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日没
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日没の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.64pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全95件 21~40 2/5ページ
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昭和17年、ボート選手だった田中英光がその師太宰治に送った作品の中の(ボオト選手は、船が沈んでもオオルを放さぬ。)という一節を読んで、太宰治は(一寸、涙ぐみました。)と返信した。田中英光はそれを(作家は、国が亡びるまで、ペンを放さない。)という風に受け取った。 桐野夏生のこの作品にも、これに似た覚悟を感じざるを得ない。 | ||||
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hontoから移植。 いちおう「リアリズム風」に進んでいくんですが、エンディングは「セカイ系(なんでヤツラは、さほど重要そうでもない一作家(のみ)を、手の込んだやりかたで「〇〇と思わせて●●」させなければならないのか?その答えは「この小説セカイの主人公だから」以外にない)」になってます。 が、ここはリアリズムではなく、アレゴリー(寓話)として読むべきかと。そうするととても怖い読み筋になります。「〇〇と思わせて●●」が、この現実セカイでの、ヤツラ(誰なんでしょう?)のやり口だ、と。 | ||||
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きっと桐野さんだから、どこかで「陥穽」があるはずだ、読者の頭を「どんでん返し」してしまう「罠」が仕掛けてあるはずだ、そんな気分で彼女の小説を読むのが常でしたが、落ちたら二度と這い上がってこられないような、さんな「陥穽」が、やはり仕掛けられていましたね「日没」には。 | ||||
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マッツ夢井に襲いかかる、果てしない理不尽。どうあがいても結末が決まっていたのだと思い知らされる絶望。読み進めていくほどに引き込まれ、そして絶望感が深まる。一気に読み進めたいけれど、怖い…というゾクゾクする感覚が常にあり、とても楽しませてもらいました。忘れられないラストも。名作であり、オススメです。 | ||||
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1.内容 主人公の松重カンナ、筆名マッツ夢井は、ある日突然、「総務省文化局・文化文藝倫理向上委員会」(p.10)から召喚され、茨城県にある(p.132)「七福神浜療養所」に連れていかれる。そこで、「『マッツ夢井はレイプや暴力、犯罪をあたかも肯定するかのように書いている』」(p.61)とされ、療養所での生活を強制されえる。紆余曲折の末、転向した作家の助けを借りて、療養所から脱出しようとするが…・ 2.評価 (1)まず、表現行為がどういうものかがわかる本である。反社会的な表現があるからと言って、直ちに否定すべきでも、国家権力が介入すべきでもない。筆者の手元に、『最新差別語不快語』(小林健司・著、にんげん出版、2016)があるが、その本にも「使ってはいけない『差別語』なるものは存在しない」(『最新差別語不快語』p.4)とあり、マッツ夢井と同じ見解だと筆者が勝手に合点した。 (2)本書は右も左もヒリヒリするであろう本である。単に行政が介入するのがいけないという展開ではなく、ヘイトスピーチ法ですら問題になり得るように読めた。途中までは星1つ減らそうと思っていたが、「『差別が目的のヘイトスピーチと混同するなって』」(p.295。マッツ夢井)の部分から星を減らさず、星5つとする。 | ||||
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新品で購入したのですが、表紙を開けたら目次から数ページ折り曲げて読んだような折り目がついていて、真ん中あたりも開いた跡があります。 新品を買ったのに中古みたいなのが届くのは残念です。 | ||||
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「正しいこと」を強制される世の中で、「反社会的な小説」を書いた女性作家のマッツ夢井が、隔離され「治療」される。権力が言論統制する「一九八四」の現代版とでもいうような絶望小説。 テーマがまさに今の日本。周囲に激しく勧められて読んだが、私は好きではない。この、ギリギリと読む人を精神的に追い詰めるのはまさに桐野夏生さんなのだが…。だけど、桐野夏生は違うんだ!!と反駁したい。 私は、この作品は桐野夏生のエッセーだと思って読んだ。桐野さんが、こんなにも激しく今の社会や政治権力に抗議するとは意外であったが。「ありとあらゆる人の苦しみを描くのが小説だから綺麗事だけじゃない」。マッツのセリフを読んで、桐野さんもこんなこと考えながら書いてるのかと夢想した。 たとえば以下のようなやりとりはいままさにSNSに溢れる言説に自ら反論を試みているようだ。読者に教え諭そうとしているようにさえ見える。このやりとりを読むだけで、表現に対する真摯な姿勢に涙が出そうになる。ただし、小説としては私は好きではない(2回も書いてしまった。桐野さんは大好きな作家です)。 Q「何を言ってる。自由には制限があるんだ。何でもいいなんてことはない。それが社会の常識じゃないか」 Aマッツ)「つまらん理屈を言うな。作品は自由だよ。人間の心の中は自由だからだ。何を表現してもいいはずだ。国家権力がそれを禁じてはいけない。それをやったら検閲だ。ファシズムだ」 Q「じゃ、ヘイトスピーチはどうなんだ。作品だって差別や異常な性癖は書いちゃいけないんだよ」 A「前に言ったじゃないの。ヘイトは作品ではない。私が言ってるのは、作家が責任を持って表す作品のことだよ。虚構のことだよ。虚構はいろんな人間を描く。その中には差別的な人間もいれば、そうでない人間もいる。だってそれが人間社会じゃない。ありとあらゆる人の苦しみを描くのが小説なんだから、綺麗事だけじゃないよ。差別が目的のヘイトスピーチと混同するなって」 Q「何をノーベル賞作家みたいなことを言う。あんたはただのエンタメ作家じゃないなか。人が読んで面白がるコンテンツを作るヤツらを、エンタメ作家と言うんだよ」 A「だから、それは差別だと言ってるんだよ。ノーベル賞作家だけが自由だなんて、ただの権威主義だ。私たちをポピュリズムの道具に貶める気か。分断するな」 Q「あなたの考える『良い小説』の定義は?」 A「自分に正直な小説です」 Q「つまり読み手の側に立っていないと言うことですね」 A「ある意味そうです。私たちは自分の書きたいことしか書いていません。それが読み手に合うか合わないか、心を打つか打たないか、など関係ありません。まずは自分が描くことに心を打たれないと」 | ||||
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怖い、怖い小説。オーウェルの1984年より、さらに怖い! | ||||
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昨今の阿呆馬鹿クレーマーや右翼、国家主義者などによる筆禍事件を危惧して書かれた憂国?小説であろう。 が、そもそも小説家である主人公が、「総務省文化局・文化文芸倫理向上委員会」の呼び出しに応じて、呼び出し日にJR線C駅改札口に「出頭」するという出だしが、小説としてあり得ないよね。 いうたらなんやけど、耳くそほどのリアリテイもありゃしない。 従って普通の人なら後は読まないだろうが、それでも悲惨な結末まで書き続けた作家は、それなりの根性があるとはだけは言えるだろう。 | ||||
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ある日突然、主人公で有る作家の下に総務省文化局からの「召喚状」が届く。実はその数か月前にも同じ組織から「願い書」が届いていたが、相談した先輩作家の言う通りにその「願い書」は破り捨てていたので、より厳しい「召喚状」が届いたのだ。 仕方が無く主人公はその「召喚状」の指示する場所へ宿泊する為の荷物を持って出頭する。案内された施設での職員の対応、滞在中の規則、召喚された理由などから主人公は反感を覚え、そこから脱出する為の方法を考え、実行していく。 本書は2016年に雑誌に掲載されたのが初出だから、その当時の時代の物語として読んで問題は無いだろう。主人公は普通にスマホを使い、AKB48の名前も出てくる。 つまり、読者が過ごした2016年前後の世界観そのままで物語は進められており、序章などで国家が思想的に問題の有る作家や知識人に対して “思想改革” する様な異常な事態が起こっている世界観は一切示されていない。 実際、主人公は最初の「願い書」は破り捨てているし、「召喚状」が届いてからネットで調べたり、編集者や実弟に相談もしている。 ところが主人公はネットで検索をかけても出てこない組織であるにも関わらず、素直に「召喚状」に従って出頭している。これが全く理解できない。詐欺では無いのか?とか、いたずらでは無いのか?と考えるのが普通だろう。作家なら平日に行動出来るので直接総務省に確認に行くとか、弁護士に相談するのが普通では無いだろうか。やる気の無い編集者と実弟に相談しただけで出頭に応じてしまう行動が全く受け付けないまま読み進め、それが最後まで残ってしまった。 また主人公が収容された施設では、常時20名ほどの作家が収容され、“思想改革” をされようとしている。ある程度本を刊行出来る作家がこれだけ世間から失踪して居たら、それこそネット上で大問題になっていたのではないだろうか。実弟から最近作家の自殺が多いと言う話しを聞いていたと言う伏線は有るが、これも実弟に聞くよりも先に作家である主人公が知っていておかしくない話し。 主人公の性格も理解出来ない。施設で生き延びる(施設から脱出する)術として従順になったかと思えば、すぐに逆上して減点対象となり、最後は拘束されてしまう。 だから、自分はひょっとして総務省からの召喚状と言うのは主人公の夢物語の中の世界観で、実はうつ病とか精神病に罹患していて、施設も実は隔離病棟なのかな?とも思った。本作の最初と最後の方に、同じ作家の人物に関する文章が出てくるが、この作家が鬱病を患っていると書かれている。これも伏線かなと思ったがそうでは無かった。 この物語のオチもいただけない。そのオチになる心理状況、心理描写が全く書かれていない。結果、主人公が生きる世界の世界観が示されず、脱出を試みる主人公が選択した結末までの流れが、三流小説や漫画である夢オチっぽい雰囲気のまま(本作は当然夢オチでは無い)終わってしまったのが残念だった。 もし桐野夏生が言論統制への警鐘を目的として本書を著したのなら、この結末は逆効果だ。真逆の結末こそが、言論統制への勝利となるはず。 また文章内容とは関係無いが、主人公の名前も違和感がずっと続いた。三流ライターでは良くあるタイプの名前だが、何故この様な硬い内容の小説に、この様なふざけた名前を与えたのか理解出来ない。 従って、読後の感想としては星一つ程度。しかし流石は桐野夏生。文章を読み進めさせる筆力は凄い。特に施設を脱出しようとする為の主人公の心理描写は巧みで、「もし、自分だったら同じ行動を取るな」など、感情移入もし易かった。 | ||||
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これは、フィクションではない。今まさに日本の入管庁が人に対して行っていることだ。 | ||||
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さすがのリーダビリティで、監禁された主人公と、 名古屋入管で亡くなったウィシュマさんを重ね合わせながら、 助かってほしいと祈るような思いで読み進めました。 しかし、ラスト1ページに愕然…。 「小説家」という設定なのだから、言葉の力で闘ってほしかったです。 | ||||
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ペンクラブ会長就任祝いで読んでみました。 ネットにも出てこないような怪しい団体の呼び出しに応じて、お泊まりの用意までしてのこのこ出かけていくマッツさんに、 「危ないよ、罠だよ、なにかあるに決まってる!」とドキドキが止まりませんでした。ヒロインのわきが甘すぎ。お迎えにきたどこのだれともわからない人の車に、行き先もわからないのに、普通1人で乗りますでしょうか。 ついた先は、それほど趣向を凝らした罠ではなかったのですが、ヒロインが怒ると止まらなくなるタイプ。ここでそれを言っちゃあかん! そこで怒るのか! の連続で ドキドキが止まりませんでした。 「人間の想像力の限りを尽くした創作の素晴らしさ」は作者にとっては自明のことだったため、そこの描写が薄く、説得力がなくなってしまったのではないかと想像してみました。作者の類まれなる筆の力でそこをぐいぐい読ませてほしかった題材です。 ラスト数ページのどんでんは、ショートホラーの趣があり、好きですが、いかんせん、そこまでが長すぎたので、受け止めきれてない気がいたします。放り出された感あり。 | ||||
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一気に読みました。 そういう意味ではとても面白かったです。 だけど、桐野先生はいったいどういう意図でこの作品を書かれたんでしょう。 「言論の自由」は大切です。それこそ、国家の威信なんかより大切だと私も思います。 でも一方で人権も大切です。「ヘイトスピーチ」をとりしまる法律は、人権を守るために必要だと思うからこそ、いろいろな人たちが支援してるんだと思います。 桐野先生もそのへんは混同してるわけじゃないのは、じっくり読めばわかるんですが。 でもこのラストだと、多くの読者はどう思うんだろう?? ヘイトスピーチのとりしまりも「言論の自由のとりしまり」になる、と、思う人はいないだろうか? そのへんが不安でした。そういう意味で「無責任」だな、と思いました。 桐野先生の他の作品は大変面白いと思っているので、ちょっとがっかりしました。 なんだか、意表をつくことだけが目的のように思えて。 もう桐野作品は読まないかもしれません。 それだけ強烈なインパクトがあるという意味では、すごい作品かと思います。なので迷ったすえ、☆は3つです。 | ||||
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桐野はもっと「できる」作家だと思っていたが、凡庸。 使い古されたテーマ。お粗末なオチ。これなら短編で十分だろう。 描かれるのは、特高やナチスやKGBが普通にやっていたこと。 とはいえ、だからこそこの本は「怖い」のかもしれない。現代日本の状況を考えると、全くのフィクションと言い切れない世界が近づいているかもしれないから。 | ||||
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怖くて怖くて、一気読み。 何が怖いって。。自分の普段の生活の地続きに、こんな恐ろしい事が ぽっかり穴をあけて待ち受けているかもしれないというリアル。 ある日突然、国から召喚状が届く。何やら、自分の書いた本へクレームをつけられ 『療養』を受けなければならないと。「はあ?」エッチな小説を書いているから って、風俗を乱す小説執筆は、やめなければ「療養」を促される? 「そんな馬鹿な?」と思っている内に、出られない事に気づき愕然。 しかも、それは、れっきとした国の機関が運営する療養所。 この療養所の描き方が、秀逸。海に近いせいか、コップに入った水は かすかに塩味のするぬるい水。刑務所もかくや。。と思わされる味気無い食事。 自分が今そこにいる気にさせられて、ページを繰る指が止まらなくなります。 不穏な空気、焦燥感、隔絶される療養所。主人公のマッツ夢井の行く末は? 国家の思惑にこんな風にかすめ取られるのでは。。と心底怖くなりました。 ある意味、時代を映す鏡と思える小説。読了後、タイトル「日没」がズシリと来ます。 | ||||
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衝撃も何もない古典的な筋書きでしたし、薄っぺらな登場人間しか出てこない割に、最後まで読ませる力はさすがに手慣れたモノだなと思います。ただ、今さらオーウェルやらブラッドベリを焼き直しされてもなーとしか。もう少し物書きとしての剛腕を別の方面にいかした方が良いと思います。 | ||||
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読んだあと、「この感想で合っているかどうか」が不安になりました。 感じなければいけないことが、他にあるのではないか。 自分の読解力では、桐野さんの作品に近づけていないのではないかと。 | ||||
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ハッピーエンドで終わると見せかけて、、 ここにたどり着くまでの伏線など含め、一気に読むことができる一冊でした。 拷問と集団心理、それに抵抗する主人公の葛藤、重いが先の気になるストーリー構成がとてもよくできていると感じました。 | ||||
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「最近、作家の自殺がやけに多い」 ヘイトスピーチ禁止法と政権批判禁止法が同時成立して1年半経った日本。作家の主人公に「総務省文化局・文化文芸倫理向上委員会」(ブンリン)から「宿泊研修」の呼出しが。連れて行かれたのは、「療養所」と名が付く強制収容所でした。 「ヘイトスピーチが駄目なら政権批判も反社会的でしょ」「政府に隷従した小説を書くのが社会的」と主人公に迫る慇懃無礼な体育会系国家公務員の療養所所長。「原点2!」(原点1に付き、一週間刑期延長)と暴力を振るう、トライアスロン好きの幹部職員。。アウシュビッツのヨーゼフ・メンゲレのように収容者に絶対的権力を振るう療養所付き精神科医。転向して隷従している元作家の職員たち。味方なのか、体制側なのか?収容者に仕掛けられている様々な罠。 デジタル監視法やスーパーシティ法が可決され、全体主義デジタル監視社会へ突き進む現実の日本。惹き込まれて一気に読んでしまいました。 | ||||
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