結末が欲しい人間なのでモヤモヤして読後感が残念です。 結末が曖昧なものもミステリーではあるのでしょうが、理路整然を求める人にはオススメできない。 途中まで面白かったからこそ、ある種の最期であろうと答えと終幕を書いて欲しかった。 | ||||
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シューマンファンの私には堪らない、シューマン贔屓解説書でした。物語としては作為が過ぎます。 | ||||
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シューマン愛ゆえに前半に☆100個 陳腐を超えるがっかりミステリーな後半に-☆100個 プラマイゼロだけど、評価困難の意を表して☆3個の気持ち。 シューマンが好きなので、それだけで即購入。 ミステリーだと知らずに、シューマンとピアノを愛する青年たちの青春群像だと思いんで読み進めました。シューマンへの偏愛っぷりが愛おしい。「シューマンが好きになるとショパンが嫌いになる」には全力で同意。もちろんショパンも大好きですが、とてもわかります。奥泉氏のシューマンへの並々ならぬ愛を感じます(実際のところはわからないけど)。 物語の中盤に訪れるクライマックスシーン、天才ピアニスト「永嶺修人」が夜の学校で幻想曲を弾く。物影でそれを聴く主人公の心情や楽曲の描写は秀逸で、その場で自分も聴いているかのように主人公と同じ気持ちになって浸りきって読みました。言葉だけで、こんなのも音そのものと聴く者の心情を語りつくせるなんて…もうため息しか出ません。 で。幻想曲が終わり、弾き終わった余韻に酔いがら目を数行先に進めると、殺人の描写が入ります。この瞬間、大いに落胆しました。ミステリーだと知らなかったゆえのがっかりですが、知っていたとしてもお約束すぎでがっかりだったと思います。 にしても、どうしてミステリーにしたのかな。シンプルに、ほろ苦くも爽やかな青春群像で私は良かったんですけど。殺人事件を持ってこなくても、これだけ力量のある作家さんならシューマンになぞらえた主人公の精神の破綻は描写できたと思うけど。 というわけで、後半を再び読むことはありませが、前半は今でもたまに愛でています。 でも、クラッシックに興味がなかったりシューマンがお好きでない方には楽しめる要素があまりないかも。 | ||||
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主題の上に主題を重ね、虚構の上に虚構を重ねるこの物語を要約し、感想を言うのは容易ではない。ぼくは本書を「才能をめぐる物語」として読んだ。才能とはその瞬間に<だけ>光るわけではない。それに向かって進んでゆけばいいのだ。 音楽活動もするという奥泉氏の音楽への造詣の深さには驚嘆させられた。いやその知識ではなく、音楽を通じた人物造形の凄さにである。病気で演奏活動をやめたピアニストを母にもつ永嶺修人が、本書を貫く音楽、シューマンの調べと共に描かれてゆく。 「シューマンが求めているのは、本当に、本気で、可能な限り速く弾くことなだから」 「(コーダは)弾けなくていいんだ。シューマンは限界を超えることを求めているんだ」 彼は鍵盤を高い位置から弾き、シューマンの楽譜に配された言葉まで表現する早熟の天才ピアニストである。本書の語り部である里橋優は、二学年下の修人と音楽室や下校途中で語り合う。修人は繰り返し言う。 「音楽はすでにここにあり、わざわざ演奏される必要はないんだ」 優はこの意味を訝しむ。ではピアニストは何をするのだ?彼は才能ある修人を崇めて、自分もピアノで音大を目指すのだが、自身の才能の乏しさも見切っている。だが将来を嘱望され、著名なピアノ教師に付いている修人は、奇妙なことにコンサートでは、その才能が響かなかった。優にはそう聴こえた。演奏後、優は修人にこう告げる。 「君の演奏には音楽がなかった」 君はちゃんと弾いていないーでは彼が「すでにある」と言った音楽は、どこにあるのだろうか?才能とは譜面にあることを自分のものにすることなのか?では才能とは何なのか?芸術とは何なのか? 修人の溢れる才能は、「すでにある音楽」を超える演奏は、一度あった。あの夜、学校の音楽室で、修人がある行為をしたあとの演奏である。真のシューマンを弾かせたのはその時の<激情>から。命と音楽を交換して悪魔になった瞬間に生まれた。 一方〝凡人〟である優はこう考える。音楽とは何かを「表現」するものだと考えずに、音楽に奉仕すること。一歩でも音楽に近づき、美しい裳裾(もすそ)に触れること。音楽に向かって進んでゆけばいいと。 才能とはそのどちらかではなく、どちらもあるのだと思う。素晴らしい作品に出会えた。しかし奥泉教授、ここまでどんでんどんでんと、ひっくり返すこともなかったような気もします…(笑) | ||||
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なんと美しい小説だろうか・・・。作中に幾つもの音楽が頭の中で鳴り響く現象が記されているが、これは僕にも経験がある。音楽の天才であればの現象なのかもしれないが、僕の様な凡人にとってそれは単なる思考の輻輳だ。 とにかく音楽を語る---ある種の蘊蓄か---文章が非常に華麗で美しく明晰だ。僕はクラシック音楽に全く興味が無く、知らない楽曲ばかりが語られていたが、曲を知らない僕にその素晴らしさを伝えて来るだけの明晰さを孕んだ奥泉光さんの文章の力は相当なものだ。 ラストのオチがメタフィクションなのかどうなのかという議論は色々あるだろうが、この作品は兎に角美しい。例え主人公の妹の告白が本当だとしても、そこを突くのは野暮だろう。 僕は本作を読みながら映画『アマデウス』を思い出していた。 修人と主人公の関係はモーツァルトとサリエリの関係に酷似していると感じた。天才と凡人の残酷なほどに埋めがたい差・・・・。それが青春小説としての核でありテーマにもなっている。 同じ音楽をテーマにした作品にリチャード・パワーズさんの『オルフェオ』があるが、未知の音楽の素晴らしさそして演奏の華麗さを伝える言葉はパワーズさんを超えていると思う。 洗練され華麗な作品を読み、大変満足している。 | ||||
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まず他の方もレビューで書かれておりますが、クラシック音楽関連の薀蓄がかなり長いです。 私自身はクラシック音楽が好きで普段からよく聴くのでまだ耐えられましたが、興味のない方には苦痛でしょう。 さほどミステリー小説という感じでもないです。 最後まで読むと「ああ、そういう話だったのか....」と思えます。 途中で気づける人はどれだけいるのだろうか... 詳しくはここには書けませんが、途中で投げ出すと余計に理解し難い作品のまま終わってしまうと思われます。 | ||||
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シューマンの病気による精神的闇の部分が強調されていて薄気味悪い。 怖いです。 シューマン作品の演奏に例えると、シューマン晩年の病気による狂気的感覚を強調した演奏がティピカルで凡庸に感じるのと 同じ意味で、このお話も有りがちでつまらないと思った。 ミステリーとしても私には現実味の無い作り話のよう。 ファンタジックな世界観を楽しむのならノヴァーリスでも読んでいた方が充実した時間が過ごせるし・・・ | ||||
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人間の五感において、聴覚は最も言語化に不向きな知覚対象であると思う。 それが音楽であれば尚更のこと、「音」に対応する文は音楽そのものを、ほんとうに指し示すことになるのか?という疑念すら抱いてしまう。 ただ、本作ではその心配は杞憂であった(少なくとも修辞的には)。 だが、読み終えたあと、真っ先にYouTubeでシューマンの「幻想曲」を聴いたのはマズかった。 本作で語られたシューマンは、その曲には「いなかった」。 音楽も、文学も、「すでにある=アプリオリ」ものを無理やり枠の中にあてはめているだけなのかもしれない。 そこになんと無くの親和性を感じた。 | ||||
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ネット上で「お薦めミステリー」として紹介されており、著者が奥泉光であることから購入してみました。 筆者の「鳥類学者のファンタジア」を以前に読み、非常に充足したことから、期待しての購入で、まったく躊躇はありませんでした。 そのような私の前提で申せば、少し残念な作品です。 但し、ミステリーをどの程度読まれているか、ミステリーに限らず、皆さんのそもそもの読書量によっても評価は異なってくるかと思います。 筆者の表現力の豊かさは顕在ですし、特に音楽的な(本作はシューマンに関する)分析は特筆できます。 また、ミステリーに最も重要な「その先を知りたい」という読書欲についても、途切れないように物語がプロットされています。 | ||||
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犯人捜しやトリックを楽しむ小説ではありません! 前半の音楽評論は読むのがしんどかった。 文章は読みやすくはないけど、独特の世界観がいいね! | ||||
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