■スポンサードリンク
悼む人
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
悼む人の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.03pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全147件 121~140 7/8ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
1年前の6月23日の夜明け前,私の目の前で友人は同級生の男子生徒からナイフで刺され亡くなった。葬式では泣いていた友人達も時の経過と共に彼女の話題が少なくなり,私は罪の意識にさいなまれていた。そして,今日友人の命日に亡くなった場所で,左膝をつき右手を頭上に掲げ,自分の胸に持って行き,左手を地面すれすれにおろし右手に重ねる青年に出逢う・・・ 第140回直木賞受賞作品。人の死と人の生の両端にあるものを,悼む人(主人公:坂築静人)を中心とした3人の視線から描いていく物語である。読む人によって色々な感想を抱くと思うが,私は人として,そして人の親として涙無しでは読めない作品であり,最近の本の中では最高の物語の一つであったと感じた。読み終えたあとは爽やかな気持ちになるものの,自分そして他人の存在がいままでと違うものとなり,心に大きな重いものを残してくれる物語であった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
読み始めたアタマから「悼む人」?という感じだったが、いろいろな伏線が現れ始め、散らかして散らかして、そして合流していく様子はどんどん読むスピードを加速させてくれました。ラストがどうなっていくのか?ワクワク感でそのまま一気に走らせてくれました。 最後の終わり方は意外でした。しかし、それが良いのかもしれない、とも思いました。考え方はいろいろありますが、頭の中にストーリーが描きやすかったので、著者の力量はすごいと思います。。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
悼むという行為で「生と死」が強く描かれているけれど、読んでみて心に残ったのは「生きるチカラ」ということでした。 死ぬことを意識したときに思う自分の存在が誰に刻まれているのかという問いは、そのまま「誰に愛されていたか」、「誰を愛していたか」という要素となっているのだなあと、すっと胸に落ちました。 そしてエピローグに書かれた静人の母巡子の生き様が、とても心に沁みました。 とてつもなく号泣するような作品ではありませんが、心を動かされる作品であることは間違いありません。 人のことを見る目、まずは自分の家族のことを見る目というのが、この本を読んで変わった気がします。 大切な一冊です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
一定の評価をうけて当然の、ある意味完成された小説だと思います。 私も真摯に読み、感銘を受けました。 アクション映画で殺されるその他大勢の見張り役の死と、難病と闘って力尽きる主人公の死と、重さに差があるというのか?・・・よくそんなことを考えていた私には、死の軽重に罪悪感を抱き、一人一人を忘れないように悼む主人公には共感できる部分が有ります。この人だけ悼んでこちらの人は通り過ぎていいのか?という気持ちにも分からなくはないです。 でもやはり、そこだけこれほどクローズアップするほどのことか?というのもある。 生き死にの悲しさとしてなぞっていけばそれでよいのでは?という気持ちもある。 ある一部だけ純化した小説、ですよね。どうでしょう?なんだかわからなくなってくる作品ですよね? | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
人間の生と死、そんな根源的で難解なテーマに、 宗教という言語をあえて用いずに、作者が挑んでいます。 難解なテーマですが、とても丁寧に書かれており、一気に読み進めることができました 登場人物が主人公に引っ張られるようにみんな善人になっていく、 あまりにポジティブな展開に違和感を感じなくもなかったのですが、 作者の文章力が達者といえるのでしょうが、違和感を超えるだけの読み応えがありました。 末期がん患者の描写もとてもリアルで、新しい生命の誕生との対比が、とても心を揺さぶりました。 ただそれだけに、周りの人間を変化させていくことになる、主人公が少し物足りないなあーという印象は終始拭えませんでした。 「悼む人」に至るまでの動機、旅を続ける動機がどうにも弱いんじゃないかなあ? 好き嫌いは分かれる作品だと思いますが、 読んで否定的な意見を感じたとしても、読まなきゃよかった、という感じはしないと思います。 佳作であると思います。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
第140回直木賞受賞作!愛,家族,死について天童氏らしく真摯に取り組んだ作品です.重いテーマだし,派手でもないこの作品が評価されたことは個人的にとても嬉しいです. 他人の死を「悼む」旅を続けている男性について,3人の人物の視点から語られていく.悼む人に興味を持ち情報を集めようとする雑誌記者,末期がんで闘病中の悼む人の母親,悼む人と旅をすることになった夫を殺した過去をもつ女性.雑誌記者と女性は初めは悼む人の行為を不信に感じたり偽善と受け取ったりしていたが,次第に考え方が変わっていく.これは読者自身の心の動きと通じるものがあるように感じた.悼む人の行動は理解しにくいかもしれないし,不快に感じる人も少なくないと思う.しかし,読者がそう感じるかもしれないことを作者は最初から分かっているのだろう.自分の身内が全く関係ない人間に悼まれることをどう感じるかは人それぞれで意見が分かれるところだが,悼む人の行為を本当に評価できるのは亡くなった人々だけなのかもしれない. 私たちは自分の周りの人の死は重く感じるけれど,関係ない人の死は軽く感じてしまう.大きな事件・事故の被害者には同情するけれど,世の中にあふれている普通の死には興味を持たない.善良な人の死は嘆くが,悪人の死は嘆かない.知らない間に他人の死に対して傲慢になっている.そんなことに気付かせてくれる一冊だった. | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
「永遠の仔」から7年。7歳年をとったので、「悼む人」をすんなりと受け止めることができたのだと感じています。「永遠の仔」や「包帯クラブ」の時に感じた違和感や懐疑心が消え、初めて天童荒太のファンになれた気がしています。できれば「母」となる前にこの本を読みたかったとも思う一方、死からほど遠い若さでこの本を読んでも、今ほどの読後感を得られなかったろうとも感じます。本と読者との相性は、出会うタイミングに大きく作用されるものでしょう。そういう意味で、この本と幸せなタイミングで出会えた人が多いことを祈ります。 歪んだ人間性を自虐的に現出させて周囲から疎まれる者。高い知能で自己の歪みを隠しながらも破綻していく者。悲惨な最期をとげながらも自業自得と言われ悼まれない者……etc こうした様々な歪み、不幸の根元に、作者は「母」を登場させます。出産という行為、子供という存在のみでは、必ずしも女性から母性に進化できないと考えさせられました。そして日ごろ常無意識でいた、コーヒーを飲みながらワイドショーで他人の死を眺める感性の鈍さや、凶悪犯罪や鬼畜のような犯罪者に対して唾をかけるだけでそこに至ってしまった大きな不幸を思い描けない想像力の貧しさに対して、自覚させられる思いの読後でした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
「悼む人」というタイトルが広告で気になって本書を入手し、3日ほどで一気に読んだ。 日本全国の死者に関して、 「その人は誰に愛されていたか、誰を愛していたか、どんなことをして人に感謝されたか」 を尋ね、「悼み」を続ける静人の旅が、 彼を偽善者とする雑誌記者、彼の家族、夫を殺し絶望した女性との関係を通じて描かれる。 著者の本を読むのはこれが初めてであるが、 プロローグにおける問いかけから、3者がそれぞれ静人とのかかわりを通じて内面が変化し、 死の平穏と生の胎動が見事に交差するエピローグまで止揚する、 緻密かつ立体的な構成は、本当に素晴らしい。 静人の旅から、世界の救済というものを考えた。 彼の旅は宗教には基づいていない、ということが繰り返し語られる。 彼を不審がった者も多かったが、 雑誌記者、家族、夫を殺した女性は、途中、傷つきつつも救われた。 特に、7章において雑誌記者が救済される場面と、エピローグには、非常に心を動かされた。 著者は、宗教を持たずまた希望も持たない多くの現代日本人に向けて、 「宗教の言葉を用いない」という制約の下、 人間同士のつながりからの救済(の可能性)を描きたかったように思う。 その救済の道のりは、静人が経て来たように困難である。 しかし、小説においては、「悼む人」の存在が描かれただけでなく、 彼に影響を受けた幾人かに実際に種が蒔かれたことが示唆されており、 そして、本書を読んだ人にも、その心の野に種は蒔かれている。 ただ、自分自身にも、どのような芽が出るのか(そもそも芽が出るのか)は、わからない。 人類愛に燃えれば燃えるほど、個々の人間を愛せなくなるのかもしれない。 自分がどのような答えを出すか、 それはもちろんすぐに出るものではないし、 カラマーゾフの兄弟なりを何度も読む必要があるだろう。 この小説の持つ主題は壮大であり、 現代において書かれたということが、それを、より圧倒的なものとしている。 素晴らしい書物を世に届けてくださった著者に感謝いたします。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
帯に「至高の愛」と言う言葉が使われていますが、この「愛」は「神」のもののような気がします。それほど高みにある「愛」であり、それは生身の人間には不可能なことであろうと思います。 従って、作者も主人公に「死」を考えた時もあると言わしめています。そして、周りの人からは奇人どころか、性格異常者とさえ思われたりもします。 そんな主人公静人の「悼む人」としての旅が描かれていますが、その描き方は、その母である巡子、週刊誌の記者蒔野、殺人を犯し出所したところの倖世の三人を通してです。そして、それぞれが「悼む人」とは何かを考えます。その三人の考え方の総和として「悼む人」が描き出されています。 この本を読んでいて、テーマである「悼む人」には、なかなかついていけない面もありますが、それぞれの章でひかれるエピソードは、でれも皆感動的であり、涙を誘うものさえあります。 中でも、末期ガンと戦う巡子の最終の場面は、その詳細な描写で胸を打ちます。 結果的に、「悼む人」は更に二人の賛同者を得て、新たな「悼む人」を産むことになりますが、ここまで行かなくても、もっと「死」を身近に置いて生きていかなければいけないのでしょう。 近年にない感動的な一冊でした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
読了中に、物語と格闘する充実感を感じた(久しぶり)。 読了後に、燃焼感を感じた。 そして、愛と感謝に生きよう、という、昨年の流行り歌、の歌詞を思い出した(スーパーフライ)。 キャッチコピーをつける事は難しくない。 誰もが、愛と感謝に生きたい。 でも、言葉は忘れ去られる。 太宰の言葉に、小説とは、一行の真実を伝えるために、百行の物語(雰囲気)を作る、とあった(うろ覚え)。 愛と感謝に生きよう、という一行の真実を、自分は心に刻んだ。 読みながら、(格闘しながら)、何度か家族の顔を見に行った。そこにいることを、確かめただけのことだが。 最後の親族を亡くした日の、喪失感が思い出された。 過去の記憶を共有できる人が、この世界に自分のほかに、もはや誰もいなくなったことに気づき、唖然とした日。自分の記憶が薄れてしまえば、過去の出来事のすべてが消滅してしまう、という心細さ。 自分と家族の、かけがえのない出来事。多くは辛いことだったが、ひとつとして無くしたくない思い出。それを失いたくないという不安感。 あの日の喪失感、不安感の答えを、自分は悼む人、に見つけた。 過去の記憶を一本の手綱として握りしめ、今、新しい家族をメンバーとしている。 そのことに間違いはなかったと、感謝している。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
しみじみとした良い作品でした。 人に勧めたいと思う本です。 読んでいて、特に暗くなることはなく、一種すっきりとした読後感です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
昨年11月に父を亡くし、忘年会の誘いはお断りして過ごしました。 いただいた新年会の通知にも、欠席にマルをつけて返信しました。 父への「悼み」の気持ちを大事にしたかったからですが、 友人から気遣いや、欠席を残念がる言葉をいただいて、 「不在という出席」に満足している自分に気がつきました。 喪中は、自らの死後のシミュレーションになるようです。 思われれば、そこに存在するのです。 死者も悼まれて、存在できるのです。 思われなければ「透明な存在」なのです。 天童荒太さんの本ははじめて読みました。 幻冬舍から本を出していることや、そのペンネームから、 私とは関係のないベストセラー作家という印象が強かったです。 表紙の木彫の人形の、静かな眼差しと目が合って、手に取りました。 悼みの儀式の場面では、父が悼まれているようでもあり、ありがたく、 そして重苦しく、読み進みました。 登場人物と同じほど、語られて登場する死者たちが心に残ります。 産みの苦しみの中で人は生まれ、痛みと悼みを伴って死する。 死も、光り溢れる「他界」での誕生である。 その事実が愛おしく、切なくもありました。 キリストも仏陀も語らず。語られて存在する。 不在こそが、そこに存在する。 目に見えぬ象、静人も語られて、現れてきます。 いい死者も悪い生者もなく、ただ悼むことで、 「死」が現れる。 死を病院に委ねるのでなく、家庭で看取ることで、 「生」が現れる。紡がれていくのかな。 荒井由美さんの「ノーサイド」という曲を思い出しました。 ラグビーの試合を土手(スタンドかな)の上からで見下ろした視線で、 次のシーズンには、引退した彼に代わり、同じ背番号を付けた別人が グランドを走り廻るだろうと歌っています。 「永久欠番」として、その存在を語り継がれるのもいいですが、 自分の背番号を引き継いでくれる人がいるというのはうれしいですね。 その人が私のことを知らなかったとしても。 ま、私も誰かの背番号を引き継いでいるわけですが。 天童荒太さん、直木賞受賞おめでとうございます。 この本が多くの人に読んでもらえることを願っています。 父の死がこの本、このテーマに向かい合わせてくれたことに感謝してます。 今、私は「包帯クラブ」を読み始めています。読む順番、逆のようですね。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
天童荒太はどこへ行くのかというようなことが、確かどこかの書評に書いてあった。彼のファンとして「包帯クラブ」に通じるものが感じられはしたが、もっとずっと重く明るさというか、展望がないところがとてもきつい。 「悼む人」はやっぱり本の最後はこういう終わり方だろうなと思う通りだし、倖世との関係もこうなるしかないだろうし・・・自分は絶対に「悼む人」のようには生きられないし、「悼む人」が世界に広がることは不可能に近いだろうし・・・ 天童荒太の作品は、宗教的な部分があっても最終的に宗教にならないところが好きなのだが、どうやって消化していこうか考えてしまう。「悼む人」の「悼み」が個人的なものであるのだから、「悼み」の仕方はそれぞれ個人で良いとする、自分の「悼み」の仕方を生きる中で思索していくことなのかなと・・・それでは浅いというか何というか・・・天童さんあなたは本当にどこに行くのでしょうか? そんなことを考えさせてしまうという意味でも読んでみるべき本だとは思います。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
静かに、淡々と物語りは進みます。真摯に深く心に残ります。 丁寧に書かれてあります。サクッといけます! 《でも、むずかしいぃ。…かった。》 読み進めるのが、怖いくらいのエピソードも、あります。 「もう、いいよ。」聞きたくない。と、思ったモノ。 悼む人 = 坂築静人 のお話。 〜その人は、誰を愛したのでしょうか。 誰に愛されていたのでしょうか。 どんなことをして、人に感謝されたことがあったのでしょうか。〜 静人自身が報道等で知り得た亡くなられた方のいる場所での【悼み】 【悼み】の際、付近の方々に故人の生前を尋ねる時の台詞。 時には、厄介がられ。また、あり難がれ。警察に保護されながらも。 続ける【悼み】全国各地、近くを通れば同じ場所をも【悼む】 毎日【悼む】記録する→覚えておく【悼み】 悼み続けて、やめることができないでいる感、でした。 ココを考えると、静人への理解がいろいろ分かれるんじゃないかと。 感じております。 【悼み】続ける強い理由や、目的は、みあたらない。 身近な【死】【無】の積み重ね。なのか…。 でもね、続けるコトが静人の【生】なんだ…。 ○末期がんの母 = 坂築巡子 の章は、安心して、浸っていられる場所でした。 ○共に歩く女 = 奈義倖世 情があるというコトはすなわち【愛】なんだと、しみじみ想い。 そして、いろいろな【表現】を確認し。 人は【愛】を求めている。と、感じました。 【生】【死】についてはフト立ち止まる時があります。 想う、想い続けるきっかけになる本ではないのかと思います。 折々に、【悼む人】を、想いだしていくコトになるのでしょうね。 と、感じております。 《静人だったら…。と…。》 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
テーマが壮大すぎてまだ頭がごちゃごちゃしてますが、 ひょっとしたら人生観を変える本になるかもしれない と思ってます。 人は絶対死ぬし、大切な人の死、自分の死も決して 避けて通れるものではないけど、静人のお母さんの様に 最後まで人を気遣う事を忘れずに明るく生きていけたら 素敵だなと思いました。 静人の様に、自分と無関係な人の生死に関心を持って悼み続ける 何て事は普通の人には無理だと思うけど、とにかく他人も自分と同じ たった1人しかいない人間なんだって事を忘れずに、尊重して生きて 行くことが大事だって事を教えられた気がします。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
全編に貫かれているのは、人間の生と死に対する作者の想い。人間の尊厳の存在を確かめているように、時に創造しているように、さまざまな角度から、ひとつの深遠なテーマに切り込む。 ライター蒔野は、死や暴力、愛憎などばかり求めるような、浅はかな読者の心を掴むよう、時に人権を軽視したような演出や、捏造とも思える記事を書き、書かれた人間を傷つけ、また自分自身にも、世の中も憤る日々の中、主人公静人と出会う。その静人の母、巡子は、末期の癌を得、残された日々の中、静人の真意に思いを巡らし、また、自分の死、周りに残される人達にとっての自分の死、静人が放つ波紋に向き合う。夫を殺した倖世は、殺した夫の亡霊に取り付かれたまま、絶望の中、夫を殺した現場で「悼み」を行う静人と出会う。 特別では無い死は無い。誰しも多かれ少なかれ愛し愛された経験があり、誰からも忘れ去られてしまっても良い存在では無い。また、誰しも自分が忘れられてしまうことを望んでいない。平凡な日常では忘れ去られているか、経験したものにとっては深く心の傷となったり、押し殺してきたような現実を、はっきりとしたテーマで書いているが、深遠なテーマゆえか、答えははっきりとは導かれるわけではない。それでも、8年もの長期間を掛け、実際に作者本人が「悼み」を行い続け書かれた、とてもよい、と思える作品でした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
全国各地の事件や事故死の現場を訪れ、死者を悼む放浪の旅を 続ける男性を中心に、彼の家族、彼に接することで変わっていく雑誌記者や、 彼とともに歩き続ける夫殺しの過去を持つ女性の姿などを描いた小説。 読み終えた時に「本当にこんな人がいたらなあ」と思わずにはいられなかった。 不慮の死の瞬間、人はとても怖く寂しくどうしようもない孤独感に襲われるだろう。 このまま消えてしまうのか、と。でも、こうしてこのまま消えても きっと誰かが、自分の存在を、 自分がこの世に存在し、何事かを為したという事実を覚えてくれているという 安心感があったとしたら… 人の死に軽重をつける、時が経つほどに人は他人の死を何事もなかったかのように 忘れていってしまう… 人はだいたいいつか死ぬ生き物だし、 そもそも一人一人の他人の死について考えてなんていたら自分が生きていけないし… そう考えるのが当たり前なんだろうけど、 はたして本当にそう片付けるだけでいいのだろうかとつい考えてしまった。 「人の死に少し思いを馳せることで、命の重さのバランスが 変わっていくはずだ。」作者が言っていた言葉が、印象に残る。 重いテーマではあるし、そういうのは好きじゃないという人もいると思いますが 個人的にはやはり人に読むことを薦めたくなる本です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
「悼む人」=静人のキャラクターは、次第に掘り下げられていって良かった。非常にうさんくさい人物が、読むにつれどんどん純化されていくような気がした。周囲の者達が静人を胡乱な目で見、挑発し、遠ざけようとする。 ただ、作者自身の祈りに似たような気持ちが強すぎて、不純な私は少し鼻白む思いだった。ストーリーも登場人物も、どんどん純化されていきすぎる。これでは私のように取り残される読者もいるだろう。 登場人物達の名前が、あまり周囲にいそうにないのは、作者の誰をも傷つけたくないという気持ちが反映されたものだろう。だが、原罪という言葉を持ち出すまでもなく、他者を踏みつけにして生きている自分と折り合いをつけなければ、世の中のすべての人が静人みたいな廃人になってしまう。「包帯クラブ」から一歩進んだこの路線は、いったん見直してほしい。このままだと天童さん、あっち側へ行っちゃいそう。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
タイトルと、本のたたずまいに惹かれて手に取りました。 丁寧に、丁寧に、祈るように綴られた物語です。 淡々と、3日程で読み終わりました。 つまらなくはなかったですが、青年が死者を悼む理由に それほど意外性がなかったり、物語全体が俗世を遥か離れていって しまいそうな世界観に貫かれたりしていて、 心に深くひびくところがあまりありませんでした。 ただ、末期がん患者がどのような経過を経て最期を迎えるのかが 感情から環境に至るまで仔細に書かれていて、特に死を迎える 数日の描写がリアルでした。手遅れのガンになったとしても こんなふうに充実した死を迎えることができるんだなと、 そこは新鮮に感じました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
その人は誰を愛しましたか。 その人は誰に愛されましたか。 その人は誰に何をして感謝されましたか。 この物語は、 家族の物語であり、 愛の物語である。 作者が一貫して書き続けてきた、 人間そのものの愛が描かれている。 構想、執筆開始から8年の歳月をかけて、 書かれたこの作品は、 登場人物すべてに愛情が注がれ、 表面的で、一面的なつくられた人間は出てこない。 裏も、表も、 人間の描きたくない負の恥部までが描かれ、 立体的な人間たちの姿が浮かび上がってくる。 人は誰も、 人に嫌われたいとか、 よこしまなもばかりではない。 できることなら好かれたいだろうし、 自分だって、愛したい。 けれど、 そんなに簡単に、 器用にできるわけでもない。 そんなとき、 ただ、悲しい。 その悲しみを深く追求し、 あえてなお、 生きることを勇気や、強さでくくらない、 作者の優しさと、厳しさを感じる。 “悼む人”とは、 すべての死んだ人を悼もうと、 日本を旅する一人の男のこと。 冥福を祈るのでも、 故人をしのぶのでもない、 ただ、悼むだけ。 物語は、 彼のことを語る3人の人物によって進められる。 母と、 彼とであったフリーライターの男と、 夫を殺した罪で出所した女。 彼自身の心の内は、 語られない。 どれも、彼が交わした会話の中からしかわからない。 それだけに、 彼を負の存在と捉える面もあれば、 聖なるものだと見える部分もある。 読後感として、 人の死というものへの意識が、 少しは変わったかもしれない。 それは当然、 人の生への意識の変化でもあるだろうと、 思う。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!