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日没
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日没の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.64pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全95件 61~80 4/5ページ
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「日没」桐野夏生 背筋が凍るほどに恐ろしい小説だ。 監禁され、自由を奪われる主人公。ここで私は同じ作者の「残虐記」を思い出した。 自由の源泉は、想像力だ。 「残虐記」では主人公の少女は、想像力だけを武器にして監禁の地獄を生き延び、自由を取り戻す。しかし自由になった少女は、成人して作家として成功したのち、増殖した自らの想像力に侵食されて、現実から逃避してしまう。 一方、「日没」の主人公、マッツ夢井はエンタメ作家として、想像力を日々の商売道具として使いこなしている。そしてある日突然、自分の想像力が生み出した作品が権力側から危険視され、自由を奪われ窮地に追い込まれる。 権力と自由、権力と想像力とは、そもそも相容れない。権力とは安定を志向するものであり、規制と秩序とモラルを求めるもの。想像力とは絶えざる変化を志向し、自由に飛翔し、モラルを時に凌駕するものだ。権力を行使する側の人間にとって、想像力は警戒すべきものであり、時に脅威であり、制限、排除しなくてはならないものなのだ。 しかし権力が想像力を抑圧するには危険が伴う。下手したら逆襲されて権力が揺らぐ。 だからこそ権力は狡猾になる。あの手この手で、人間の自由と想像力を絡め取り、縛ろうとする。 自分自身の体験だが、最近、ネットニュースに対してコメントのいくつかが、何の前触れもなく削除されるという経験をした。それらは政権、あるいは疑問を感じる司法判断への、自分なりの批判のコメントだった。誤解、差別、偏見、過激な表現のないよう、それなりに気を付けて書いたつもりだった。 コメントへの反応は概ね共感が多く、中には数万件のイイネがつけられたものもあった。 コメント削除の要件を調べてみると、差別的なコメントや、他者への誹謗中傷を含むようなコメントは削除の対象となる、というような記載があった。自分のコメントはそういう類いのものではなかったはずだ。にもかかわらず、問答無用に削除されたことに、どこかうすら寒い気分になった。誰かから通報、あるいは削除要請でもなされたのだろうか。ネットパトロールの監視網にかかったのかもしれない。気がつかないうちに監視されているような気味の悪さを感じた。 権力と自由、権力と想像力の規制、それだけの単純な図式であれば、まだそこまで怖くはない。 「日没」の恐ろしいところは、成人してから姿をくらませた「残虐記」の少女のように、想像力がさらに深い闇へと主人公を追い込んでゆく点だ。マッツは想像力を駆使し、ブンリンというグロテスクな敵に立ち向かおうとして泥沼に引きずり込まれていく。想像力は疑心暗鬼、妄想の刃となってマッツ自身に返ってくる。作者の追い込みの筆の鬼気迫るところだ。 ブンリンの背後の真の敵、国家権力は最後までその姿を露わにしないまま、ラスト、マッツは文字通り崖っぷちに追い詰められる。だが、そこで呵責無い作者に抗うとするなら、マッツはそこからなんとかして窮地を脱し、そして「日没」を書いたのだ、と思いたい。「日没」が一人称で書かれていることの意味を私はそう勝手に解釈し、せめてそこに救いを見出したいと思うのだ。 | ||||
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左翼政権下の国家(北朝鮮や中国など)ではこれが普通なのではないか?左翼に力をも持たせたらいかんね。 小説としてはそれほどの深みがない。 | ||||
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作家の傲り。ストーリーも結末もない小説で、読者の時間を奪うだけのもの。こんなものを読ませなければ、一般国民は権力の怖さを理解できないと思っているのか。 | ||||
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自分が狂っていないと確信するためには、正常という基準が必要になる。 じゃあ、正常という基準は何かというと誰もが同じことを感じたり思ったりすることじゃないだろうか? 世の中の正常っていうものの正体は、この平均的な線であって、そこから少し離れているのが個性。おそろしく離れているのが狂っているということになる。 この小説の「よくわからない」ところは、後半になるにつれ狂っているような人ばかりがでてくるとこにある。誰が正常で本当のことを言っているのかがわからなくなるのだ。 だからいかようにも読み取れる。まるでこの本の受け取りかた自体がなにかのテストのようでもある。 また、無意味にも思える伏線、(たとえば入江に入ってくるヨットなど)は、読者にその回収を任された伏線とも言える。 読後、そんなことをボーっと考えていたら、今の世の中はまるでこの小説そのものじゃないかと気がついた。 帯に「表現の不自由の近未来を描く、戦慄の警世小説」と書いてあったのでそういう小説だと読み進めていたのだが、この帯に騙されてはこの小説の書かれた意図を読み違えるかもしれない。 多様性という言葉が最近よく使われるが、画一性こそが社会の本質で、画一性がなければ多様性は生まれてこない。 これは文化の普遍的な姿だ。 | ||||
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小説家の主人公が差別的な思想を持つとレッテルを貼られ、断崖に建つ海辺の療養所に軟禁されるお話。 主人公がとてもパワフルで主義主張も曲げないため、結局は落ちるところまで落ちるわけですが、それが主張を曲げなかったためなのか、そもそもそういう運命なのか。主人公の辿り着いた答えもただの妄想なのなもしれず、全てが曖昧です。状況は違いますが、なんだか現在起こっていることともリンクするところもありそうです。そもそも単なる一般人である私達には世の中の真実など一生分からないままでしょうし、誰かによって決めたことをメディアなどによってマインドコントロールされていることもあるのでしょう。同調圧力でお互いを縛りあい、監視しあい、はみ出したものを徹底的に叩く。多かれ少なかれそういうことはあると思います。怖いですよね…。知らないうちに精神病にさせれることも自殺に追い込まれることももしかしたらあるのかもしれませんよね…。 これは、なかなか踏み込んだ問題作だと思いました。 | ||||
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友達の西ピーさんから、勧められてこの本を読んでます。あっという間に読みました。面白かったです。怖い小説、でもエンタメ。最後まで目が離せない。 ありそうな話っすねー。怖いねー。 | ||||
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この本を読みながら、日本という国が怖い方向に向かっていると思った。エンタメ作家マッツ夢井は、総務省文化局・文化文芸倫理向上委員会から、「貴殿に対する読者からの提訴に関する審議」によって、召喚されるのである。場所は千葉県の海に接した療養所だった。 「レイプや暴力、犯罪をあたかも肯定するかのように書いている」という指摘があり、それを矯正する施設だった。 なぜ、拘束されるのか?を問いかけることで、減点になる。それを言葉の暴力だと言って減点する。 そこでは、名前ではなく、B98という番号で呼ばれる。「ご自分の作品の問題点をしっかり見据えて認識し、訓練によって直される」と療養所の所長はいう。「猥褻、不倫、暴力、差別、中傷、体制批判」が許されないという。いわゆる表現した文章によって拘束され思想改造をされるのである。貧しい食事、互いに交流してもいけない、一切の外部との通信も遮断される。カメラなどで徹底して監視される。そこで、反省の作文を書かされるのである。減点5で、5週間収容される。マッツは、早く出たい希望し、マッツは、「母親のカレーライス」という作文を書き始める。それが、所長の多田に評価され、水道の潮の味がする水ではなく、氷の入ったミネラルウォーターやコカコーラゼロを飲ませてもらえる。恭順を示すのであるが、収容された部屋の枕に小さく折りたたんだ遺書を発見する。そこには、収容期間は死ぬまでだという。つまり出られないことを悟る。 その中には、療養所の人間関係などが書かれていた。マッツは、そのことを口走ることで、さらに拘禁される。精神科医がいるが、「文学は狂気」と思っていて、選別して死後脳を分析するという不気味な脳科学者がいる。そして、スタッフの中には、もともと小説家であった人が転向して作業にあたる。小林多喜二の時代ではないはずなのだが、転向を要求される。時代が進んでいるのか、退化しているのか?そんな錯覚が起こる気になる。 それは、いま香港で起きている政府を批判したという罪で、牢獄に収監されることに似ている。日本では、学術会議の会員の推薦を「理由を差し控える」と言って、任命しない事態が起こっている。 安倍政権の時に「特定秘密保護法」「共謀罪」が成立する。ヘイトスピーチ条例などが、地方自治体で施行され始めている。様々な形で、表現の自由が制限されている。政府の重要な文書も自分たちに都合の悪いものは、シュレッダーで廃棄され、文書は改竄される。官僚たちは人事権を官邸に握られ、忖度をする。マスメディアは、首相や官房長官と一緒に食事をして、ありがたがっている。国民の知る権利さえも毀損される。このような閉塞状況が存在している。本の一部の文を切り出して告発する自警団がいるのだ。日本では、コロナに感染したのは、本人が悪いというのは、調査によるとアメリカの10倍だという。果ては、コロナで戦っている医療従事者の子供が、学校でいじめにあうという。どこかが、わさわさしている。 この本の恐怖は、日本の現実に繋がっていることだ。 | ||||
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意味わからん 展開がなさすぎて この結末ならもっと短くできるんじゃね?って思った | ||||
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ハラハラしながら読み進めるのが怖いと思いながらも、一気に読んでしまった。 | ||||
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日没とは、、、日本没落か。 今の日本を生きていて、この小説に近い事象が目立つようになり、これがフィクションではなくなる日が近いのかもしれない…と背筋が寒くなりました。ラストは読者がまじで危機感を持つためと思いたい。 | ||||
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最後が読者の想像によるという余韻を感じました。自死か生かを含んでいます。大変感動しました。 | ||||
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いきなり謎の組織に見知らぬ療養所に軟禁された小説家が、更生を名目に社会に適応した小説を書けと強要される不条理な物語。 療養所の風景描写や人々の薄気味悪さ、主人公の矜持や怒り、食への執着などにかかる感情の起伏等、物語全編に桐野節が炸裂です。 主人公が作家で、テーマが国家権力と表現の自由ようなことから、メッセージ性の強い小説かと勝手に推測しましたが、只々エンタメ小説を楽しみたいと考える向きの方でも合うのでは、と思いました。 | ||||
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めちゃくちゃ面白くて、めちゃくちゃ怖い小説でした。おすすめです。 | ||||
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特に無し | ||||
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一人称視点で心象描写が主体のシチュエーションスリラー。社会派、ではないなぁ。設定した状況で主人公がどのような感情を持つのか、それを生み出す桐野氏のイマジネーションが存分に楽しめる。とにかく先が気になってどんどん読み進められ、なおかつ欧米ミステリと違う日本的な湿度感や情緒が過剰なほどに味わえます。でもやっぱり良くも悪くもペイパーバック的な軽さは感じました。 というのも、主人公以外の登場人物のキャラクター付けがシンプルで、主人公が「人間はそんなに単純じゃない」と言うのに、脇役は意外と単純な役回りを演じていて、Aだと思わせて実はB、という二者択一的な落とし所に落ち着いてしまうのが拍子抜け。まあ本作の主題が主観描写なので、複数の人物のアンサンブルは切り捨てたのでしょう。 序盤で思ったのは飼い猫の描写。心痛を語らずドライに処理していて、桐野さんもペットを失った経験をお持ちなのかな、と思いました。 中盤以降、めまぐるしく変わる主人公の心理を具体的に説得するための食事の描写、飢えの感情が繰り返し現れ、食事って大事なんだな、と改めて思わせてくれました。 終盤はちょっと伏線処理にも思える箇所(あの人は実は的な)が気になりますが、ラストシーンは、著者が書きながら作っていった感を強く持ちました。だからか、最後の最後、主人公と言葉を交わすある人物の真意がちょっと読み取りづらいところがありました。読者の想像に任せるといえば聞こえはいいですが、主人公がようやく気づいたとされる事実(投身すると肉体が云々で脳味噌がどうこう)は、もっとずっと前に気づいてませんでしたっけ? 個人的には、主人公と手鏡で会話を交わすあの人物が実は、という設定はちょっと白けました。総じて、序盤から積み上げた人間関係をあっさり放棄するような結末部のサプライズ、そこに不満が残るところです。 | ||||
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平凡な生活に送られてきた不審な呼び出しの封書。ここから戦慄の物語は始まる。 ラストには、わずかな光明と自由への手助けが見えたが…。 この小説には、最後まで(というか最後に)「救い」はなかった。 第一章で、主人公が案じる「帰ってこない猫」はまさに主人公自身であった。 背筋が凍る、とはこの小説のこと。一気に読み終えたが、恐怖は静かに深くやってきた。 | ||||
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この本は単に恐怖政治下の強制収容所を描いた近未来小説ではなく、今を生きる実感にとても近い内容だと思います。 『日没』は何より現在の日本の言論統制の恐怖を感じさせました。 芸術は善悪の彼岸に人間存在の深淵を垣間見せるもので、もともと正義を振りかざす政府にとって反体制的な存在なのだと思います。 強権的であればあるほど、体制はそれを飼い慣らし無害化しようと画策します。 芸術に限らず、広く表現や言論に対してもそうでしょう。 今が怖いのは、わかりやすい直接的な暴力ではなく、あの手この手を使って蝕んでくることですが、主要な方法は経済的圧迫と人事の選別です。 愛知トリエンナーレ表現の不自由展への補助金不公布問題は、安倍政権の意向に沿わない表現は認めないと宣言したようなものでした。 学術会議から政策に異を唱えた学者を排除した菅政権も同様です。 報道されない同じようなことはおびただしい数あるはずです。報道機関に対する脅迫めいたことはNHKに対するばかりではありません。出版社も締め付けられているでしょう。 こうしたことを通して、政権は巧みに世論や人心を操作し誘導します。敵は彼らではなく、反政府=反日だと。そうやって不毛な論戦にもちこみ心を疲弊させ潰していきます。 もう普通に呼吸するだけで、毒が身体に浸透していくようです。 今日本で暮らすとはそういうことなのではないでしょうか。 近所の生き残っている老舗の本屋に行くと、メインに並んでいるのは、自己啓発本、ハウツー本、そして嫌韓嫌中反朝日、歴史修正主義の本です。 『日没』の収容所は隔離施設ではなく、日本全体のことなのです。桐野夏生さんも恐らくそう感じて書いていらっしゃると思います。 主人公同様に私たちも脱出して逃げていくところがないのです。恐ろしいでしょう? 戦争経験者の祖父が、子ども心に「ファシズムへと空気が変わった」と思ったのは、村の小さな掲示板に爆弾三勇士礼賛の告知が出た時だそうです。 サインはもういたるところに溢れています。 今死にものぐるいに抵抗しないと、主人公や他の収容者と同じ運命が、私やあなたを待っているかもしれません。 | ||||
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近未来の日本社会がこうなるかもしれないと思わせるし、世界中には今現に似たようなことが起きている国があるだろうと思わせるお話。 味方になってくれそうな者を信じて良いのか、手に入れた情報が偽ではないか、と疑わざるを得ない状況は、囚われ人をより追いつめる。 これ以上の感想は他のレビューアーさんにおまかせしますが、本書が岩波書店の雑誌に連載され、岩波から出版されたのも何か意味あるのかな。文芸書で定評のある(あった)S社もB社も、この小説中の出版社や編集者のように作家に圧力をかけるから? それにしても、アマゾンの書名検索で「日没」と入れてもヒットせず、桐野さんの著作からも外されている。これってどこかからの圧力、と思いたくないけど(次に試してみたときには正常になっていると期待します)。 | ||||
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びっくりするほどつまらない。 状況・情景・心情の描写が長々続く。これらが好きな人には良いのだろうが、飽き飽きだ。 肝心な、ストーリーの展開が遅いというか、ほとんど無い。これではわくわく感は皆無。 | ||||
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本の表紙と帯が破損していて、新書の販売とは言えないものでした。新書を買ったつもりでしたが、 中古品ですか?梱包又は、運送が悪いのですか?本当に残念です。 | ||||
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