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有限と微小のパン
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有限と微小のパンの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.91pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全45件 1~20 1/3ページ
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これは遠い過去の話? これは過去の話? これは今の話? これは未来の話? これは遠い未来の話? みんな同じ言葉に思えてくる。 いつ、そう感じたのか。 物語だ、と思う。 2の-∞乗とはどういう意味になるだろうか。 | ||||
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最近の森博嗣の作品を読んで星4以上をつける人は、もう一度なぜ森博嗣を好きになったかをわからせてくれる、思い出させてくれる作品だと思う。 過去の森博嗣を知らない人は今の作品との違いに衝撃を受けるのではないかと思う。 最近の森博嗣っておもしろいんだけど、なんか物足りないと思っている人、昔好きだったものを今は楽しめないのが自分が成長したからだと思っている人、それが森博嗣の作品にもお同じことが起きているんだと、自分が歳をとったことで趣向が変わったんだと思っている人、もう一度S&Mシリーズを読んで欲しい。 当時読んだあの時と同じように面白い。 変わったのは自分ではなく森博嗣なんだと気づかせてくれる。 それが良いか悪いかではなく、本当の森博嗣は自分の記憶の通りやっぱり素晴らしい。 | ||||
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萌絵が好きなので、ラストは少し悲しかった。 両親が亡くなった悲しみからまだ抜け出せていないことが分かるのに… 萌絵は、友人2人や ゼミの子たちといる時が一番生き生きしていて素敵に思う。 ただ、同年代の子と比べても彼女は過剰に大人びている。 萌絵はまだ子どもなのに。それも、とてもつらい経験から目を背けようと必死になっている危うい子ども。 それでも、帰ってきて諏訪野に1時間もお話しして眠ってしまった という一文は、彼女が彼女を受け入れてくれる大人にちゃんと甘えられている様がわかって うれしかった。 彼女が過去のしがらみから解放されて1人で立った時、ようやく2人が結ばれるのかもしれないし、彼女はもう犀川先生の隣は選ばないかもしれない。 そこまでの成長が見たかった。 でも萌絵ならきっと、本当の強い人になれる。 彼女のこれからに、安らぎと幸せがたくさんありますように。 | ||||
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「四季」サーガのプロローグがこの巻でいったん終了です。サーガの最後では89歳の島田文子さんが登場しますよ。この巻は、壮大な舞台装置とトリックで読み応え十分ですが、これで終わりではありません。 この先を読みたいみなさんに、次はGシリーズではありません。いったん犀川・萌絵のことは忘れてVシリーズを読みましょう。Vシリーズ10冊読み終わったら、四季4部作を読みましょう。これで犀川・萌絵・四季の全体像が見えてきます | ||||
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なんか無駄に長い割に、舞台設定は微妙にインチキくさいし、 舞台用意した人の動機も、逆説的にヒロインへの執着心と費用対効果が反比例してる気がする。 大胆な発想は面白いけど、ミステリとしては今回の舞台、アンフェアでないかね。 四季さんもFの頃にはある種のカリスマ感じたけど、 こっちに免疫ついた為か、今作では芝居がかった仕草がやや過剰気味のB級女優って感じ。 これが舞台劇ならそこも魅力になったかもだけど。 ただ、一つだけ、すっごく伏線が親切なおかげで、ある真相が一つだけ私の予想通りだったのは、作者さんのフェアさに感謝。 こっから少しネタバレですが、 (注意) かなり序盤、「あの人」がS氏に興味持ちすぎてて、これはアヤシイ、 と思ってたら、最期案の定。 いや、普通、ねえ、写真でみただけの男にそこまでテンション上がりませんよねえ。 あそこあやしすぎ。 S氏はそこまで美形設定でもないんだし。いい意味で(伏線的には)不自然。 他意がない限り。 「過去に面識や思い入れでもない限り」 ラスボスさんも人の子よ。 | ||||
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全シリーズ通読しましたが、作者の文章は論理的かつ精密で、推理小説という枠組みの中で純文学に挑戦しているような気概を感じます。 VRが手軽に一般人でも手に入れられるようになった今読むとすんなりと頭に入ってきますが、こんな世界を発展させているのは小説に登場するような突拍子もない天才たちが担っているのかなぁと感じ、現実とのニアミスにもゾクッとします。 純文、推理小説双方が好きな私にとっては非常に良くハマるシリーズでした。 | ||||
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なかなか話が進まず短気な私は途中でやめてしまいました…根気が必要です。 | ||||
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犀川先生と萌絵のS&Mシリーズの最終巻です。シリーズ冒頭に出てきた天才真賀田四季と犀川先生の最終対決。 話の大筋はドラマの通りなのですが、この本の魅力は登場人物会話の端々に盛り込まれる工学的、哲学的な考え方が垣間見えるところで、多次元直方体について雑談している場面が私のお気に入りです。 四季の天才っぷり、常人離れっぷりを堪能でき、かつ、それに匹敵する犀川先生の危うげな部分を萌絵と一緒に心配できたので満点です。 | ||||
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位相幾何学(多次元宇宙)に話が飛んで、森博嗣 がどういう解説するのかワクワクしたけど、いまいちだったかな? | ||||
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シリーズを全部通して読みました シリーズが進めば進むほどヒロインの萌絵のでしゃばり具合が目に余ってイライラします 主人公の犀川が積極的参加型性格じゃないため 物語の進行上、止むを得ないと思うのですが どうしてあんなに出しゃばりなのかと萌絵が行動するたびにイライラしました リアルな世界なら強姦致死までいかなくとも 強姦くらいはされてもしょうがない行動ばかりしてます。 まぁ、両親が事故死して死に鈍感になってるって設定ですが… てことで、萌絵以外は実にいい感じに話しが進みますね あと、作者の頭の良さがヒシヒシと伝わる表現力は毎回呻りました ただ、犀川の性格は無駄を極力排除しているから 一般的な人間からしたら勿体ない性格ですね 人生に余分なことをする つまり無駄を楽しむこそ人生の醍醐味ですから | ||||
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これまでの登場人物が出ているので、その部分はすらすら読めた。話の展開が予想を上回るため、とても楽しめた。理系の流れがあり、その点でも話の展開が面白く、最後にネタがあるのも予想外で、面白かったです。 | ||||
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最近S&Mシリーズを続けて読んできたという思い入れを含めて星4つ、それを排除すれば星3.5といったところでしょうか。 ドラマを観ていたので結末やトリックは知っていました(ドラマのままです)が、書籍版で犀川と萌絵の2人がどうなるのか気になっていたので最後まで楽しめました(2人の結末はドラマとは微妙に異なる)。 一方、S&Mシリーズに思い入れがない人はどれくらい楽しめるでしょうか。思い入れのある私でも正直「話が長い」と思いました。しかも事件の解決とは直接結びつかない話です。今までのS&Mシリーズの作品の中でも思考や生と死などについて哲学的?な話がたくさんありましたが、本作は特に盛りだくさんかつ難しい。私の頭脳ではその難しい話の部分は楽しめなかったのでかなり読み飛ばしてしまいました。 | ||||
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あまりにも長くて、退屈なので、p456で読むのをやめてしまった。テーマパークで起きた、死体の消失と密室トリックの謎を追うのだが、そんなことどうでもよくなるぐらい長い。そして、文章が読みづらい。『すべてがFになる』や最近の『彼女は一人で歩くのか?』ではそう思わなかったが、この小説の文章は、ごちゃごちゃしている。まー、1998年にノベルスで刊行されて、2001年に文庫になっているのだが、とにかく、登場人物のほとんどが、喫煙者で、スパスパスパスパ煙草を吸う。主人公の名古屋大学に通う女子学生も例にもれず吸うのだが、その友達の名古屋大学の医学部に通う女子学生もヘビースモーカーだ。今の感覚では信じられないことだ。作者がヘビースモーカーだから、登場人物のほぼ全員がヘビースモーカーなのか、それとも、この時代は、旧帝医学部に通う女子学生ですら喫煙者が結構いたのか、わからない。この小説に登場してくる真賀田四季博士風に言うなら、「ガダマーの言うことにも、真理が含まれているというこですね」だろうか。。。(笑) | ||||
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事件そのものも度肝を抜かれる訳ですが、それをかき消すほどの絶対的な存在として、真賀田四季氏の人格に圧倒されます。 『すべてがFになる』よりもぐっと際立ってます。 そして犀川先生とのわずかなシンパシー。 孤独な天才と天才に唯一認められた人と。 シリーズの最後にふさわしいロマンを感じました。 | ||||
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大好きなシリーズでした。萌絵ちゃん&犀川先生は他のシリーズでも出てきますが、2人の今後がもっと知りたい(私もそうでした)という方は短編集『虚空の逆マトリクス』の「いつ入れ替わった?」と『四季 秋』がおすすめです。 | ||||
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真賀田四季の魅力が際立っていた作品。 Fを読んだときにそこまで彼女に対し魅力を感じることはなかったが、本作を読んでファンになった。 トリック自体はどれも古典もの時代からよくある類のもので、読んでいる途中におおよその見当はついていた。 この本はトリックそのものを楽しむことよりも、犀川と萌絵、そして四季のそれぞれの感性を楽しむ純文学のような印象。 楽しめました。 また別の作品で真賀田四季に会えるのを楽しみにしています。 | ||||
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テレビドラマを見てから森 博嗣という作家にはまり、特にS&N(N&S?)シリーズにはまりました。お互いのチョットぼけた思い込みの激しいやり取りは良いですね。 | ||||
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読んでる途中で☆いくつにしようか考えてたんですが、なかなかの凡作なので「3」、 シリーズ最終作としては「2」にしようかと思ってました。 「これ結構四季不在の物語なんじゃ?」という推測もしたので、 ”とっくに死んでるのよ”と繰り出された時には、「やはり」と思うと同時に 「ふざけるな!」と本を投げつけたくもなりましたが。 『すべてがFになる』の解説で、”シリーズ最終作に至ったとき、あなたは作者の策略に驚愕するだろう”とありまして いったい何が仕込まれているのか?とりあえず今作を読んで唸るものがあれば、 シリーズを通読しようかと、そんな考えで手にしました。 結果、「そんな高尚なものはない」という判断になりましたので、通読はないですな。 そもそも今作は・・・ 四季が企てた事件ではなく、別人が画策したものに四季が絡んでくるだけ。 よって、ウェディングドレスをまとった遺体が、開かずの扉から現れるような ある種の美学を感じさせるようなクライムシーンもないし 一見不可能犯罪のトリックも、「それはないわ」というものだったりします。 事件の舞台は真賀田研究所の劣化コピーだし(広すぎて印象薄まるのも減点) クビになった職員なのに、やすやすと機密ゾーンに入って行けるのも納得いかない(というか白ける)。 いや、島田も”役者”として動いていたのか・・・。 あ、VRのシステムの中で人が刺されると、本当に死んでいたってとこは面白かったかな。 『クラインの壺(岡嶋二人)』読んだ時に期待するとこでもあったので。 クライマックスのシーンでは、「え、そっち行っちゃう?」的な意味での驚愕展開。 これはなんなんでしょうか、SFでしょうか?戸惑いながら文字を追っていくと・・・ どうも人間の生命感を突き詰めたい感じらしい。 つまり、理系の私小説・純文学みたいなとこが、このシリーズが目指してたものなのか。 最後の章でもう一捻りあるのですが、意外過ぎてなんも言えない。 これ伏線も張ってないでしょ? なんというか、色々詰め込み過ぎです。 作中で語るとこの、”統合されていない”という天才性を作品で体現しているとすれば、 もしかしたら成功しているのかも知れない。 ”神様、よくわかりませんでした”という点も含めて。 ただ、文庫で860ページかけて読んで、行き着くのがそこではねぇ・・・。 という事で、題名に書いた通り、一般人にはオススメ出来かねます。 もしくは、島田荘司氏の解説を先に読んで(ここでネタバレはない)、 そこで書かれたことの確認・検証を試みたくなったら読むのもありかもです。 | ||||
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物語はどうやら、江戸ならぬ愛知のカタキを長崎で討つみたいな話らしいのだが、前作を読んでないのでよくわからないのは当然だとは思う。 天才と呼ばれる登場人物の印象も、映画「羊たちの沈黙」のレクター博士みたいな悪魔的で近寄り難い人物というより、むしろ“会いに行ける(もしくは、会いに来る)天才”。本作品単独だとそんな感じがする。レビュータイトルはその辺りを表現してみた。(出典は長谷川町子全集 (16)「サザエさん 16」p232) 単体の推理小説としては、頭がくらくらするようなアクロバティックな論理の展開はない。論理的な謎解きに持っていく手もあるはずだが、作者はロジックの鮮やかさで読者をうならせてやろうとはしていない 〈誰も魔法が存在するなんて思ってない。それなのに、こちらは、それが魔法だというように演じなければならないんですからね。まったくの茶番ですよ〉(p465) もしもし(^_^;) 「論理的な謎解きなんて、推理作家がこしらえたおとぎばなしだと誰もが知っている。それなのに、あたかも論理的な謎解きであるように書かなきゃならないんですからね。まったくの茶番ですよ」 それ言いますか(笑 本作品は、映画にもなったクリスティのアノ名作のトリックをいわばモジュールとして組み込んでいる。実をいうとその部分では一杯食わされた。還付金詐欺にひっかった感に近い印象だ。むろん実際の詐欺なら、一杯食ったなどと笑っているわけにはいかないが。 シリーズを通して読めば別の楽しみもあるのだろうが、推理小説を読んで一杯食わされるというのはそれはそれで正しい。 本作品で感心したのは、仮想現実を演出する装置が出てくるところ(しかも2種類)。装置自体の描写も、仮想現実体験の描写も大変おもしろい。安部公房の『他人の顔』のマスク製作の描写同様、理系なムードを醸し出している。いわば理系っぽく“装飾”されている。 仮想現実といっても、ジョン・ヴァーリイやホーガンのような未来技術じゃない(ぼんのくぼのソケットにコンピュータからのケーブルを差したり抜いたりとかじゃない)。 いみじくも「よくこれだけの薄さに収まったなあ」(p737)というセリフが示すように、ムーアの法則の範疇にあることを思わせる、具体性のある細部描写が行なわれている。さりげなくシャノンの定理も使っている。「2,500万円の装置」という説明も、工学的な具体性を演出している。デバイスに依拠した描写だからイメージしやすいのだ。 (ちなみに、「ヴァーリイ」は森流の表記だと「ヴァーリィ」になるのだろう。本書では「トレィ」などは小さい「ィ」だが、「ディスプレイ」だけは末尾が大きい「イ」だ。ふと気づいたので書き留めておく) 仮想現実というと18世紀イギリスのバークリーやヒュームの経験論哲学、ことに「知覚の束」というアイディアの射程の長さを感じる。仮想現実を取り扱う小説は、手を変え品を変え18世紀経験論哲学のアナロジーを読者に提供してきたとも言える。 「自分とは何か?」の問いはその後の哲学でも様々に展開され、現代の読者は大森荘蔵や永井均の本なんかも読むことができる。 小説の場合、デバイス・オリエンテッドであることの功罪はあると思う。 イメージが具体的でわかりやすい物語を作ることができる一方で、モードこそ多様だが論理としては「知覚の束」というアイディアの圏内を周回飛行している感が否めない。 ただし、そこにセンス・オブ・ワンダーを入れ込むのが作者の腕というものだ。 | ||||
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S&Mシリーズ最終、文庫も分厚い! ということで気合を入れて読みました。 感想は「まぁ。。」ってな感じですかね。 「すべてがFになる」を読んで衝撃を受けて V!シリーズ、四季も何作か読みましたが 森作品最初の出会いの衝撃はどれもありませんでした。 むろん、佳作と評価するに十分な作品も多いです。 デビュー作を超えるのって難しいのだろうなぁ〜。 いや、単体で読めば十分面白いですけどね。 | ||||
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