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薔薇の殺意



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薔薇の殺意の評価: 7.00/10点 レビュー 1件。 Cランク
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(7pt)

人は見た目ではないと解ってはいるが・・・

私がレンデル作品を初めて読んだのが1998年。ウェクスフォード警部シリーズ第7作の『ひとたび人を殺さば』だった。
それから23年を経てようやくシリーズの第1作を手にすることが出来た。ただ訳者あとがきによればウェクスフォード警部シリーズの邦訳紹介はその『ひとたび人を殺さば』だったようで、本書はシリーズ第2弾として出版されたらしい。私は『ひとたび人を殺さば』を傑作だと思っており、恐らくはシリーズ訳出の試金石としてそちらが先に発表されたのだろう。
日本の翻訳出版事情はこのようにシリーズの順番関係なく評価の高い作品から訳出される傾向にあるが、これは作者の作品を刊行順に読みたい私にとってあまり歓迎したくない風潮だ。

この有名なシリーズのデビュー作にしては実に事件は地味である。
化粧気のない、しかし容姿は古風な美人といった感じのごく平凡な主婦の失踪事件から始まり、やがて農場の一角で遺体となって発見される。そして近くを捜索すると口紅が見つかり、その持ち主が中古車販売業を営む夫の妻だった。ただその女性は金満家の夫人らしく高価な服装と装飾品を身に纏った派手な性格の女性でかつては女優を目指していたというほどの美貌の持ち主。
この光と影のような対照的な存在である2人の接点についてウェクスフォード警部とその部下バーデンが調べていく。

また殺されたマーガレット・パースンズの夫ロナルドは身辺整理をするため、数多くの蔵書を整理するが、ウェクスフォード達はその中に高級な革装丁の詩集をいくつか見つけ、その中にドゥーンという男からミナという女性に宛てた愛の言葉が常に綴られているのを発見する。このミナが地味な女性パースンズ夫人であり、そして彼女には夫には内緒の相手がいたのかと更に捜査の手を広げていく。

地味な一人の女性の死。その犯人は正直現代ではさほど意外なものではない。寧ろ途中で私は犯人が解ってしまった。

本書は二項対立による先入観と時の流れによる人の変遷について書かれた作品であることが最後に判る。

二項対立とは被害者であるマーガレット・パースンズと彼女の遺体の傍に落ちていた口紅の持ち主ヘレン・ミサル、そしてミサル家の専属弁護士クォドラント夫妻の妻フェイビアの2組を指す。
前者は化粧気のない地味な古風な美人だが、わずかに肥満気味と、まあどこにでもいる主婦だが、それに反してヘレンは夫がカーディーラーを経営しており、生活は裕福でドイツ人の若い女性ベビーシッターを雇って子供の世話をさせている派手で美しい女性であり、一方フェイビアも弁護士夫人として優雅な物腰と高価な服を着た、いわゆるスノッブと揶揄される上流階級の女性たちだ。

おおよそ接点のないこの3人の女性たち。寧ろヘレンとフェイビアはマーガレットのような女性と近所付き合いすることすら歓迎しないと思われたが、実はかつて同じ学校に通った女学生であり、しかも当時親しい仲だったことが判明する。

そして女学生時代、マーガレットはその美貌と年不相応の落ち着いた雰囲気から先生からも綺麗で魅力的だったと評され、他の女学生達の憧れの存在であり、集合写真を写すときも中心で周囲が学生らしい若さを漲らせた笑顔を見せるのに対し、彼女だけが口角のみを挙げた大人びた微笑みを浮かべる表情を湛えていた。まさに価値観の反転である。

「人は見た目で判断してはいけない」と云われるが、その反面「人は見た目で8割が決まる」と見た目が重視される言葉もある。この価値観の反転はまさに相反する謂れによって我々が見た目に惑わされているかを如実に表しているようだ。

更にこの見た目に関する言葉はマーガレットという女性の人生に対して我々に余分な先入観を与えて離さないことが解ってくる。

「こう見えても私は昔はモテたのよ」と過去の栄光を懐かしむ人がいる。それは現在の自分を顧みて、若さが自分にもたらせた輝きや万能感を惜しむ気持ちが滲み出ている言葉だ。自分が最も輝いていた時期を懐かしみ、そして惜しむ気持ちは誰しもあるだろう。

しかしこのマーガレットは違ったのだ。彼女が亡くなった時に新聞に掲載された写真を見たかつての知人たちは「昔は彼女も美人だったのにねぇ」と半ば同情と哀れみを持ちながら、そして昔の美人も人の子だったとホッとするとともにちょっとした優越感を得る気持ちもあるだろう。

それでも私はやはり心に残るのはかつてみんなの憧れの存在であった女性がまだ30歳の若さであるのに全てを諦めたかのように化粧もせず、地味に生きていくことを選んだことだ。それが彼女の本質だとしてもその成れの果ての落差に何とも心痛を感じざるを得ない。

昔からかつては美貌で鳴らし、周囲の羨望の的であった女性が次第に老いていくことで老醜を露見していく様から「時の流れは残酷だ」と云われているが、しかしそれは実はかつての姿を知る他人が思うことであって、当人はそういう風には思っていないことが私には不思議である。
いや彼女は既に魂の充足を手に入れていたのか、齢30にして。

私は最初これは変われる人と変われなかった人との間に生まれた齟齬による悲劇だと思ったが、そうではなかった。大人になった人となれなかった人との間に生まれた軋轢の末の悲劇だったのだ。

大人になれなかったヘレン・ミサルとフェイビア・クォドラント。そして大人のように振舞っていたマーガレット・ゴドフリーは大人になってマーガレット・パースンズになったのだ。

しかしレンデルには感心させられる。実に人間臭い動機や考え、または性格が事件を生むまでに発展することを巧みに物語に、設定に取り込んでいるからだ。

上に書いたように、被害者のマーガレットはただただ自分の思うままに振舞っただけである。それが古風な美貌と超然とした態度によって大人びた雰囲気を醸し出し、周囲の憧れを生む。みんな彼女のようになりたいと思うようになる。

そしてそんなマーガレットに対して周囲は地味になった彼女に同情と憐れみを勝手に抱く。殺人事件の捜査をするウェクスフォードでさえ奇妙な女性だと思うほどだ。彼女にとってはそれが普通のことであり、何の不満も苦労もなかったのにも関わらず。それは上に書いたように成れの果ての落差に読者の私でさえ心痛を抱くほどだ。

そして裕福になってもマーガレットは自分に憧れていた女性が未だにその影を追い続けているのを知る。
本当に彼女は何もしていないのだ。彼女はただそこにおり、そして彼女らしく生活していただけなのに、周囲がざわめき、再び彼女を手に入れようとする。
しかも今度は親の加護の下ではなく、裕福でお金もあるのは自分自身という自負も添えて。そして愛が再び届かないと知ると殺したいと思うほどまでその愛はいまだに深かったのだ。

インフルエンサー。そう、まさにこのマーガレット・ゴドフリーは望むと望まざるとに関わらず、インフルエンサーになってしまった女性なのだ。

しかしそれでもやはり本書は地味である。余韻と皮肉を残しながらもウェクスフォードとバーデンという部下と上司のみが登場する、いわば伝統的なホームズ&ワトソンコンビを踏襲しただけの本格ミステリであり、後に登場するウェクスフォードの家族やバーデンの家族は影も形もない。
実は彼らが抱える家族の問題が事件とリンクすることで物語に厚みが生まれているのがこのシリーズの醍醐味なのだが、第1作の本書ではそれが楽しめないため、正直食い足らなさが残ってしまった。

正直本書がどれほど好評を以て迎えられたかが解らないが、2作目の『死が二人を別つまで』ではいきなりウェクスフォードとバーデン側からではなく、捜査を受ける側から書かれている。つまり2作目でいきなりアクロバティックなことをしているのだから、レンデルはウェクスフォード警部をシリーズキャラとして定着させたかったのではなかろうか。
一方でレンデルはウェクスフォード警部物を書くのに後年うんざりしているとインタビューで答えている。読者の要請があるから書いているだけで自分の本質はヴァイン名義で書くような純文学寄りのミステリなのだとも。

原題は“From Doon with Death”。『ドゥーンより死をこめて』。原題ではミナに愛をこめて詩集を贈ったドゥーンが犯人であると明確に示されているようなものだ。とかく昔のミステリは配慮に欠けた題名が多い。

しかし『薔薇の殺意』もまたあまり内容に即した物だとは思えない。

私も50を過ぎ、来し方去りし方に思いを馳せることも多くなった。
同窓会に行くと自分はどう見えるのか、またかつての憧れの君はどうなっているのかと時々思ってしまう。
しかし想い出は美しいままで、そして当時の想いもまたそのままで胸に封印しておくのが最良の選択だろう。
なぜなら私の人生は今ここに家族と共にある。もう余計な波風はいらない。
薔薇は殺意ではなく愛を添えて妻のために捧げようではないか。


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