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悼む人
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悼む人の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.03pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全147件 61~80 4/8ページ
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私は静人日記を読んでからこの悼む人を読んだ。順番を逆にして読んでもなかなか興味深い。 家族愛とは、命とは、死とは、を考えさせる傑作だと思う。 ただ、物語の前半部分の禁欲的な主人公の性格と後半部分の人間性の垣間見えた性格とのギャップがどうもしっくりこない。後半にやや書き疲れ感がある。 また、物語の中ででてきた銀行の女子行員の死亡に関する後追いの記述が見られず(これは連作を意識したものか?) もう少し、一つ一つの物語のつながりを結んでくれたらとおもうのはわがままだろうか。 | ||||
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これからこの作品を読まれる方は、とにかく先入観無しで、純粋にニュートラルな気持ちで読み始めてほしいな、と思います。レビュー書いておいて、こんな事言うのはヘンだけど、この作品に関しては詳しく感想を書いているレビューはあまり読まないで欲しいなと思う位です。 | ||||
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最初は読みすすまなかったが、進むにしたがって普遍的な死生観に通じる深いものを感じた。どう死ぬかはどう生きるかに繋がることを改めて確認させてくれる作品だと思った。 | ||||
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亡くなった人々のことを記憶に留めるために,日本中を旅する一人の男.彼は亡くなった人が,愛した人や愛された人,そして人に感謝されたことを聞き,自分の胸に刻み,その人のことを悼む.なぜ彼は無関係な人々の死を悼むのか.なぜ彼は悼む旅をするようになったのか.3人の人物の物語を通して,その謎が少しずつ明かされていく. 本作の完成に7年間もの歳月が費やされているということが頷けるほど,唯一無二の独特の世界観が構築されている.近年,日本では自殺者が3万人を超えるという異常な状態が続いている.一人でも多くの人に,誰しも孤独ではなく,生きることで救われる人が多くいることを知って欲しい.そして生の喜びを噛みしめて欲しい. | ||||
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書評など読んで期待して読みはじめたが・・・。どんな人にも、愛されて、愛して、輝くようひと時があったというモチーフを感じさせる内容を期待していたが「大外れ」。それぞれの登場人物が自己顕示しているだけという感じしかなかった。行動を共にする奈義、母親の巡子、雑誌記者の蒔野の人生を語る言葉も、心の動きも、読むものの心に響かず不快な感じだけが積み重なっていく。最後にはいい印象が残るか・・と思いつつ読み終えたが覆ることはなかった。 | ||||
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いつもは、仕事帰りの電車の中で、推理小説や警察小説を好んで読んでいる。全く違うジャンルだが、話題の本と聞き、購入した。ストーリーの重さと、著者の表現力に圧され、読み終えるまでに長い時間を要した。人の死を悼む旅を続ける主人公を見つめる或る三人の視点から本書は構成されている。中学生の頃、癌で亡くなった母の思い出と重なり、坂築巡子の章では、涙した。少々現実離れした設定・描写もあるものの、読者の年代やこれまで歩んだ人生により、各々様々な形で、人の「生」、「死」、そして、「愛」について心に響く内容の本であると思う。一読の価値あり。 | ||||
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人の命の尊厳に対して真摯に向かう姿勢において、「悼む人」には頭の下がる思いだ。これを執筆するのに実に七年もの歳月を費やした天童荒太の心意気と直向きさにも、また、深い畏敬を覚える。 自分とは縁故もないアカの他人の為に巡礼をする「悼む人」。こんな人物が実際にいたら、それこそ聖人君子以外の何者でもあるまい。読中、胸に迫るものには、活字で安易に表現できぬ感慨があった。本当に美しい物語だと思う。 「悼む人」こと静人を主人公に、記者の蒔野、静人の母で末期癌患者の巡子、そして、静人に随行する倖世の三者を通して、「悼み」の美学が綴られる。蒔野の父へ対する赦し、巡子の静人へ対する赦し、朔也の倖世へ対する赦し。これは、おしなべて、悼みの物語であり、かつ、赦しの物語だ。 文学的価値を計るにおいて、後者は最高級だと言える。特に、巡子の最後などは、その凡百のイマジネーションを超越した情景を俯瞰し、まさに忘我であった。だが、前者はとなると、評価しかねる。作品の本来の主役である肝腎の「悼む人」が、余りに虚構じみてみえるのだ。 確かに、テーマ自体は深遠なものだ。問題なのはしかし、その表現手段なのである。一方的な主観で他人の死に土足で踏み込み、「愛」だの「感謝」だのと定義する静人の行動心理に共感ができない。彼への遺族の反発や警察の保護といったシーンが度々出てくるが、彼らの対応こそ至極健全なものだろう。静人に自己を病気呼ばわりさせたのも、こうした問題への逃げ道の用意のようで、萎えた。 もし、これが静人が全国の犯罪被害者を慰撫するような話だったなら、文句なしの満点だったと思う。これは、もっと常識的な視野で書けば、最上のヒューマンドラマ足り得た筈だ。何故に著者は、それを、このような浮世離れしたお伽噺にしてしまったのだろう。理解に苦しむ。 | ||||
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図書館予約が何十人待ちで、特に待たれた訳でもなく、順番がやってきて、特に期待もせずに読み出して、淡々と読み進むうちに、半分あたりから、ズボツとはまり、このまま底なし沼のように足をとられてみたいという希望を胸に読み進むうちに、徐々に足が地につきだし、むなしくも、岸に着いて、あがってしまったという読後感。しかし、希代なるストーリーテラーに敬服。次が出たら、必ず読むであろう。 | ||||
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読み終わっても涙が止まらなかった、すばらしい本。人々の記憶に残らず、忘れ 去られていくごく普通の人々の「死」とその「人生の価値」がテーマです。 本は、殺人や事故現場など人が亡くなった場所を訪れ、死を悼み続ける「坂築静 人」が主人公。「彼の母」「彼を取材する雑誌記者」「彼に従う女性」が登場。主 人公が「なぜ、会ったこともないような人々の死を悼み続けるのか」を問い、理解 しようとするなかでストーリーが展開します。 「末期ガンで死ぬ主人公の母」「愛する人を殺した女性」「死を雑誌のネタとして 考え、自分を捨てた父親を死ぬまで許せない記者」。そして「死を悼み続けないと 生きられない主人公自身」。それぞれが死と向き合うことで「悼む人」の存在が必 要なことを理解していきます。 すべての人は「誰かを愛し、誰かに愛され、何かをして人に感謝された」のであ り、「すべての人の人生に価値がある」。つまらない死、人生などない、と。 これからの人生で何度も向き合うであろう「死」と「生きることの価値」。繰り 返し、読みたい本です。 | ||||
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第6章の、いじめで殺された養護学校の少年の話が印象に残った。養護学校の少年は、同級生4人から蹴られて亡くなる。 本来なら同情されるはずの遺族であったが、加害少年の親と叔父が警察官で、司法解剖もされず「事故」という話に捻じ曲げられ、悪いのは「いじめた4人組」ではなく「いじめ殺された少年」にされてしまう。 遺族は、反撃のつもりでマスコミに真実を話すが、マスコミは被害者遺族の味方をしてくれなかった。 あろうことか、マスコミに過去の冤罪事件(被害者少年は障害ゆえに誤解されやすく、警察沙汰になった事件がいくつかある)まで書き立てられてしまい、遺族は二度殺される。 いじめで殺されたにもかかわらず、誰からも同情されない「死」。 加害者少年らは引越していき、取り残された遺族は、息子の死後も地域社会から非難され続ける。 何年経っても献花してもらえる事件もあるが、この事件では被害者にもかかわらず誰にも偲んでもらえない。 そこに主人公が「思い出を忘れない」という約束をして悼む。 事故に直接に関係がなければ、他人は亡くなった経緯の真実を知ることはない。 警察やマスコミに誘導された報道を鵜呑みにするしかない。 真実ではない話により、息子を殺害されただけでも辛いのに、息子を悪者にされたら塗炭の苦しみであろうと想像する。 話を聞いてくれる人がいる、というだけで救われる命もあると思った。 | ||||
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最近読んだ小説で、これほど完成度の高いものはないと思います。 主人公は、事故や事件で亡くなった人たちの現場を訪ね、亡くなった方がどんな人を愛していたか、 どんな人たちから愛されていたか、そしてどんなことで感謝されていたか、という情報を集め、 それを胸に亡くなった方を彼独特の方法で悼む旅をしています。何年も。 当然、彼に出会った人たちは「なんでそんなこと?」「意味ないじゃん」「自己満足?」という疑問に さいなまれ、しばしば批難します。と同時に、彼の悼みに感謝する人たちも存在します。 人々は彼の存在で自分の価値観を揺さぶられ、同時に惹きつけられていきます… 「なんでそんな無駄なことを?」という私自身も抱いた疑問も、読み進めるうちに静かに 心のうちに沈んでいきます。 これ以上に死に対して真摯な小説、真摯な人がいるだろうか…と、感じました。 | ||||
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彼の作品を読む時、いつも思うのは、「何が、彼をして、この作品を書かせたのだろうか」と言うことだ。 主人公を作家本人に重ねるのは失礼かも知れないが、主人公が語る「他者を思いやる余りに自分を殺してしまいそうになったが、母親の言葉で思い直して自分と死者の距離を置いて客観的になることができた」と言うプロセスが作家本人にもあったのではないだろうか。 知られているように寡作の作家であり、その産みの苦しみは本書の謝辞にも詳しい。自分の頭の中の想いが形あるものに変わっていく過程、それが研ぎ澄まされて無駄なものが省かれていく過程、そしてそれを抱えきれなくなりそうになりながら、文章として固定して精神的なバランスを取っていく過程。それほどの苦行をなぜ選ぶのだろうか、問いかけたくなる。回答は、常に彼の作品のなかにあると思うのだが。 新作が出るたびに、やはり読まずに入られない作家だ。 | ||||
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偽善者。 世界は変わらない。あなたがいいことをしているって感じるだけ。ただの自己満足でしょ? 街中で募金をする人を偽善者と呼ぶ人もいる。 けれど他者のため何もせずとおりすぎる人が、少しのお金でも自分のものを他者に渡そうとする人間をそのように蔑むのはやはりおかしいように思う。 静人の行為は、人に偽善とよばれてもしかたないと思う。 けれど、人のために祈らないではいられない・・・。そんな人がいてもいいのかもしれない。 巡子の死に様は美しい。こんなふうに死ねたらと思うが、人が死をむかえるときはもっと綺麗ごとではないように思う。 | ||||
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途中で気分が悪くなり、とばし読みをしました。静人の、新聞の死亡記事を元に、亡くなった人を悼む理由がわかりませんし、静人の残された家族のほうに感情移入できました。また、ルポライターの話はまだしも、だんなを殺した女性と相手のやりとりも理解できませんでした。殺してほしかった理由も重くてなんだかよくわかりませんし、期待していましたが思っていた内容とは違いました。 多数の方が良いと感じる作品が、必ずしも自分にとってそうではないのだと痛感した作品です。 | ||||
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そう、この本を手にしたのは賞を得るよりずっと前だったが なかなか目を通せずにいた。 私の中では、到底終わっていないもろもろの悲しい事件・事故 ー何の落ち度もない命が、いとも無造作に簡単に、奪い去られていく現実ー が頭の中を飛び回り、整理をつけられなかったから。 やっと手にして重い気持ちで読み始めたのがごく最近。 読み進むにつれ、ネット世界の怖さをまず思い知った。 それから、幼いころの、小鳥に対する主人公の気持ちに泣いた。 個人的には、ほかのエピソードはともかく、なんらの欲得をも求めないいたいけな小鳥に対しての 彼の純粋な一途な心持に泣いた。 つい最近大切なペットを亡くした私には、 あのつぶらな黒い瞳をいつまでも覚えていてあげたい・・・ その気持ちだけで、この小説のテーマは語りつくされた、と思った。 | ||||
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小説としては、決して巧い方ではないだろう。だが、非常に心揺さぶられた。この間平野啓一郎の「決壊」を読んだ。まるで正反対のような作品だが、どちらも出るべくして出てきた作品という気がしてならない。他人の痛みを感じられない、家族の繋がりすら希薄になっていく…、その一方で繊細過ぎる感受性で、立ち上がれない人も多いような気がするのである。片やとことん他人に鈍感に…、片や繊細過ぎて社会にうまく適応出来ない。主人公「悼む人」は、人が死んで行くこと、人々(自分も含めて)がその死を忘れて行くこと、その鈍感さに耐えられなくなり、人を悼む旅に出る。究極には、死に対して平等に悼むことを目指す。この痛いぐらい純粋な姿勢は、社会生活にはそぐわないが、全く失ってしまうのも悲しい。鈍感過ぎず、でも繊細過ぎず生きるのが、うまく生きていくってことかな…?でも私自身は、この究極な純粋さに、心洗われる思いがした。 | ||||
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残虐な殺人事件がある度にいつも思う。あぁ、この犯人は人に愛されたり感謝されたりしたことがなかったのだなと。自分の命が周囲にとっていかに重要な意味を持っているか知っていれば、他人の生命を奪うなど、自分の命を引き替えにする覚悟がある場合以外にはそうそうできるものではない。生命というのは一般的には思考や感情や心臓の鼓動などの集合体であるわけだが、それらは肉体の死と同時に消滅してしまう特性を持つ。しかし、実は生命というのはこのような自己から発せられる要素だけではなく、周囲の記憶によって支えられている部分が非常に大きい。早世した私の友人たちはいまも私の心の中で生き続けている。それは彼らが生きていた頃よりもかえって鮮明ですらある。愛したり感謝したりした記憶は対象の生命とは独立して生き続ける。命とは記憶であり、悼む人は自分の母の命を顧みることすら諦めて無縁の死者に命を与え続けた人として無限の価値を持つ。 | ||||
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天童荒太さんの作品は初めて読みました。 読むきっかけは作品の直木賞受賞です。 何も情報を持たずに読み始めたので、 最初に本の最後の参考文献を見ると 「がん」に関するものばかりで、 重いテーマの作品だったのかと 驚きました。 ストーリーは読者をひきつけるように ドラマのように、飽きないように できています。 でも、テーマはとても重いです。 そこが優れている点なのでしょう。 途中、性的描写や暴力の描写があり、 読んだことを後悔しかけたときもありました。 しかし、物語の最後の章は 私はずっと泣きながら読みました。 もし、大切な人を病気で亡くした経験のある方なら 天童さんの取材力はすばらしいとすぐわかるでしょう。 当事者や家族の心の中もよく理解してあるのもわかるでしょう。 きっと天童さんもそのような経験があるのだろうとわかるでしょう。 さらに私は大切な人を亡くした時を思い返し、 今更に教えられたこともありました。そしてとても救われました。 人の死(生・愛)について、色々な考えを持った人たちが この世の中で生きています。 でも、作品の中である登場人物が 別人のように変わった (変わったのでなく誰でも元々持っている部分があらわれただけでしょうが)ように、 この作品を読んだ人もきっと何かの影響を受けるでしょう。 このようなテーマの作品が多くの人に読まれることは よいことだと思います。 人の生死のまわりにあるものとして、 人の死を読み物にする週刊誌や、 弱い立場にある被害者や、 警察の問題や、 医療の問題(医師の過労働や…)なども出てきます。 あと愛についてもよく説いている気がしました。 執着や依存を愛だと思ってしまうことは、 私も過去に経験しました。 ある登場人物の 「自分が少しくらい損をしても 相手のために何かをしたいのなら それは愛」 というようなセリフが とてもわかりやすかったです。 | ||||
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天童さんの作品は全て読んでいますが、今回の話は一本筋が通っていない印象を受けます。 そのため、敢えて細かい点を指摘したくなってしまう作品でした。 いろいろありますが、気になるのは下記二点です。 ・母親が苦しみながら死につつあるのにそれはほったらかし。 必死に生きている者(しかも母親)のことはどうでもいいのかと思ってしまいます。 ネット上で従兄弟がサイトを立ち上げて「実家に帰るように」と呼びかけているのを 知らされても「お調子者の従兄弟だから」で切り捨てるのはちょっと。 お調子者がわざわざサイトを立ち上げてるんだから電話くらいしたら?と感じました。 ・亡くなった人が誰を愛したか、誰に愛されたか、感謝されていたかに焦点を絞って悼む。 負の部分は聞かない。なぜならいちいち全てに感情移入していたら 自分が精神的に疲れるから、って、数をこなすことが重要なんですか。 しかも、実はこの「悼み」自体、自殺の代わりにやってるんです、って 自殺の代わりに悼まれても亡くなった当人も周囲も困ってしまうのでは…。 静人は自分勝手だと思います。 何気に責任取れないのに子供できるかもしれないようなことをやってしまっているし。 上記に挙げたこと自体は一人の人間の生き方として好きにすれば良いと思います。 でも、物語が進むにつれ周囲の人物によって静人の「悼み」が「崇高な行為」 「見習わねばならない行為」のように持ち上げられていくことが耐えられません。 「一人一人の死を心に刻もう」というのは悪い考えではありませんが、 家族を半ば捨てて、とか相手の迷惑顧みず、というのは方法としてどうかと思います。 静人自身の話、母親の話、ルポライターの話、夫を殺した女性の話が バラバラでうまくつながっていないように感じました。 ストーリがー良ければここまで細かい点は気にならないのですが、 新作を待っていただけに残念です。 | ||||
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久しぶりに天童氏の作品を読んだが・・・。なんて言ってよいのか。間違いなく駄作ではない。でも直木賞を受賞するほどなのか?天童氏といえば「家族狩り」や「孤独の歌声」のように目をそらしたくなるような文章を連想しがちであるが、今回の作品にはほとんどない。ただ私がそのような残虐的な文章を待ち望んでいたため、腑に落ちないだけであろうか。残虐的な文章を読むことで、悲しみそして泣く自分が好きであっただけなのか。分からない。しかし静人が最後に巡子の元に帰って来なかったことにはなぜ?またなんでこんな終わりかたと思わざるを得なかった。「永遠」や「家族」や「孤独」には☆5を上げたのに・・・ | ||||
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