スウェーディッシュ・ブーツ
- 北欧ミステリ (198)
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サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
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同氏の小説を20年以上読んできました。決して良い人ではなく、自分勝手で我儘な主人公で、時にはサイテーの男であることは今までの小説と同じです。常なる読後感は寂々、愛しさ、闘志。自らの生をありのままに受け入れ、それをたたえる気持ちになります。多くの方にお薦めしたいです。 | ||||
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北欧を代表する作家・マンケルの最後の作品で、CWAインターナショナルダガー受賞作。70歳の孤独な男が過去に囚われながら現在に苛立ち、やがて来る死を受容するヒューマンドラマである。 | ||||
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マンケル作品として個人的には初となる『イタリアン・シューズ』を読んでから5年。スウェーデン・ミステリーの代表格的存在である刑事ヴァランダー・シリーズは第一作と最終作しか何故か読んでいないという体たらくでお恥ずかしい限りなのだが、作者の遺作となる本作は『イタリアン・シューズ』とセット作と言いながら、さらに厚みを増して、なおかつ描写の丁寧さ、深さを考えると人生を振り返る作者と本作の主人公フレドリック・ヴェリーンは、分身ではないかと推察される。しかし、ヘニング・マンケルには『流砂』というノンフィクションの遺作が遺されていて、これが彼の<白鳥の歌>として死後に出版されている。 故に本書はフィクションとしては最後の作品である。『イタリアン・シューズ』を継いでの物語となるのだが、作者自らはそれぞれ独立作品として読んで頂いても一向に構わないという立場で本作に臨んだらしい。時制が一作目と矛盾したりするなど、確かに連作と見るには不確かなところもあるらしいのだが、読んだ印象としては登場人物たちも、舞台となるフィヨルド地方にしても両作共通する地平にあると見て構わないというところだ。 内容もまた『イタリアン・シューズ』の正当なる続編と見て良いと思う。但し、本作には謎の火災により島の家が全焼するといういささかショッキングな導入部があり、その犯罪的要素から鑑みて本書は『イタリアン・シューズ』に対し、ミステリーとしての性格を多分に孕む。そもそも刑事ヴァランダー・シリーズがミステリーと言いながら相当に人間の心を描いてしまう純文学的小説としての要素を孕んでいる作品であるように思う。 本書では、主人公フレドリック・ヴェリーンには存在すら知られていなかった実の娘ルイースが登場する。前作『イタリアン・シューズ』の終盤にも登場する娘だが、彼女との改めての関わりの時間が生まれてゆく様子、彼女の秘密などをパリを舞台に描くシーンが挿入されるなど、前作に比べるとバラエティに富んでいる。 しかし、老いたるフィヨルドという舞台は相変わらず静謐過ぎて、孤独を際立たせる舞台である。その中で病や老いによって知人が死んでゆく。全体に初冬から真冬までの時間を設定した一人称小説であるのだが、その中で大きな流れとしての時は過ぎ、家族というこの物語の中では変則的な人間関係、そこに入り込む新しい女性キャラクター、リーサ・モディーンというジャーナリストと年齢差を往還する二人の微妙な恋愛感情なども、どことなくリアルで危うい。 大きな物語としては、家が焼けることで生まれる疑惑。解決しない捜査活動は地味でありながら、フィヨルドの孤島の家が結果的には数棟全焼するに及ぶ。緊張を孕んだフィヨルドの村と美しい冬の景色、そして老齢の主人公の孤独がきんと響いてくるヒューマン・ノヴェル。ヘニング・マンケルでなければ作り出せない空気感と危うい人間関係の紋様を読みながら、この小説の持つ不思議な魅力に強く惹かれつつ、美しい言葉で満ちた一ページ一ページを味わった。 どの作品も優れた小説であり、完成度も高いように思うが、何よりもデリカシーと感性に満ちた一人称文体が味わい深い。ストーリーに派手な動きがなくても、しっかりとしたページターナーと言える辺り、名手ならではの作品である。ヴァランダー・シリーズの未読作についても、じっくり時間をかけて味わってゆきたいと思う。 | ||||
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主人公の人物像がぶれ過ぎでは? | ||||
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ヘニング・マンケルの最後の作品『スウェーディシュ・ブーツ』は警察小説とか推理小説という枠組みには入りきらない作品だと思う。確かに不審な火災・人の死という事件はある。だが、その謎解きがメインではなくてひたすら主人公フレドリックの内面が語られている。しかもなぜフレドリックがこのような孤島で一人暮らすことを選んだかということは直接的には語られず、鬱々とした心理描写が続く。ところが読了してみると不思議な満足感とでもいうべき思いが残った。マンケルは「人はなぜ死ぬ運命なのか」ということを考えていたのではないかと今思う。単調な鬱々とした生活の中でそれでもフレドリックは生に執着する。初めて会ったばかりの若い女性への執着は私には不可解だったが、死ぬことへの恐れから性に安心を求めたのかも?もしこの小説を枠組みに入れるとしたら『死を考える哲学小説』とでも名付けようか。そう考えると『ヴァランダーの世界』の1章が「始まりと終わり、そしてその間に何があったか」と題されていることの意味が分かる気がする。人は生まれ、そこを起点として生きていくが、死をめざして生きていくわけではない。「始まりがあり、何かが続き、死という終わりが来る」というのが人生だろう。だが、マンケルは『ヴァランダーの世界』を書き始めた頃には自分ががんであることを知っていたに違いなく終点をはっきりと意識しながらの創作活動だったのではないだろうか。『イタリアンシューズ』『スウェーディッシュブーツ』の陰鬱さは死の影を見つめ続けたことの結果だろう。だが、『スウェーディッシュブーツ』の最後でフレドリックの娘に赤ん坊が生まれたことはたった一つだが明るい希望が見えて読者として嬉しかった。ところで私は登場人物に殆ど共感を覚えなかったのだが、その中で唯一興味を書きたてられた人物はヤンソンだった。彼がどういう闇を胸に抱えていたのか語られることはなかった。それはマンケルが私たち読者に残した哲学的命題かもしれない。 | ||||
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ヘニング・マンケルの最後の作品である。 本書の刊行は2015年夏で、マンケルが亡くなったのは同年10月だが、その前年に回復不能の進行がんを発見されていた。 そのせいか、本書では主人公の身近な友人たちが相次いで亡くなり、主人公自身も死の影をたびたび感じる場面が描かれている。 物語は前作『イタリアン・シューズ』(レビュー済み)の8年後に設定され、群島地域に隠棲する主人公は70歳の老いを感じつつひっそりと生きている。氷の貼るバルト海で毎朝沐浴する習慣は変わらないし、偏屈で自己中心的な性格は相変わらずだ。60代の私自身の感覚からすると、70歳にしては老け込みすぎのように感じるが、主人公を含め群島地域の人々の多くは老齢で、老いを意識して生きることを考えさせる作品となっている。 物語は、主人公の島の居宅が火事で全焼する場面から始まる。それまでの人生の一部だった家財道具や本、日記、写真等がすべて失われ、不揃いの長靴しか残されていない。その長靴さえ新しいもの(スウェーディッシュ・ブーツ )を取り寄せるのが思い通りにできないことが老年の悲哀を象徴しているようだ。 しかし、主人公はこうした老いの悲哀に抗するように、かなり年下の女性に恋心を抱いてせっかちなアプローチを仕掛けたりする。せっかちではあるが強引ではなく、相手の意向を尊重するのが老人的な恋の進め方ということか。また、気むずかしい娘との関係の進展も、老いと孤独に抗して人間的な絆を回復していく文脈で理解できる。 小説の構成としては、火事がやがて群島の連続放火事件に発展するミステリー的な展開となっており、社会派らしく移民問題も描かれているが、あくまでも主題は老いと死である。 なお、柳沢さんの翻訳はさすがにマンケル作品を熟知したわかりやすいものだが、主人公がパリに赴いた際の地名で「ラテン・クォーター」と訳されているのは、通常はフランス語読みで「カルチエ・ラタン Quartier latin 」。1968年のパリ五月革命で有名になった学生街である(ラテン語を話す地区の意味)。 | ||||
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