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悼む人
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悼む人の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.03pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全147件 1~20 1/8ページ
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主人公の行いは圧倒的に無意味で無駄と切り捨てることが出来るのに、 初めて読んだ10年以上前から、なぜかこの小説の記憶が心をつかんで離しません。 | ||||
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事故現場、殺人現場を訪れ、亡くなった人が生前「誰に愛され、愛したか、どんなことをして人に感謝されていたか」・・・ そのことを覚えておくという行為を巡礼のように続ける坂築静人(さかつきしずと)。 母を捨てたと父を憎む雑誌記者。夫を殺した女。自宅で末期癌療養を行う静人の母とその家族 … 坂築靜人を通し、「生」と「死」に深く向き合っていく人々の姿を複層に描きだします。 重いテーマの作品ですが、読み終えて温もりのある余韻。差し込む一筋の光のようなものを感じ読了。 | ||||
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もう随分と昔に読みましたが、未だに印象深く残っている本です。 詳しく知らずに読んだので賞だとか続編だとかはここのレビューを見て知りました。 悼むという言葉。 初めてその意味と向き合って考えさせられました。 愛するということ、愛されたということ。 まだ学生の未熟な時分でしたが、それなりに感受性は豊かだった時、そのタイミングで出会えて良かったと思います。 ただ、きっと今読んでも違う感想を持つし、新しい気づきに出会える気がする。 久しぶりにまた読んでみたいと思います。いつもは図書館だけど部屋を片付けたら買おうかな。 そして続編なるものも読んでみたいですね。 | ||||
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舞台を観て原作が欲しくなり探しました。安く手に入ったのでラッキーです。 | ||||
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迅速な対応ありございます。 商品の状態が良く助かりました | ||||
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これから読みたいと思います。 | ||||
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再掲 天童さんの作品を読むのは「永遠の仔」以来である。その作品を凄かった。 人間のもつ多様で多元な性質とでも呼ぶのであろう人間性をこれでもかというほどに綴っていた様に記憶している。 本作品は生老病死の物語であるのだけれど、文末に置かれている参考文献でふと僕は気がついた。文献、映像とあり、最後に展示とある。その展示の項目に置かれているのが「生命のメッセージ展in 早稲田大学」2004年である。これは現在も続けられていて、僕も拝見させていただいた。交通事故や事件と言った不条理とでも言ってよいであろう文脈の中で亡くなって言った人々の記録であり、想い出であり、記憶なのである。 悼む人のゴールは何処なのか分からない、しかし、「亡くなった人は誰に愛され、誰を愛して、そしてどんなことで人に感謝されたのでしょうか」その本質こそが人が人である理由なのでしょう。 生老病死が循環する時間の中で回り続ける、そして人の心の中で人はまた生き続けるのだろう。自然となぜか涙が落ちる、そんな愛のものがたりである。 | ||||
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機会を作ってよむつもり。悲しいときに読むとよいと勧められ購入しました。涙活ようです | ||||
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それぞれ感じ方は違うと思いますが、私は忘却は罪という言葉を思い出しながら観ていました。 数行の記事で人生の終わりを書かれて亡くなられた方、誰にも知られず亡くなられた方、毎日どこかで命が消えています。 道端で亡くなっている猫や鳥の、誕生から死までの時間に思いを馳せる人はどのぐらいいるのでしょうか。 人間は忘却しながら生きていくので、立ち止まって、心に刻む事は大切だなと感じました。 完全な死とは、全ての人に忘れられた時だと亡くなった祖父から聞いた言葉を思い出しました。 生きている人は、亡くなった命を心に刻んで生きて行く事。 そして、生きている人にとっても、1人でも自分を心に刻んでくれている人がいる事が救いになる事。 それを再確認できた作品でした。 小西さんはNのためにでの役と、少しかぶる役でした。舌ったらずな台詞回しが気になる女優さんでしたし、この舞台でもところどころ気になるところはありましたが、この作品を観て、改めて良い女優さんだなと思いました。 俳優さんは、舞台向き、テレビ向きがはっきり出る方が多いですが、向井さんは良い意味で、どちらもあまり変わらないですね。 唯一、真野恵里菜さんだけは、嫌いな女優さんではないですが、小西さんと比べると、やはりかなりの差を感じました。 手塚さんは、以前から感じていましたが、やはり舞台俳優さんだなと思いました。 テレビドラマでも舞台俳優の匂いを感じます。 投身自殺の遅延で、悼む事なく、暴言を吐き続けている方達に、観てもらいたい作品でした。 | ||||
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特に問題無し。良かったでふ。 キレイなままで届いたし、汚れもなし | ||||
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全国を放浪し、死者を悼む旅を続ける坂築静人。彼を巡り、夫を殺した女、 人間不信の雑誌記者、末期癌の母らのドラマが繰り広げられる | ||||
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亡くなった人を悼む旅を続ける主人公と、病におかされ死が近づくなかで溌剌と生きてお世話になった人に感謝を伝えて回る主人公の母親が対照的に描かれています。 良い人生であったかどうかは、亡くなった後にどれだけの人に思われるかということよりも、亡くなるときにどれだけの人に感謝を伝えたいかによって、決まるのではないかと、自分の人生を見つめなおす切欠になる作品だと思います。 | ||||
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昨夜深更に読了した。毎夜少しづつ読み進めてようやく読破した。同本が刊行されたのは2008年で今から10年以上も前になるし、東日本大震災が起こる3年前になる。 今頃なんでこの本を読んだのだろうか、それは私事になるが長年介護をしていた母が昨年他界したからだった。謂わば自分も母を悼みたかったのである。実はこの本の続編である「静人日記」の方を既に先に読んでいた。何故に本編であるこの本を飛ばしてしまったのかは、多分評判にあるある種の商業性に疑いを持っていたことは否めない事実としてある。元来天邪鬼な自分には「直木賞」という名誉ある賞を受賞した作品に安易に飛びつくような読書は敬遠していたのである・・・。 それで、今回本編であるこの本を読んで坂築静人がいかに「悼む人」となったのかの経緯を知ると同時に、生と死が織りなす人生模様を垣間見て、やはりこの本を読んで良かったと思った。 作品についての詳細な解釈はしないが、偽善者と疑われる静人の必然性をいかにリアルに描き切るかが大事であったのであろう。 その試みは大方成功していたと思うが、自分には読了後正直期待したほどの感動は得られなかった・・・ 最後に、印象に残っている最終章で倖世が語る言葉「・・愛などしょせん執着だと言った。わたしはその執着を放します。・・執着を放すことも・・愛、と呼んでもらえるでしょうか。」 を以って終わりとしたい。 | ||||
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悼むとは何か?何を目的に悼むのか?何故に悼み続けるのか?を小説に出てくる登場人物と同じく考え問いながら、読み進めました。筋が通ってそうで、通ってない主人公の意識や考え方に共感するも、幸せの結末になってほしいと考えながら、読み進めました。成仏できてない人が旅に付きまとうシーンは、ホッと一息、ファンタジーを感じる事ができました。 | ||||
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私はこの作品に迷わず星5つの評価を与えたが、それはこの作品が完璧であると言いたいわけではない。 少なからず瑕疵もある作品だとは思う。その瑕疵については他のレビュアーの方々も言及されているので、私も簡単に済ませる。 確かにところどころで話の展開が唐突というか、説明不十分だった点は否めない。全体的に心理描写の量的質的不十分さによりリアリズムが欠如しがちだったところはある。特に一部のシーンにおけるそれは際立っており、少なくない読者はそこで狼狽したことだろう。 その原因は作者自身に人間心理のリアルなメカニズムに対する洞察が欠けていたため、というよりはこの作品の持つ性格ゆえだろうと思う。メッセージ性が強い作品は、著者の意識がメッセージ伝達の方に傾くためどうしても作中人物、あるいは作品そのものがその道具、手段といった認識下に置かれがちだが、まさに本作もそうした傾向を免れなかったのだろうと思った。 とはいえ描写が粗雑過ぎると共感できず、それは小説として致命的なことだ。 私も実際、朔也と倖世に関わるエピソードで一気に評価が下落しかけた。 だからこの点が批判されるのはまぁ無理からぬ事だとは思う。 …しかし読了した後、そんな不満はどこへやら。 私にとってこの作品は間違いなく星5つの評価に値するものでしかなかった。 不思議で印象的な主人公の生き様は序盤からこの作品の妙味であったが、ラストにおいてその生き様に仮託された思想、メッセージが私の中で感動という形をとったこと、それが全てだった。 主人公に対する理解や共感がこの作品評価の明暗を分けることになると思うが、私は、生死に深い関心を持ち、愛と感謝に意識をフォーカスし続け、自分にできることを悼みの旅という形で実践した主人公に深い感銘を受けた。その生き様に決して揶揄ではなく、聖人の本質に肉薄するものを感じた。 一方その主人公が善か偽善か、という論点に私はあまり興味を持たなかった。 それは相対的なものでどちらでもあり得るだろう。 私は主人公が善だとは言わない。 また家族にも迷惑をかけているし立派であるとも言えないと思う。 だがそれでも私は、主人公を通して何か偉大さといったものを、確かに感じたのである。 自己の内面に深く向き合い、自分にできることを―それがたとえどんなに常識を逸したことであっても、自分なりの誠実さでもって実践した主人公はめまぐるしい世の変化への対応に追われ内面世界に深く向き合えなくなりがちの私達現代人にとっては見事なまでのアンチテーゼである。 エンディングの天国的情景によって、我々の中にある現代一般的精神が作中の主人公との交錯により天使的な美しさでアウフヘーベンされてゆく。 そんな精神的高揚が生じた私にはもはやこの作品の粗をわざわざ思い出して批判する気にはなれないのである。 著者がこの作品に仮託した思想を幾ばくでも感じることができたことに喜びと感謝しかない。 | ||||
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天童作品を読むのは初めてでしたが、彼が四国の生まれであることから興味を持ち、この本を手にとりました。 四国は88ヵ所巡礼地であり、様々な思いを胸に各地から人が巡礼しに訪れます。 当方もその一人なので、作中の野宿のシーン等ははじめからすんなりと入ってきて親しみを持てました。 また、当方は病院で看護助手をしているので、人の死後処置に関わることも職業柄あります。 死の直前まで家族の食事介助を受けていた患者たち。そんな彼らの死を目の当たりにしてぽっかりと胸に穴が空いたような空虚感を覚えることが数多くあります。 この「悼む人」はそんな当方にとってかけがえのない作品となりました。 レビューを読むと天童が甘えているとか書いている人がいますが、ここで詳細は記述しませんが、それはないかと思います。 この作品が直木賞をとったのはおそらく報道に一つの指針を提示したからではないでしょうか。 | ||||
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この本も受賞作品ということで、アマゾンんで購入。 良く買ったなぁ~ この頃が、懐かしいです。 | ||||
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ストーリー自体は複雑では無いのですが、難解でした。 「石田ゆり子」が主演して映画化されたようですが、難しい映画なのだろうと予想します。 | ||||
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・・・蛇口の先端に溜まった水が一滴ずつ落ちてくるような響きで、寂しい、寂しい、と聞こえる。 蒔野抗太郎(まきのこうたろう)は残忍な殺人や男女の愛憎がらみの事件の記事を得意とする雑誌記者である。ふてぶてしく無神経、 心はすさんでいる。しかしそんな彼の心の内を表すような情景ではないだろうか。 彼は事件を取材している時に「悼む人」と出会う。彼は死因には関心が無く、生前、誰を愛し誰に愛されたか。何かをして人に感謝 されたかを聞いてまわる。それを胸のうちに覚えておくことを悼むというのである。冥福を祈るのでは無い。この小説で最初につまず いたところだ。普通は「安らかにお眠り下さい。」なんだろうに。 私もそうだったが蒔野も激しく混乱してしまう。悼む人は悪人であれ善人であれ等しく悼む。そこには宗教臭さも偽善も無い。 ただ誰を愛したか、誰から愛されたか、人に感謝されたかの3点を胸の内に覚えておくのである。接する内に蒔野の心は次第に変化が 現れ始める。氷が融けるように。最終的にあれほど嫌っていた父が自分を深く愛していたことを知ることになる。 奈義倖世(なぎゆきよ)は愛する夫を殺し出所したばかりに悼む人と出会う。彼女は罪の意識に悩んでいる。夫は世間から「生き 仏様」と呼ばれるほどできた人なのに、夫も心に大きな闇を抱えていたのだ。 夫は自分と世間への復讐のために、妻によって殺されるという手段を選ぶが、まだ未練があるのか死後も彼女の肩に現れ語りかけて くる。幻覚なのか幽霊なのかわからないまま話は進むが、彼の死の間際の言葉の本当の意味を悼む人から知らされたときに彼女も罪の 意識から救われる。 悼む人の母は末期ガン。治療はもう効果が期待できないため、残された人生を有意義に過ごしたいと考える。シングルマザーとなる 決心をした娘。 生きているうちに孫と会えるのか。出て行ったきり悼む人となっている息子と会えるのか。不安と死の恐怖。その気持ちをしっかり支 えるのは夫、娘、甥などの家族の愛である。最後は力強いうぶ声を聞きつつ、帰ってきた息子の腕に抱かれ満足して死を受入れること ができた。 最後まで読んで、実は一番救われたのは自分だということに気が付いた。仕事上の不安。将来の収入への不安。健康の不安。そうい ったものに押しつぶされそうになっていた。そうなのだ、この物語の主人公は悼む人では無い。読者自身なのだ。3人の人生を、誰を 愛したか、誰に愛されたか、何かをして感謝されたのかという3つのフィルターを通して追体験することによって、読者が癒されてい く物語なのだ。 良く書きすぎだろうか。悼むことは、亡くなった人を「ほかの人とは代えられない唯一の存在として」覚えておくことだという。 「覚えていて下さい!」息子を喪った母親の悲痛な叫びが耳に残る。覚えているだけでもある人にとっては「救い」なのだ。 母親が訪ねて来た雑誌記者に言う言葉がある。肝心なのはどう生きるかより「人に何を残すか。」ではないかと。 歳のせいなのか胸にズシンと来る言葉だった。読み手によってさまざまな受け止め方があるかもしれない。でもこれだけは言える。 「(私が死んでも)覚えてて。」 「うん、覚えてる。」 ここに救いがある。 | ||||
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途中でてくる障害を持った子供を亡くした両親とのエピソードには、感動し涙しましたが ラストの静人と母親の話でかなり残念な気持ちになりました。 いくら元気な母親だからって、従兄弟がホームページ作って連絡するよう呼びかけたり まわりも病気なんじゃない?とか言ってるんだから、普通は電話くらい借りて連絡するでしょう それこそ死者に取り憑かれているように見えました。 だったら、せめて母親の亡くなった事を静人はどう向き合うか書いて欲しかった。 新聞記者も、突然改心されすぎな感もあるし よんだ後のモヤモヤが止まりません。 | ||||
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