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熱源



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【この小説が収録されている参考書籍】
熱源

熱源の評価: 4.07/5点 レビュー 136件。 Aランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点4.07pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全136件 101~120 6/7ページ
No.36:
(4pt)

アイヌの意味

樺太の先住民だったアイヌ人が文明という御旗を掲げて土足で踏み込んできた日本やロシアに人生を翻弄される。そこにポーランド独立を目指しながらも樺太に流された主人公のアイデンテテイが重なったストーリー構成に引き込まれました。民族とは、人間とはどうあるべきか、次から次へと襲ってくる試練の中で考えさせてくれる力作でした。
熱源Amazon書評・レビュー:熱源より
4163910417
No.35:
(4pt)

生きること

教科書では知り得ない日本の歴史、北海道開拓史やアイヌの文化、悲しみや感動の渦に震撼した❗️
熱源Amazon書評・レビュー:熱源より
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No.34:
(5pt)

雪原と熱源

樺太のアイヌ、樺太に流刑となったリトアニア人、日本人、ロシア人兵士…明治維新から日露戦争、そして敗戦へと向かっていく日本で、大きな流れに翻弄されながらも熱を秘めて生きる人達の人生が交差する。滅びゆく人々と言われ、「何者かであること」を強要され、それに抗いながらも、アイヌの誇りを世界に知らしめようとするヤヨマネクフの姿に心がかき乱される。
熱源Amazon書評・レビュー:熱源より
4163910417
No.33:
(5pt)

生きていく源は数多ある

「弱ければ喰われ滅びる。だから我が国は強さを目ざした」
と大隈伯爵が語る。
「なかなか死ねないんですよ。そう悲観するもんじゃないと思いました。
生きていれば仲間がいれば何とかなる」
とヤヨマネクフはと答えた。
「俺たちはどんな世界でも適応して生きていく。俺たちはアイヌですから」

かつて同じ問いに、ポーランド人のブロニスワフも答えていた。
「(弱肉強食の)摂理の中で戦う」

「弱肉強食は自然の摂理である」と昔学校で習った。
読後、この絶対な真理が崩れた。
ただ、支配者を肯定する理屈と思える。

生きていく源は数多ある。
熱源Amazon書評・レビュー:熱源より
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No.32:
(5pt)

熱源なしでも人は生きなくてはならない

白瀬矗、金田一京助、二葉亭四迷といった有名人も出てくるが、無名のアイヌやポーランド人も実在の人物である。タイトルは、人間は熱くなれるものがないと生きられないという主張に由来するらしい。だが、いかなる希望も奪われ、ただ心を寒風が吹き抜けるばかりの人生でも、人は生きなくてはならないのだ。どんなことにも熱い気持ちを持てなくなった人のための文学も必要だろうとは思う。

 いずれにせよ、歴史小説の分野に久々の大型新人が現れたと感じる。
熱源Amazon書評・レビュー:熱源より
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No.31:
(4pt)

アイヌ民族の矜持

幼いころ近所にアイヌの家族が住んでいました。アイヌ文化に想いをはせました。
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No.30:
(4pt)

興味深い

歴史の一端に興味を抱いた
熱源Amazon書評・レビュー:熱源より
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No.29:
(5pt)

どれをとっても第一級の娯楽作品であり、心に響く、命を宿した物語

実在の人物をモデルに、歴史的事実を、あるシンプルなテーマで物語化する。そうした作者の意図がしっかりと焦点を結んだ作品。その意味では会心の作と言っていいのではなかろうか。歴史を題材に取ることによる縛りを敢えて避けず、実在の人物と年代別のエポックと列強諸国の世界地勢図とをさらに抑えている。その意味でも、これはある意味快挙としか言いようのない作品だと思う。

 北海道では、初の国立博物館ウポポイが今年白老に生まれる。その意味でも時宜を得た作品であり、虐げられ差別を浴びてきたアイヌ民族の歴史の中に見られる、民族の長所・美点・芸術性を、改めて世に知らしめこの民族に対する愛情を湧出させる力さえ感じ取ることのできる作品である。

 作者・川越宗一は、大阪生まれの京都在住という純粋な関西人。夫人の希望で北海道旅行をした際にアイヌ民族博物館(ウポポイの前身)を訪れ、そこでアイヌ民族の研究者であるポーランド人、ブロニスワフ・ピウスツキの銅像に出くわしたことが本作創作の契機になったという。ブロニスワフはロシアの支配下にあった祖国から遠く樺太へ流され、契機終了後は獄舎からは出られるものの辺境に留め置かれるという条件下、樺太やウラジオストック、北海道などを歩き、アイヌ、ギリヤークなど北方民族の研究者となったらしい。

 一方、アイヌ民族を代表する形では、山辺安之助ことヤヨマネクフが本書でのツイン・ヒーローの一角を担う。同時代の白瀬探検隊の一員として南極大陸の地を踏んだこのアイヌ人の生涯は、資料に乏しい分、作者の想像力の十分過ぎるくらいのフィールドとなったようだ。

 そもそもどこの領土でもなかった樺太。日本が去りロシアの領土となったのが事の起こりである。アイヌ民族は、日本に移住し日本人として生きるか、樺太に残留しロシア国籍として生きるかを選択した。日本移住を選択したアイヌの移住先として描かれるのは、対雁(ツイシカリ)の地(何と、ぼくの住む石狩当別町内!)であり、さらに鰊漁場として群来が見られていた来札(我家から車で15分の石狩市!)への移住までが描写される。樺太からの移住の末、天然痘その他の流行り病が彼らを襲う。種痘などの治療法を嫌うアイヌ民族の中で感染者が続出し村が消失してゆく中、アイヌたちの一部は日本国籍を得たまま樺太に帰島する。

 ポーランド流人ブロニスワフと、同化政策により日本人となったアイヌ民族ヤヨマネクスの人生を、交互に描きながら、その接点、彼らに関わる実在の有名人たちの物語がとても興味深い。政治家・大隈重信、南極探検隊長・白瀬矗、ユーカラ研究者・金田一京助、デカダンな人気作家・二葉亭四迷、ポーランド初代国家元首であるブロニスワフの実弟であるユゼフ・ビウスツキ。さらに、日本人とアイヌ人の混血で少年時代からの仲間であり、かつ本書で重要な役を果たす千徳太郎治は、『樺太アイヌ叢話』という書物を遺している実在の人物(巻末文献参照)。

 本書では、アイヌに関わらず他の北方民族オロッコ(ウィルタ)も、ラストシーンで重要な役割を振られている。少数民族が連綿と残してきた命の火の尊さ。劣勢とされた民族の心や芸術の美しさ。作者が執拗に描こうとするこれらの描写こそが、純粋な感動を与えてくれる。主要な女たちの五弦琴(トンコリ)。そのきらきらと輝くような音色。多人種の人々が北方民族伝承の音楽や宴に魅了されてしまう辺りも、小説として重要なポイントであろう。

 本書は、北海道での販売数が尋常ではないらしい。それは樺太が地理的に近いというだけではなく、共に生きる地域で、実在のアイヌ民族の血を引く方たちと平等に生きる地平にいながら、差別のあった過去への批評眼を我々も持ってゆかねばならないとする開拓者精神の遺伝子であるのかもしれない。その上、本年ウポポイが新たなアイヌ民族の歴史を伝える重要な拠点として北海道の地に改めて生まれることにより、共有される意識の高まりを示すものであるのかもしれない。

 地理的にも時代的にも迎えられるべき作品。その意味で今、世に生まれ立ち、当然の結果としての直木賞受賞等、多くの評価を得たのが本書である。作者の創作に至る試走の十分さ。焦点とすべき事象の確かさ。登場人物たちの魅力。時代の荒々しさと対峙した滾るような生命力。どれをとっても第一級の娯楽作品であり、心に響く、命を宿した物語が完成したということなのだろう。
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4163910417
No.28:
(3pt)

緻密な描写にうなるしかない

読んでいるとまるでサハリンにいるような気持ちにさせられる。どこからか隙間風がぴゅーぴゅー吹いてきそうな感じ。一気に読むにはちとつらいが学校の日本史でもサハリンのことはここまで詳しくは教えてくれなかったので興味深く読むことができた。そしてサハリンからはるか遠いポーランド、疫病の恐怖(まさに今の世界)。読むにつれうなるしかなかった。
熱源Amazon書評・レビュー:熱源より
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No.27:
(5pt)

この時代のどの民族にも感じられていた揺らぎ

序章でテンポと流れがつかめるとすいすいと読めます。
樺太アイヌを中心として描かれますが、当時世界中にあった民族独立の運動の渦中にある人たちの気持ちを垣間見るような気持ちで読み進めました。
授業では項目的で、文字の名列でしかなかったポーランドや樺太の出来事が、そうだったのかもしれない近い事実のように感じられる作品だと思いました。
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No.26:
(5pt)

アイヌ文化や北海道に興味のある方には 特にオススメです

歴史書か歴史小説か?
はじめは 登場人物の多さに戸惑うが
とても面白かった
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4163910417
No.25:
(4pt)

アイデンティティを保って生き続けることの難しさ

明治から第二次世界大戦までのサハリン(樺太)を舞台にしたアイヌの物語。本作品は史実を基にしたフィクションだ。サハリンがロシアや日本と領有を争い、翻弄されるアイヌ。昔から住んでいただけなのに、外から来た人から差別され、あまつさえ滅びる民族とまで言われる。ブロニスワフは流刑の地としてサハリンに流された。彼も故郷を失った人であり、アイヌと境遇は似ている。そんな歴史がたかだか70年から100年位前の現実なのだ。アイデンティティと尊厳を保ちながら生き続けることの難しさを再認識するとともに、今の日本人も敗戦で、国が分割されたりアイデンティティを失う危険もあったわけで、それが現実にならなかったことに改めて喜びを感じる。
熱源Amazon書評・レビュー:熱源より
4163910417
No.24:
(4pt)

スケールの大きい作品ですが終末がチョット

サハリン出身者で戦後苦労された方を知っているので、興味を持って読み始めました。 北大の資料館で聞いたもの悲しい先住民族の歌の録音も記憶に蘇りました。 テーマがユニーク、登場人物もアイヌ、ポーランド流刑者、ロシアの女性兵士など多彩で飽きさせませんが、最後の結末が壮大な物語としてはやや肩透かし。全体として、人口減に直面する日本がアイヌ民族のように隣国(=中国)に飲み込まれてしまうのか?という鳥肌がたった読後感となりました。たまには、このような小説も良いものだと思いました。
熱源Amazon書評・レビュー:熱源より
4163910417
No.23:
(5pt)

史実に基づいた質の高いフィクション

エンタメ歴史小説として、かなり質が高いと思います。
アイヌのヤヨマネクフやシシラトカや、ポーランドのピウスツキを中心に繰り広げられる一大歴史ドラマ。
私は大隈重信や金田一京助の名前は知っていたが、上記の人物たちは存じなかったので、てっきり創作上の人物かと考えていました。しかし、検索してびっくり。彼らは実在した人物でした。
もちろん、多々フィクションを取り入れてエンタメとして装飾しているところはあると思います。しかし、それにしても概ね彼らの人生はそのとおりなのだと思います。こんな激動の人生を送った人がいたのか、ということに驚かされました。

一部レビューで、「文明が悪」、「抑圧される側は正義」というイメージがつきすぎ、という評価を見て、確かにどうしても抑圧される側を主人公としているため、そのような部分も否定はできないかとは思いますが、バランスは取れているのではないかと思いました。それなりに支配する側にも度量の広さを見せる人たちも多数書かれており、必ずしも偏った善悪の対立に依らない視点があります。冒頭の子供の親が潔く詫びる部分や、西郷氏など、支配する側にも一定の理屈や、カリスマ性のようなものが描かれていたように思います。

唯一イマイチな点を言うとすれば、若干主語が不明確な文章が多々ある(読み進めればわかるのですが、これは誰のセリフ?となる点がある)ことでしょうか。それでも、概ね歴史を扱っているのに読みやすいですし、次にどうなるのだろう、というストーリーは秀逸だと思います。読んで損はありません。
熱源Amazon書評・レビュー:熱源より
4163910417
No.22:
(4pt)

アイヌ民族は消えたのか?

日露戦争、ロシア革命、ポーランド問題、ソビエトの北方領土侵攻も含め壮大な作品になっている。
人の名前が各国語が混じるので大変だ、表が欲しいね。
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No.21:
(3pt)

不必要な「何より」。

川越宗一『熱源』(文藝春秋社、2019年08月30日発行、2020年01月25日第5刷)

 川越宗一『熱源』は第百六十二回直木賞受賞作。芥川賞の古川真人「背高泡立草」にがっかりしたので、こちらはどうかと読んでみた。新聞などで読んだ「選評」は好意的だったし、少数民族 (マイノリティー) と「ことば」を題材にしていることにも引きつけられた。テーマが「現代的」である。
 しかし読み進むうちに、テーマの「現代性」よりも、いま、「文学」はすべて「村上春樹化」しているのかという印象だけが強くなってくるのだった。読みやすいが、その読みやすさゆえに、なんだかがっかりしてしまう。「現代性」(現実)って、こんなにわかりやすくっていいのか。(現実といっても「舞台」は2020年ではないが。)
 古川真人「背高泡立草」の文体が「昭和の文体」なら、川越は「村上春樹以降の文体」とでも言えばいいのだろうか。

  240ページ、小説のなかほどに、こういう文章がある。唇の周囲に入れ墨を入れた妻(チュフサンマ)に対して、夫のブロニスワフが驚く。妻はアイヌの習慣に従ったのだ。その習慣を夫は好きになれない。しかし、こう思う。
<blockquote>
自分がだれであるかを決定した妻のふるまいは、何よりも美しいと思った。
</blockquote>
 「自分がだれであるかを、自分自身で決定する」というのが、この小説のテーマであり、「自分がだれであるかを決定する」もののひとつが「ことば」である。妻は、「ことば」ではなく「肉体」そのもので「自分がだれであるかを決定した」という点では、同じテーマを支えていることになる。伏線というと少し違うが、「本流」を決定づける「支流」のひとつといえる。
 こういう「わかりやすい支流」がつぎつぎにあらわれて、作品全体を「本流」へむけて動かしていく。小説には複数の登場人物があらわれ、そのひとりひとりの動きが「支流」のように集まってくる。「本流」が見えたとき、では、それは「だれの流れ」なのかということが、実は特定できない。それは自然の川の流れと同じである。どの「支流」が欠けても「本流」の形は変わってしまう。
 そういう点から見ると、文句のつけようがない。「完璧」に構成された作品である。

 それはそれで、よくわかるのだが。私には、とても物足りない。
<blockquote> 
自分がだれであるかを決定した妻のふるまいは、何よりも美しいと思った。
</blockquote>
 ここに書かれている「何よりも」とは「何」? それがわからない。「何」は特定できないと言われればそうなのだろうが、その「ことば」にならない「何」をことばにしないかぎり「文学」とは言えないのではないだろうか。
 その前の部部から引用し直そう。
<blockquote>
「入墨、入れたのか」
「わたしは、アイヌだから」
 チュフサンマの言葉は言い訳ではなく、決意に思えた。
「やっぱり、嫌?」
「いや」と答えた震えているのは、自分でもわかった。
「きれいだ。きみは、美しい」
 正直なところは、好きになれない。嫌悪はまったくないが、慣れない料理のような感覚がある。だが、自分がだれであるかを決定した妻のふるまいは、何よりも美しいと思った。
</blockquote>
 「好きになれない」「慣れない料理のような感覚」であるけれど、それを否定していくだけの「美しさ」がある。「決意」の美しさである。そういう「意味」はわかるが、それはあくまでも「意味」である。「頭」で理解する「美しさ」である。
 ひとが「何よりも」というときは、もっと「生理的」なのものであると、私は思う。「頭」ではなく「肉体」の反応だと思う。その、「肉体」の反応が欠けていると思う。
 「慣れていない料理」ということばがあるが、「慣れていない」けれど、口にした瞬間に吐き出したいと思ったけれど、吐き出せない。舌にひろがり、のどに流れ込んだ何かが意識を裏切るように「料理」をむさぼる。そういう感覚があるとき、それを「おいしい(美しい)」と言うのだと思う。自分の信じていたものが叩き壊され、自分が自分でなくなってしまう。そういうときが「何よりも」というときではないのか。
 別なことばでいうと「敗北感」がない。あ、私は妻に負けてしまったというような敗北感(妻は自分が自分であるということを決定することができるのに、自分はできない。自分にできないことを妻がやってしまったという敗北感)が具体的に書かれないかぎり「何より」という「感覚」は生まれない。そういうものを書かずに「何より」ということばで処理してしまっている。そこが、つまらない。

 たいへんな情報量があり、それがとても巧みに処理されている。それは理解できるが、どこまで読んでも「わくわく」しない。登場人物の「肉体」に出会った感じがしない。ストーリーを読んでいるという気持ちにしかなれない。手応えがない。つまずかない。ことばが「ストーリー」に従事しすぎている。
 私は欲張りな読者なのかもしれないが、この登場人物はどうしてこんなことを考え、こんな行動をするのか、わからない。わからないけれど、あ、それをやってみたいと思うことを読みたい。「わからない」が噴出して来ない文章はおもしろくない。
 こう書くと「何より」がわからないと書いているじゃないかと言われるかもしれないが、川越の書いている「何より」は「存在しない何より」である。つまり、

自分がだれであるかを決定した妻のふるまいは、美しいと思った。

 に過ぎないのに、それをむりやり強調して、価値のあるもののようにみせかけている。いま書き直したように「何より」がなくても「意味」が通じる文章なのだ。言い換えると「何より」は「頭」でつくりだした「強調」であって、具体的な「何か」(言葉にならない何か)ではないということだ。
 これでは文学ではない。巧みな「粗筋(ストーリー)」なのだ。下書きなのだ。この下書きを破壊して噴出する「だれも書かなかった肉体としてのことば(詩)」が暴れ回るとき、それは文学が生まれるのだ。



(補足)
 なぜ「自分がだれであるかを決定した妻のふるまいは、何よりも美しいと思った。」の一行にこだわるか。それは、「自分がだれであるかを決定する」というのが、この作品のテーマであるからだ。「自分のことば」「自分の文化」を自分で選び取る。引き継ぐ。そういう一番大事なことを象徴的に語る部分に「何より」という「強調の慣用句」が無意識につかわれている。この小説が非常に読みやすいのは「文体」が鍛えられているというよりも、「文体」が「慣用句」によって推進力を得ているからである。
 「慣用句」が悪いというわけではないが、文学の「文体」は、読者をつまずかせるものでないといけない。立ち止まり、考える。考えることで登場人物と一体になることが文学の醍醐味なのだ。あるいは逆に、登場人物の「ことば」のスピードにひっぱられて予想外のところまではみだしてしまう。予想外の所へ行ってしまう、という一体感が文学なのだ。つまり、完全な「孤」になる一瞬にこそ、文学がある。
 その完全な「弧」を、しかもテーマに重なる大事な部分の「孤」を、「慣用句」で処理してしまっては「味気ない」としか言えない。
熱源Amazon書評・レビュー:熱源より
4163910417
No.20:
(5pt)

あなたの心の中の熱源は何ですか?

読了後、自分のアイデンティティを再認識する良い機会になりました。私は物語にも出てくる北海道の出身ですが、祖父母の世代は父方、母方共に本州からの移住と聞きました。それより以前の祖先達はどのような家庭環境なのかも知らずに過ごしてきました。
今は海外旅行も盛んで、インターネットやSNSで世界中の情報と容易につながることができます。だからこそ自分や先祖の生い立ちを知り、今、自分がここにいる意義を再認識したいと思いました。
これからの日本は急速な人口減で、良くも悪くも外国から移住してくる沢山の人と一緒に暮らしていく中で、生活環境や文化は交わり変わっていくのでしょう。上の感想とは少し矛盾しますが、自分の子供たちには変わりゆく環境に上手く適応して生き抜いていって欲しいと思ってしまいました。
熱源Amazon書評・レビュー:熱源より
4163910417
No.19:
(2pt)

生活感の違いより全体像が描き難い。

アイヌの人の人生がメインと思われるが、登場人物の名前が独特であり覚えにくく、又、構成が描けなく途中で断念しました。
熱源Amazon書評・レビュー:熱源より
4163910417
No.18:
(3pt)

熱は感じたけれど

サハリンを描くのであれば、もっと過酷な自然があるべきだし、野生の恐ろしさも欲しかった。
人としても尊厳が場面が変わりすぎて伝わりにくい所もある。

熱源はもう少し物足りない。
熱源Amazon書評・レビュー:熱源より
4163910417
No.17:
(5pt)

感動

直木賞受賞。書評を見て、これは読まねば!と即購入。
壮大な物語で感動しました。
日露戦争以前の樺太(サハリン)で暮らすアイヌの子どもは、和人が入植してきて北海道に移り住み、そこでコレラなど伝染病の発生という災難に遭い、大切な一族を失う。失意の中、苦労して樺太に戻れば、そこはもう元の故郷ではない。和人たちは、アイヌを「文明化」しようとする。親友は日本人の父とアイヌの母を持つ混血だが、自分はアイヌだと思っている。彼らは成長し、アイヌの自立のためには、学校を作り、適応せねばならないと奮闘する。
また遠くポーランドでは、ロシアから祖国を奪われた青年が、政治犯としてサハリンに送られ、入植囚の仕事に駆り出される。単調な日々の中、樺太(サハリン)の少数民族・ギリヤークの人々と出会い、その生き方に心を打たれ、生きるエネルギーをもらう。そして刑期を終えた元・入植囚がギリヤーク人の村を奪おうとしたり、境界でトラブルが起こったりしたとき、仲裁に入り、感謝される。またロシア帝国からも、サハリンの少数民族に精通する民俗学者として評価され、刑期を短縮され研究者としての地位を得る。
樺太でなんとか暮らすアイヌたちは、日露戦争で板挟みになる。ロシア人からも、和人からも「道案内」を頼まれる。自分たちが生きてきた故郷は、ロシアの物でも日本の物でもないのに、奪い合いだ。自分たちはどうすれば良い?目の前で戦闘が繰り広げられる…。
一方ポーランドの独立を願う青年は、日露戦争に勝利した日本に、祖国の独立の援助を頼もうと(自分の意思ではないが、独立運動の仲間から乞われ)、日本を訪れる。そこでは大隈重信に会ったり、二葉亭四迷に会ったりして、どこまで史実に基づいているのか、非常に興味深い話も出てくる。
そして「序章」と「終章」に出てくる、ソ連軍の女性兵士の体験が、最後にすべてを結びつける、という構成もすごい。

樺太(サハリン)にはかつて、様々な少数民族が、自然に適応して生きてきた。ロシアと日本がそこを奪いあい、先住少数民族を「野蛮な未開人」と決めつけ、ヨーロッパの文明が崇高であることを前提にその文明を押しつける。明治維新のときの日本は、欧米が持ち込んだ弱肉強食の摂理の中で戦うことを早々に決め、強い国家づくりに着手し、日露戦争に勝利し、その後の戦争につき進んでいくわけだが、世界は弱肉強食であるという摂理そのものと戦うということは可能だったのだろうか?
少数民族であれば、もっと選択肢は少ない。文明に適応し、「立派な日本人になる」ように強いられても、アイヌであり続けることは可能だろうか?
ありのままにまっすぐに、時代の渦の中で生きる様々な立場の人たちを描いている。今まで知ったつもりになっていた歴史がものすごく深まって見えてくる。
話題の本だから、読み終わったらメルカリですぐ売れる〜と思ってハードカバー買っちゃったけど、感動で手放せそうにありません…。
熱源Amazon書評・レビュー:熱源より
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