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人形式モナリザ
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人形式モナリザの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.77pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全26件 1~20 1/2ページ
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すぐに読みたかったので助かりました。 | ||||
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表面から見てもわかる汚れが多い これは可レベルの商品だと思う | ||||
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この世に存在する事象を表面的に捉えがちなのが人間の性だと思います。それに対して、森さんは自身の作品全般を通し、あらゆる角度からの再確認、固定概念の破壊など、『批判力』を読者に説いている(そんな厚かましいものではないですが)ような気がするのです。そんな森作品の中でもこのvシリーズではシリーズものの定石をひっくり返す、というようなテーマを掲げているのではないかと、一作目、二作目を読んだ若者の頭を目一杯回転させた想像を書かせてもらいました。 もちろん、面白くないわけがありません。 | ||||
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保呂草さんファンなのでVシリーズは好きなのですが、10年以上前に読んだ時は理解できず消化不良でした。久しぶりに読み返したら、すっと落ちてきました。森博嗣氏ですから、全部は腑に落ちないのですが、なぜか惹かれる作品です。、 | ||||
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【ネタバレあり!?】 (1件の連絡あり)[?] ネタバレを表示する | ||||
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森ミステリにしては珍しく、分かりやすいトリックだと思う。ただ、動機がさっぱりしすぎ。 殺された、乙女文楽の創始者・雅代ばあさんには、夫との間に子どもがいて、愛人との間にも子どもがいる。つまり異父兄弟姉妹。その子どもや孫たちが、仲よく文楽をやっているというのが、理解しにくい。人間なら当然持っているだろう、どろどろした心情を、うまく動機にからませて書いた方が、より魅力的な作品になるんじゃないか。 ドロドロといえば、紅子と林(紅子の元夫)と七夏(林の現愛人)の三角関係も、泥沼。ファンの方に申し訳ないが、私、この3人、苦手です。 | ||||
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森博嗣の作品はちゃんと解説される謎と解釈を読者に委ねる謎の両方が存在しているので、前者だけしか気づけない人には退屈に見えるのかもしれませんね 複数回読むとまた違った見方が出来るかもしれません | ||||
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ミステリ面での魅力は無くキャラ萌えメインのまあいつもの森博嗣的作品だが、 どうにも主要登場人物が多いので各個人の描写が薄くなり、そのせいで キャラの魅力もあまり感じられないのがいまいち 前作でキャラが気に入った人以外にはあまり魅力が無い作品だろう それにしてもいくつかの要素に理論的な説明がないのはさすがに何とかして欲しかった | ||||
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施設博物館「人形の館」に常設されたステージにて事件が生じる。その鍵となるのは、悪魔崇拝者と神の白い手。人形を操る人間、人間を操る人間、人間を操る人形…。 「何かを恐れていたい、何かを恐れていれば、それよりも恐ろしい状態にはならない。どこか痛いところがあれば、他に痛いところを忘れることができる。あらゆる原始宗教の起源が、そこにある。だから、恐ろしい恐ろしいと祈り願って、人々の恐れを人の形に閉じ込めた。人の形はほど恐ろしいものはない。どんな形よりも恐い。それを創ったからこそ、自らへ向けられる恐怖に、人間は耐えられる。鏡を見続けることができる動物は人間しかいない。自分の形が恐ろしいことを、呪文によって封印したのです。」 | ||||
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施設博物館「人形の館」に常設されたステージにて事件が生じる。その鍵となるのは、悪魔崇拝者と神の白い手。人形を操る人間、人間を操る人間、人間を操る人形…。 「何かを恐れていたい、何かを恐れていれば、それよりも恐ろしい状態にはならない。どこか痛いところがあれば、他に痛いところを忘れることができる。あらゆる原始宗教の起源が、そこにある。だから、恐ろしい恐ろしいと祈り願って、人々の恐れを人の形に閉じ込めた。人の形はほど恐ろしいものはない。どんな形よりも恐い。それを創ったからこそ、自らへ向けられる恐怖に、人間は耐えられる。鏡を見続けることができる動物は人間しかいない。自分の形が恐ろしいことを、呪文によって封印したのです。」 | ||||
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黒猫の三角を漫画で読んだので、じゃあ今度は小説にしてみようと手に取ったのがこの人形式モナリザ 黒猫の三角で見事騙されたので、今度こそは騙されないぞと意気込んだのにも関わらず、 あっさりと足元を掬われたというか、落とし穴に落とされた 10分の9あたりまでは「なんだ。結構普通の推理小説じゃないか」とまで思ってたのに 悔しい ただ、裏表紙にもあった『最後の一行』がどうにも生かしきれてないような気がするのは私の理解力不足からなのか 「えっ!!・・・ん?」みたいな 何となく腑に落ちない感じ 登場人物は皆個性的で人間らしいけど、現実にいなさそうなキャラが面白かった 特に林と紅子の仲に事件の内容よりもちょっとドキドキしてしまったり(笑 この作品の人間関係はちょっと複雑な上に人数が多いので、時間のある時にゆっくり読むことをお勧めします | ||||
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黒猫の三角を漫画で読んだので、じゃあ今度は小説にしてみようと手に取ったのがこの人形式モナリザ 黒猫の三角で見事騙されたので、今度こそは騙されないぞと意気込んだのにも関わらず、 あっさりと足元を掬われたというか、落とし穴に落とされた 10分の9あたりまでは「なんだ。結構普通の推理小説じゃないか」とまで思ってたのに 悔しい ただ、裏表紙にもあった『最後の一行』がどうにも生かしきれてないような気がするのは私の理解力不足からなのか 「えっ!!・・・ん?」みたいな 何となく腑に落ちない感じ 登場人物は皆個性的で人間らしいけど、現実にいなさそうなキャラが面白かった 特に林と紅子の仲に事件の内容よりもちょっとドキドキしてしまったり(笑 この作品の人間関係はちょっと複雑な上に人数が多いので、時間のある時にゆっくり読むことをお勧めします | ||||
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『すべてがFになる』を1/4で挫折した私ですが、Vシリーズ最初の『黒猫の三角』をマンガで読んだので次は小説を読んでみようかな〜と。 しかし『人形式モナリザ』も『F』同様、ぶっ飛ばし読みしかできませんでした。 森博嗣を読むと短時間で爆睡してしまうのだが、たぶん観念的な描写や観念的な台詞が多すぎて、脳内変換にエネルギーを使うからじゃないだろうか。暇で体力を持て余してるなら、いい娯楽になるのかもしれないが、登場人物も出来事全ても事件すらも輪郭が曖昧模糊としている。 空気もひんやりしている。大学の研究室だの白衣だのに憧れてるのなら、その雰囲気も楽しめるのだろうか。別に研究室の空気はいつも清浄な訳ではないんだから、単なる空想世界なんだけど。 で、事件のからくりだの謎解きだの動機だのは二の次三の次(動機に至っては「殺人実験の繰り返し」の域を出ていないように感じる)の扱いなのに、キャラ設定だけはいやにマンガっぽくて熱心。 瀬在丸紅子と元夫の林、祖父江七夏の三角関係が2時間ドラマ状態なのが笑える。 好意に解釈すれば、楽しい大人の娯楽、かもな。 離婚した後も、何だかんだと関わりがあって愛情もあって関係もあって嫉妬もできるんなら、楽しそうじゃない? 祖父江さんも林さんも特に不満はなかろう。子供もいるし。しかも紅子には執事がいて七夏は母親に面倒みさせているって言うんだから、もう理想も理想。支えてくれる人物がいて恋愛があって仕事や趣味がある。うらやましいわ本当に。 今後この関係がどうにもならないことを祈る。 | ||||
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乙女文楽は人形を見せる、いや人を見せているんだ、というところは面白い。犯行に使われているトリック自体はそう難しいものではないけれど、作品中にそのトリックを取り入れる意味は深い。 しかし、最後の一行は、個人的には蛇足だと思っている。たしかにあれは「?」を誘う。けれど「!」とならない。なぜなら、その結末を予感させるものが文中にないからである。 そもそも、この話の中で悪魔や神はテーマとして浮いている感がある。人形使いの家に齎された狂気というものを悪魔や神を持ち出して形容しているようだが、それではヒトガタとしての人形の神秘性と合致しないような気がする。しかも、その真相自体もありきたりで弱いと思う。 モナリザの真相こそ森氏らしいが、殺人事件の真相との接点らしい接点がなく(というか基本は別件)、釈然とせずに終わる。一挙に押し寄せるカタルシスというものはなく、一つ一つがそれなりに終わる印象を、どうしても受けてしまう。残念である。 | ||||
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人形博物館殺人事件の推理も,それほどの内容をもってはいるが,メインとは言いがたい。 むしろ,過去にあった殺人事件の謎や,「モナリザ」の謎,そして絵画盗難事件など,様々な事象が絡み合っている。それをまとめて楽しんでいただきたいと思う。 終盤にかかって緊迫した事件展開も起こり興奮させられるが, なにより,事件がすっきり解決したかと思いきや,最後の一行だけで読者の予想をみごとにひっくり返してくれるので, 読了後,大混乱に陥ること請け合い。 | ||||
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私は森氏の文体があまり好みではない。なぜならどこか冷たい感じがするからだ。三人称のためもあるかもしれないが。 紅子が好きな男のためなら自分の子供の命など惜しくないというような発言をしたのには気分が良くなかった。 たとえ冗談でも言ってほしくはないが、真意なのだろうと思う。このような人物を生みだす作者にも冷たいと感じてしまった。 ミステリだからどのような発言でも許されるとは私には思えなかった。 しかしまあ殺人事件のほうはそれなりに面白かった。警察の人間が外部の者に情報を漏らしたり、一般人が偶然殺人事件に巻き込まれるというのも良しとしよう。 だが絵の盗難事件については今一つ好きになれず、保呂草など登場人物に感情移入ができないのも残念だった (小鳥遊と紫子はまあまあよい)。 | ||||
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第二弾。騙されました。めちゃくちゃ騙されました。 黒猫のデルタを読んでから絶対に読みましょう。 | ||||
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第二弾。騙されました。めちゃくちゃ騙されました。 黒猫のデルタを読んでから絶対に読みましょう。 | ||||
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1999年リリース。Vシリーズ第2作(●^o^●)。本作のシーチュエーションはおそらくどこかにモデルがあるのだろう。久保裕紀子氏への謝辞がそれを感じさせる。その素敵な空間のなかでかの面々が大暴れする。そしてVシリーズの主人公はS&Mシリーズよりずーっとワルである事を認識できる。(●^o^●)そしてどんどん『理系』ではなくて詩的素敵になっていく。各標題はマックス・エルンストの『百頭女』の中から取られている。詩的に広がるイマジネーションが次々と広がって花が咲いていくような小説手法はこの作品あたりでは、まるでジョン・ロードのキーボードのように(●^o^●)絶好調だ。この話法構築術に森ワールドの一番の魅力を感じる。なんとなく主人公たちの『名前』のユニークさに始まって、文字の持つチカラを操って書いているような作品である。お決まりの『密室』も単なる飾りであって、それを描くレトリックに命があるのだ。そしてその引き込まれる森ワールドのワナに何度もはまりたくなるのである。(●^o^●) | ||||
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『詩的私的ジャック』の時にも感じたが、事件の印象が薄い。しかし、詩的で幻想的な雰囲気を味わうのが、森ミステリィの魅力や楽しみ方であると私は考えている。 『人形式モナリザ』を読んだとき、個性的なキャラクターや乙女文楽という題材を生かし切れていない感じだった。しかし、いつもの森作品に通じる詩的で幻想的な文章や衝撃的な展開は、感動的ですらある。絶賛できないのに、何か引っ掛かる。不思議な気分にさせられる作品だ。 | ||||
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