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有限と微小のパン
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有限と微小のパンの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.91pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全8件 1~8 1/1ページ
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シリーズを全部通して読みました シリーズが進めば進むほどヒロインの萌絵のでしゃばり具合が目に余ってイライラします 主人公の犀川が積極的参加型性格じゃないため 物語の進行上、止むを得ないと思うのですが どうしてあんなに出しゃばりなのかと萌絵が行動するたびにイライラしました リアルな世界なら強姦致死までいかなくとも 強姦くらいはされてもしょうがない行動ばかりしてます。 まぁ、両親が事故死して死に鈍感になってるって設定ですが… てことで、萌絵以外は実にいい感じに話しが進みますね あと、作者の頭の良さがヒシヒシと伝わる表現力は毎回呻りました ただ、犀川の性格は無駄を極力排除しているから 一般的な人間からしたら勿体ない性格ですね 人生に余分なことをする つまり無駄を楽しむこそ人生の醍醐味ですから | ||||
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読んでる途中で☆いくつにしようか考えてたんですが、なかなかの凡作なので「3」、 シリーズ最終作としては「2」にしようかと思ってました。 「これ結構四季不在の物語なんじゃ?」という推測もしたので、 ”とっくに死んでるのよ”と繰り出された時には、「やはり」と思うと同時に 「ふざけるな!」と本を投げつけたくもなりましたが。 『すべてがFになる』の解説で、”シリーズ最終作に至ったとき、あなたは作者の策略に驚愕するだろう”とありまして いったい何が仕込まれているのか?とりあえず今作を読んで唸るものがあれば、 シリーズを通読しようかと、そんな考えで手にしました。 結果、「そんな高尚なものはない」という判断になりましたので、通読はないですな。 そもそも今作は・・・ 四季が企てた事件ではなく、別人が画策したものに四季が絡んでくるだけ。 よって、ウェディングドレスをまとった遺体が、開かずの扉から現れるような ある種の美学を感じさせるようなクライムシーンもないし 一見不可能犯罪のトリックも、「それはないわ」というものだったりします。 事件の舞台は真賀田研究所の劣化コピーだし(広すぎて印象薄まるのも減点) クビになった職員なのに、やすやすと機密ゾーンに入って行けるのも納得いかない(というか白ける)。 いや、島田も”役者”として動いていたのか・・・。 あ、VRのシステムの中で人が刺されると、本当に死んでいたってとこは面白かったかな。 『クラインの壺(岡嶋二人)』読んだ時に期待するとこでもあったので。 クライマックスのシーンでは、「え、そっち行っちゃう?」的な意味での驚愕展開。 これはなんなんでしょうか、SFでしょうか?戸惑いながら文字を追っていくと・・・ どうも人間の生命感を突き詰めたい感じらしい。 つまり、理系の私小説・純文学みたいなとこが、このシリーズが目指してたものなのか。 最後の章でもう一捻りあるのですが、意外過ぎてなんも言えない。 これ伏線も張ってないでしょ? なんというか、色々詰め込み過ぎです。 作中で語るとこの、”統合されていない”という天才性を作品で体現しているとすれば、 もしかしたら成功しているのかも知れない。 ”神様、よくわかりませんでした”という点も含めて。 ただ、文庫で860ページかけて読んで、行き着くのがそこではねぇ・・・。 という事で、題名に書いた通り、一般人にはオススメ出来かねます。 もしくは、島田荘司氏の解説を先に読んで(ここでネタバレはない)、 そこで書かれたことの確認・検証を試みたくなったら読むのもありかもです。 | ||||
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物語はどうやら、江戸ならぬ愛知のカタキを長崎で討つみたいな話らしいのだが、前作を読んでないのでよくわからないのは当然だとは思う。 天才と呼ばれる登場人物の印象も、映画「羊たちの沈黙」のレクター博士みたいな悪魔的で近寄り難い人物というより、むしろ“会いに行ける(もしくは、会いに来る)天才”。本作品単独だとそんな感じがする。レビュータイトルはその辺りを表現してみた。(出典は長谷川町子全集 (16)「サザエさん 16」p232) 単体の推理小説としては、頭がくらくらするようなアクロバティックな論理の展開はない。論理的な謎解きに持っていく手もあるはずだが、作者はロジックの鮮やかさで読者をうならせてやろうとはしていない 〈誰も魔法が存在するなんて思ってない。それなのに、こちらは、それが魔法だというように演じなければならないんですからね。まったくの茶番ですよ〉(p465) もしもし(^_^;) 「論理的な謎解きなんて、推理作家がこしらえたおとぎばなしだと誰もが知っている。それなのに、あたかも論理的な謎解きであるように書かなきゃならないんですからね。まったくの茶番ですよ」 それ言いますか(笑 本作品は、映画にもなったクリスティのアノ名作のトリックをいわばモジュールとして組み込んでいる。実をいうとその部分では一杯食わされた。還付金詐欺にひっかった感に近い印象だ。むろん実際の詐欺なら、一杯食ったなどと笑っているわけにはいかないが。 シリーズを通して読めば別の楽しみもあるのだろうが、推理小説を読んで一杯食わされるというのはそれはそれで正しい。 本作品で感心したのは、仮想現実を演出する装置が出てくるところ(しかも2種類)。装置自体の描写も、仮想現実体験の描写も大変おもしろい。安部公房の『他人の顔』のマスク製作の描写同様、理系なムードを醸し出している。いわば理系っぽく“装飾”されている。 仮想現実といっても、ジョン・ヴァーリイやホーガンのような未来技術じゃない(ぼんのくぼのソケットにコンピュータからのケーブルを差したり抜いたりとかじゃない)。 いみじくも「よくこれだけの薄さに収まったなあ」(p737)というセリフが示すように、ムーアの法則の範疇にあることを思わせる、具体性のある細部描写が行なわれている。さりげなくシャノンの定理も使っている。「2,500万円の装置」という説明も、工学的な具体性を演出している。デバイスに依拠した描写だからイメージしやすいのだ。 (ちなみに、「ヴァーリイ」は森流の表記だと「ヴァーリィ」になるのだろう。本書では「トレィ」などは小さい「ィ」だが、「ディスプレイ」だけは末尾が大きい「イ」だ。ふと気づいたので書き留めておく) 仮想現実というと18世紀イギリスのバークリーやヒュームの経験論哲学、ことに「知覚の束」というアイディアの射程の長さを感じる。仮想現実を取り扱う小説は、手を変え品を変え18世紀経験論哲学のアナロジーを読者に提供してきたとも言える。 「自分とは何か?」の問いはその後の哲学でも様々に展開され、現代の読者は大森荘蔵や永井均の本なんかも読むことができる。 小説の場合、デバイス・オリエンテッドであることの功罪はあると思う。 イメージが具体的でわかりやすい物語を作ることができる一方で、モードこそ多様だが論理としては「知覚の束」というアイディアの圏内を周回飛行している感が否めない。 ただし、そこにセンス・オブ・ワンダーを入れ込むのが作者の腕というものだ。 | ||||
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S&Mシリーズ最終、文庫も分厚い! ということで気合を入れて読みました。 感想は「まぁ。。」ってな感じですかね。 「すべてがFになる」を読んで衝撃を受けて V!シリーズ、四季も何作か読みましたが 森作品最初の出会いの衝撃はどれもありませんでした。 むろん、佳作と評価するに十分な作品も多いです。 デビュー作を超えるのって難しいのだろうなぁ〜。 いや、単体で読めば十分面白いですけどね。 | ||||
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今では専門家以外の人には、ほとんど死語になってしまったバーチャルリアリティーがテーマみたいです。 本作の刊行が1998年で、テレビゲームで有名になったのが94年ですから、森先生はこの概念に執着があるようです。そのためか、ミステリーとうのは体裁でバーチャルリアリティーという概念を語るために本が厚くなっています。もちろんトリックにも関係します。印象に残ったのは、SF小説のサイバースペースなど夢のまた夢の、VR装置の物理的・技術的制約と、その解決策としての、どっきりカメラみたいな拍子抜けする施設。機械を便利にするより、生身の人間をこきつかった方が安上がりということで、今日日の不景気では恐ろしい思想です。 | ||||
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いつもながら登場人物の会話や、哲学チックな命題に対する検討(?)は読みごたえがあります。 トリックは「こんなのありなんか」って感じです。皆さんが「まぁ、無いだろうな。」という感じで除外するだろう可能性が、よりえげつない方法でトリックに使われています。 博士はまさにパーフェクト・アウトサイダーでしたね。とても楽しめました。 最後の方で、萌絵のおいてけぼり感が否めなかったのが残念なのと、話し長すぎて(もっとコンパクトにもできたんじゃ?)集中して読むのが辛かったので、星3つです。 | ||||
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旺盛な筆力、その理系への造詣の深さから日本のジョン・ロードと呼ばれる作者の第十作目架空世界をバーチャルで体験できるテーマパークでの幻ともつかぬ殺人事件を調査します犀川シリーズの長篇完結編なので最後に読むことをおすすめしますが | ||||
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舞台は長崎のハウステンボスを模したテーマパークである。萌絵と犀川はまたまたここで事件にあってしまうのだが、著者が「理系ミステリィ」を自称するだけあって、現実離れしすぎた設定が少々きになる。それに劇中人物が、主人公たち以外が平凡といえば平凡で、やはり描写にかけるのだ。その辺のディテールを大事にしたい人は森ミステリィに期待しないほうがいいかもしれない。ロジックはロジックと割り切ることが重要と、この人の本を読んでいると思わされることしばしである。最後のどんでん返し?は面白いです。 | ||||
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