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ことり
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ことりの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.29pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全73件 61~73 4/4ページ
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親父が亡くなる少し前に読んだ小川洋子の小説。 幼稚園の鳥小屋の世話していたおじさんがなくなる。 おじさんには兄がいて、あるときから自分だけの言葉を喋るようになる。父は家庭に興味がなく食事が終わると自室に閉じ籠る… 兄の楽しみは、駄菓子屋の鳥の絵の書かれたキャンデーを買うこと。兄はその包み紙でブローチを作る。 父が死に、母も亡くなり、おじさんは兄と二人きりの生活を過ごす…どこかへ旅行の準備はするけれど、結局はどこへも行かず。たまに幼稚園の鳥小屋を覗きに行く生活。 その兄が亡くなり、おじさんは鳥が好きだった兄のために鳥小屋の清掃や世話を申し出る… やがてときが流れて、兄との思い出のキャンデーもなくなり、ある日、怪我をしたことりを見つけ世話をする・・・ もう、かなり記憶があやふやで、時系列がバラバラになっているけど、おじさんの人生について想い考えていた。 なんだか、すごく悲しかった。もう少し、外の世界を見ることができたなら、おじさんに図書館の司書や虫の音を聞く老人以外におじさんの話を親身に聞ける人がいたなら、おじさんの生き方も変わっていたのかな。 最期まで、兄の呪縛を引きづり続けたおじさんの人生、なんだか、とても悲しい。 | ||||
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いささか奇妙な設定ではあるが、作者の透明感のある静謐な文体で描かれることにより、目の前に情景が立ち昇ってくるようだった。 生涯、小鳥の声に耳を傾け続けた兄弟の一生は、傍からみれば、あまりにもちっぽけで、取るに足りないものかもしれないが、そこに流れる豊かな時間や、大切なものを不器用に守り続ける強さが愛おしい。 小さな小鳥の声に耳を傾けること、かけがえのないものに自分を捧げることの意味を問われる作品だと思う。 | ||||
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小川洋子の小説書きの眼は、ゆっくり回される映画カメラのようだ。 あらゆる細々したものを念入りに捉え、ときに拡大鏡のレベルまでズームインして仔細に言葉に写す。 この『ことり』はそのカメラにさらに高感度特殊マイクが付帯されたような「耳」の小説。 小鳥を愛し、その声を聞き分けた兄が編み出した特異な言語。 それを世界で唯一理解する弟である「小父さん」。 小鳥と「小父さん」の温かく美しい声の交錯。鈴虫箱の老人。 メジロの鳴き合わせ会を開く粗野な男。 大切なものとの小さな世界を不器用に守り尽くす「小父さん」の静けさが読後の耳に残る。 | ||||
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明晰な仏蘭西語をしのばせる現代日本語による叙述。小川洋子の眼は恐ろしく透明でどんな被写体をも驚異的な精度で射ぬき、それを水晶のような日本語に定着する。徹底的に推敲された用語はそれ以外に絶対にあり得ないという高い水準に定位されている。 さて今回の作品は、まるで我が家の長男と次男のような仲の良い兄弟が登場して、心が洗われ、思わず泣きたくなるようなまじわりを示すあえかな出来栄えでした。 小鳥を愛し、小鳥との会話をするために新しい言語を開発したお兄さんは、周囲から奇人変人扱いされるのですが、その弟の「小鳥のおじさん」だけにはその新言語が通じるのです。 以前「日本の犬はアメリカの犬と話せるか」という宝島社の企業広告を見た時、彼らには万国共通のワンワン語があるのだから、そんなことは当たり前じゃないかと思ったが、猫にはニャンニャン語が、小鳥には小鳥語というものがあるのである。 さなきだに生き難い生き馬の目を抜くようなあざとい世の中を、ハンディを抱えたこんなよわよわしい、ちょっと奇妙な2人が、どのように細々と生き抜き、どのような行く末を迎えるのだろうと、私たちはハラハラしながら頁を繰るのだが、そこにはいかにも「小鳥のおじさん」にふさわしい最期が待っているのでした。 南西諸島特産のオオゴマダラがなんで鎌倉の空を飛んでるんだ うれしいようなヤバイような妙な気持ち 蝶人 | ||||
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孤独死した、「ことりの小父さん」と呼ばれる男の一生を描く。 ほとんど奉仕の人生である。奉仕という言葉より、お世話する、という方がぴったりくるかもしれない。 前半は、人間の言葉を子供のころ放棄した兄(自由意思による放棄ではない。なんらかの病名がつくのだろう。失語症+自閉症?)に捧げられる。兄の世話をし、働いて2人分の生計を立てる。 後半生は、兄がこよなく愛し、そのさえずりを理解した、小鳥たちに捧げられる。近所の幼稚園の鳥小屋の清掃をボランティアとして続けるのだ。それは兄への供養もこめられている。もちろん小父さん自身も小鳥たちをこよなく愛している。 不幸な事件があって鳥小屋の清掃ができなくなり、お世話の対象を失うと、小父さんはひどい偏頭痛持ちになる。リタイア後は,さらに酷くなる。 しかし最晩年に、傷ついためじろの幼鳥の世話をするという僥倖に恵まれる。 ほとんど起伏のない人生なのだが、もちろん小父さんもお兄さんも動物の雄であるのだから、異性を求める気持ちはある。しかし小鳥が愛の歌をさえずるようには、上手に事を運ぶことはできない。お兄さんの求愛は、周囲に求愛であることすら気づいてもらえない。弟のそれも、およそ客観性を欠いたものである。 動物の鳴き声を愛でる男が2人登場するが、どちらも人間のエゴイズムによるもので、お兄さんや小父さんとは対照的である。 小父さんの人生を脅かすものは、すべて外からやってくる…。 小父さんは、無私の心で生きた。それは努力してそうしたのではないし、自覚もしていなかっただろう。周囲の人々の目には、ひどく恵まれない人生にうつったかもしれないが、おじさんが不幸だったのかというと、そんなことはない。それはこの小説を読んで好ましく感じる読者にはわかることだろう。 中盤、読んでいていささか冗長に感じるときもあった。起伏のない人生を長編で読ませるには、圧倒的なコトバの力が必要である。小川ワールドの魅力でぐいぐい読者を引っ張っていかなくてはならない。小川氏の筆力を持ってしても、それはなかなか難しいことなのかもしれない。 | ||||
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高機能自閉症だと思われる兄と、兄ほどではないがやはり自閉傾向を持つ弟の物語。 弟はすでに「ことりのおじさん」と呼ばれる存在になってから物語は始まる。 というか、冒頭で既に死んでいる。 そこから語り起こされる、名もなき静かでつつましく清らかな一人の人生。 十姉妹、文鳥、メジロたちが物語を可憐に彩る。 虫箱で鈴虫を消費する男、鳴き合わせ会でメジロを消費する男たちが、すっと忍び寄って影を落とす。 静かなさざ波のような小説だった。 | ||||
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「小鳥の小父さん」と呼ばれた小父さんの一生を綴るお話し。 ポーポー語しか話せないお兄さん、あたたかな園長先生、ポーポーを売る薬局の店主・・・。 小父さんにかかわった人は少なく、多くを持っている人でもなかったけど、 小父さんは大切なものだけをそばに置いて、丁寧にひたむきに生きている人でした。 このシンプルさ・・・これこそが幸せなのかな〜ってしみじみと思える。 小父さんは人生の経験値はおそろしく低いけど、でも満ち足りた人生を送ったことに間違いないもの。 いろんなことを経験したり、濃い人生を送りたいという気持ちはあるけど、 こういうものを読まされるとはたしてそれが幸せなのか?と深く考えてしまいます。 最後まで読み終わった後に最初の数ページを読み返してみたくなるはずです。 きっと最初に読んだ時とはまったく違う風にとらえられると思いますよ。 静謐で澄みきっている小川洋子さんの世界が好き。。 とっても繊細な作品なので、大切にいたわるように読んでください。 | ||||
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どんな人にも心配りを忘れない心温まる本でした。 おじいさんが亡くなるときにすぐ近くの鳥かごにいた小鳥は無事かごから解放されるのでしょうか? | ||||
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とても不思議で魅力的な小説です。 ただ、なぜ自分がこの作品世界にそれほどまでに惹かれるのかと問われると、うまく言葉で説明するのが大変難しいのです。 あまり他人に勧めず、自分だけがその良さを知っている「特別な一冊」として仕舞っておきたい。訳もなくそんな気分にさせる、なんとも不思議な作品です。 | ||||
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小川作品ファンでなければ、ちょっと読みづらいかもしれません。 淡々とした静かな日常。 失語症の兄。鳥小屋の掃除。さびれた薬局。 そして小鳥。 子供が苦手。 静かな時間が流れます。 小鳥の声にじっと耳をすませたくなるかも。 | ||||
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閉じた世界、消えていく世界は、この作家の物語世界の重要な側面で、大きな魅力のひとつでもあると思います。だいぶ前に出た、「密やかな結晶」という作品は、その中の一つの到達点ではないかと思います。私にとって忘れがたい名作です。 今回の「ことり」はその流れをくむように思いますが、小川作品らしい清らかさ、静謐さは変わらずであるものの、どこか空しさを感じる読後感が気になりました。なんというか、縮こまって何処に行くこともあきらめた頑固じいさんを見ているような。。 けれども、それは小川作品の原点のような気もします。 「博士の愛した数式」のように、開かれたまったく違うフィールドの物語も含む豊かな作品群は、疲れてしまったときに避難場所を提供してくれる、私にとって大切なものです。これからも小川洋子の作品に親しんでいきたいです。 | ||||
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小川洋子さんの作品が好きで、博士の愛した数式やミーナの行進などを読みました。今回は発達障害と家族のかかわりを考えさせられました。世の中や家族を改めて見直しました。 | ||||
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本書のあらすじを、amazonではこう纏めている「世の片隅で、小鳥たちの声だけに耳を澄ます兄弟のつつしみ深い一生が、やさしくせつない」なるほど、前半は確かにそうだ。ストーリーである以上、後半を縷々紹介するわけにもいかない。しかし、兄との死別は、本書の2/5時点で起きているし、兄との想い出は終盤まで流れる主旋律の一つとはいえるが、中盤後半のエピソードの連なりから、本書のテーマが伝わることを考えると、兄弟の話に終始するかのような紹介には首を傾げざるを得ない。敢えて言うなら、ミスリードの元に成りかねないからだ。 119頁に、鳥籠を定義した一文がある。この一文は終盤でも改めて登場しており、本書のテーマを読み取る上での重要な内容と考える。 「鳥籠は小鳥を閉じ込めるための籠ではありません。小鳥に相応しい小さい自由を与えるための籠です」 実は、非常に矛盾した、そして、何とも傲慢な定義である。「閉じ込める」ものではないと言いながら、小鳥に相応しいのは「小さい自由」だという。小鳥の奪われた大空を飛びまわる大いなる自由を奪いながら、よく言えると思うが、それは「与えるため」として、小鳥と飼い主の関係を明らかに対等に考えない者の発想としては納得できる。 この鳥籠というのが、本書の主人公である「小父さん」と「お兄さん」の暮らす世界・生活空間そのものではないかと思う。 自宅から青空薬局から外には決して行こうとしなかった兄、自宅の他は2つの職場といくつかの憩いの場所にしかやはり足を伸ばさなかった弟。そして、足を伸ばすことで、得たつかの間の憩いが、常に籠の外の嵐となって弟の心に傷を残すという哀しい展開。主旋律としての兄弟のやさしさ・せつなさの後ろで常に小さくしかし重く流れ続ける哀しみの副旋律こそが、本書のテーマ性を高めているところだろう。 もう少し明確に書くならば、「小父さん」「お兄さん」という二人の言い方だが、冒頭で「小父さん」の死を描くことで、5歳の小人を「小父さん」とするお化しさを読者はあまり感じない。しかし、そこで倒錯に気づかぬことで、弟が正に「小父さん」というべき年齢になっている、つまり、兄の死のころには、この二人は、アラフィフの老いが目立つところにいっていることも気づきづらくさせている。 その結果、司書との出逢いが、実のところは、60近い老人が20そこらの若き女性に気想するというグロテスクな見え方をする一面も、気づかれづらくなる。 そう、この「気づかれづらさ」もまた、本書のポイントといえる。司書との秘密の会話は、実は小父さんの脳内暗号解読でのみ成り立っている。つまり、本作品での主要な”会話”は、小父さんの脳内のみで成り立っているだけなのでは?という疑念を読者が気づきづらいのである。ポーポー語での兄さんとの会話、メジロと歌いあった調べは本当に成り立っていたのか、そして、そんなものが成り立つと思う小父さんの存在が外界からどう映っていたかは、「ことりのおじさん」という言葉や薬局のおばさんの少ない言葉から、容易に想像できる。 しかし、それを私は否定的には捉えていない。哀し過ぎるからこそ、籠の中の鳥が愛されるのと同じく、小父さんもまた哀し過ぎるからこそ愛おしい小説の主人公たり得ているのだと思う。 | ||||
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