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蒲公英草紙 常野物語
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蒲公英草紙 常野物語の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.90pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全68件 21~40 2/4ページ
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『光の帝国』に続く常野物語第2弾です。 『光の帝国』で出てきた春田一家のご先祖の話、 常野一族以外の家に保管されている書見台にまつわる話ですが 続きではないので『蒲公英草紙』から読んでも問題ありません。 また、『光の帝国』の様な短編集ではなく長編1話です。 語り手である峰子が常野ではないので 常野一族の能力は要所要所で出てくる程度ですが もちろんそこはお話の重要ポイントとなっています。 ただ、『光の帝国』の様に様々なタイプの常野一族が出てきて その能力に驚いたり感心したりしていた私にとっては 短編集の方がメリハリがあって好きでした。 | ||||
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常野物語三部作の2番目で、「光の帝国」の次にくる作品です。「光の帝国」が面白かった、という人が期待して読むと、肩透かしを食らいます。 「光の帝国」については作者自身あれこれ手を広げすぎた、というようなことをどこかに書いていたと思いますが、「蒲公英草紙」は対照的に地味な作品です。常野という存在に作者の倫理観を描いているでしょう。それは美しくはありますが、人によっては理解しかねるかもしれません。 | ||||
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基本的に「ですます」調の文体は苦手なので、しばらく「積読」状態であったが、いざ読み始めると、非常に良く構成され美しく描写された小説だった。開国直後の日本という設定は、時代小説と近代小説の狭間で、なんとも言えない甘い郷愁を私に思い起こさせる。おそらくあの時代の現実は、この小説の大半で語られる「古き良き日本」よりもずっと過酷だっただろうが、そこが小説の良いところ。ファンタジーの要素が組み込まれ、魅力的な登場人物が織り成す物語に素直に感動できた。百年後に現代を振り返ったら、やはり2009年も「古き良き」に見えるのだろうかとふと考えさせられた。 | ||||
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他の2つの常野物語を読破してから、数年後に気になって読んでみました。(本来は2番目に読んでおくべきだったかも)でも、単独でこれだけ読んでも十分楽しめると思います。 聡子が語り手となって明治時代の農村のお話。前半は聡子が10歳前後の明るくて、ほのぼのする感じでしたが、途中で春野一家が村に現われてから雰囲気が変わってきます。そして最後に。。。聡子の最後の言葉が重たく、印象に残りました。また時間がたってから読んでみたいです。 | ||||
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非常に単純で類型的なキャラクター、最大公約数的な風景・状況描写、底の浅いご都合主義、どこかで一度は絶対に見たことのあるシナリオ。しかしクライマックスの父親のシーンでは(自分でも驚いたことに)滂沱の涙が。さらにしかし、それに続くシーンで涙がひっこんでしまいました。みんな大好き常野の能力があれば解決…しかしあまりに安易過ぎる、作者もそう考えた結果、あのラストシーンにするしかなかったのではないかと妄想しました。このような作品をはたして感動長編と言うのでしょうか?確かに感動するし、長編ではありますが…。人を殺して感動させたり、ご都合主義すぎるシナリオで批判されたドラゴンクエスト4(ゲーム)に共通するものを感じました。 | ||||
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古き日本やそこに住む人々、常野と呼ばれる不思議な一族を、一人の少女の目を 通して描いている作品です。 著者の恩田さんは作品ごとにタッチが変わり、多彩な作風でいつも驚かさせられて いるのですが、この作品は独白調で描かれており、言葉遣いも独特でまた違った新 鮮さがあると思います。 しかしその新鮮さというのは「恩田作品」に限定した場合の話しであり、読み出して すぐにカズオイシグロ氏の作品の影響を感じずにはいられませんでした。 恩田さんは間違いなく優れた作家さんではありますが、少女が持つ微妙な心の揺れを 表現するという点では、残念ながらカズオイシグロ氏には引けを取っており、同じよ うな作風のこの本は、正直、物足りなさを感じます。 この先、恩田さんならもっと書けるはず! という期待も込めてキビシめに☆2つに しました。 | ||||
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本書は『光の帝国』に続く「常野物語」シリーズ第2弾だが、前作の続きではなくシリーズの番外編といった方がよいかも知れない。 本書に登場する春田一家は、『光の帝国』に登場する春田一家のおそらくは二代か三代前の先祖と思われるが、彼らの能力もまた、『光の帝国』の春田一家と同様、「しまう」ことにある。 しかし本書の中では、一家の末息子である光比古の役割は重要ではあるものの、彼らはあくまでも脇役であり、物語の中心は語り手である峰子と、彼女の想い出の中心にほのかに輝く「聡子様」である。 峰子が「聡子様」と過ごした幼き日々は、彼女自身が述べるように、彼女が最も幸せだった時代である。 その彼女の記憶に語られる日々の出来事は、どれをとっても懐かしくも優しく、ときには悲しみや切なさを伴いつつも、いつまでもその至福のときが終わらなければいいのにと、そんなはかない願いがストレートに伝わってくる。 しかし、その優しい想い出のままで物語が終わればいいのだが、読後に残る思いは後味の悪さばかりである。 ラストでは峰子の現在である終戦直後に時が戻り、すっかり生きる気力を失い、途方に暮れてしまっている現実が映し出される。 締め括りの「彼らが、そして私たちが、これからこの国を作っていくことができるのか、それだけの価値のある国なのかどうかを彼(光比古)に尋ねてみたいのです。」との述懐は、単に峰子が置かれた終戦直後の暗い絶望的な状況に対する問いかけというよりも、むしろ現在の先行きの見えない日本に対しての、作者が峰子の言葉に託した読者へのメッセージではないかと思う。 しかし、その答えを、その救いを、作者自身に示して欲しかった。 あの救いようのない絶望的な物語である『光の帝国』においてさえ、救いを与えてくれた作者なのだから。 | ||||
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常野一族という一風変わった一族がいる。 『光の帝国』で、春田の血筋の書見台が一族ではない家に所蔵されていたとちらりと出てきた。 その書見台を有していた旧家と集落を中心に、19世紀末の「にゅう・せんちゅりぃ」を迎えようとする日本が牧歌的に描かれている。 だが、その新しい世紀が戦争の世紀であったことは、現代の読み手にとっては既知であり、描かれる世界が美しいほどに喪失の予感で胸が痛む。 「しまう」「響く」ことは特別でも、本を読み、人と触れあい、気持ちを揺れ動かすことなら、誰しも日常的にしていることだろう。 そうやって他者を感じながら、一人一人が、今、この時、この国を作っている。主人公の最後の問いかけは、読み手への問いかけであり、警句である。 不思議であると同時に美しい、静かに胸を打つ本だった。 | ||||
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時代は「にゅう・せんちゅりぃ」(21世紀ではありません。20世紀です)を迎えた頃、場所は山を越えれば福島、という阿武隈川沿いの農村地帯。絵に書いたような田園風景が目に浮かびます。大地主の末娘・聡子の話し相手としてお屋敷に上がることになった峰子の日記がタイトルの『蒲公英草紙』です。彼女が自分の日記になぜこの名前を付けたのか、何となくわかる気がします。うららかな春の午後、窓辺から黄色い蒲公英に紋白蝶が戯れている様子を窓辺から眺めていて思いついたようです。 父親から帳面をもらった峰子は「しっかりお勉強をして世の中の役に立つ人間になりたい」と考えます。からだが弱く、成人するまでは生きられないだろうと言われていた聡子は、畑仕事を手伝う子供たちを見て「みんなあんなに働いているのに、聡子は何もしてないね」「聡子はぬくぬくとわがままをさせてもらっているのに、何も村に返してません」と言います。これから大人の階段を上ろうかという年頃の少女たちでも、普通にこんなことを考えられていた時代があったんでしょうね。家族のためとか、地域のためとか、国のためとか、とにかく自分のことだけを考えるのではなくて、誰かのために役に立つ人間になりなさいと親は子に教え、子はその教え通りに何か人の役に立つことをしようと思う、美しい日本人がたくさんいたんですね。 聡子を見ていると、育ちがいいというのはまさに彼女のためにある言葉だと思います。美しい言葉遣い、周りの人への気遣い、感謝。清々しい心の持ち主は、周りにいる人の心まで暖かくさせる。そこにいるだけで心を和ませることのできる人。聡子を取り巻く人々も優しさにあふれていて、せわしない日本にも、かつてはこんな風に平和でゆったりと時間が流れていた時代があったんだなと、読んでいる私まで穏やかな気持ちになりました。 だからこそ、村をおそった悲劇がひどくつらいものになるのですが、ここでみんなの気持ちを救うのが、常野一族の春田一家です。『光の帝国』の一話にもつながりのあるような家族が出てきましたが、みんなを「しまう」ことのできる彼らと村人たちとの交流は短くも心に残るものでした。 最後は昭和20年8月15日。玉音放送を聴いた峰子は深い喪失感の中にいますが、だからこそよけいに聡子のとの楽しい日々に心を引き戻されてしまうんでしょう。平和な物語のラストとしてはちょっと切ない終わり方なんですが、だからこそ聡子の美しさが引き立っているような気がします。「自分が幸せであった時期は、その時には分かりません。」深い言葉ですね。 | ||||
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前作「光の帝国」は、さまざまな能力を持つ常野の人々の全体像と彼らの引き寄せられる役割、そして時のさまを描いたいたのに対し、「蒲公英草紙」は常野の人々ではない一人の女性の少女時代の回想として、思い出深い常野の人々が語られています。語りは一人称ですし、少女だった頃の視点から語られているので、今と違って、情報の量も少ないですし、子供に何もかもが筒抜けではないためでしょうか…情報の中の怖いものや大人の事情はあいまいで優しい世界になり、小さな世界の中の至極の思い出がまばゆく輝いています。 「蒲公英草紙」に登場する常野の人々の中には、「光の帝国」の「大きな引き出し」に登場する春田一族の祖先がいます。彼らは膨大な知識や人そのものを「しまう」、そして時には「響かせる」役割を持ち、旅をしながら暮らしています。今回、常野の人々の視点から物語が語られないのは、彼らが主役であろうとしないからではないかと思っています。彼らは代々為すべきことを為すために行動し、優れた力を持ちながら表舞台に出ようとはせず、目立たぬようにけれども世界のありようを支えている人々だからです。…代々為すべきことがはっきりしているというのは、制限でもあるけれど、幸せなことなのではないかとも思います。不思議と常野の人々にはその定めに逆らうものが今のところいないので、何かの定めによって定められているかのように時には自己を犠牲にしてまで、何かを守ろうとしています。その一方で、語り手である峰子が出会う聡子は、春田一族とは異なり、常野のことをよく知らないままその能力を知らず発揮しています。聡子は祖母から聞いたわずかな常野についての知識を物語だと認識していましたから、春田一族のように知識の伝達や教育を受けていないのです。それでも彼女は少し遠くのことが見える力で自らの為すことを為そうとするのですが、春田一族の成長過程と比べて、真っ暗な道をひとりで進んでいかなければならないという周囲のサポートの少ない仕事であったといえます。それを思うとせつなくなると同時に、語り手である聡子の話し相手である峰子とのたわいない少女同士の夢やおしゃべりがどんなに聡子の支えとなっていたのかがよくわかります。峰子は聡子を理解していたわけではありませんが、聡子の小さな世界と見えるだけの外の世界をつなぐ人物としていつも沿い、かけがえのない媒介者であったと思います。それから、ラストに峰子が数十年を経てなぜ今回想に至っているのか、が語られているのですが、厳しい中にもわたしにはどこか長期的な希望のかけらが感じられました。それは峰子の代なのかも知れないし、もっと先のまだ生まれていない人々の代なのかもしれませんが…常野の人々を知ると物事を大きなスパンで見られるようになるような気がします。 | ||||
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人々が関りあって生きること、自分の存在意義、平和とは? 幸せって?社会の矛盾、世界の流れetc... たくさんの要素がここに書かれている。 話の内容は少しいややこしく、難しく思える箇所もあったけれど、 だからこそ余計に考えさせられたのかな・・・ 「自分の顔を自分で見ることはできない」。 まさに、その通り。誰かがあっての、自分なのだもの。 家族や友達、自分の周りにいるすべての人たちを大切にしたい、 そう思わせてくれる1冊です。 | ||||
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「光の帝国 常野物語」の続編。しかし時代は遡って、20世紀の初頭、日露戦争直前の 明治の農村を舞台に、春田一族を重要な「ワキ」として繰り広げられる不思議で切ない物語。 村の指導者である名家の末娘で、体の弱い聡子の話し相手に選ばれた峰子。 その一人称で物語られるお話は、美しい心象風景と相俟って、どこか寓話的で 御伽噺のようでもある。 他方、異能の力を持つ者(常野一族)の過酷とも言える宿命、その凛とした覚悟、心の強さ、 また、それ故の優しさは、読むものの涙を誘わずにはいられない。 作者は、これからも、様々な能力を持った常野一族を、様々な時代において様々な形で 描いていくのであろうが、そこには、人としての理想、それは心の有り様であったり、 生き方、行動であったりするのだが、それらが彼らに仮託して描かれているような気がする。 | ||||
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「光の帝国」を楽しく読み、続編を期待していた者としては、とても残念だ。恩田さんは好きな作家の一人だが、これはいただけない。よしもとばななの「つぐみ」と同じ類の違和感が残った。要するに、「病気したことないでしょう」の世界。病人には読ませられない。加えて言ってしまえば、「体が弱い」って美点じゃないです。これは死ぬほどじゃないけど丈夫じゃない私だけの感想だろうか。 | ||||
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かつて日本人が敏感だった頃、みんながそれぞれを助け合う能力を持っていた。そのうちにそれが忘れられ、一部の人たちだけが受け継ぐようになった。そして受け継いだために、定住することが許されなくなった。 そんな人たちが、みんなのために何かをすることが必要な世の中なのかも知れない。常世やニライカナイはユートピアではない。そこは古き良き日本の原風景なのかも知れない。 | ||||
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常野シリーズの中で一番好きなお話です。一人の少女の日記『蒲公英草紙』には、彼女が出会った不思議な力を持つ人々との触れ合いや、彼女自身の成長が記されているわけだけど、彼女の品を感じさせる言葉遣いが、物語全体の質を高めています。 常野シリーズを知っている人はもちろんだけど、その他の人の胸にも響くストーリーだと思います。 | ||||
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恩田陸、「常野物語」のシリーズの文庫最新刊です。 「常野物語」にはいつも、常野と呼ばれる漂白の一族が出て来ます。彼らは普通の人とは違った能力を(例えばそれは、未来予知だったり、今回登場の一族のように、人の生きていた人生そのものを全て心の中に記憶として刻み込み「しまう」ことが出来る能力だったり)を持っています。彼らは、定住せず各地を歩き、自分たちのなすべきことを為しています。 今回の舞台は、第二次世界大戦前の絵に描いたような田舎町。庄屋さんとでも言うべき槇村の一家がいて、その家族とともに歩む村人がいて、すべての文化はそのお館に集まり村人にとってはすべての文化や変化や生活のベースがそこにあるような、そんな古き良き時代の日本の農村が舞台です。 語り手の主人公の少女は、縁があってその親方の末娘の聡子さんと知り合いになります。病気がちで成人までは生きられないと言われていた聡子さんの話し相手として、お屋敷のかかりつけ医の娘で年が近かった彼女が選ばれたのでした。彼女は、聡子さんやその兄さん達、そして槇村の家に出入りする人たちと関わっていきます。その中に、春田さん一家もやがて加わります。 その春田さん一家こそが、常野の一族なのでした。 あとは読んでのお楽しみですが、まかり間違っても悪の一族と戦ったりとかそういうベタな展開にはならないのでご安心を。人の気持ちが今よりもまだまっすぐで歪みが少なく、自分が何をすべきかをわかって感じてその為に生きているのが普通だった時代。本当はどこにもそんな時代はないのかも知れないけれど、そうした幻想の中に気持ちよくひたって、どこか心の底のほうから暖かくなってくるような話でした。 語り手の少女の語り口調も大いに影響していると思いますが、とにかく読んでいてひどく優しい気持ちになる一冊でした。 | ||||
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恩田陸さんの著書で初めて読んだのは光の帝国でした。 題名のあとにこの『常野物語』というワードがついていて、むむむ、っと思い買いました。 光の帝国では短編で、どちらかというとさまざまな一族の能力やそれにまつわる物語がさくっと入っている感じでしたが、今回は長編ということで、気持ちの揺れ動きやちょっとした人間関係などもかいてあり、濃いなぁ、といい意味で思いました。 内容については読んでいない方にがっかりさせないように解説すると、今回は蒲公英草紙と言うだけあって日記風な感じです。 この日記を書いた女性が時を越えて回想する、昔まだ自分が子供だった頃の話です。 子供の頃にあった切なくて、それでいて忘れることのない鮮明な記憶。 これを読み終わったあと、私は最後の終わり方について著者が強い意味を込めているんだなぁと思いました。 それを踏まえてこれからもう一度読んだりしてみようかなと思っています。 | ||||
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神秘的でいてかつ切ない。 こういう常野物語もありやなって思いました。 背景となっている世界がよくて、ほっこりすることができました。 ただ、最後の現代のくだりは大事な場面かもしれないけど、個人的にはいらなかったかなって思いました。 よくありがちなパターンなのかもしれないけれど、感動し泣けました。 ほっこりしたい人にはいいと思います。 | ||||
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評価が先行した作品と言えます。<br />大きなお屋敷を懐かしく思い起こす峰子さんが語るこの物語は、お屋敷で出会ったお人形のような聡子お嬢様がいまでも鮮明に妬き付いて離れない過去が主体で、ラスト現在に戻った峰子さんで終ります。<br />すっかり年老いた峰子さんが案ずるのは、アメリカとの戦争で変わり果てたこの国であり、未来に希望を見出せない峰子さんの心は過去に戻り問いかけずにはいられない。<br />つまり峰子さんの望郷物語を美しく描いただけであり、その世界に共感出来ないと何も生まれない。<br />それを踏まえて、評価が先行してる作品なので、期待をあまり持たずに読む方がいいと述べたい。<br /> | ||||
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好きなのは、「きなこ」と「しじみ」の下り。 先に光の帝国を読みました。 その中に出てくる、人々の記憶や思いを、自分の中に「しまえる」能力を持った家族が、 ある小さな村にやってくるお話、ですかね。 メインとなっているのは、その村に暮らす少女の昔語りです。 なので、確かに常野話を期待していると、少し肩すかしを食らう感があります。 ラストが確かにもうどうしようもないという雰囲気がただよっていますが、 同時に光の帝国のラストを重ねると、意外と違和感なくなじみます。 常野の「明」部。 常野三部作を読むのでしたら、 出来れば先にこの蒲公英を読んでから光の帝国をお読みになることをお勧めします。 | ||||
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