橋を渡る
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書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点7.00pt |
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サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
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2014年から15年にかけて週刊文春に連載されたものに加筆した長編小説。誰も見通せない未来を前に自分の決断、選択に惑う人間の弱さと諦念、その結果として招いたディストピアを描いた、シュールなエンターテイメント作品である。 | ||||
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※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
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別々の3つの物語が、最終話の70年後の未来で一つにつながるという(著者にしては)珍しい展開の作品。 ちょっとだけ波乱ありの日常が描かれるのだが、一体どこへ連れていかれるか分からず最終話でテンション下がり気味。 しかしながら、終盤にかけて盛り返してくる。SF作家ではないので、そこは多めにみなければならない。 2014年の「東京都議会のセクハラやじ問題」が、さらりと触れているのだが、これは吉田修一流の抗議の表れ?それとも、2014年という時代の一コマを切り取って見せただけだろうか。確かにおっ!とはなるね。 | ||||
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4篇から成る群像劇だ。 前半は何気ない日常が描かれているようで、少しずつ違和感が募る。 後半は、21世紀末の未来だったりするが、やはり異物を飲み込むような感触が残る。 群像劇たるゆえんは、この4篇、ストーリーがどこかで交錯しているからだ。 そして、読後感は不気味というか・・・。 この作者には超絶に不気味な群像劇たる『パレード』という怪作もあった。 本作は、そこまでではないが、でもガッカリはさせない。 そういえば、群像劇というジャンルは吉田修一と奥田英朗が秀逸で他の追随を許さない境地にあるような気がする。 | ||||
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非常に良い。未来への関心を指標された感、佐藤優氏の推薦があったから購入したのですが、その事には満足してます。この作家への評価を増す事になった。最近の推理は、いかにも気を衒う、其れも過剰過ぎるほどの小説やドラマが多いが、この作品は十分計算された設定と納得の結論で感心した次第。 | ||||
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全てに於いて良好でした。 | ||||
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私たちが便利を求める根底には、「考えたくない」「働きたくない」「人に迷惑をかけたくない」「我慢したくない」「苦労したくない」という思いがある。ロボットであれAIであれクローン技術であれ、科学技術の発展はそれらの克服のためにあるといってもいいだろう。しかし、その結末は・・・本書を読むのが一番いい。 この小説は、大衆にわかりやすいように書かれた「デストピア小説」である。同じくデストピア小説の古典であり、名作のジョージオーウェル「1984年」、ハクスリー「すばらしき新世界」、小松左京「復活の日」などを読んでも、何のことだかさっぱり理解できない人たちに、どうすれば便利に飼いならされた近未来の大衆の姿をわかりやすく表現できるか、伝えることができるか、吉田修一が考えた末の作品であろう。 その意味でもこの作品のわかりやすいことといったらこれ以上のものはない。色んな人のレビューや巻末の阿部公彦氏の解説、裏書等を読まずに素直に物語に浸ってほしい。考えることをしなくなった大衆への吉田修一からのカウンターパンチ作品である。 だれもが似たようなことを考えている時は、だれも考えていない時なのだから・・・。 | ||||
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