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1Q84
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1Q84の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.66pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全986件 781~800 40/50ページ
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ストーリー展開に読者が感じるカタルシスや緊張感という点では、ねじまき鳥やハードボイルドの方が上です。ですので筆者の小説にその点を期待しているのならば、文庫を待ってもよいかもしれません。それでも私は最後までぐいぐい読まされました。 これまでの作品に比べ、描いているテーマの数が多く、よく言えば重層的ですが、とっちらかってぼやけていると捉える人もいると思います。 良くも悪くも、ディテールを描き込んであります。私は、物語は一人称で語られるより、ささいな、細かいことを通して語られた方がリアルに感じる質なので、世の中とか、人の心の複雑さが沁みてきました。 作品としての深みは5つ星ですが、エンターテインメント性がやや後退しているので★を一つ減らしました。 | ||||
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これだけ長い小説を読ませる著者の力量や話の面白さについては、他の人が色々書いているので、あえて書きません。 しかし、著者の小説がこの日本で売れる現状については、否定をしたくなります。 主人公は、「ノルウェイの森」でもそうでしたが、「あきらめ」を肯定しすぎではないでしょうか? 著者の小説のモチーフとして、「言葉の無力さに対するあきらめ」が感じられ、今回も作中で、「説明しなければわからないということは、説明してもわからないということだ」との文が繰り返されます。 また、主人公の一人は「あらゆる責務から身をかわし続けてきた」人物が登場してきます。 「世界の一つだけの花」の歌詞にも通じる、あきらめ、自己肯定感というものは、今の日本の社会全体の空気を作っている気がしてなりません。 著者は、最近でこそ、例外的にイスラエルでの講演で政治的・社会的な事柄に言及していますが、その著者は、社会的な影響力を考えれば、一見そのようなあきらめを肯定するような小説を出すというのはいかがなものかと思います。もっとも小説家は道徳を語る存在ではないと思いますが。 著者は、言葉の無力さにあきらめを持ちながらも、言葉を使って物語を語っています。決して、言葉の無力さをあきらめきっている訳ではないはずです。 主人公も最後には、前向きに生きていくように考え方が変わっていますが、そのメッセージがどれだけ世間に届いていくのでしょうか? 著者は、村上龍ではありませんが「日本はもっと頑張ろう。個人も頑張ろう」と多くの場を使って語ることが、著者にとっての責務ではないかと思います。 | ||||
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太宰治の「トカトントン」を読んだ直後に「1Q84」を読んだら、 1章を読み終える寸前に、トカトントンが聞こえてきた。なぜ、この気取った 文体を読み続けねばならないのだろう。 | ||||
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BOOK2まで読みました。最高におもしろかったです。 キャラの過去にあからさまに共通要素があるし、「空気さなぎ」がマユではなく敢えてサナギだし、テーマがこれまでの作品よりはっきりしていてとてもわかりやすかったです。 私は海辺のカフカから顕著になった〈心の内と外をシームレスに描く作風〉にもまったく抵抗がないので(むしろそこが好きなので)、おもしろく読めたし、二つの月やリトルピープルその他、青豆と天悟のラストにも納得でした。もちろんそれらは自分なりの解釈だし、隅から隅まで全部ではありませんけど。 今作で村上春樹さんは、「世界の終わり」や「海辺のカフカ」とは違う〈対比〉を用いて『問い』を発しているのだと思います。『問い』を発する重みは文体からも感じられましたし、読み終えてから帯の言葉を見て「なるほど」と唸ってしまいました。 二冊でもうすでに完成度の高い素晴らしい作品だと思うので、ちまたで騒がれているBOOK3はありえないと自分は思います。あってほしい、とは思っていますけど。 ちなみに村上春樹ファン歴5年です。『風の歌を聴け』から『海辺のカフカ』まで大概好きです。なんか村上さんのレビューはそういうのを書く人が多いので念のため…。 | ||||
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花びらを一枚一枚千切る恋占いのように、青豆と大吾のストーリーが交互に展開されていく。 10歳の純愛は時間が経つに連れ、宗教、性、DV、と悪の部分と否応なくリンクしていく。 その悪を作り出すものは何なのか、それにどう立ち向かっていけばいいのか、あるいはどう向き合っていくのか。。世界のあらゆるものが詰まったノアの箱舟のようなこの本にあなたも乗ってみませんか? | ||||
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先ほど読み終わりましたが、内容的にも絶対に続きがあるのでは?と思ってしまいました。本のタイトルも上巻下巻ではなく、BOOK 1.BOOK 2となっていますので村上さんBOOK 3.BOOK 4早く出してください!!続きが読みたいです。 | ||||
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大好きな『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』に近い作りの小説・・・なんかワンパターンだなあと読み始めは感じました。しかし、どんどん引き込まれていく・・・やっぱ巧いです。どんどんページをめくりたくなります。人の名前がマンガっぽく、軽くてオシャレ!お年を考えるとこの瑞々しさは超人的だと思います。そして軽いのに、オモイ(重い+思い)・・・・・・。今まで村上さんの小説は結構読んでいますが、一番私小説的でした。やはりそろそろ、自分の人生まとめておきたくなったのでしょうか。 青豆と天吾の幼いころの思い出は、心に深く突きさります。確かに投げっぱなしの感はありますが、それが村上ワールド!「ほらほら、いろいろと思い出させてあげるから、自分で結末考えて、自分の小説にしてね」と言われているような感じです。だから、引き込まれるんです。最後の情景、美しくて好きです。キュンとしました。 何も教えてくれない、結論をくれない、考えさせられるけど、それだけ…だから、いいように思うのです。現実世界と対称的な世界を設定することは、かなり宗教的な手法です。納得できる結末を与えたら、作家は教祖になってしまいます。それを村上春樹さんは望んでいないのではないでしょうか。これだけオモイ内容なのに、結論をおしつけない、おくゆかしい感じがいいです。 | ||||
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ケンブリッジでポーランドの文学者マグダと話しているときに、「なぜ人は、小説が提供する『もう一つの世界』にとつぜん取りこまれ、さらにはその世界に棲みたいとすら思うのか」という話題になったことがあります。彼女の場合、それはジェームス・ジョイスやバージニア・ウルフの場合にやってくるそうです。そして彼女の研究の中核はそのメカニズムを明らかにすることでした。そこで私は提案しました。 確かにジョイスやウルフの世界に取り込まれる感覚はわかるけれども、それらはイギリス文化の個的な側面を引きずっているので、われわれ日本人にはきちんと嵌まることができない。そこで、ぜひムラカミ・ハルキを読んでもらえないだろうか。彼の作品の場合、こちらが身構える暇もなく突然、彼の描く『もう一つの世界』に落ち込んでしまう。そしてその世界は、日本文化の個的な側面を持つことなく、なにやらたいへん普遍的な世界なんだ、と。マグダは、すぐに私がまず勧めた「ねじまき鳥クロニクル」を読んでくれ、私の意見にふかく同感してくれたのでした(彼女は、いま母国に戻ってその分析をしてくれていることでしょう)。 じっさい私にとって、村上春樹は20年来、私にエネルギーを与えてくれる『もう一つの世界』の供給者でした。だから7年ぶりに出たこの1Q84を、私は文字通りむさぼるように一気に読みました。そして思いました。彼は、ポテンシャル・エネルギーをずいぶんと失いかけている、と。 この本は、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』のように、奇数章と偶数章で2つのパラレル・ワールドが交互に展開されます。それぞれの主人公は、しかし「僕」ではなく、パーソナル・トレイナーの青豆という女性と予備校講師の天吾という男性です。ところが、だんだんと登場人物の行動や感情がぎこちないものになっていくのです。 Book2になると、それは目に見えて明らかになってきて、幻想世界の役者たちが「つくりもの」のにおいを放ち始めます。たとえば「青豆」の終章(23章)で、青豆が最後にする行動はまったく不自然で読者は、感情移入したくてもできません。まるで壊れたばね製の機械がぎこちなく動いているようにさえ思えます。 最後の章(24章)で天吾が青豆を探しに行こうとするその数行に、わずかなPhilosophie Positiveを見ることができるのが唯一の救いかもしれません(おそらくこの『1Q84』は、『ねじまき鳥クロニクル』同様、ずいぶん経ってからBook3が出るのではないかと推測します)。 また、村上春樹らしくないTrivialな描写も気になります。たとえば、「ロビーを行き来する男女は、何かしらの呪いで大昔からそこにしばりつけられ、与えられた役割をきりなく繰り返している一群の幽霊のように見えた。… 彼女たちの身につけた小ぶりではあるけれど高価なアクセサリーは、血を求める吸血鳥よろしく、反射のための微かな光を希求している。」(Book2 P143)という文章などは、ありきたりのように思います。 しかし、ちりばめられている社会的なメッセージは、効果的でした。たとえば「慢性的な無力感は人を蝕み損ないます」(Book1 P238)、「日曜日には子供は、子供たち同士で心ゆくまで遊ぶべきなのだ。人々を脅して集金をしたり、恐ろしい世界の終わりを宣伝してまわったりするべきではないのだ。そんなことは大人たちがやればいい」(Book1 P273)、「醜い電柱が、空中に意地悪く電線を張り巡らせていた」(Book2 P256)、「電柱と、絡み合った醜い電線が見えるだけだ」(Book2 P454)などは、ぼくらにはぐっと来ます。もっとも日本に来たことのないマグダには、醜い電柱・電線によって損なわれてしまった日本の美意識というくだりは理解できないことでしょう。 圧倒的なattractive forceをもたらすようなエネルギーが減ってしまったこと、一方で社会的なメッセージが増えたこと。この2つは、村上春樹が歳をとったことを意味するのでしょうか。Book 3では、青豆の最後の行動が思いもよらない展開につながり、息を呑むような驚きが待っていることを期待しつつ、その出版をひたすら待ちたいと思います。 | ||||
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「見かけにだまされないように。現実というのは常にひとつきりです」 冒頭に出てくるこの言葉、村上春樹の持ち味でもあり魅力でもある、会話の中のさりげないアフォリズムと思いきや、実はこの小説のテーマにもなっている。 前半(BOOK1)はワクワクしながら読み進み、さすがは世界の村上春樹、100万部も売れている小説だけのことはあると満足したが、後半(BOOK2)はハッキリ言ってガッカリした。 小説の核心部分は読者のご想像にお任せしますというわけ?それとも私の読解力と想像力が足らないのか? 特に終盤は、これでいいのかと疑問さえも感じた。村上春樹の作品を読むには広い心が必要なようです。 | ||||
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村上春樹さんの小説を読んで初めて泣きました。いつもは、日常からはみ出たいときに読み、旅行に行っているような気分に浸れるのですが、1Q84は、日常からはみ出ているにもかかわらず、きつい想いばかりしながら読み終えました。 あの「海辺のカフカ」でさえ、少年は、自分を損う父を他者によりハイゼツし家に帰りました。一人の犠牲と母の死はあったものの、どこか、救われました。 今回の展開は最も救いようがない。現実に愛したい「青豆」を失ったからです。 空気さなぎ になったの青豆と天吾との再会が、おばさん趣味からすると、「冬のソナタ」よりせつない。「初恋」をモチーフに使ったのは、村上さんも少しおじさんになったせいでしょうか。 村上ワールド の進化 に感嘆しました。 | ||||
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まず、面白かったか面白くなかったか。 本を読んで、読んでいる間じゅう夢中になって、会社で仕事したり勉強したりしている間も本の続きが気になる、という意味で面白い。 文章やストーリーの安心感はさすが村上春樹だし、描かれる世界はまさに村上春樹ワールドが展開されている。頭の中は登場人物の生き生きとした活動と、彼らの内面世界への感情移入で圧倒されてしまう。 本の面白さを、読んだ後にどれだけ無邪気に「あー、面白かった」と思えるか、とすると、この本は全然面白くなかった。分からないことが多すぎるし、分かった部分だって特に愉快なことがあるわけではない。 読んだ後に面白いと思える本だったら、「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」のほうがよっぽど面白いだろう。 でも、村上春樹って多かれ少なかれ、もともとそういう作家だったと思う。さわやかな読後感を得ようと思って読む作家ではないのだ。 「ノルウェイの森」も実はそうだったし、「アンダーグラウンド」以降は特に、描かれている主題、登場人物の未来が、まったく手放しで喜べるようになっていないのだ。それはそのまま村上春樹の世の中を見る視点なのだろうし、自分もそれには基本的に賛同する。 この本は、非常に「村上春樹的」だ。研ぎ澄まされているし、無駄を排除している。彼の描きたい世界観が濃密に展開されている。人によってはそれが作為的にすぎるとか、遊びがなくてつまらないという人もいるだろうが、自分としては、まさにこれが村上春樹にしか書けない文章であり(いわゆる「村上春樹風文体-メタファーの多用と違う意味で)、賞賛されるべきだと思うのだ。そこに簡単な解がないのだから、読後感はすっきりしない。それは仕方のないことだ。世の中がすっきりしていないのだから。 好き嫌いの別れる本だと思う。自分にとっては必ず読むべき本だが、この本を全く必要としない人が世の中に多くいるのも分かる。ので、星5つとはしないでおこうと思う。 最後に、これから1Q84を読む人がいたら、ぜひエルサレム賞受賞の際のスピーチを読んでほしいと思う。まさに卵の話だと思うし、そう思いながら読んだ方が、より登場人物に感情移入できるのではないか。 | ||||
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小説として面白かったですよ。 村上春樹の今までの長編と比べるとどうか?という話はおいといて。好みがあると思うので。 ほとんど読んでいますが、何を読んでも、本を読むという行為の満足感を与えてくれる作家だと思います。 最後がハッキリしないのは、村上作品の特徴というべき部分。 賛否両論あると思いますが、私としては結論を求めて読んでいるわけではないので、 すべて明白にならないのは気になりませんでした。 中盤の世界観はさすが!と思いますし、やはり登場人物が魅力的。 ただちょっと性描写が多かったかな〜。 | ||||
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『1Q84』が売れている。200万部というのは尋常ではない発売部数である。現在最もノーベル文学賞に近い男・ハルキムラカミの書いた小説は、もはや国民的ブランド商品と化し、猫にも杓子にも読まれているようだ。以前は、「わかってくれる人にだけわかってもらえばいいや」っていう感覚でとんがった小説ばかり書いていたハルキムラカミが、ここにきて作風の方向性を修正しつつあるように思える。良く言えば“わかりやすくなった”悪く言えば“俗っぽくなった”とでも言えばいいのだろうか。それこそ、10代の少年少女にも理解できる平易な内容にシフトチェンジしつつあるのだ。 (グロくなった性描写を含め)その方向性の修正は、作家が意図しない細かいところまで突っ込みをいれたがるフカヨミ君たちに向けられたアンチテーゼのような気もするし、『海辺のカフカ』以降の小説が(私のような年寄ではなく)30歳くらいまでのヤング層を対象に書かれているせいなのかもしれない。 ほとんど公の場に顔を出すことのなかったハルキムラカミが最近イスラエルで演説をしたりして、積極的に社会と関りあおうする行動様式の変化とも無縁ではあるまい。醜悪な社会と最小限の関係しか持たない主人公をキレイキレイに描いたハルキムラカミの小説群が、いったい何人のフリーターたちに“癒し”と“絶望”を与えたことだろう。 弱者には排除される選択肢しか残っていない(卵が壁にぶつかって割れるしかない)社会において、パラレル・ワールドなどというユートピアは現実には存在しない。社会と積極的に関わっていくことでしか社会は変えられない。つまるところ、作家が語っていた「コミットメントの重要性」とは、そのような意味のことを言っているのではないだろうか。 そうかといって、オウム真理教もどきの新興宗教グルをポアしたり、ゴースト・ライターを買って出ることで、簡単に社会を変えられるなどとは(作家自身も思ってはいないし)読者もけっして思ってはいけない。むしろ、作家のメッセージを捻じ曲げて伝えようと画策するリトル・ピープルたちの暗躍(フカヨミ君たちのから騒ぎ)に目を光らせるべきだろう。 | ||||
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一言で言うと、書きっぱなしという印象の強い文体です。 本家『1984』とG.オーウェルについても小説のなかで言及されていますが、そこまで明示的に間テクスト性を書き込んでおきながら、小説の内容から言えば、オーウェルの作品世界とはほとんど関連性がないので、あたかもオーウェルと関連があるかのような憶測を生むだけです。 チェーホフに関しても同様で、チェーホフにドストエフスキを代入しても内容には影響がないでしょう。この説明過剰な間テクスト性は、小説世界に不要な想像力を煽っていますが、強いて言えばこの傾向は『1973年のピンボール』から明らかで、『ノルウェイの森』で強くなり、『海辺のカフカ』では煩いほどの引用がなされるようになりました。 『1Q84』を読んでいると、物語の構造にかかわりのない引用や説明が非常に煩雑に感じられ、これは一体クリステヴァ以来の批評のまなざしをかわそうとしているのか、単に世界の読者を楽しませようとしているのか、不明瞭な印象を受けます。 『1Q84』を2度読むとすると、多くの読者は煩雑な説明的文章を飛ばしながら読むことでしょう。それくらい、内容的には圧縮可能な文章が多いです。たとえば、本文に登場する「柳屋敷」は「楡屋敷」であっても、「銀杏屋敷」であっても、『1Q84』の小説世界には影響を与えません。「柳屋敷」の描写はなくても良いくらいです。 文体云々より、この小説は物語として面白いでしょうか? BOOK1を読むと、BOOK2のプロットは大体予測がつくでしょう。BOOK3、BOOK4が刊行されるとして、その内容さえ多くの読者には予測可能でしょう。そういう小説が、物語として魅力的か、ということを考えさせられました。 | ||||
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村上さんの本ですから当然いつもの村上ワールドです。今回はどちらかといいますと、私が個人的に村上作品のベスト1だと思う「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」に近い感覚だと思います。いつもの村上作品の特徴とも言えるあちらの世界とこちらの世界という2つの世界が出てきたり、自身に非は無いものの巻き込まれる事や、様々に魅力的な脇を固めるキャラクターたちや、スーパーナチュラルな何かを持った鍵になる人物が出てきたり、主人公に好意的な複数の魅力的な女性の登場、使用される楽曲の選曲の素晴らしさ、時々出てくる固有名詞を交えるのが絶妙な事とか、物語を終えた後の余韻の深さなど、まさにいつもの村上春樹ワールドです。 青豆(あおまめ、と読む珍しい苗字の女)と天吾(てんご、と読む男)の物語が平行して進む物語です。正義について考えさせられる青豆さんと不思議な物語に関わった天吾くんの話しが奇妙に絡まっていきます。 で、何かそれ以外で変わった感覚は無かったか?と申されますと、これがあまり無かった、と思えます。正直いつもよりサービス満点でストーリィテリングという意味においては起伏がたくさんあり、謎も多く、しかも魅力的ですし、引き込まれます。「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」で言えばハードボイルド編の主人公「私」のような物語がふたつ平行して進んで行く感覚を持ってもらえれば間違いないと思います。1巻はサービス満点なアレの話しや場面が多いことを除けば話しの展開はとても気に入りました。が、物語の収束点、関わりとけじめ、そして書き手が主人公にいることで、どうしても作家村上春樹という存在無しには想像しえない人物に写ってしまうところで少し残念に思いました。ただ私個人にはちょっと鼻に付く感じでした。つまりあまりに作者の分身あるいは境遇を匂わせすぎると、非常に興ざめしやすく、生臭いことになりはしないか?ということです。特に村上作品の特徴は何処の誰でも、「この主人公は私だ!」と思わせる無名性からスタートした作家であると思うので、あまりに書き手であることの背負うものを組み込んでくると、それが作者の代弁に聞こえやすい、ということです。その辺をいかに物語るチカラや、臨場感、さらには展開や描写で、その世界に入り込むことで黙らせることができるか?なのですが、私個人の好みとしては今ひとつだったかな?と。 2つの流れの物語が絡み合って、そして収束するレベルにおいて、私は「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」により完成度の高さを感じます。あるいは「アンナ・カレーニナ」のような、2つの物語の収束後に、新たな境地を見出す何かがあれば、それも面白かったのではないか?とも思います。「ねじまき鳥クロニクル」がそうであったように突然第3部が出るかもしれませんしね。 できればジョージ・オーウェルの「1984年」は読まれた後の方がより楽しめると思います。 村上作品の初期のものが好きな方にも、そして村上ワールドに浸りたい方にも、オススメ致します。 | ||||
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春樹作品のなかでも、とくに「世界の終わり〜」「ねじまき鳥〜」、初期の短編が 好きで、今もくり返し読んでいる自分からの感想です。 この作品はなんだか村上春樹の作品を読んでいるという実感が薄かった。 ストーリーや文体、登場人物のキャラクターも含め、 小説的な意味で(描かれる現実自体はかなりファンタジックだ)、プレーンすぎるように思った。 村上春樹の深遠な主張を、誰でもわかるようにベーシックなメニューに料理してくれた小説ということなのだろうか? かつての春樹作品に感じた、才能が暴走したようなストーリー展開、 一行一行から見たこともない世界観がにじんでくるようなドキドキ感はないが、 この、一見ふつうのストーリーに隠されたテーマに思いを馳せる楽しみはあるかもしれない。 | ||||
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情景描写や、各登場人物の人物象や感情が非常によく伝わってくる作品。また、大きな渦のように、関連性のない事象が徐々につながっていくストーリー展開は読む者を引きつける。 ファンタシー的な独特の世界観があるので、もっとハードな、現実的、日常的なストーリーを好む人には向きません。 僕はストーリー展開が面白いと思いながら読んで、天吾や青豆さんにとても感情移入でき、グイグイ引き込まれていきました。 ただ、最後の終わり方は理解できません。あまりにも唐突すぎるし、ハッピーエンドでもなく、悲しいエンディングでもなく、示唆のあるエンディングでもない、現実的な問題も、ファンタシー的な問題も、何も解決しないまま終わってしまう。。。感情移入していただけにこれは頂けない。少なくとも、終わってしまった物語がこれから進んでいく方向でも示唆されていたらいいのに。でもそれさえもなく、突然、話の途中で切れる電話のように終わってしまいました。残念です。 | ||||
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初めのうちは、「『ねじまき鳥』のような展開になるのかな・・・」 読み進めて行って、「二つの世界が交錯するなら、『世界の終り』」っぽくなるのだろうか・・・」 宗教団体@山梨県の話が出てきて、「オウムの取材してたもんな・・・」 リトルピープル辺りから、「『羊』っぽいな・・・」 最後の空気さなぎの中身を見て、「やっぱり『世界の終り』っぽいけど、あそこまでの感動と救いはないな・・・」 読み終わって、「これってまだ続くのかな・・・?」 っといった感想です。 自分の中では、「『カフカ』よりは好きかな・・・で、続きはあるのかな・・・?」と思ってます。 初めてハルキ作品、特にファンタジー系(『ノルウェーの森』や『国境〜太陽〜』ではない系)を読むという方にはあまりオススメできません。 テンポがあまり良くないし、ちょっとイライラするかもです(笑) 期待しすぎなければ面白いと思います。 | ||||
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ユーミンやサザンの新しいアルバムを買い続けているコアなファンのように もう、内容はどうでもいいのです。(笑) さあ〜素晴らしき大人のファンタジーの世界へ 「ホウ、ホウ」 | ||||
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「風の歌を聴け」にはじまり、全作品リアルタイムで購入していますが、 暗喩の連発に音を上げ解説本にすがったこともよくありました。 今回も「リトルピープル」とは、何を意味しているのか?読み込むか、 解説本を読むか、それが苦にならない人の為の本であり、(村上さんの 「お話」に起承転結やリアリティが、、と言われても?) ただ、売れるだろうとの色気満点出版社によるマス・マーケッティングと、 作品の中身とにギャップを感じるのは私だけではないと思いますが、、、 構成のせいか「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を 強く思い起こさせました。閉じていく世界と、青豆さんの運命が重なり せつなさが募ります。 | ||||
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