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有限と微小のパン
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有限と微小のパンの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.91pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全45件 21~40 2/3ページ
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日本最大のソフトメーカーが経営するテーマパークを訪れた理系三人組。パークでは過去に事件が生じており、新たな謎と共に事件は起きる。 本質へと近づいているのは錯覚であり、実際は本質から遠のいているのかもしれません。 「通常、不可解な行為にも、必ず何らかの意味がある、という前提で推理が行われる。君の仮説にしても、ガラスが割られた理由、腕が残されていた理由に、意味を見つけようとしている。それが間違いかもしれない。そもそも、意味はない。意味がないことを目的に、行われた行為なんだ、と考える。そうしてみれば、不思議なことは何一つない」 | ||||
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今では専門家以外の人には、ほとんど死語になってしまったバーチャルリアリティーがテーマみたいです。 本作の刊行が1998年で、テレビゲームで有名になったのが94年ですから、森先生はこの概念に執着があるようです。そのためか、ミステリーとうのは体裁でバーチャルリアリティーという概念を語るために本が厚くなっています。もちろんトリックにも関係します。印象に残ったのは、SF小説のサイバースペースなど夢のまた夢の、VR装置の物理的・技術的制約と、その解決策としての、どっきりカメラみたいな拍子抜けする施設。機械を便利にするより、生身の人間をこきつかった方が安上がりということで、今日日の不景気では恐ろしい思想です。 | ||||
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まず感じることは架空の天才を造型することは難しいのだということ. 「すべてがFになる」で表現しきれていなかった間賀田四季の人物像が シリーズ最後となる本作でどのように描かれるのかに興味があったが, 結論としては尻切れトンボな印象だ. 天才とは単に計算が速いとか,一切の無駄を受け入れない合理的な考え方をする人間ではあるまい. 凡人には思いもよらないような発想とか着眼点で表現されていなければ説得力がない. 間賀田四季と犀川も,会話の中にはそれなりに卓越した思考を表現しようという意図は感じられるのだが, 天才であることが物語の必要な要素になっていないのが致命的だ. たとえば,東野圭吾氏の「虹を操る少年」では天才の天才らしい部分が 事件やストーリーの重要な要素になっている. 言ってみればストーリー上の必然から天才を造形しているわけだが, S&Mシリーズでは四季も犀川も萌絵も天才(または天才近似値者)という設定は キャラクターの肉付けの1つに過ぎない. 本作品でも四季が天才でなくてもストーリー上はなんら問題ない. 会話の中でしか天才性が表現できていないために, なんだか知性をひけらかしているだけのように見えてしまう. 肝心のストーリーと事件については・・・それなりに面白い真相ではあるが, 別段オリジナリティがあるわけでもないし, 犀川が真相を語りだす流れがあまりにも唐突で説得力がない. 個人的には最初の70ページと最後の30ページ以外はあまり読む価値がないと思った. | ||||
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萌絵の幼なじみ塙理生哉が社長を務めるナノクラフトの招待で、テーマパークを訪れた三人。空港で偶然再会した島田文子から、目的地で死体が消失するという不可思議な事件が起きていたことを聞かされる。そして実際に萌絵たちは死体が腕だけを残して消えてしまう現場を目撃する。犀川や萌絵を観客と見立てたように次々と起きる事件。その背後に見えるあの天才の影。いったい誰が何のために事件を引き起こしているのか? シリーズを通して1話完結の形式を取りながら、作品構成としても、作中人物達にしても、それぞれに関連性を持ちながら全体として1つの作品群を作り上げたと言える。これをなしえた理由の一つとして、シリーズを一貫する思想の存在が挙げられるだろう。 すなわち、謎の全てに常に解答が用意されているわけではない、と言うこと。そして、読者は事件の直接的な観測者にはなりえないと言うこと。だからこそ、どこまでが事実でどこからが作中人物の意見なのかを見極め、解くべき課題設定を行い、事実に基づく仮定を組み立て、事実との突合せをする必要が出てくるのだ。 | ||||
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少々、長すぎたのでは、とも思うが、 シリーズの完結編と考えるなら、この長さもやむを得ない。 推理小説としては、はっきり言って破綻しているし、 犯人の動機の弱さも相変わらずで、残念な面は多々ある。 しかし、天才・真賀田四季をはじめ、主人公である犀川や萌絵の成長、 そして森博嗣の価値観が如実に表現されており、 感銘を受ける言葉がいくつもあったのは事実。 『すべてがFになる』と対になる作品であり、 ラストの鮮やかな幕引きは、著者の作品の中では秀逸。 個人的には星5つでは足りない、著者の代表作であると思われる。 タイトルもいいしね。 | ||||
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評価は人それぞれだが、トリックと真犯人がわかったときの驚愕や興奮についてはシリーズで 1,2を争うと感じた。 他のレビューにもあるとおり真賀田四季の存在感が全体を引っ張っていき、まるで主人公のような 扱い(それでいて萌絵も犀川も十分活躍してるのだが)。 また、他にもRPGに描かれたメッセージの謎や、萌絵の泊まった部屋にあったメッセージの謎、教会 のエレベーターの消失トリックなど、細かい謎解きが多く飽きさせない。 最後の最後であっと驚くオチがついている。 また、萌絵のラブラブアタックも健在で萌絵ファンにとっては微笑ましい場面も多い。 | ||||
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犀川&萌絵シリーズ長編最終巻『すべてがFになる』に偶然出会った事から始まったわけですが、※『すべてがFになる』『冷たい密室と博士たち』『笑わない数学者』『詩的私的ジャック』『封印再度』『幻惑の死と使途』『夏のレプリカ』『今はもうない』『数奇にして模型』※『有限と微小のパン』※以外の八作品、作中での三年という経過した時間軸はすべて最初から『有限と微小のパン』の為に用意されたエッセンスの様にさえ感じました。『すべてがFになる』で鮮烈に記憶に焼き付いた森博嗣の世界が、澱みなく『有限と微小のパン』に回帰しています。文章を構築する単語、羅列すべてが筆者個人からの信号のように読み手に世界を打ち付けてきます。けれどこれは『F』から『有限と微小のパン』へ直接飛んだのでは完結はしないのです。用意された全ての時間を味わってのちに『有限と微小のパン』が全力で読書を楽しませて、このゲームで遊ぼうと言ってきます。『F』読後、真賀田四季は《必ずまた現れる》予感を与えて去りました。私は犀川&萌絵シリーズを読み進めながらずっと真賀田四季との再会を夢見ていたんです。だからこそ犀川の意識に真賀田四季が現れた時にどれほど興奮した事か!!真賀田四季が観客に択んだ犀川だからこそ、こんなにも面白い。逆説的に、真賀田四季によって現れる犀川の奥にいる人格にも強く惹かれるんです。森博嗣氏の到達点と転換地点と評された『有限と微小のパン』素晴らしい作品です。私の持っている言葉では表現に足りない。でも、これはたった一つの綺麗な恋の話だったと思う。恋の定義かは不定だけれど、真賀田四季を俯瞰する事は不可能だから。 | ||||
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真賀田四季と言う「天才」が、この868ページもの超大作を引っ張って いるのは言うまでもありませんが、それでもこの完成度には驚愕です。 やはり完全に四季に私は洗脳されていますね。(笑) 兎に角、「F」と並んでシリーズ最高傑作であることは間違いありま せん。やはり真賀田四季が裏にいる…という辺りがファンとしては嬉 しい限りです。個人的には映画「羊たちの沈黙」のハンニバル・レク ターと真賀田四季をダブらせているところがあるのですが… 実際、このシリーズで真賀田四季が出るのは「F」と「有限」だけと 言っても過言ではないのですが、それでもシリーズを通すと最後には 彼女しか残らないのですから…すごい存在感です。 とりあえずこのシリーズはこれで終わりですが、これからの森博嗣先 生(真賀田四季)の活躍に期待しています!!それにしても、このラ ストは「F」と同様素晴らしい♪「THE PERFECT OUTSIDER」というタ イトル通りですね。是非。 ps.シリーズを通して読んで頂いた方がより楽しめますよ。 | ||||
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現在、ネットで距離を隔てて、情報がノータイムで共有できる世の中で「外と内の境界条件」とはなんだろうか。 「外」と断言出来る場所はあるだろうか? それは個人の認識の問題だと思う。 物理的に建造物の外側にいても、外と繋がっていない場合それは、本当に外だろうか? 建物の中にいても、ネットで繋がっていたら、電子のやり取りをして、外界と関係性が生まれてくる。 人間の中に完璧な客観は存在しない。 しかし、芸術や矛盾を美しいとする、ロジックではない『感覚』を認め、 『よくわからない』と、文章化してくれることに作者の正直さと生きる希望を感じました。 | ||||
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シリーズ通して見れば、最終作としてなかなか良い終わり方だと思います。森氏の作品は初期作を除けば謎解きよりも氏独特の哲学・文体・世界観が魅力だと思いますし。(この傾向はSMシリーズ終了後一気に顕著になっていき「女王の百年密室」「スカイ・クロラ」と言った傑作群につながっていきます) ただ…やっぱり「ミステリ」としても充実したものを期待してしまうんですよね。本作のトリックは完全に拍子抜けさせられるタイプのもので、作者がもっと凄いものを書くだけの力量を持ってると感じるだけに、余計残念です。並みの作家なら「ああ、こんなもんか」で納得できるんですけど… しかし先生と萌絵の関係は進展しませんよね(笑)結局「封印再度」でちょっとあったくらいか…じれったいわ!もう。以後の二人の登場する作品は未読ですが、進展はあったのでしょうか?凡人な僕の目から見れば十分天才で雲の上の人のようなこの2人、恋愛ざたとなるとすっかり子供みたいになるのは微笑ましかったです。もしかするとこれがこのシリーズ最大の魅力かもしれません(笑) そうやって振り返ってみると「自分はキャラ重視のミステリはあまり好きではない」と思っていたのですが、内容が充実していれば気にならないものだなと認識させられたシリーズでもありましたね。 | ||||
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僕にとってはファンタジー。あえて四季に対しての批判。『真賀田四季』は『四季』という別枠で語られるほど作者にとって、また読者にとっても大きな存在である。確かに設定が細かく心理描写も多くかつ『天才』という圧倒的な存在感をこれでもかと見せ付けるので周りが引き付けられるのも無理ないが、今改めて見ると、やはりそこには作者の限界を感じて仕方がない。森博嗣がいくら愛情を注いだところで、森博嗣が現に天才でないのならやはり四季も天才ではないと感じると急にこの『天才』という描写が安っぽく見えて心が萎える。次元が違うが、コミックの金田一の指す『天才』と結果的に同じものだと思う。『天才』は本物じゃない限りそれは一般人に理解されてしまい四季もキモオタが好きそうな圧倒的な何かをもつキャラクター程度なんだなと感じてしまう。天才の雰囲気を醸し出すのは構わないが、いかにもそれっぽく設定すると言い方が酷いが幼稚に見える。 | ||||
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S&Mシリーズもようやく最終章に辿り着きました。Web検索して色々な人の感想を読んでみたのですが、本作をシリーズの最高傑作に捉える人が結構いる一方で、否定的な見解の人も多いという、評価の分かれる作品のようです。どちらの側の気持ちもよくわかります。シリーズものの魅力というものを重視する人には本作は面白く、単独の推理小説として読む人にはつまらないという具合に総括できるのではないでしょうか。私としては、過去9作の様々な伏線がつながっている等のシリーズとしての魅力は確かに認めるものの、そうした魅力が光るのはあくまでも単独の推理小説としての完成度が基本にあってこそだと思います。従って、私にとっては本書はイマイチなものとなりました。 犀川と同様、作者自身が真賀田四季に対して恋愛感情に近いような気持ちを抱いているように思えるのですが、その為に筆が鈍っている感は否めません。本作での彼女の行動は冷静に考えれば結構間が抜けている面があり、とても「天才」とは思えないのです。前作『数奇にして模型』が良かっただけに、ちょっと残念な最終作となってしまった気がします。とは言え、シリーズを全部読み切ったという達成感はあるので、多分私は『四季』も読んじゃうだろうと思います。 | ||||
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いつもながら登場人物の会話や、哲学チックな命題に対する検討(?)は読みごたえがあります。 トリックは「こんなのありなんか」って感じです。皆さんが「まぁ、無いだろうな。」という感じで除外するだろう可能性が、よりえげつない方法でトリックに使われています。 博士はまさにパーフェクト・アウトサイダーでしたね。とても楽しめました。 最後の方で、萌絵のおいてけぼり感が否めなかったのが残念なのと、話し長すぎて(もっとコンパクトにもできたんじゃ?)集中して読むのが辛かったので、星3つです。 | ||||
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何となく、普通にアリバイ崩すとか、密室を作るとかより、こうゆうめちゃくちゃなミステリのほうが読んでて楽しい。 とにかく、シリーズの締めくくりとしては満足いくできだったと思う。 | ||||
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1998年リリース。S&Mシリーズの第10作。最終作と表現しないのは『四季』(僕は限定版の愛蔵版を手に入れることができたシアワセものである(●^o^●))で再登場するからだ。S&Mシリーズを読了して、特に本作を読了して思うことは2つ。1つは『真賀田四季』というキャラクターを森氏は最も愛し、大切にしているのだな、ということ(これは『四季』を読んでも分かる(●^o^●))。そしてもう1つはその最愛のキャラクターに語らせる『生と死』について、そして重ね合うように表される『バーチャルと現実』についての森理論である。生きているということを考える四季・犀川・萌絵。パンはそれを象徴するアイテムだ。時に僕もプログラムを書いていて思う。僕が死んでも僕が作ったプログラムは生き続けるだろう、と。時にコードはばらされスクリプトのインクルード文で引かれるが故に見えなくなってもスクリプトに自らの名をCopyrightとともに残したコードは未来永劫ネットワークのどこかで生き続けるだろう、と。巻末の解説は島田荘司である。御大の登場も当然と思える他に無いモノを森氏は建築した。そしてその建築物は実に詩的なコトバで語られた。島田氏の『森博嗣の文章は絶えず独立した一行になりたがっている』という評は実に森作品を的確に言い表している。それはまさにプログラム・コードである。コードで書かれたこの傑作は未来永劫ネットワークのどこかで生き続けるだろう。本作は特に最後がスゴイ(●^o^●)。 | ||||
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四季博士が復活するということで、期待して読み始めたのですが結果は うーん・・・。シリーズ中で比較してもイマイチ面白くない。事件が次々と起こる訳ですが、登場人物が事件のまとめをする部分が多すぎ。やたら長い割には後半の盛り上がりに欠けるし。推理以外の部分は面白かった。バーチャル体験してるとこの記述は特にリアルで、想像してて楽しかったし。最後の最後のオチは個人的には無い方が良かった。犀川先生は、殺人犯だってこと忘れてるんじゃないだろうか。 | ||||
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途中までまんまと騙されてしまいました。面白かったですが、「F」よりは丸い感じがします。空から地上に降りてきた感があります。それが星4つの理由です。個人的には、萌絵が孤独を感じるシーンなんかが好きです。 | ||||
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ミステリーだけでは無く考えさせられる本です。なめてはいけません。世の中と自分の価値観、常識を捨て真っ白な状態で読むと新たな発見があるかも。森 博嗣さん=春夏秋冬? | ||||
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星5個は出せないです。だけど、作品そのものとしては、私は星5個です。この作品が「ミステリ」であり、「ミステリ」はトリックが命!的な方には、もはやどうでもいいかも。私は「あの天才」と犀川の会話が、あまりにもナンセンスなものですけれど、「とても素敵」だと感じました。シリーズ最後の作品とあって、シリーズ全体の伏線が明かされて、ああ、ナルホド、これはやられた、と思いました。(でも、犀川はどうして今までわからなかったんだ!?とは思いましたが。)キレイサッパリ、では無く、静かな余韻が残り、その余韻が丁度いい、シリーズ最終作にふさわしい作品だと思います。 | ||||
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犀川・萌絵シリーズの一応最終章というべき巻。事件が解明しないまま物語が進み、ヒロインは最後には無事救出されると解っていてもハラハラしてしまいます。この物語の最重要人物が最後に謎解きをし、何とも余韻のあるラスト。ハッピーエンドなのだけれど、どこか切ない。 | ||||
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