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橋を渡る
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橋を渡るの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.00pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全34件 1~20 1/2ページ
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別々の3つの物語が、最終話の70年後の未来で一つにつながるという(著者にしては)珍しい展開の作品。 ちょっとだけ波乱ありの日常が描かれるのだが、一体どこへ連れていかれるか分からず最終話でテンション下がり気味。 しかしながら、終盤にかけて盛り返してくる。SF作家ではないので、そこは多めにみなければならない。 2014年の「東京都議会のセクハラやじ問題」が、さらりと触れているのだが、これは吉田修一流の抗議の表れ?それとも、2014年という時代の一コマを切り取って見せただけだろうか。確かにおっ!とはなるね。 | ||||
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4篇から成る群像劇だ。 前半は何気ない日常が描かれているようで、少しずつ違和感が募る。 後半は、21世紀末の未来だったりするが、やはり異物を飲み込むような感触が残る。 群像劇たるゆえんは、この4篇、ストーリーがどこかで交錯しているからだ。 そして、読後感は不気味というか・・・。 この作者には超絶に不気味な群像劇たる『パレード』という怪作もあった。 本作は、そこまでではないが、でもガッカリはさせない。 そういえば、群像劇というジャンルは吉田修一と奥田英朗が秀逸で他の追随を許さない境地にあるような気がする。 | ||||
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非常に良い。未来への関心を指標された感、佐藤優氏の推薦があったから購入したのですが、その事には満足してます。この作家への評価を増す事になった。最近の推理は、いかにも気を衒う、其れも過剰過ぎるほどの小説やドラマが多いが、この作品は十分計算された設定と納得の結論で感心した次第。 | ||||
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全てに於いて良好でした。 | ||||
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私たちが便利を求める根底には、「考えたくない」「働きたくない」「人に迷惑をかけたくない」「我慢したくない」「苦労したくない」という思いがある。ロボットであれAIであれクローン技術であれ、科学技術の発展はそれらの克服のためにあるといってもいいだろう。しかし、その結末は・・・本書を読むのが一番いい。 この小説は、大衆にわかりやすいように書かれた「デストピア小説」である。同じくデストピア小説の古典であり、名作のジョージオーウェル「1984年」、ハクスリー「すばらしき新世界」、小松左京「復活の日」などを読んでも、何のことだかさっぱり理解できない人たちに、どうすれば便利に飼いならされた近未来の大衆の姿をわかりやすく表現できるか、伝えることができるか、吉田修一が考えた末の作品であろう。 その意味でもこの作品のわかりやすいことといったらこれ以上のものはない。色んな人のレビューや巻末の阿部公彦氏の解説、裏書等を読まずに素直に物語に浸ってほしい。考えることをしなくなった大衆への吉田修一からのカウンターパンチ作品である。 だれもが似たようなことを考えている時は、だれも考えていない時なのだから・・・。 | ||||
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最初の三章は何という事もない平穏な日常の中に、ほんの少しあれ?という違和感、それが章を追う毎に少しずつ大きくなっていくがそのまま物語は現代の中で進行して行く。4章になって突然成長したその違和感に征服された70年後の世界が出現する。ジョージオーウェルの1984は集団主義に征服された恐ろしい世界であるがこちらはips細胞からとんでもない方に進行してしまった世界。人間とサインという人間から作られた被差別劣等人間が共存している未来。在りうる未来。怖い小説でした。 | ||||
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ものすごく話題になっていた頃の週刊文春の連載小説だとか。 時事ネタをぶっこむのもまあ許容。 群像小説的なアプローチは筆者の得意技だとしても、締め方が「それかい?!」 「ここまで読んだんだから読まないと」という、義務感だけで第4章は読んだ。 私が読んだ吉田修一作品のなかでは最低ランク。 | ||||
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吉田修一の作品の中では最低だ。 途中から、書く意欲を失ったような文章。 SFで終わるとはね、読者をなめている。 | ||||
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多くの方がおっしゃってる4章ですが、ホントいらない。・・・というかこの人の頭の中はどうなってるの?ってレベルです。でも多分ですが、俺はここまで難解ながらも前の3章と関連付けて書けるんだぞ。ってご本人はご満悦なんでしょう。 これあるラジオである書店の方のお勧めとして紹介されてました。こういうプロと言われる方の中には、わざと難しいところをリスペクトしてる人っていると思う。だから私は本屋大賞的なもの嫌いですね。4章読み飛ばしているうちに腹が立ってきました。 | ||||
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明良のやってることが幼稚すぎ、クズい。氏ね。 | ||||
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吉田修一『橋を渡る』は形容しがたい不思議な小説だ。2014年の事件や風俗を固有名詞を変えずにそのまま取り込み、まずはその時代感をたっぷりと披露する。7割超が現在の生活に満足している一方、6割超が将来への不安を抱いているこの時代の、ぞわぞわした空気がよく伝わってくる。その後、小説は思わぬ形で加速し、その感触はまるで小松左京のデビュー作「地には平和を」、漫画にしたら萩尾望都。 最大のテーマは格差である。2014年に注目を集めたトマ・ピケティ『21世紀の資本』やそれに惹き起こされたイメージが全編を覆う。これだけ固有名詞だらけの小説にピケティも『21世紀の資本』もまったく登場しないが、吉田修一は見えにくく微妙な日本の格差、階層について繊細な描写を重ねていく。たとえば1章の主人公であるビール会社の営業マンは、画廊経営者である妻と都心の一等地に一戸建てを構えているが、彼自身は地方の母子家庭の出身で、母親から「体じゃなくて、頭を使って働く人になりなさい」といわれて育ったから、裕福な妻の一族に引け目を感じている。点景として、上流に属するらしい老婦人が中国人「研修生」の非礼ぶりを(雇用主のスーパー店長に向けて)猛烈になじる場面が出てくるが、この種の格差、階級意識はほぼすべてのエピソードで踏襲される。 以下、少々ネタバレなので注意願います。 小説の中に一点だけ図版が使われている。「現代の奴隷問題」というタイトル。2章めに登場する政治家夫人がワークショップに参加した際の教材、ということになっている。合法ではない現代の奴隷は、合法的で貴重な商品だった過去の奴隷に比べて、意外なことに「激安」で「使い捨て」であるという。奴隷はもちろん格差の最下層(ロボットを除く)だが、奴隷に相当する人物が物語に登場するのは4章め、70年後の世界に入ってから。クローンに近い技術で産みだされた「サイン」たちである。 従順な性格を持つサインは男女ともに「人間」の結婚相手として重宝され、わがままな人間は活発な婚外恋愛を楽しんでいる。実は『橋を渡る』のもう一つの大きなテーマは、結婚制度や恋愛のありかただ。全編を通して、結婚生活で主ではなく従の立場にある夫または妻が苦しむさまが描かれる。ひとつのスマートな解法のように見える70年後の結婚制度も、やはりサイン(=奴隷)にとっては負担であり苦行であることがわかってしまう。 武器輸出解禁などのトピックも出てくることから、2014年当時の政権批判である、と読みたがる人はいるだろう。しかしこの時代に生きる人たちの選択によってもたらされるはずの70年後の世界は、とある登場人物の言葉によれば、ユートピアでもなくディストピアでもない。「熱くもない、ぬるくもない、そんなお湯につかっているみたいな未来」。だから作者は「現在の政権を放っておいたら、とんでもないディストピアが来るぞ」というような幼稚なおとぎ話を語っているわけではない。 ぬるま湯につかったような閉塞感。これこそが、今の日本社会の特徴である。幸せともいえるが、不安ともいえる。「いまなら、未来は変えられる」と本書の帯はあおるが、劇的に変える手法はなく、劇的に変えればユートピアよりもディストピアのほうに近づくだろう。そんな現実をクールに見つめているのが作者吉田修一であり、だからこそ彼は信頼できる書き手なのだと改めて思う。 とはいえ、物語の最後に主人公たちが「変える」ところがある。それは理由のわからない目の前の出来事を「凶兆」ととらえず、「吉兆」ととらえるようになることだ。考え方次第で気持ちは上向き、運は開ける。それに気付かせてくれるのは、子供のない夫婦が自宅に下宿させている高校生の甥っ子だ。ここに一筋だけ、光が射している。 | ||||
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三章まではそれぞれの生活スケッチ的な感じだが、それぞれに少し事件的な要素が含まれる。 一人一人の生活の中での感情や思考の流れ、行動が、意図せず四章の七十年後の世界に繋がっている。 意欲的な構成に挑戦していて感心しました。 ただ、三章まで全てが宙に浮いた形で取り残されるのでスッキリしない。 四章、そしてエピローグまでいっても、スッキリしない。 それぞれのキャラクターは面白い。 欲張らずにそれぞれ独立させて、物語と人物を描き込んでいった方がよかったんじゃないかと思う。 でもそれだと作風としては平凡かも知れない。 結果はおこがましいですが、ちょっと残念かな。 | ||||
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吉田修一 著『橋を渡る』(文藝春秋刊) を読んだ。読み進めながら、これは、すごい純文学にぶち当たってしまったもんだな、と僕は驚嘆した。 吉田修一さんの作品を読むのは久しぶりで、15年ほど前に2作品ほど読んだのを最後に、その後1作品も読むことなく今日に至っていた。その頃の吉田作品への僕の評価は、書き手としての確かなる才能を認めながらも、その一方で「なかなかパンチの効かない小説だなぁ」との思いもあった。しかし、それは純文学作品では往々にしてあることで、そこに過度のメリハリや面白味など、物語性を求めることには無理があるし、物語性を求めれば純文学の本質を逸脱する要因となりかねないことも僕には分かっていた。ある意味これは、むべなることかな、と考えた。 だが、今回ひさかたぶりに手にした吉田修一作品は大きくその様相を異にしていた。全400ページ余りの最初の40ページを過ぎたあたりから、俄然面白くなってきたのだ。そのうち読み進めることが勿体無いと感じるほどに、超一級のエンタメ小説を読んでいるような錯覚に陥った。それでいて、この作品はまごう事なき純文学の一線を保っていることも確信した。最後には、この作品がパンチの効かない小説どころか、自分をKOしてしまうほどの破壊力を持つ作品であることを思い知らされることになる。読了後、僕はクロスカウンターを食らったままマットに沈んむボクサーのように、驚きと心地よさが交じった感覚の中で呆然としていた。 僕は思った。まさに完璧に近い作品だったな、と。僕が吉田さんの作品から遠ざかっていた15年間は長い。その長い15年間を吉田さんは懸命に修練を積まれて来たのだろう。かつて、「なかなかパンチの効かない小説だなぁ」と自分の本意ではないにしろ、どこか嘲笑じみた表現で貴作品を語った僕を、その計算し尽くされたメガトン級のパンチで眠らせるために・・・。 吉田修一さん、ありがとうございました。貴方には本気で驚かされました。素晴らしい純文学だった、と思います。今更ながらに文学の奥深さを痛感させられました。 | ||||
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第4章は入りません。結局読み飛ばしました。第4章があるが為、何を伝えたいのか全くわからなくなります。 三章までは短編として読むぶんにはいいですが、駄作ですね。残念です。 | ||||
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芥川賞受賞のころの作風に戻った感じ。あの頃吉田は、どこか一筋縄ではいかない小説を書いていた。良識ある読者の求める「小説」から、一つだけへそ曲がりな仕掛けを仕込むところがあった。今回、その頃のことを思い出した。 今どうしようもないとしてあきらめていることが、本当にどうしようもないことにつながっていく。もうそうにしかならない。 この小説は希望につながる何かを描いたものか?私には、絶望を肯定した底意地悪い作品に思える。 缶詰の伏線が、どうにもわからない。 | ||||
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時事のニュースが多く引用されているので、読むつもりならできるだけ早く読むべきです。 そのニュースに対する登場人物の受け止めも、普段テレビなどでは聞く事のできない、ある意味差別的な表現もあり、善悪の葛藤などいつもの吉田修一として楽しむことができた。1~3章までは。4章はSF的想像力がない私には厳しかったものの、面白くはあった。明確な起承転結がない小説も好きな方は、1~3章を短編小説ととらえて楽しむこともできると思います。 | ||||
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訳が分からないながらも一応ついて行けた前半と,もう訳が分からず読む気もなくす後半から成り立っています。 多分「キラキラネームの祖母」的なことを描きたかっただけなのかな~という印象です。 意味不明な作品でした。 | ||||
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途中まではなんとか読めましたが、そのなんとか読める話すらも、実在の事件を引用しすぎで醒めたどころか、「これで字数かせいで話のキモにしちゃうの?!」と悪い意味でハラハラさせられたし かとおもったら後半のトンデモSFチックな展開… 何がしたいんだ全く。 「吉田修一は二人一役」説をとなえたレビュアーさんがいましたが、 私も思いました。 「怒り」「悪人」よかった。 「横道与之助」も「さよなら渓谷」も、映画しか見てないけどきっとおもしろいんでしょう。 もうこの人のさくひんは映画化したやつだけ読もう…… | ||||
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読み進めるのが30%位読んだ後は只々苦痛、何とか読み終えましたが難行苦行でした。 | ||||
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各章が後半でつながるのであろうことは予想できるけど、まさか時を超えてこういう展開に発展するとは!!脱帽です。 こういう手法は吉田修一さんっぽくないないですね。新境地? たしかにそれぞれの章には何かの伏線らしきものはたくさん散りばめられており、 しかしそれがまったく回収されることなく、次の章ではまったく別の人の話になってしまう。 「今度どーなるんだろう」と不安とモヤモヤがいっぱいの状態で読み進めなきゃならないのですが、 最後にはその伏線っぽいあやしげなものがずべて回収されてスッキリ! 実際にあったその時代を代表するようなニュースなどをあえて多めに織り込み、 時代を色濃く強調してみせたことにもちゃーんと意味がありました。 吉田修一さんのわりにぶっとんだ印象を受けましたが、たまにはこういうのもいいかもしれません。 | ||||
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