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(短編集)
砂の女
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【この小説が収録されている参考書籍】
砂の女の評価:
| 書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.30pt | ||||||||
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全181件 101~120 6/10ページ
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| 昆虫採集をしている途中、村人に騙され砂穴に閉じ込められてしまう。 現実離れした出来事に戸惑う主人公。 砂穴での生活の情景や、主人公の葛藤の様子がリアリティを持って描かれており、 あっという間に異次元へ引き込まれてしまった。 | ||||
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| こんな生活も有りかもと思わせる。実際はかなり厳しいだろうが少なくとも連れ添いに関してはかなり評価できる。初めのうち穴の描写がよく理解できなかったがこの集落の最前線でありその仕事は、、、、理解したくない。いつまで「お客さん」だったのか?青酸の使い所は?水?なんかKEEP!が多い。まるで昆虫採集だ。コレクターだ。一時砂に囲まれた生活を体験して来てみてはいかがでしょうか。 | ||||
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| 考え貫かれたストリーで、読者を作品世界に引きずり込む魅力ある内容です。砂丘に昆虫採集に出かけた男が砂底に埋もれていく一軒家に閉じ込められてしまう・・・・・・。このような寓話的な設定で物語が進んでいく。作者はたぶん人間とは何か、人間存在とは何か等々をこのような形で表現を試みたと解釈しました。兎に角たにほとんど例を見ない独創的作品で、ある意味、カフカと双璧といって良い日本が生んだ世界的傑作で一度は読む価値ありの本です。 | ||||
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| くどい口調、が好き嫌いを分けていると思う。思いつくまま、気持ちが整理できてないような文も多々見受けられる、それが主人公の感情として臨場感を増しているし、表現が一々ユニークで、読むのに疲れるが、技術には驚かされる。文章も近代の作家なのにあえて、古い文を使っているのか、余計とっつきにくいものにしている。 他の阿部公房の作品より、まだ、ストーリが明確である分、読みやすく感じたし、ラストも気になった。難しいので流し読みした。十分楽しめた。 | ||||
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| 生きるためにパンを食べるのか、パンを食べるために生きるのか。 考えさせられる小説です | ||||
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| 必要に駆られて読んだ。 だが、読み始めるとすぐに引き込まれた。 砂にでは無い。虫に、である。三十路「男」の虫に対する興味の抱き方に引き込まれた。 その偏愛に見せかけた、奇妙な仕草に。 このまま、虫の話だったら良かったのだが……。 砂である。砂のお話である。 そして、私はどうレビューを書けば良いものか、考えあぐねている。 私の思考は、あたかも、握りしめた指のあいだから、 ぱらぱらと零れ落ちる砂のように、まとまりを欠いている。 だから、同書に付録されている、ドナルド・キーンのように、推理小説だと言ってみる。 むろん、誰も死なない。しかし、推理すべきものはある。 それは、名前である。 「男」「女」「老人」「あいつ」そして、「砂」。 彼らには名前が無い。彼らは名前を必要としていない。拘泥しない。 たったひとり「男」を除いて。 「男」は名前を探している。 なぜなら、「男」のはじめの目的は新種の虫を発見し、 自分の名前が「昆虫大図鑑」に書とめられる事である。 書きとめられる事──その事によって、このテクストにおいて、「男」ははじめて名前を得るのだ。 しかし、「男」は砂の生活の中で、次第にその欲望をすり減らして行く。 「ニワハンミョウ」「オオイエバエ」この小説の中で一際、ゴロリと転がるこれら虫の名前。 その中に自分の名前を刻み込む。自分の名前を発見する。その目的は、果たされない。 それどころか、果たそうとしない。 なぜなら、「男」は第二章の末尾で「趨光性」を持った新種らしき「蜘蛛」を発見するも、 彼の興味は、新種発見に少しも向かわないのだ。 読む者に首を傾げさせるほどに、大事にしていた「青酸カリ」。 ついぞ使われないその「青酸カリ」のように、男の「名前」に対する希求も砂の中に埋もれて行く。 そして、男の名前は明かされる。 本文と分断された「失踪に関する届出の催告」によって。 そこには、「仁木順平」というマテリアルな、「名前」がゴロリと転がっている。 | ||||
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| この小説を娯楽作品として捉えると、大変読むのが辛いであろうと想像する。この作品中には、文学だけが持つ「時代を経ても古くならない重厚さ」があるからである。 この小説はストーリーとしてよりもむしろ一個の「メタファー」として捉えられるものであろう。ストーリーであれば、結末は一つである。作品の解釈も、作者が「こうである」というふうに誘導してくれるため、読後感も良い。しかしこの作品は、様々な方向から解釈する余地を残している。なぜ砂なのだろうか、なぜ男は残ったのだろうか…疑問は尽きることがない。著者の筆致とも相まって、読了感は非常に「不安定」なものとなっている。 また登場人物についても、男と女以外は「顔の見えない異邦人」としてしか描写されない。女の名前も無いので、感情移入出来る人物は実質男一人である。このあたりからも、作者が「お話」を書きたかったのではなく、「ただそこにあるものをいかにして捉えるか」に注力したことが伺える。しかしながらこの考え方も、私の「いち解釈」に過ぎない。このレビューを読んだ方はぜひ購入して、自らの感性に挑戦してほしいものだ。 読了後に冒頭の手紙を読み返してみると、これまた面白い。頭の中を想像が駆け巡り、読者を捉えて離すことがない。 名作であると思う。星4つを進呈。 | ||||
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| 現代共産主義を張り倒す良い作品です。 ユートピアは個人だけでも描くことはできないのです。 意志の問題でなく、人間性の問題です。 それを重々描いた作品です。 | ||||
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| 前衛作家として一世を風靡した安部公房が残した、 日本の文学史上に残る屈指の名作。 一人の男の失踪から始まるこの物語は、 主人公がはまりこんでしまった砂の世界にある一軒家を中心に展開する。 ちょっとSFチックな不思議な設定だが、 読者をいやおうなくこの砂まみれの世界に引きずり込む。 話自体が面白く、独創的で個性的。 何かの比喩とも受け止められる。 文体は簡潔で無駄がなく、完成度は非常に高い。 見事な長編。 | ||||
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| 「ビッグオー」ではロジャースミスの趣味が砂時計作り。 時の失われたセカイで「砂の流れが時の流れ」を暗示していた。 阿部公房の本作では時間とか流れ速杉だしーの象徴として フツーに飛散するフツーの砂が描かれ、主人公は多分に 浪漫チックに為りやがって「時のうつろひ」みたいな 日本的無常観にホントは酔っ払って居やがるくせに 「ドライでクールなオレ様ってナウなヤングだぜ」とか カンチガイしてる頭悪杉三十歳男子。阿部自身も地理学地質学に ついて生半可で突っ込みどころも多いのが取り合えず第一章。 第二章から不条理性が一揆に爆発。漁村集落の住人も異常だが それよりも鉱物のクセしやがって吸水性保湿力とかミョーに高杉で 夜になればなったで放射冷却に伴い水分大量放出し捲くりながら 有機物侵食腐敗とかやり捲くりの「異常杉の砂」とか妖怪染みていて 「鬼太郎」等よりも殆ど「蟲師」のセカイ。(ギOコとか出て来ないけど この異常砂の謎がジッちゃん!終いにはすべて解けるぜ!) 「砂の女」が登場してフツーにエロイんだけれど第三章くらいまで 読んでみると地方経済自立問題もリンクしてきて連中の考え方とか イナカモンの癖しやがって何だ知らないがスゲーまとも杉。 ところでボルヘス「ウクバル」と同様この話って昭和三十年が 舞台なんだけれど、その後平成になって耐震偽装マンション問題が 起きる。うーん。フィクションセカイからゲンジツセカイへの 侵食侵入が既に50年前よりこの小説の中からさらさらさらさらと 流れ出して来ていてボルヘス「トレーン」みたいな 超々高質量金属塊見つかるーみたいなそんな感じだしみたいな 「いーじゃないですかーおきゃくさーんヒトゴトだしー」 とわ女のセリフ。 話を戻すが主人公男子が脱出を試みては失敗の繰り返し。 「いつもこうだ!いつもこうだ!いつもこうだ!」 精神年齢17歳高2病男子約一名カミーユ節健在也よ。 穴に連れ戻されて村人たちと交渉し「砂の女」と公衆面前で マグワウ事を承諾。事を有利に運ぼうとするが今度は女が 主人公男子の上、マウントポジションより繰り出す鉄拳制裁。 「修正してやる!修正してやる!修正してやる!」 精神年齢17歳高2病女子約一名カミーユ節健在也よ。 女子にとってわプライヴァシーが一番大事ですから その為なら惚れた男とかでも兵器で殴りますが、何か? 第三章で地方経済圏自律系が女の口から語られるが 彼女の欲望も同時に語られる。鏡とラジオが欲しい。 とゆー事は女子ってやっぱりコミュニケーションの 動物なんだわ。でも主人公男子はもっとずっと身勝手な ホモエコノミクスで砂の穴の底に「自分だけの金鉱」を 見つけてしまう。女にも暫らく黙っていようとするが 結果的に・・・・・もちろん都会人主人公男子の 選択決断は彼個人の自由意志によるものですし 彼個人の完全自己責任の領域です。 「いーじゃないですか。彼の人生なんだから。 てか、おまいらにしてみたらヒトゴトなんだし どでもいーじゃーん」みたいなそんな感じだし みたいな。でもやっぱあったま悪杉いー リスク考えてねーしこの漁村拉致されて来て 台風とかで死んでる奴とか多杉だし…dismissed. | ||||
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| おそらくこの小説は好き嫌いがとても大きく分かれる作品のはずだ。 内容も複雑怪奇だったり人物の心理描写もかなり難解な書き方をしている。 安部公房自身が本人の意向を悟られたくないような文を書く人であり、 この小説も御多分に漏れずその傾向が強く出ている。 だがこの小説を読まないで評価を下してしまうのは非常にもったいないことだ。 どんなに時間がかかってでも、どれ程登場人物の心境が把握できなくても、 もう読みたくないと思っても、どんなことがふうに思ってもいいから読み進めて読破して欲しい。 おそらく読み終わった後も読み始めと作品に対する考え方は変わらないだろうが、 それでもこの作品は必ず読んだ人の人生観に何かしらの影響を与えると思う。 | ||||
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| 第三章は蛇足な様な気がする…。 なぐさみ物なら第二章の中で、新種の蜘蛛の存在を予感させるくだりがあり、湧水よりも説得力がある。 それになんと言っても、二章最後の男の言葉がとても好きだ。 「納得がいかなかったんだ…人生なんて、納得ずくで行くものじゃないだろうが…しかし、向こうの方が、ちょっぴりましに見えたりする…このまま暮らしていって、それで何うなるんだと思うのが、一番たまらないんだな…どの生活だろうと、そんなこと、分かりっこないに決まっているんだけどね…すこしでも、気をまぎらせてくれるものの多い方が、なんとなく、いいような気がしてしまうんだ…」 初めて男が女に本心を告げる場面で、それに対して女は「洗いましょう…」とだけ返している。 今の男にはここの生活が全てで、最後には「あいつ、今ごろ、何をしているだろう?」と現実世界の妻を気遣って締められている。 この今自分が脱け出せないでいる不条理な空間から、まだ忘れていない現実に対してボンヤリ想う所もいい。 まぁ、第二章で終わると、冒頭の一文が意味不明だけど…(笑) | ||||
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| 随分前に読んだので細かな内容は覚えていないが、ただ、いまでも印象深く残っているのは女がとにかく官能的、エロティシズムを感じる女だったと。登場したばかりのときはなんだか汚らしい気味の悪い女だったのが、共同生活が始まり物語が進んでいくと妙に色気づいてきて、物凄くエロチックに見えてきた。 砂に囲まれた閉鎖的な空間と、男女ふたりきりしかいないという状況がそうした官能的な部分を刺激していったのかもしれない。 | ||||
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| 非日常的な状況をリアルに描写している。砂の描写はすごい。 読んでいるうちに気分が悪くなるほどに。 テーマとしては自由や生きる意味、幸福、労働となど人生を考えさせられる。 いずれにせよ根源を問われている。 | ||||
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| 砂の世界に囚われた集落と、そこに迷い込んだ男の物語。 砂と共に生きる非現実な日々を描いた作品であるが、 村人に対し、そんな村は捨てて逃げ出せばいいのにとは思えない。 なぜなら「砂」はあくまで比喩でしかないのだ。 この小説を読むと、結局は誰もが砂に代わる「何か」に囚われていることを思い知らされることだろう。 | ||||
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| 子供の頃「棒になった男」を読んだとき、なんともいえない不思議な感じがしたのを覚えている。 この「砂の女」も、夢の中の物語を読んでいるようだ。 今更私が言うまでもないが、やはり彼は天才である。 なんと言っても、比喩表現が素晴らしい。随所にちりばめられる比喩表現だけで、一つの物語が成立するぐらいである。そいう意味では二つの物語を読んでいたという錯覚さえ覚える、何もかも超越してしまった感さえする。 また、文章のテンポも絶妙だし、何せ気が利いている。そんなわけで、読んでいて退屈などする訳がない。 男の葛藤と、女の達観した姿勢… 最終的にはこういう生活も良いのかもしれないと思えてくる。 自分も現実逃避して、この男のような体験をしてみたいと思うくらいだ。 砂の支配する部落へ主人公の男が迷い込んでいく… 導入部分から、既に物語に入り込んでしまっている自分がいる。 非現実な世界を、とことんリアルに描く。 間違いなく、これは単なる文学を超えた「芸術作品」である。 | ||||
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| この作品では、最初の第1章でいきなり結末が明かされる。 それなのに、男が閉じこめられた砂の底の家から脱出を試みるたびに、今度は成功するかとハラハラしている。 その絶えざる流動によって、いかなる生物をも、一切うけつけようとしない砂。定着をやめて、砂の流動に身を任せてしまえば、もはや競争もありえないはずである。 このように砂に対して言いようのない衝撃と興奮をもつ男が、とある砂に囲まれた部落で、 砂かきをやめれば部落全体がダメになるから男手が必要なのだ、という理不尽な理由から、囚われの身となる。 当然男は、毎日砂をかくことの繰り返しという生活に何の意味も見いだせず、何度も脱出を試みるが、うまくいかない。 どこまで行っても城にたどり着けないカフカの小説のように。 そして、部落の男たちに油断させるため、まじめに砂かきをするふりを続けるうちに・・・。 とにかく、この作品は、それほど長くもなく、比喩を多様した見事な文体で、ぐいぐいと読者を引きつける魅力がある。 一読の価値ありである。 | ||||
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| 砂の女は、安部公房の特徴が表れている作品といえるだろう。安部文学の砂漠的な、どこか、異国的で人間の実存を深く抉るようなカフカ的な側面と非常に日常的なそれでいて、どこにもないような世界が上手に織り込まれている感覚が「砂の女」にも確かに存在している。一体、砂とは何であろうか、主人公の教師は作品の初めから終わりまでこの問題と格闘することとなる。砂は時として、物理的な存在として、また、精神的な幻想の表れとして、我々の前に姿を現す。しかし、この砂は決して、確定された存在では無い、それは、形容しがたい「砂」である。安部公房はかつて言語化できるなら、小説など書かない、小説とは意味以前の何かを描くための一形式であると言った。つまり、この「砂の女」においてもおよそ大意だとか、作者の主張を説明することは無意味であるだろう。 仮に、上述のようなことを前提として、言うべきことがあるとすれば、簡単な感想を提供するしか無いと思う。この小説を読んで、私は自分の実存について考えさせられた。私は一体何の意味を持ちうるだろうか、意味というものは、ともすれば無意味である。しかし、人は意味つまり、目的無しに済ますことができないのだろうか。主人公の教師は、作品の後半部分において、自分がこの砂の穴の生活に目的を感じ始め、穴から逃げて戻ろうとしている「現実」の無意味さを思うが、これは、理由のないことでもない。日々の砂運びの仕事に打ち込むことで安心し、満足感を得る主人公の教師、この心境は、このレビューを書いて意見の提供を目的とする私にも言えることだろう。 以前、アルベルト・カミュの「シーシュポスの神話」を読んだが、「砂の女」において示されているテーマとも実存を問うという点では共通性があるとも感じられる。シーシュポスは永遠に叶わない目的の為に永遠の努力をする。それは、とても幸福なことであるらしい。「砂の女」に出てくる教師も穴から出るという目的のために努力するが、穴から出て、何をするというのか、結局新しい穴に囚われて、努力するだけではないだろうか、少し、私見を述べすぎたが、一つだけ言えることがある。 この作品は小説というだけでは無く、我々自身にとっての重大な問題でもある。 | ||||
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| 砂丘に昆虫採集に出かけた主人公は、砂穴の底に埋もれていく一軒家に閉じ込められ、そこでの生活を余儀なくされる。 隔絶された世界の中で、自己の存在理由を問いています。 人は不条理な状況下に置かれても順応する生物なのかもしれません…。 「納得がいかなかったんだ…まぁいずれ、人生なんて、納得ずくで行くものじゃないだろうがこのまま暮らしていって、それでどうなるんだと思うのが一番たまらないんだな…どの生活だろうと、そんなこと、分りっこないに決まっているんだけどね…まぁ、すこしでも、気をまぎらせてくれるものの多い方が、なんとなく、いいような気がしてしまうんだ…」 | ||||
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| 安部公房の作品の中で最も知られ、読まれているであろう作品がこの「砂の女」。 内容は他のレビューで数多く触れられているため割愛致します。 「砂」という「定着しない物体」の中に放り込まれた男、 男の言う「自由無き世界」、その世界に当たり前のように「定着する女」。 「自由」「希望」「夢」「生きがい」というものに対する 価値観を激しく揺さぶられる作品です。 そして、文学としての評価はさることながら、 この作品の特筆すべき点は、 エンターテインメント作品としても 超一流だということでしょう。 分り易い言葉に文章、情景や心理が手に取るように分る見事な比喩、 否が応でもハラハラとさせられる構成。 ページをめくるごとに読み手も 砂に支配された混沌の世界へ放り込まれることでしょう。 読み終り、砂の世界から解放された時、 何かを見つけ、感じることができるのではと思います。 本書は1962年、今から約50年も前の作品です。 読む前から、「古いんじゃないか?」と、 思ってしまう方もおられるでしょう。 しかし、本書を読めばそれは大きな間違いだったと気付くはずです。 良い作品というのは普遍性が高いため、時代を超越します。 特に、酸いも甘いもを経験している社会人の方には 是非この本を手に取って頂きたい。 | ||||
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