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三年間の陥穽
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三年間の陥穽の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.00pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全9件 1~9 1/1ページ
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普通。 | ||||
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普通。 | ||||
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警部、同居の家族が出来て良かったね | ||||
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グレーンス警部シリーズはついに終章を迎えつつあるのだろうか? そんな心配が胸を駆け巡る。それほど、しっかりと主人公の現在の日々、そして彼が過去に残した禍根から響いてくる痛みが、のっけから描かれてゆくからだ。亡き妻と、彼女が胎内に抱きかかえていた生まれなかった娘。グレーンス警部が毎夜、警察署の個室のコーデュロイのソファの上に身を横たえながら心に彷徨わせる孤独。帰って来ない家族への想い。 本書では、傷つけられる子供たちというテーマが描かれる。聞いたこともないほど残酷な性被害を受ける、少年少女たちの存在が浮き彫りにされる。子供たちを犠牲にして自らの歓びや商売に結びつける鬼畜の如き親たち。彼らを結びつける悪魔のネットワークの存在。グレーンスが亡き妻の墓参りの後で出会ったのは、行方不明のままの娘のための空っぽの墓に花を捧げる女性だった。 そしてその出会いにシンクロするかのように、行方不明の娘を三年間待ったという夫婦が、娘の捜索を諦め、その死を認め葬儀を行うことになったという報道を、グレーンス警部は耳にした。何故? 何故? 何故? グレーンスの頭の中で鳴り響く疑問が、その行方不明の娘の葬儀に、執拗に待ったをかける。行方不明の娘の双子の少年もまた、グレーンスに、彼女は生きていると思うと告げる。双子特有の直感のようなもの? この物語の導入部は、警察が認めてしまう捜査終了に抗い、個の力で子供たちを性の奴隷として商品化する悪のネットワークを暴こうと決意するグレーンスのある意味、心の物語だ。相変わらずテーマは重く、そして世界レベルでもある。 もう金輪際潜入捜査はやらないはずのピート・ホフマンは、またもグレーンスの訪問を受ける。否、ピート個人ではなく、ホフマン一家がである。敢えて家族をも巻き込んでのグレーンスの説得に、ピートは暴力の形で激しい怒りをぶつけるが、何と妻がピートを説き伏せる。許し難い犯罪ネットワークをぶっ潰すよう要請するグレーンスのためではなく、失踪した娘とその母たちのために。 前半は、この状況の構築だけで、ぐいぐい読まされる。後半は、お馴染みのダブル主人公のうち、ピートの潜入シーンが例によって核心部となるが、彼自体の命も脅かされるほどの敵方の慎重さと疑い深さに、我らが主人公は、シリーズ最大の危機を迎える。 いつも思うのは、この作者の現代的なテーマの確かさと重さ、そして構図のしたたかさである。本書も、スピード感のある描写と共に、心の揺らぎや、状況の不安定感が全編を包むことで、全編、絶え間ない緊張が走り続けるものである。読者側の感情に訴えかけてくる人間性という救いが作品の中に見え隠れしなければ、あまりに過酷な物語として生理的にも受け付けられないテーマですらある。 それでもグレーンス警部に関わる深い人間描写と、ピート・ホフマンという人間の運命性とを梃子のように使い分け、作品全体に強烈な力学を加えてゆくその小説作法は、いつもどの作品でも極めて素晴らしい上に、現代的な情報小説の側面も持ち、なおかつ時代と世界への警鐘を忘れない骨太の作品ともなっている。それがこのシリーズのいつもながらの特徴なのである。 構成はこの上なく素晴らしく、プロローグで偶然に出会う忘れ難き名無しの女性との出会いのシーンが、ラストシーンに置いてグレーンス警部の心の中の状況として奇妙な響きを持つようなエンディングとなってゆく。一種不思議な感覚で終わるこのラストシーンもまた、この手練の作家の持つ魅力なのだ、と言って良い気がする。 一気読み必須の語り口と、作者の健在ぶりを間近に見てしまうと、この先のグレーンス警部やピート・ホフマンとの再会がますます楽しみになる。そんな興奮冷めやらぬ読後を、ぼくはいま、多少の微熱とともに持て余しているのだと思う。 | ||||
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グレーンス警部シリーズはついに終章を迎えつつあるのだろうか? そんな心配が胸を駆け巡る。それほど、しっかりと主人公の現在の日々、そして彼が過去に残した禍根から響いてくる痛みが、のっけから描かれてゆくからだ。亡き妻と、彼女が胎内に抱きかかえていた生まれなかった娘。グレーンス警部が毎夜、警察署の個室のコーデュロイのソファの上に身を横たえながら心に彷徨わせる孤独。帰って来ない家族への想い。 本書では、傷つけられる子供たちというテーマが描かれる。聞いたこともないほど残酷な性被害を受ける、少年少女たちの存在が浮き彫りにされる。子供たちを犠牲にして自らの歓びや商売に結びつける鬼畜の如き親たち。彼らを結びつける悪魔のネットワークの存在。グレーンスが亡き妻の墓参りの後で出会ったのは、行方不明のままの娘のための空っぽの墓に花を捧げる女性だった。 そしてその出会いにシンクロするかのように、行方不明の娘を三年間待ったという夫婦が、娘の捜索を諦め、その死を認め葬儀を行うことになったという報道を、グレーンス警部は耳にした。何故? 何故? 何故? グレーンスの頭の中で鳴り響く疑問が、その行方不明の娘の葬儀に、執拗に待ったをかける。行方不明の娘の双子の少年もまた、グレーンスに、彼女は生きていると思うと告げる。双子特有の直感のようなもの? この物語の導入部は、警察が認めてしまう捜査終了に抗い、個の力で子供たちを性の奴隷として商品化する悪のネットワークを暴こうと決意するグレーンスのある意味、心の物語だ。相変わらずテーマは重く、そして世界レベルでもある。 もう金輪際潜入捜査はやらないはずのピート・ホフマンは、またもグレーンスの訪問を受ける。否、ピート個人ではなく、ホフマン一家がである。敢えて家族をも巻き込んでのグレーンスの説得に、ピートは暴力の形で激しい怒りをぶつけるが、何と妻がピートを説き伏せる。許し難い犯罪ネットワークをぶっ潰すよう要請するグレーンスのためではなく、失踪した娘とその母たちのために。 前半は、この状況の構築だけで、ぐいぐい読まされる。後半は、お馴染みのダブル主人公のうち、ピートの潜入シーンが例によって核心部となるが、彼自体の命も脅かされるほどの敵方の慎重さと疑い深さに、我らが主人公は、シリーズ最大の危機を迎える。 いつも思うのは、この作者の現代的なテーマの確かさと重さ、そして構図のしたたかさである。本書も、スピード感のある描写と共に、心の揺らぎや、状況の不安定感が全編を包むことで、全編、絶え間ない緊張が走り続けるものである。読者側の感情に訴えかけてくる人間性という救いが作品の中に見え隠れしなければ、あまりに過酷な物語として生理的にも受け付けられないテーマですらある。 それでもグレーンス警部に関わる深い人間描写と、ピート・ホフマンという人間の運命性とを梃子のように使い分け、作品全体に強烈な力学を加えてゆくその小説作法は、いつもどの作品でも極めて素晴らしい上に、現代的な情報小説の側面も持ち、なおかつ時代と世界への警鐘を忘れない骨太の作品ともなっている。それがこのシリーズのいつもながらの特徴なのである。 構成はこの上なく素晴らしく、プロローグで偶然に出会う忘れ難き名無しの女性との出会いのシーンが、ラストシーンに置いてグレーンス警部の心の中の状況として奇妙な響きを持つようなエンディングとなってゆく。一種不思議な感覚で終わるこのラストシーンもまた、この手練の作家の持つ魅力なのだ、と言って良い気がする。 一気読み必須の語り口と、作者の健在ぶりを間近に見てしまうと、この先のグレーンス警部やピート・ホフマンとの再会がますます楽しみになる。そんな興奮冷めやらぬ読後を、ぼくはいま、多少の微熱とともに持て余しているのだと思う。 | ||||
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事件が起こる→グレーンスがホフマンに潜入捜査を依頼する→潜入捜査で悪者を暴く、というこれまでとお決まりの展開に少しガッカリしました。ソフィア、ヒューゴー、ラスムス、ルイザにはもう安全で幸せな生活を送ってほしい!ヘルマンソンがなぜあそこまで強固にグレーンスを拒否できるのかも謎…そもそも前作で、勤務時間中にこそこそウィルソンとデートして、嘘の聞き込み報告書を書いていたのはヘルマンソンなのに…。次回の『ボックス21』の続編に期待しています。 | ||||
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今回は、感情が優先してしまいどうにもならなかった潜入捜査員が主人公でなく正規の刑事、偏屈で人間関係が築けず、コミュニケーション障害の刑事が面目躍如です。 小児性愛の世界ネットワークをたたき壊すためにあらゆる関係者が、すべての犯人を逮捕し、犠牲となった子供たちを救出するために知恵を絞ります。 派手なドンパチ、素手でのタイマンはほとんどありませんが、人類がいちばん嫌悪すべき児童犯罪を壊滅する過程が見事です。 | ||||
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「三秒間」「三分間」「三時間」「三日間」と続いた本シリーズの5作目は「三年間」となりました。スウェーデンの刑務所でのマフィア、コロンビアの麻薬組織、リビアの人身売買、アルバニアの武器密売を徹底的に壊滅した刑事と潜入捜査員はいつも「次回はない。今回が最後だ。」といいながら「それがあんたの決まり文句だ。」と返されて結局、危険な状況に身を投じざるを得ません。 今回は全世界にネットワークを張った小児性愛者たちのサークルに潜入して、子供たちの救出と犯罪人の同時逮捕を目指します。スウェーデンでほぼ同時に行方不明となった少女二人はどこに? そして潜入捜査員は、今までの粗暴犯、密売人を装うのではなく、実生活において子供たちを愛するよき父親なのにはたしてその正反対の小児性愛者を偽装することができるのか? 「犯罪者を演じられるのは、犯罪者だけだ。」「つねに、ひとりきり。自分だけを信じろ。たとえ、どれだけおぞましい犯罪においても。」という具合に話は進みます。 お約束の残り時間を表示する「時限タイマー」が始動され、早くも先回りした潜入捜査員のあっと驚く身分偽装が前編のクライマックスとなります。 | ||||
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読み始めてしまったら一気に読み終えることになりました。 「三日間の隔絶」(2022/5月)以来になりますが、今回のグレーンス警部・シリーズのテーマは、児童虐待とダーク・ウェブ。 定年を迎えたストックホルム市警の警部・グレーンスは十年前に亡くなった妻・アンニの墓を訪れ、或る女性と出会います。四歳の娘を亡くしたその女性はお墓の棺に死体がないことをグレーンスに語ります。そしてそのことをがきっかけとなりその少女と同じ日に誘拐されて以後行方のわからないもう一人の少女の事件があったことに気づきます。捜査権限を取り上げられ、尚且つ休職させられたグレーンス警部は公的な協力を得られないまま飽くまでプライベートな捜査を開始せざるを得なくなります。その四歳の少女・リニーヤの行方を追って。 協力者はITの天才・ビリー、デンマーク国家捜査局の女性・ビエテ、そして(待ってました(笑))二度と危険な潜入捜査はさせないと誓ったはずのピート・ホフマン。グレーンスは懲りることなくピート・ホフマンを或る組織の下へと潜入させようとします。「特捜部Q」(ユッシ・エーズラ・オールスン)のカールにとってアサドが必要なようにグレーンスにとっては常にピート・ホフマンという人間的な、きわめて人間的な”ビースト”が必要なのかもしれません。 上巻のストックホルムからデンマークへと至る静かな捜査は、ピート・ホフマンが介在することによって彼の国へと舞台が移り、シャープなサスペンス・スリラーへと変貌を遂げ、ほぼ解決したかに思えた事件に仕込まれた伏線が一つ、また一つと絡め取られていきます。読者はその凄みを静かに堪能できると思います。 グレーンスは疲れ果て、もはや立っているのもおぼつかないほど老いさらばえながらも壮絶な執念をこの事件に費やし、ピート・ホフマンはいつもの潜入捜査とは異なる性質を持った唾棄すべき状況に晒されながらも彼もまた決して挫けることのない思いを吐き出しながら<怪物たち>に立ち向かうことになります。その秘密は「なぜ場所は行為と同じくらい大事なのか」(下巻・p.57)という言葉の中に隠されています。 そして、私もまたグレーンスのように年を取ってしまったのかもしれませんが(笑)、下巻・p.184、ストックホルム中央駅にて少女を搔き抱くホフマンの眼差しに涙が溢れないよう唯々心掛けることになりました。本書には、心から信頼できる相手を喪失した子供たちがくっきりとしたレリーフとして描写されています。これほど深い悲しみはない。 □「三年間の陥穽(上・下) グレーンス警部」(アンデシュ・ルースルンド 早川書房) 2023/5/25。 | ||||
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