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聖アウスラ修道院の惨劇



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聖アウスラ修道院の惨劇の評価: 9.00/10点 レビュー 1件。 Bランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点9.00pt

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全1件 1~1 1/1ページ
No.1:2人の方が「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(9pt)

ある意味作者自身の未来を予見した作品

二階堂作品で初めて『このミス』ランクインしたのが本書。二階堂蘭子シリーズとしては3作目に当たるが文庫刊行順としては2冊目なのでこちらを先に手に取った次第。

第1作目の『地獄の奇術師』は乱歩の世界が横溢した作風で、昔ながらの本格ミステリ復興への意欲が迸った作品だったが、見え見えのミスディレクションに見え見えの犯人、そして最後に後出しジャンケンのように出される観念的な動機の応酬に辟易したので、この作者に対する印象はいいものではなかった。

そして第1作目読了から11年が経った今、ようやく2冊目を手に取ったわけだが、一読非常に読みやすく、更に本格ミステリ趣味に溢れていながらも警察の捜査状況も、慣例事項など専門的な内容も含めてしっかり書かれており、意外にも好感が持てた。

文庫本にして約600ページ弱に亘って繰り広げられる本書には本格ミステリのありとあらゆる要素がぎっしりと含まれている。

世俗とは一線を画すカトリック文化の中で生活をする修道院の面々。

その中で起きるヨハネ黙示録に擬えた連続見立て殺人。

過去の情事という過ちで出来てしまった娘に逢いに来たアメリカ人司教は首を切断された上に全裸で枝垂桜に吊るされている。

≪修道院の洞窟≫と呼ばれる門外不出の文書が収められた地下洞窟。

数々出てくる暗号はそれを解くことで地下洞窟に導かれる秘密の抜け穴へと繋がる。

そして暗号の解がなければ一度迷い込めば出ることが叶わぬ地下の大迷路。

夜な夜な繰り広げられていたとされる修道院長による悪魔的儀式。

その儀式に使われていたとされる、イエス・キリストの遺骨とも云われている幻の水晶の頭蓋骨。

さらに3つにも上る暗号。

江戸川乱歩や横溝正史、はたまたジョン・ディクスン・カーが織り成すオカルティックな本格ミステリの世界観を見事に盛り込んだ作品を紡ぎ出している。

ケレン味という言葉がある。
それは物語をただ語るだけでなく、作者独特の世界観に読者に導くはったりや嘘のような演出のことだ。先に挙げた乱歩や正史、カーや島田荘司氏などの作品はこのケレン味に溢れている。

そしてまた二階堂黎人氏もまたケレン味の作家である。上に書いたガジェットの数々は自分が面白いと感じた古今東西のミステリの衣鉢を継ぐかのように過剰なまでにケレン味に溢れた作品世界を描き出す。

しかし残念なのは探偵役の二階堂蘭子がまだまだ類型的なキャラクターに感じられることだ。

警視庁副総監を父親に持つことで一大学生が警察の捜査に介入できる特権を持っているというご都合主義の設定に、昭和40年代で200万円以上の高値で取引される画家二階堂桐生を叔父に持つ。

この辺りの設定は二階堂蘭子及び黎人2人の主人公たちをいけ好かないブルジョワ階級の、我々庶民である読者とは隔世の存在としているため、どこか親近感を抱くのを阻んでいる感じがある。

とはいえ昨今の本格ミステリは有栖川有栖氏の臨床犯罪学者火村然り、警視を親に持つ法月綸太郎然り、どこも似たような感じであるから、受け入れるべきなのだろう。

しかし今回この万能推理機械のように思われた二階堂蘭子に弱点が発覚する。そのことで本書で初めて二階堂蘭子が類型的な万能探偵から一歩抜きんでた思いがした。

さてその蘭子たちが出くわす聖アウスラ修道院に纏わる謎は二階堂氏のケレン味溢れたサーヴィスによって実に多彩だ。

まずは物語の発端である、二階堂蘭子たちが聖アウスラ修道院に招聘されることになった密室状態の≪尼僧の塔≫から落下した太田美知子という生徒の転落死。

突如落盤した≪修道士の洞窟≫で生き埋めとなって亡くなった前修道院長マザー・エリザベス。

枝垂桜に首なし死体となって逆さ吊りの状態で遺棄されたトーマス・グロア司教。

≪尼僧の塔≫の再び密室状態の≪黒の部屋≫から火を着けられたまま何者かに落とされて亡くなったシスター・フランチェスコ。

水車に巻き込まれて亡くなった厨房係の梶本稲。

トーマス・グロア司教殺害の容疑者とされていたその息子梶本建造は突然の失踪するが地下の≪修道士の洞窟≫の中の棺の中で遺体となってみつかる。

しかしこれらの事件がそう簡単な構造でないことは読み進むにつれて明らかになってくる。

終わってみればまさに惨劇であった。

ただ本書はこれら連続殺人だけを語るわけではない。これら一連の事件を彩るケレン味が面白いのだ。

更に地下洞窟にその道筋を辿る暗号解読の妙味と、作中でも引用される二階堂氏がこよなく愛する古典ミステリの傑作へのオマージュがとことん詰め込まれている。

ど真ん中の本格ミステリをこよなく愛するがゆえに、その愛が深いだけに亜流や境界線上の本格ミステリに対して「○○は断じて本格ミステリではない!」、「本格ミステリとは斯くあるべきだ」と持論を強硬に展開するあまり、本格ミステリ論争まで仕掛けて、論破されそうになると正面からの抗議を避け、外側の部分で議論を煙に巻くという愚行に出た二階堂氏。私はこの「『容疑者xの献身』本格ミステリ論争」における氏の無様な姿に大いに失望した。

更にその後島田荘司氏を旗頭として掲げつつ、『本格ミステリ・ワールド』というムックを立ち上げ、いわゆる『俺ミス』と揶揄されるようになる、自身の認める本格ミステリを「黄金のミステリー」と題して選出するようになった。
その結果、このムックはほどなく休刊に至る。

ミステリという宗教の中で本格ミステリのみを信奉し、それ以外のミステリを排するようになり、そして世間の目がやがて自身の好む本格ミステリから外れた作風へ嗜好が変化しそうになると、それを認めず、自分好みのミステリ選出をしてご満悦に至る。

折角これほどまでにたくさんの本格ミステリガジェットと豊富な知識を盛り込んだ面白い作品を書けるのに、それを他に強いるのは愚の骨頂である。
作者は己の信じるものを自身の作品で語ることで答えにすればよいだけだ。それを絶対的真理や定理のように強要するのは決してやるべきでない。

聖アウスラ修道院の惨劇は数年後に自らが招いた二階堂黎人氏の惨劇になってしまった。
彼があの日あの時、本書を読んでいたらあのような愚行は避けられたのではないか。
未来の自分を予見したのは実はあの論争を引き起こす12年前の自分であった。実に皮肉な話である。



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