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悼む人
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悼む人の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.03pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全147件 101~120 6/8ページ
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作者としては、生とか死とか、愛やら感謝なりについて真剣に考えたつもりなんだろうけど、薄っぺらに感じた。まさに、設定とかストーリーとかが、偽善的。現代の事件とか様々入っていて期待したのに、一つ一つのことをまさに著者が胸に刻んでないから、こんなことになるんじゃないか、命がけで生きてんだよ、こっちは。 | ||||
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著者の「永遠の仔」はこれまで読んだ本の中でも最上位に入る読み応えのある本だった。寡作で知られる作家の久しぶりの新刊であり、直木賞受賞作品であるということで手に取った。 前もって死を扱う暗くて重い小説だろうと覚悟はしていたが、想像以上に心が揺さぶられ、ページをめくる手が重くなるようなストーリーだった。 死んだ人の亡くなった場所を訪れ「悼み」を続ける主人公「静人」の周りには、それを否定する人、共感する人、見守る父母など多くの人がおり、主人公の行動を理解しようと苦しむ。 著者は読者にも「悼む人」をどう思うかと問うているように思えた。最初は「気持ちが悪い、重い」という否定的な感情、「それも一つの生き方で大切なこと」という肯定的な感情、本を読みながら様々な感情が生まれ、読者もまた小説世界の登場人物として「悼む人」に接しているような感覚になる本であった。 | ||||
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自殺する代わりに他人の死を悼む。 自分にはとうてい出来ないことだ。 そのために行脚に似た行動も出来そうにない。 自己犠牲の究極なのかもしれないけれども、どう考えても信じられないし、現実味がない。 でも、そう信じさせる文章力は恐ろしいものだ。 | ||||
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人の死に接する機会が少ない中で、人の死について考えるきっかけを 与えてくれる一冊。 死をどうとらえるか、というのは一人一人の価値観によっていいと思いますが、 こういうとらえ方もあるのか、と新鮮な驚きに満ちた一冊。 悼み続けるための工夫は、物事を続けるための工夫として読み解いても面白いかと。 | ||||
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「孤独の歌声」で少し、「家族狩り」(オリジナル版)ではかなり好きだったのですが、 「永遠の仔」で少し、今回ではかなりついていけなくなりました。 好きだった作家だけにちょっと残念です。 前半は期待して読んだのですが後半はついていけなくなりました。 善は悪との対比で形が見えるので善単独で読者に納得させるのが難しいですね。 死者を悼むという行為自体が今の社会で道徳的に善行と分類できるだけだから、 その目的やその人自身を善と思わせるのに内面描写や独白ではなく他人の言動やスピリチュアルなものを登場させるしかないのは理解できますが、 個人的には静人を読者に否定できないようにする工夫が不自然で気になりました。 あと簡単に見方を変えるルポライターもルポライターとしてどうかと… まあ毎度のことですが、これで直木賞上げるなら家族狩りか永遠の仔で上げるべきでしたねえ。 | ||||
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静人は、あらゆる人間の死を、現場に行って悼む。その人が確かに生きていたことを胸に刻み込もうとする。作者は、その姿を求道者、そうでなくても、美化したものとして表現していると思うが、私には、全く共感できなかった。第一、旅などしなくても、そこここの病院、家庭にだって死には事欠かない。 最後の場面で、母の死と赤ん坊の生と静人の悼み、全てが集合するが、現実味がなく、かえって軽さを感じてしまった。 | ||||
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アカデミー賞受賞の作品が必ずしも 名画ではないように、 直木賞受賞の小説も名作とは限らない。 いい話でしょう。深い話でしょう。 と何度も繰り返され、うなずくように強要された。 作者の生みの苦しみは感じられたが、 それは読者にとってはどうでもいい。 つまらなくはないが、中の中。 陽のあたらない名作はまだまだある。と思う。 | ||||
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「悼む理由」がわからない、意味がない、そんなことはできない、と言う人もいます。でも、悼むのに理由がいるのでしょうか。自分の肉親の不幸、世界中で起きている戦争、児童虐待の新聞記事、動物の死、人によって悲しみの範囲、程度に差はあれど、悼む気持ちに理由がいるのか。悼む人は、むしろその点を考えさせる小説だったと思う。なぜ悼むのか、小説の登場人物の繰り返しの質問によって、結果的に自分が「悼み」の意味を考えされる構図の様な気もした。私には良質な小説に思えた。 | ||||
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他人の「死」を悼む人。全く縁もゆかりもない人の「死」と向き合い、いつまでも心に留めようとする奇異な人物。まるで後ろ向きに生きているような人物を描きながらも、実は「生きること」「生きていく」ことの本質を描こうとしている。生きていくためには大切な人の死も忘れ去られるというパラドックスでもある。 「誰を愛し、誰に愛され、どんなことで感謝されたか」と尋ねながら、死者を悼む場面はなぜか心に響いてくる。現実にはありえないと分かっていながらリアリティがある。 ストーリーも、主人公の静人が、なぜ他人の死を悼む旅をしているのか興味をそそられると共に、主人公を巡る三人の登場人物の人生が絶妙に絡み合い展開していく。読み出したら止まらない抜群の内容で、読み応えもあり満足感を味わえた。 | ||||
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不思議な感じの表紙と書き出し部分に引かれて、この人の小説を初めて読みました。「悼む人」を取り巻く人たちのパラレルワールドとして展開していく内容ですが、主人公(であろう)「悼む人」が終始冷静沈着なため、かえって周りの人たちのパーソナリティがとても強くて、「主客逆転」の印象が残りました。ストーリーも特段大きな起承転結はなく、エンディングまであくまでも静かに展開していく内容です。直木賞選考委員の方が「この時代に書かれるべくして書かれた」といった感想を述べられていましたが、そこまで評価できる根拠が、正直なところ見当たりませんでした。最後にびっくりするような結末を期待したのですが・・・、皆さんはどう感じましたか? | ||||
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「悼む人」は何を伝えようとしているのか。まず、彼はどんな身分の人も分け隔てなく「悼む」。そこに、キリスト教と共通する思想を感じる。死は誰のもとにも共通して訪れるということ。また、キリストは悪人だろうが貧しかろうが自分を信じる者を差別せずに救った。作者が伝えたいことはそのあたりにあるのではないだろうか。彼の「悼み」により、どんな死者も一種のかけがえのない存在として彼の胸に刻まれる。と同時に、死者はその生の意味を肯定され、この世で意味を持っていた存在として昇華されるのではなかろうか。 私たちは普段、自分たちの中のものさし(善悪の基準)で物事を判断する。死に対してもそうである。ある死者は非難され、別の死者はほめたたえられる。それがどれだけ傲慢な行為なのか、「悼む人」はその行動で示す。前述したように、そこには差別がない。キリスト教との一致も、書いたとおりである。読み進めるうちに、死者を本当の意味で裁けるのは、神だけなのではないか…そんな思いが浮かんでくる。 彼の「悼み」は、最初は単なる自己満足としか思えない。確かにそれはそうなのだが、彼の行動は確実に関わる人を変えていく。あるフリーライターは視点を変えてものを書くようになり、彼の同行者の女性も自分の気持ちの変化に気がつく。彼の「悼み」が、周りの人に死を意識させ、それについて深く考えさせるきっかけになるのなら、そのふるまいにもプラスの意味を見出せる。 世の中にいろいろな宗教があるように、「悼み」にも様々な形があるだろう。この本に示されているのは、その一つのあり方にすぎない。しかし、普通の人が避けがちな「死」を真正面から見すえ、読後に死について考えるヒントを与えてくれる小説として、この本は見事にその役目を果たしている。 | ||||
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平板な語り調子が延々と続き、正直なところ退屈で退屈で仕方なかった。とにかく著者本人が作中の坂築静人のように、その日その日の新聞記事を基にして、事故や事件で亡くなられた方を悼んできたというのだから、悼んでは移動し、悼んでは移動するための事件や事故の具体的題材だけは事欠かなかったであろうと推測する(TVにもこの作家のノートが出ていたし)。しかしやり過ぎだ。だからつまらない。 ところで彼は実の母親“巡子”を悼む時も、命の重みの公平さを欠くことがないよう、血の繋がりのない他人に対する時と同じ気持ちで、悼んでさし上げたのであろうか?誰を愛し、誰に愛され、誰に感謝されたのかも当然知っているはずであるから、人間として必ず備わっている感情、つまり自分の胸中に渦巻く愛情とか憎しみや虚しさを実母“巡子”に感じたとしても、感情をコントロールしてひた隠しにし、最も心の底から悼むべき肉親の死に対してさえ特別の思いを寄せず、ただひたすらその他大勢の悼まれるべき方々との平等かつ公平さを損なわないように悼むことしかできなかったはずでしょう? そうでしょう?この作品が矛盾しないためにはそうならないとね。このように平等も行きすぎれば不平等になります。 彼は、母親がどれほど自分の死期と向き合いながら、彼の帰りを一日千秋の思いで願っていたのかを知らなければならないでしょう。彼はどうしてもこの事実と向き合って、自分の生活を悔い改めなければならないでしょう。もう大人としての一歩を、それこそ地面を踏みしめるように歩み出すべきだと思います。そうしなければ母親が気の毒です。 著者はこの小説が論理的に反駁されないように七年がかりで、幾つかの揺らぐことのない前提の上に立って書き上げたつもりでしょうが、皮肉にもその前提は上っ面だけの、才能に欠けた者に特有な逃げ道であったと反省した方がいいと思います。 著者には「新たな悼む人」を執筆していただきたい。 | ||||
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「その人は、誰に愛されていたでしょうか」 「誰を愛していたでしょう」 「どんなことをして、人に感謝されたことがあったでしょうか」 −−主人公、坂築静人は報道で知った故人を そんなキーワードで問いかけ、悼む旅を続け、 インターネットでの目撃談から、 <悼む人>と呼ばれるようになります。 そしてこの<悼む人>を取り巻くのは、三人の人物−− <人間不信の雑誌記者・蒔野抗太郎>、 <夫殺しの罪を償い出所してきた女性・奈義倖世>、 <末期癌患者の静人の母・坂築巡子>。 彼らの視点が章ごとに入れ替わり、静人の旅を追っていきます。 「静人はなぜ悼む旅を始めることとなったのか」 「静人の旅はどんな結末を迎えることになるのか」 私は、この2点に特に興味を持ち、念頭に置きながら、 読み進めてみました。 結果として、その2点は物語の終わりまでに 一応の答えが出されます。 ただ、最後まで何となく釈然としない気持ちが 残りました。 それは、主人公の静人が達観しているというのか、 あまりに冷静沈着すぎて、人間味を感じることが 難しい存在に描かれていたからです。 死という重い出来事に対して、ここまで 客観的でよいのか、そんな疑問が残ります。 作者もそうした読者の反応を予想してか、 取り巻く三人については、感情表現豊かに 描いています。 でも、私は主人公である静人の 内面の声をもっと聞きたかったです。 本書は読む価値は十分にあると思いますが、 主人公への感情移入という点で、 やや物足りなさを感じた作品でした。 | ||||
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大当たり。 本当に良い読書体験というのはそうそう無いが、これは私にとって貴重な「当たり」の一つだった。 内容について感じたことは今はあまり上手く纏められないし、結論めいたことを言いたいとも思わない。 話し出すと不用意な言葉が矢継ぎ早に出てきそうな怖さもある。 これは、しばらく心の中の澱みとして留めて置こう。 今はただ、作者の構築した世界を体験した楽しさに満たされている。 丁寧に作りこまれた小説空間を深く堪能できた。 極上のエンターテインメントを提供してくれた作者に感謝したい。 たとえ似たようなストーリーであっても、描写が稚拙だったり構想が浅かったりしたら「こんな奴、いないだろ!」と一蹴するところだろう。 しかし、この作品はそのような気持ちを起こさせない強さがあった。 天童荒太は実はこれが初めてだが、他の作品も読んでみたい。 そして、テーマが重そうだと敬遠されている方がいたら、是非、その先入観を拭い去って一度手にとって欲しい。 難しいこと抜きに、きっと純粋に読書を楽しめると思う。 | ||||
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悼むっていう言葉を全く使ったことがなく、意味もなんとなくしかつかめていなかったのですが、日常生活やテレビの中の、批評・評価すること・されることにやたら疲れていたので、なんとなく読んでいてありがたい気持ちになりました…。(といいながら自分もレビュー書いているのですが…)。どこかに悼む人がいてくれたらと思うと、どうしようもない時も確かに心の支えになるような気がします…。 | ||||
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祖父の死、小児病棟での子供たちの死、親友の死に何もできない自分。いつしか、主人公静人は、新聞などの死亡記事を頼りに全国を放浪しながら亡き人の死を『悼む』ようになる。 この『悼む人』を狡猾で悪意に満ち、性格の捻じ曲がった週刊誌記者が追いかける。父親に捨てられ、母親を無くした過去を持つ週刊誌記者は、『悼む』という行為を偽善的で独善的と批判する。 『悼む人』の母親は末期癌に侵され、死ぬ前に息子に一目でも会いたいと願う。姉は恋人の子供を身篭るが、放浪する兄が原因で結婚が破談となる。 DVの夫を逃れ、駆け込み寺に逃げ込み、そこで聖人と恋に落ちるも、自分を殺してくれと懇願され、いたぶられ、その愛ゆえに聖人を殺してしまった女が『悼む人』の放浪に随行してくる。 いくつもの人生、いくつもの生死が、『悼む人』の放浪に折り重なり、物語の最初から最後まで『死とは何か?』ということを深く考えさせられる。登場人物は、すべて劇画チックで、だれもが『悼む人』に触れ浄化し、魂が救済されていく姿は漫画を見るようであるが、1年に1回くらいは『悼む人』を読み、死について想いをめぐらすのも悪くない。 何度か目頭が熱くなりました。 | ||||
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一昨日、一気に読了。あまり「話題になった本」というのは読まないヘソ曲がりですが、新聞の書評(どの新聞だったかは忘れた)を読んで、読んでみようという気になりました。 一人でテントを担いで何度か山歩きをしたことがあるけれど、シンドイです。街中(およびその周辺)を歩くのは山の中を歩くのよりはずっと楽だろうけれど、野宿、それも1年にも及ぶ野宿の連続というのは、かなりシンドイものだと思います。 その辺の「物理的」なシンドサがほとんど描かれていなくて、なんかリアリティーに欠ける。もちろん静人は「象徴的(シンボリック)な存在」だから、そんなことでケチをつけるつもりはないけれど、「悼み続ける」だけでも(精神的に)きつく、なおかつ「1年にも及ぶ野宿」に耐えられる強靭な肉体というのは、ちょっと想像しがたい。 ずっと引き込まれ、感動しながら読み続けたけれど、根底に上述した気分がはなれず、スーパーマン物語を読んでいるような気分にもなりました。 | ||||
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命を落とした人々を悼むために全国放浪の旅を続ける坂築静人。ふとしたことから彼と行動を共にすることになった奈義倖世には、夫殺しで服役していた過去がある。さらには静人の行動に興味を持った雑誌記者の薪野抗太郎、そして静人の母で末期がんに冒されている巡子。これは彼らをめぐる物語。 400頁を超えるこの直木賞受賞作を読み通しても、私には静人の行動に気もちが近づくことがありませんでした。 彼が見知らぬ人を悼むための手がかりとするのは雑誌や新聞の記事。つまり彼が悼むのは、事件や事故で命を落とした見知らぬ人々ばかりです。だからこそ、病気によって今まさに命がついえる日を迎えようとする実母のように、報道されることのない身近な死から彼は遠いところにいます。 病気で死ぬ人よりも事件事故で落命する人を選択していくという彼の行動指針をどう解釈すればよいのかが私には分からないのです。 また静人の随伴者として登場する倖世が夫殺しに至る経緯もさっぱり理解できません。 殺された夫・朔也の豹変ぶりが現実離れしている上に、倖世に憑依し続けるさまがあまりに人智を超えているとしかいいようがないのです。 その一方で私の心に残ったのは、闘病する母・巡子の終末期医療の詳細ぶりです。 50代という若さで死期を迎える巡子の心の内は強く読む者の胸に迫ってくるのです。それは彼女のような平凡な人物こそが、今の私にもっとも近い存在であり、感情移入が容易な対象であるからでしょう。 ひょっとしたら巡子の、そして彼女の夫・鷹彦と、二人の娘=静人の妹である美汐、この3人の家族の物語だけで、人の心を揺さぶる物語が十分に構築できたのではないでしょうか。 静人や倖世、そして抗太郎という存在はむしろ物語の夾雑物にすぎなかったのではないか。 そんな思いが残った読後感でした。 | ||||
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普段、何気なく生活していると「死」を身近に感じることはないが 人間は常に死と隣り合わせでいることを改めて思った。 たくさんの、様々な死が出てくることによって人の生への執着、 生きることの奇跡・素晴らしさを見事に表現していたように思う。 そして、誰を愛したか、誰に愛されたのか、どんなことで感謝されたのかという 要素で死者を「悼む」静人からは、人間を肯定的に(善的なものとして)捉え、 「命の重さに違いはない」という根源的なメッセージを表象していたように思う。 静人の「悼み」に対する周囲の批判やとまどいは、現実的には「命の平等」を 受け入れられない世間一般の反応をそのまま表していたのかもしれない。 人の善的な面を心に刻み、悼む静人は希有であり、その存在感は圧倒的だ。 本書は荒削りな部分もあるが「愛と生と死」を正面から描いた力作であり、 一読する価値は充分にあると思う。 | ||||
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”悼む人”である静人と、余命わずかなその母・巡子、 新聞記者の蒔野、殺人の刑期を終えた倖世。 この4人を中心に物語は進みます。 境遇・個性の全く違う人物が、静人という存在に影響され、 少しずつ変わっていきます。 最初と最後だけをみると、その劇的な変化に驚かされると思います。 何秒かに一人は死んでいくという当たり前の世の中で、 その死をすべて深く心に刻もうとする静人の行為は、 とても尊いことです。 でもそれは第三者だから言えることで、 自分の身内であったらどうでしょうか。 最後まで自問自答しながら読んでいたように思います。 そしてラストは、決して悲しい結末ではないのですが、 違う終わり方もあったのではと思ってしまいました。 やさしいようで突き放したような、 現実的だけどファンタジーのような、そんな作品でした。 | ||||
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