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シューマンの指
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シューマンの指の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.74pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全66件 1~20 1/4ページ
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後半に進むにつれ濃さの種類が多面的、心地よい緊張感で読めました。作者とは別の方による解説は堅苦しくて苦痛。解説最後の頁の文面を解説最初に持ってきたらいいのに、と思いました。 | ||||
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私は日頃、全くミステリを読まないのですが、『シューマンの指』というタイトルに惹かれて読んでみました。シューマンの楽曲はかなり好きで、特に「幻想曲」は雄大な高揚と繊細な陶酔を兼ね備えた傑作で、好んで聴く楽曲だったからです。 読後、まず脳裏によぎったのは「エキセントリック」という言葉。確かにこれはシューマンの音楽の中にある性質の一面であって、ときに鼻につくような気取りがあるかと思えば率直にやさしくなったり、英雄的な雄々しさを見せていたその次の瞬間に冷たい孤独に沈潜したり……これは青年期の人間の心の動くさまを、やや誇張した所もあるもののよく反映しているように思われます。 ミステリとしての出来栄えを云々する資格は私にはありません。しかしこの作品は、シューマンに対するオマージュとしては、非常に良いものだと思います。登場人物たちによる芸術に関してのやや青臭い議論も、青臭いがゆえのリアリティと懐かしさがありました。 夏の暑いさなかでも、一気に読める面白さでした。 | ||||
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シューマンについての記述がオリジナルか出典のあるものか分かりませんが、その部分を楽しめなければ、成立しない作品だと思います。 | ||||
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かなりクセのある作品だが、音楽的素養が皆無の私でも、腐臭の漂う異様なムードに酔わされ、シューマンについての蘊蓄や独断的議論を、興味深く読むことが出来た。腐臭と書いたが、精神を病んだ男らしい女性嫌悪が強烈で、男色へ傾倒する主人公の心情が生々しく表現されていたと思う。 恐らくこの腐臭に毒されていたのだろう。ラストのどんでん返し連発に、私は素直にアッと驚き仰天した。レビューを書くため思い返すと、そりゃあないよ、という手法なんだけど、読書中に覚えた興奮を、素直に評価したい。 本書は幻想文学的腐臭の漂う、大胆不敵なトリックのミステリである。万人向けではない。 | ||||
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主人公の最後の告白、事件の真相の証明に驚かされるが、その先にはさらに大どんでん返しが待っている。音楽サスペンスを超えたまさに虚構の舞台を見たという思い。何も解決されていないようにも見えるが、そこで生きたあるいは存在したように見えた人物の一人一人に命があり、分裂、錯乱しながらも共存を許されたことは、通奏するテーマであるシューマンの人生への評価に裏打ちされているからではないだろうか。 | ||||
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音楽の素晴らしさみたいな、ことを確認できる、筆者の豊富な含蓄に裏打ちされている音楽談義が、好きです。筆者と友達なら喫茶店で音楽について喋りたい。出てくる僕の大好きなグレングールドの、そこの意見は合いませんね、とか、言いたいなあ そして、推理もある。音楽のものと、理数系が同居しております。しかし日本人初のフィールズ賞を取った数学者はピアノが大変得意であったように、まあ、同じですわな。弦と弦の間の相対距離を正確に描けば描くほど、完璧に美しいものができる。 で、推理の部分も、話せばネタバレなんすけど、 松本清張。点と線、とかでないけども、なんか、現代の人間の苦しみみたいなものが入っていて、このトリックが!とかでない、妙に深く、直裁でいて複雑、哀しく切ないものがあります。 | ||||
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シューマンを聴き直したくなった、CD買ってしまった | ||||
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以前図書館で借りて読んでいたのを忘れて購入。途中で既読であることに気が付いたけど、面白く一気に最後まで読み切ってしまった。 | ||||
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主題の上に主題を重ね、虚構の上に虚構を重ねるこの物語を要約し、感想を言うのは容易ではない。ぼくは本書を「才能をめぐる物語」として読んだ。才能とはその瞬間に<だけ>光るわけではない。それに向かって進んでゆけばいいのだ。 音楽活動もするという奥泉氏の音楽への造詣の深さには驚嘆させられた。いやその知識ではなく、音楽を通じた人物造形の凄さにである。病気で演奏活動をやめたピアニストを母にもつ永嶺修人が、本書を貫く音楽、シューマンの調べと共に描かれてゆく。 「シューマンが求めているのは、本当に、本気で、可能な限り速く弾くことなだから」 「(コーダは)弾けなくていいんだ。シューマンは限界を超えることを求めているんだ」 彼は鍵盤を高い位置から弾き、シューマンの楽譜に配された言葉まで表現する早熟の天才ピアニストである。本書の語り部である里橋優は、二学年下の修人と音楽室や下校途中で語り合う。修人は繰り返し言う。 「音楽はすでにここにあり、わざわざ演奏される必要はないんだ」 優はこの意味を訝しむ。ではピアニストは何をするのだ?彼は才能ある修人を崇めて、自分もピアノで音大を目指すのだが、自身の才能の乏しさも見切っている。だが将来を嘱望され、著名なピアノ教師に付いている修人は、奇妙なことにコンサートでは、その才能が響かなかった。優にはそう聴こえた。演奏後、優は修人にこう告げる。 「君の演奏には音楽がなかった」 君はちゃんと弾いていないーでは彼が「すでにある」と言った音楽は、どこにあるのだろうか?才能とは譜面にあることを自分のものにすることなのか?では才能とは何なのか?芸術とは何なのか? 修人の溢れる才能は、「すでにある音楽」を超える演奏は、一度あった。あの夜、学校の音楽室で、修人がある行為をしたあとの演奏である。真のシューマンを弾かせたのはその時の<激情>から。命と音楽を交換して悪魔になった瞬間に生まれた。 一方〝凡人〟である優はこう考える。音楽とは何かを「表現」するものだと考えずに、音楽に奉仕すること。一歩でも音楽に近づき、美しい裳裾(もすそ)に触れること。音楽に向かって進んでゆけばいいと。 才能とはそのどちらかではなく、どちらもあるのだと思う。素晴らしい作品に出会えた。しかし奥泉教授、ここまでどんでんどんでんと、ひっくり返すこともなかったような気もします…(笑) | ||||
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なんと美しい小説だろうか・・・。作中に幾つもの音楽が頭の中で鳴り響く現象が記されているが、これは僕にも経験がある。音楽の天才であればの現象なのかもしれないが、僕の様な凡人にとってそれは単なる思考の輻輳だ。 とにかく音楽を語る---ある種の蘊蓄か---文章が非常に華麗で美しく明晰だ。僕はクラシック音楽に全く興味が無く、知らない楽曲ばかりが語られていたが、曲を知らない僕にその素晴らしさを伝えて来るだけの明晰さを孕んだ奥泉光さんの文章の力は相当なものだ。 ラストのオチがメタフィクションなのかどうなのかという議論は色々あるだろうが、この作品は兎に角美しい。例え主人公の妹の告白が本当だとしても、そこを突くのは野暮だろう。 僕は本作を読みながら映画『アマデウス』を思い出していた。 修人と主人公の関係はモーツァルトとサリエリの関係に酷似していると感じた。天才と凡人の残酷なほどに埋めがたい差・・・・。それが青春小説としての核でありテーマにもなっている。 同じ音楽をテーマにした作品にリチャード・パワーズさんの『オルフェオ』があるが、未知の音楽の素晴らしさそして演奏の華麗さを伝える言葉はパワーズさんを超えていると思う。 洗練され華麗な作品を読み、大変満足している。 | ||||
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犯人捜しやトリックを楽しむ小説ではありません! 前半の音楽評論は読むのがしんどかった。 文章は読みやすくはないけど、独特の世界観がいいね! | ||||
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殺人事件の謎解き。犯人探しと言った、所謂ミステリー作品として読むと、決して出来の良い作品では無いのかもしれない。 ただ、そもそも奥泉光はミステリー作家ではなく、現代の純文学の代表作家であるのだから、それは当然と言えば当然で これまでの作品においてもそのほとんどが、ミステリーの要素は入っているものの、作品の一番のテーマや魅力は そこでは無かったはず。 本作をミステリー小説としての評価だけで論ずるのは、例えば『ノルウェイの森』を読んで こんな物は恋愛小説では無い。と断罪するのと同等ではないか。 と考えれば、本作で読者が読み解くべきは【音楽】と言うものが持つ魔力や業であり、 才能を持つ者持たざる者の視点であり、ある人間の、そして音楽の実存を証明するものは何か?と言う難解な問いであるように思う。 旧作にも度々描かれた、登場人物を導く役割を果たす、とある存在も(今までよりも控えめであるが)登場することからも分かる通り 本作は、『我輩は猫である殺人事件』『鳥類学者のファンタジア』『新・地底旅行』と地続きの作品でもある。 とりわけ、ピアノ演奏を圧倒的な筆致で描く場面、音楽によって何らかの理解が半ば自動的に成される心理描写などは 『鳥類学者〜』と符合する部分が多い。 奥底に込められたテーマに関しても共通する部分は多いが、それをポップなキャラクターやギャグ要素をふんだんに取り入れながら 描いた『鳥類学者〜』とは違い、本作は圧倒的にシリアスかつストイック。 その重さゆえ万人受けし難い作品ではあるが、胸にズシリと来る読後感は、文学による読書体験でしか得られないもので、私は支持したい。 ちなみに、作中に出てくるシューマンの解説がしつこいと言う意見には同意。 しかし、登場人物の心理と重ねて見せるためには、あの長さが必要だったのだろう、とも。 | ||||
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私の知る範囲では、シューマンのことはよくわからないからこの作品を敬遠するというより、むしろ逆に、これをきっかけに4シューマンの音楽に関心を持った層が少なくないようだ。 シューマン自身の「新音楽新報」の文体に親しめていた人には、この小説の文体はそれを彷彿とさせるものものがある。 この作品は、ミステリーとして読むのではなく、そうしたシューマネスクな文体に身を浸しながら、じわじわと迫り来る狂気の領域全体を味わうのがいいように思える。 | ||||
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冒頭から指をなくした筈の音楽家のリサイタルの報と言う「謎」からスタートし、ぐいぐいと読者を引き込んでゆきます。 中盤になって、高校のプールの更衣室で起きた女子高生殺人事件が登場し、一層「謎」が深まります。 こうしたミステリー的な趣と同時に語られる「シューマン論」。 クラッシック音楽にそれほど深い馴染みのない私には、それがどこまで正確なシューマン音楽の分析なのか、判断のしようがありませんが、少なくとも作者のシューマンに対する知識の深さや憧憬の深さを感じます。 最後の決着のつけ方については余り感心はしませんが、主人公の人格に作者のシューマン感が強く反映している様に思えました。 シューマン生誕200年を期して書かれた本ということですが、そうしたことを抜きにして素晴らしい作品だったと思います。 | ||||
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音楽好きじゃないと読んでられないだろうなあ と途中思いながら最後まで読んで唖然。 ミステリーとして云々と否定派が多いようですが、私はすごく良かったです。 途中から予測できたという人もいますが、それはすごい能力ですね、羨ましい限りです。 特にミステリというつもりで読まなかった私としては大変面白かったです。 皆川博子さんの「死の泉」以来の衝撃でした。 まあ、いずれにしても賛否両論わかれる作品ですよ。 | ||||
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評者のようなシューマン素人にしてみれば、前半に延々と続く「シューマン論」は、「これがミステリーとどうつながるの?」と期待しつつ、薀蓄もそれなりに面白かった。 ミステリーの構成としては、結局「シューマンじゃなくてもいいのでは?」というものだった。「シューマン」と「ミステリー」をつなげる説得力が今ひとつだった。 # それにしてもライノベも含めこの手の落ちが多くなったな... | ||||
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とても面白かったです。 シューマンと主人公のエピソードが重なり合うように書かれており。シューマンの説明や音楽がうまく差し込まれ、面白く読むことができました。最近は見なくなった、演奏家の名前やCDを例にあげている部分は、この本を読んでシューマンの音楽を聴きたくなる要素だと感じました。 終わり方について、個人的には最後の「種明かし的説明部分」の10ページがなければ、物語として想像力をかき立て、もっと深みが感じれたのでは。と思いました。落ちとしてはシューマンの「薬指が動かなくなったことで、演奏家を断念して作曲家活動に移行した」ことと「精神病」の部分は関連づけてあり「なるほど」と。それに前者の「薬指」のエピソードには疑惑があり、そこもこの本での「疑惑」が重なり読後に思い返すと色々と考えが広がって楽しめる。でも「種明かし的説明部分」の最後は「分かりにくいから後から付けたのでは」と感じてしまい、読んでいてうんざりしてしまった。最後の文章だけに印象に残り残念。そこがなければ最高の音楽青春小説だと思う。 | ||||
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これは音楽小説にミステリー要素を加えたという感じですかね。私はクラシックに造詣がないですが、それでも面白く読めたと思う。芥川賞作家ということもあって、音楽を言葉で表現するということにはある程度成功しているように思える。ただ、シューマンの薀蓄があまりにも長いかなという印象はありますね。 指を切断したはずのピアニスト永嶺修人が外国のコンサートででシューマンを弾いていたというところから始まって、主人公の回想シーンが永遠と続く。前半は、シューマンの薀蓄を聞かされている感じで、本題にいけよとマジで思った。後半近くから、ミステリーらしきところに入っていく。主人公の卒業式の夜、彼らが通う高校で女子生徒が殺害された。その後、永嶺修人が指を切断するきっかけとなる事件が起きる。 まあ、ミステリーとしてはあっそうですかという感じです。よくわからなかったので、思わず再読してしまった。 | ||||
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本書は、クラシック音楽小説であり、青春小説でもありますが、分類としてはミステリーに含まれるのでしょう。 私自身は、クラシック音楽が好きなので、シューマンに関する部分も楽しめましたが、そうでない方には退屈な部分かも・・・ ミステリーとしての、事件は後半にならないと起きませんが、序盤からそのための伏線を幾重にも張っています。 結末まで読んで、改めて読み返しましたが、もしコアなミステリー読者なら、10頁も読まないうちにしかけに気がつくかもしれません。 本当に面白かったです。大賞を取った「謎解きはディナーのあとで」もミステリーでしたが、本格度としてはこちらの法が上だなと思いましたが、先に記述したように、シューマンになじみがない人にとっては取っつきにくいのかもしれませんが、青春小説・ミステリー小説として秀作です。 | ||||
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新聞広告で「指を失ったピアニストが奏でるシューマン」に興味を持って手に取った。 小説のリアリティは、99のホントウにたった一つのウソを混ぜることによって得られる、というような話を聞いた覚えがあるが、本作はとにかく音楽評論が本格的で、それが本作の99のホントウとしてリアリティの芯を作っていることは間違いない。延々と続くシューマン論。ミステリとしての謎かけと謎解きは、分量からすればシューマン論への香り付け、という程度でしかない。しかし読んでいて決して退屈はしないし、その全編に漂う暗い緊張感はあくまでもミステリのものなのである。 構成も巧みで最後の最後まで気が抜けない。この重厚感はミステリの仕掛けではなく、やはり音楽評論がもたらすリアリティのなせる技であろう。素直に凄い、と思った。 | ||||
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