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悼む人
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悼む人の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.03pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全147件 41~60 3/8ページ
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この長い物語を読んだ後、何が自分に残っただろうか? 静人への煮えきらぬ思いもある。 巡子や蒔野への切ない思いもある。 倖世と朔也との物語も強烈だった。 だが、一番私が感動したのは、鷹彦が静人に掛た一言「お前の人生しんどいなぁ」と言う言葉です。 沢山出てきた登場人物の中で鷹彦の言葉や存在が私の中に残っている。 もっともっと、何か残った。 なんだろう? 嫁に娘に家族に友達に仕事仲間に身近な人に薦めたい本であり、 身近な人を身近に感じる当たり前の日常にやはり「何か」を残してくれた作品でした。 とにかく読んだ後、何かがそれぞれの人に残る作品だと思います。 少し「しんどい」かもしれないけどやっぱり読んでよかった! | ||||
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感動や感銘を受けるわけではなく、しかし読後、放心するような不思議な感覚になりました。 改めて自分を見つめなおしたくなるような、そんな話でした。 どなたかのレビューで子や家族に勧めたいと書いてありましたが なるほど、子供がいずれ大きくなった時読んでみて欲しいと確かに思います。 親の期待するような感想を抱かなくても、きっと何かを得られるはずだと思える本です。 | ||||
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いまさら直木賞でもないんじゃないのというのもありますが、この作家がこの本で賞をとってくれて本当に良かったと思った本です。選考委員さんありがとう。 最初からノックアウトされっぱなしでした。確かに後半は若干失速しますが、それでもオススメ。 多くの人に読んで欲しい。 ☆5は文句なし。 | ||||
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「愛した人、愛された人、感謝してくれた人は誰ですか?」 物語の主人公である「悼む人」は様々な偏見や批判を浴びながら、そして自らも自己満足と知りながら、そして深い傷を負いながら「お遍路的」な旅を続けます。全編に行き渡る「死」とその死に対する周りの捕え方、そして「悼む人」の一貫した姿勢(しかしその一貫性も、彼が紆余曲折を経て到達した境地ですが、、)は、重厚で深く、考えさせられます。圧倒的な筆致により、しかも七年も掛けて書きあげた筆者の渾身の思いが作品から伝わってきます。 私は結構速読してしまう性質ですが、それでも三日間掛ってしまいました。それ程、楽に読み進められる物語では無かったです。しかし、ラストに掛けての物語は心を揺さ振り、本を読んで久しぶりに泣きそうになりました。 読み進める上で、「悼む人」への反感は読者の心の内に生じるでしょう。しかしそれは物語の登場人物が解決して行ってくれます。ゆえに、読了後は嫌悪感や不快感は殆どなく、じーんと深い何かが胸に去来しました。 | ||||
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天童氏の小説は、胸の奥に重たい気持ちを残させる。 「重たい」と言っても煩わしい鉄の塊の類ではなく、ただ動かすことの出来ない、むしろ暖かく柔らかなものを。 実はこの本、文庫化を待ってたのだが、先日衝動的に買ってしまった。キッカケはいわずもがな3.11の地震である。 関西に住みのうのうと変化のないまま暮らしている一方、テレビ画面やネットの上では悲しい現実が流れていた。そんな時に、急に読みたくなったのだ。 数字で表され名前が記号化する、そんな報道の向こう側にはたくさんの「愛された人生」があったはず。その人の死について想いをめぐらし「記憶する」のが残された者に出来ることだと思った。 感情を移入しなくてもいい。ただただ覚えておけばいい。死者に対しては無力であることを感じながら。そして、そうすることしか出来ない無力さこそが不自由な生に対する免罪符であると信じるしかない。 無力感を感じていたぼくを、そんな風に包んでくれた作品だった。 あえて星四つにした。「こんな時に」エンターテイメントとして小説を読んでしまったぼくを恥じて。 | ||||
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そんな結論に達するのは、物事の意味や理由を考えて考えて考え抜いた結果だろうと気づかされた思いだ。 重いテーマについて考えることはかなりの体力のいる事であり、後回しにできてしまう分投げ出してしまう事の方が多い.特にそんなテーマで語り合う人が身近にいないときにはどうしようもなく暇な人間か現実逃避したいだけに感じてしまう。でも、全然そんなことはない。 一見意味なんてなさそうな事こそ、人は実は好きなんだと思う.芸術だって音楽だって実はその作者の緻密な計算と悩み抜いた結果の産物であり、実はみんな無自覚にも理解しているからこそ感覚的に愛し、共感を覚えるんだと思った.そんなこと今まで考えた事もなかったが、この本はそんなことを教えてくれた.ただ死亡記事を見て、その現場で悼むという行為を続けている主人公の静人は悩み迷い苦しみ抜いたあげく、結果昇華するような生き方に到達した。そんな生き方を羨ましいと思う反面、そんな苦行を避けてただ単純に幸せな生活を送りたいと思うのも自分がまだ社会的な人間だということだろうか。もっと年を重ねたときに自分は別の感じ方をするのだろうか。 | ||||
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職業柄、いくつもの死に立ち会う。 長く知っていた人も、短いお付き合いの人も。 ともすれば、忙殺される毎日の中で徐々に記憶が薄れていく。 また、新しい出会いがあるから。 ただ、必死に思い出そうとすることもある。 「悼む」ために。 また次の出会いのために。 自分にとって本作品は大変有意義な作品となった。 天童荒太さんの作品は本作が初めてだったが 大変に感動した。 構想に何年もかけているだけに世界観にも全く隙がない。 静人の行為の意味合いに 自分の価値観を押し付けてあてはめるかどうかは別として 読む価値は十二分にあると思う。 僕は大好きな一冊だ。 | ||||
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悼む人を読んで、いかに自分が死者に囲まれて励まされて生きているか、 しかし、死者を悼むこと少なく自分のエゴの中に生きて来たかが わかる。 1.誰に愛されていたか 2.誰を愛していたか 3.どんなことをして人に愛されたかを、静人は問う。 このストーリーは 静人を巡る人々の人生と交差して、命を取り上げ大作である。 | ||||
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人にすすめられて読み始めましたが・・・途中で気分が悪くなり、読めなくなりました。はっきりいって、期待はずれです。ただでさえ現実世界において、毎日のように悲惨な事件・事故が報道される中、あえて物語の中で、ここまでかというくらい死を盛り込む意味がわかりません。不快感しか残りません。もう二度と、読むこともないでしょう。 | ||||
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コンセプトはシンプルと思いました。自らの生命性に基づいた著者の、現代社会に対する強いメッセージを感じました。 | ||||
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読み進める中で気がついた。静人が巡った死にまつわる事故・事件は、酷似したケースを過去に一度は報道で目にしているものばかりだ。そして忘れていた。何気ない日常の中で、赤の他人の最期を哀れんだ事は数えきれないほどあるというのに、一瞬の幻影のような痛みで記憶は流れていく。静人の行動に共感するしないではなく、とても単純に生と死への問いかけを与えてくれるのが本書だと思う。丁寧にゆっくりと淡々と問いかけられる。自分なりの答えを考えてみた。私は地面を歩くときも、遠い死者の幻影ではなく足元で生きる小さな命の鼓動に気がつきたい。忘却を受け入れる代わりに、今を生きてる少しでも沢山の命に気がつきたい。いつかまた自分の歩み方を問う日がくるような気がする。その時に再び心して本書を開こうと思う。 | ||||
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いきいきとしたリアリティあるれる人物描写がすごい。 読後は主人公が近くにいる気配を感じるほど。 構想に7年かけたという力作。 | ||||
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天童荒太さんに脱帽と言った方が正しいですね。 『悼む人』は登場人物のキャラクターが素晴らしいです。 主人公の青年の対比としての蒔野と言う人物が出てきますが、 蒔野は序盤から私たちを物語へとグイグイ引き込みます。 本書は、主人公を取り囲む周囲の人物の視点で物語が展開されていきます。 母親の死や娘の出産など、いろいろな死生観が出てきます。 特筆すべきは、主人公の死生観です。 成熟していない青年の価値観は自分の経験則から形成されており、 私個人は、その未熟さゆえに陥りそうな主人公の発想に、 想像されたキャラクターとは思えないほど、 非常に人間らしさを感じました。 それだけに、主人公の言葉を本の中でもっと聞きたかったなと、 読後は残念に思いました。 生死について語り振舞う場面の多い作品ではありますが、 私自身は重苦しさを感じずに読め、 主人が次に何を言い出すのかと大変興味をそそられました。 読み終わると、 表紙の挿絵が物語の雰囲気を十分に表しているように思え、 それでこれか、と納得でした。 本の完成度としては5満点で★6つですね。 面白いかどうかっていち読者の視点で★4つ。 納得の直木賞受賞作と思います。 ただし、決してエンターテイメントではないと思います。 唯物論者や物事を深く考えることが嫌いな人には、 心に響かないかもしれません。 でも『悼む人』は、文庫になったら必ず友達にすすめます(文庫派が多いので)。 | ||||
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人生の、様々な局面で読み返すと、また違ってくると思います。 こんな殺伐とした時代だからこそ、読んで間違いないと思います。 | ||||
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小説は数年に一度何度も読みたい本と、なんかさらーと数時間で読んで 内容すら記憶に残らない本と、にある程度分かれるのではないかと思っている。 この本は前者。読み終えたのはしばらく前だが、書籍の中の問いかけは今も自分の中に 残っている。 ・その人は誰に愛されたか。 ・誰を愛したか。 ・どんなことをして人に感謝されただろうか。 自分の生き方を問い直す一冊になった気がする。 | ||||
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悼む人とその廻りの3人(母、取材をする雑誌記者、自分が殺した夫を “悼まれた”女性)をめぐる物語。主人公が“悼む”行為を始めた理由 も含めて、かなり重い話です。まさか、ここまで不幸が重なる話だった とは。。。 とはいえ、日頃、伊坂幸太郎や宮部みゆきなんかを読んでいる僕には、 この手のテンポゆっくりめ、かつ、暗めの話も新鮮でした。お母さん のガンとの闘病生活なんかは非常に丁寧で、ぐっとくるものがありま した。 暗い割には読後感は壮快な物語です。 | ||||
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とても良い本でした。 物語として、また語られるメッセージとして。 最後の「謝辞」の中で、この<悼む人>を描く者が自分で良かったのかと自問する作者の言葉があります。 作者に託された<悼む人>という漠然としたイメージへの問いかけの中からこの物語は生まれたのだと思います。 <悼む人>とはどんな人なのか。 <悼む人>にどんな意味があるのか。 なぜ<悼む人>なのか。 どこかの宗教のイメージを引きずっているだけではないのか。 <悼む人>を語ることによって何を訴えかけようとしているのか。 などなど、作者の真摯な自問、自省の中から生まれてきた物語なのだと思います。 作中の静人への人々の反応のように、賛否両論はあるのだと思いますが、作者に託された<悼む人>イメージに対する真摯な問いかけの旅が結実した旅のような物語でした。 この世の陰影を浮かび上がらせるために、影を強く、描きすぎたきらいは感じましたが、それでも良い物語だと思いました。 そして、作者の問いかけの旅を共有できる時間はとてもすてきな時間でした。 | ||||
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物語にぐんぐん引き寄せられて、不思議な思考を読者に体験させてくれる作品なんですけど・・・。 ラストがどんなに感動させられるのか期待していたら、なんだかあっけない。 「草食系の静人君が・・・・」と評されていのに同感。 静人には、あくまで「悼む人」として無機質であって欲しかった。生の営みという世俗的な行為の描写は「悼む人」を台無しにしているのが残念です。 エグノさんが盲目になるのも力抜け・・・。 しかも、ラストが巡子の大往生で締めくくられているのは、丹波哲郎の「大霊界」を彷彿とさせられて、後味悪かった。 | ||||
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思った。 薄っぺらな本ばかりが店頭に並び、そして消えていく今の世の中で、ここまで死というものに真正面から向き合った本があっただろうか。 ただ悼む人の死者に対する悼む行為は死んだ人間に対して何もならないのだろう。 それよりも今死にそうな人(病人とかホームレスとか)の人たちに対して何かをしてあげた方がよっぽど建設的である気はする。 死んでしまった者はいずれ忘れられてしまうのが世の常だし、また生きている人間は死んだ者を忘れることで前に進んでいけるはず。 そう頭の中でわかっていても悼んでしまうのが主人公の静人なのだろう。 | ||||
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プレビューでなく、読み終えた読者としての感想を述べるならば、”恣意的な展開”というひと言に尽きる。 まず、静人の悼みへの旅に出るまでの動機が不明瞭だ。ボランティアの小児病院での子供の死だとか、親友の死だとか引き合いに出すが、所詮は他人の死ではないか。また、母親の兄(伯父)の死に対する屈折した心情や、優しかった祖父の突然の死がきっかけとなったともあるが、それでもまだまだ弱いと思う。ましてや自宅周辺の献花を見て、忘れ去られる死者の無常を感じたとは、絶対ありえない。結局、小児病院の看護婦の言ったひと言、「忘れていかないと燃え尽きちゃうよ」というのが結論であり事実なのだ。虚構とはいえ、これは前提として絶対に不自然なのだ。だから静人は”ビルマの竪琴”の水嶋には絶対になり得ないのだ。 加えて朔也の死への動機も納得がいかない。この作家は、家庭という密室の中で繰り広げられる、家族の愛憎を描かせたら際立つものがあるが、この、倖世と朔也の愛憎の顛末は、自分としては、気恥ずかしくなるほど期待はずれも甚だしかった。これも(言ってみれば)あり得ないのだ。いや、小説とは事実より奇抜でなければ成り立たない、と思われている昨今、これら前提を否定しては、小説自体が成り立たないかもしれない。しかしながらこれらに対し、なぜ僕が作家の自恣を感じてしまうのかといえば、何事につけて言い訳が副えられているからだと思う。 静人の悼む理由、倖世の朔也殺害の理由(とその真実としての理由)、それらは当然作品として読まれた場合に、提示される疑問への答えとして、作者が考え尽くし練り上げたものだが、我々読者が深く追求する隙すら与えていない。言ってみれば、回答を読みながら問題を解いているようなもので、そこには疑問に対する好奇心や想像する快感が大きく欠落しているようにも思える。 だから、あり得ない静人や朔也(倖世)よりも、それらを取り巻く人々に僕は大いに感動してしまった。つまり巡子とその家族の愛情溢れる闘病記。また蒔野の、父親の反面教師に対する憎悪。これらはすとんと胸に収まり、おおいに泣かされたものだ ただ ”ビッグフィッシュ”のようなエンディングはどうかなと思う。この作家には、五感で感じる家族の生き様みたいなものを 書いて欲しいな | ||||
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