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(短編集)
砂の女
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【この小説が収録されている参考書籍】
砂の女の評価:
| 書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.30pt | ||||||||
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全181件 81~100 5/10ページ
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| 昆虫採集の為立ち寄った村で捕えられ、砂の穴の底にある一軒家で女と共に日々砂掻きをするだけの生活を強いられる中年の主人公。 その生活をから逃れるべく日々闘争のチャンスをうかがう主人公だが・・・ 戦後の社会に生きる人々に向けた寓話なのだと思う。 ただ解釈は読む人により異なるだろう。 私などは現在の状況がまさにこんな感じじゃないかという気がしている。 余談だが、毎日砂掻きをしないと人が住めなくなってしまう状況は、私の様に豪雪地帯にすむ人間にとっては砂を雪に置き換えるだけで容易にイメージができた。 | ||||
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| 安部公房の著作を初めて読んだが、初めて見る世界に戸惑い、そして魅せられた。 砂に埋もれていく集落、砂を掻きだすことだけを生活に生きている女、その女を幽閉する村人、半ば騙されてそこに閉じ込められた旅人、必死に逃げようともがく様の中に、人間の欲望や感情を隠すことなく露わにした本作は、他に類を見ない異端の作と言える。 著者安部こうぼう自身も東大医学部まで行って作家になるという異端の人生を歩んでいるようなので、正に異端者だからこそ描けた小説といった印象。 この小説を見ずに、この不思議な物語を味わわずに生涯を終える人は可哀相だとすら感じてしまう、そんな作。 | ||||
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| 安部公房の『砂の女』を再読した。 昆虫採集を趣味とする、教師である男がいた。かれは、砂に惹かれ、砂原に住むハンミョウに惹かれ、ひとり砂原を歩く。 日が暮れ、もはや帰途につけなくなった男は、行きずりの部落で宿を借りることにする。あてがわれたのは、ひとり女の住む、砂原にぽつりと空いた穴の底の一軒家だった。 翌朝、男は帰してもらえない。昨夜はあった縄梯子は取り去られていた。男には、女と生活を共にし、家屋が砂で埋まらないように砂掻きをすることが期待されていたのだ。 男はしゃにむに脱出しようとするがなかなか成功しない。男に待つ運命は…? 非現実的な設定ながら、同時に、徹底的にリアリズムを追求して書かれた小説として読めるのは、多くの評者の言うとおりだ。公房は、冷徹な観察眼を保ちながら、物語を駆けさせる。読者を置いてけぼりにするほどの勢いで。私達はいつの間にか、砂穴のなかの家屋で繰り広げられる悲喜劇が、とおく現実を離れたものであることを見失う。 もうひとつ付け加えておかなければならないのは、随所に見られる周到な比喩表現だ。これらは、作品の単なる彩りであるにとどまらない。むしろ、これらの表現があってこそ、男の切迫感が、まばゆい日光が、砂の熱気と喉の渇きが、水の潤いが、男と女の欲情が、読者の眼前で顕在化するのだ。 あれほど必死に逃げようとしていた男はしかし、一度決定的なチャンスで失敗した後、季節の移ろいとともに次第に変貌をする。 男は、自らも気づかぬうちに、萎えてしまったのだ! 人は絶望の中で希望を枯渇する。しかし、いざ絶望を抜けだすと、虚脱する。 なんと逆説的で、なんと皮肉で、なんと精確な人間診断であることか。 | ||||
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| 昆虫採集を目的に砂丘にある村を訪れた男が、砂穴の底に埋もれていく一軒家に閉じ込められる。 ある日突然、日常の中に不条理が紛れ込んで非日常に転落し、普段何気なく享受していた”自由”を取り戻すための闘いを余儀なくされる、という世界観はカフカに似ているように思います。 この作品でも、「砂」が自由を奪うものの象徴であり、「女」はすでに自由を諦め砂と共存していくことを受け入れています。一方で「男」は砂に縛られる女に苛立ち、砂からの解放を求めて脱出を試みますが、「男」が回想する”自由だった世界”も決して明るいものではありません。また、”砂からの解放”が目的化し、自由を取り戻せたその後どうするのか、男にも明確な答えはないようです。 そして「村人の監視のもと、海を眺める時間がほしい」というささやかな自由を手に入れるために、理不尽かつ破廉恥な村人の要求にも応えようとした「男」が、ラストに訪れる脱走のチャンスを、今でなくても良いと見逃します。「男」もまた、「女」と同様に砂の虜になった瞬間です。 人が生きていく中で、この”砂”に象徴される「自由」を奪う理不尽なものに出会い、それと折り合いをつけていくことが求められます。それは人間関係であったり、仕事のノルマであったり、病気や怪我であったり、人によって様々でしょう。対処しなければ埋もれてしまい、そしていつ果てるともなく降り積もってくる、このストレスを”砂”として具体化・可視化した安部公房の発想には芸術的なものを感じました。 はじめはその理不尽さに反抗し、その状況から脱しようと様々な試みをするでしょうが、その試みが無為に終わるうちに、次第にその状況を受け入れてしまう。また、その脱出が自己目的化してしまい、何のための努力なのかを見失ってしまう。この「男」の姿は、ストレスフルな時代に生き、それに妥協しがちなわたしたちの姿です。そしてこの普遍性こそが、いつまでも読み継がれ、20か国語に翻訳された『砂の女』の魅力なのでしょう。 | ||||
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| 文藝春秋にて、田中慎弥氏がおすすめの1冊として本作品を挙げていたこと をきっかけに読んでみた。著者の思考の中から生み出された、現実味のない 奇妙な世界が描かれているが、主人公が砂の穴から抜け出そうと様々な手段 を考え、努力する姿や、部落の人々に対する憤りの感情に共感を覚えながら 読み進めた。逃亡の試みとその妨害の場面は緊張感があり、サスペンスとし て楽しめた。 本の背表紙での紹介には、「人間存在の象徴的姿を追求した書下ろし長編」 とある。誰にでも、本作の状況まで過酷ではなくとも、多かれ少なかれ理不 尽と思う環境に閉じ込められることはあるだろう。それは、学校、職場、家 庭、どこにでも起こり得る。 その環境下でどう行動するか。本作の主人公は自ら築いた<<希望>>の中から、 自由に生き抜くための強力なツールを得た。読者は本作を通して、自身が暮ら す環境内での振る舞い方を考えさせられる。 | ||||
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| 中毒的な面白さ 読む手が止まらない ページから砂がこぼれてくるんじゃないかと思う位の その世界を読者に体感させる文の具現力 読後、月日がたって、なぜだか あの砂地獄がとても懐かしくなって、再び体感したくなる。 あの場所にまた戻りたくなる。 不思議だ。 | ||||
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| 安倍公房の中では読みやすいとのレビューなどを参考にしながら読み始めました。途中の緊迫した状況などもどうなるのかと思いつつ読み進めていき、結局、読み終わってみて、また気になった個所などを読み返しました。すると、読み返すたびにますます面白くなっていきました。 一回で読み終わるにはもったいないのかもしれません。私にとっては初めての感覚の本でした。まだのかたは、是非手に取ってみてください。 | ||||
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| 昆虫採集マニアの教師・仁木(31歳)は、珍しい昆虫の発見を期待して砂丘の村にたどり着く。夕暮れ時となり、仁木は老人の案内で砂丘の稜線に接した穴の中にある民家に泊めてもらう。この家には女(30代)が一人で住んでいて、夫と子どもはどちらも砂に飲まれて死んだらしい。女は、穴に入り込んでくる砂をひたすら掻き出すという奇妙な生活を送っている。女によれば、こうやってせっせと砂掻きをしないと部落がいずれ埋もれてしまうらしく、彼女は砂掻きをすることで村役場からいろいろ差し入れをしてもらっているらしい。砂防林をつくるよりもこの方が安上がり、とのこと。 あきれる仁木だが、ほどなく、この穴の家に女といっしょに閉じ込められてしまったことに気づく。女は、この生活から抜け出ようとまったく思っていないし、仁木の怒りに対してもかみあわず、のれんに腕押し。ある日、仁木が家の板をひっぺがしてはしごをつくろうとしたとき女がそれをやめさせようととびかかってきて、このときのなりゆきで、そのまま二人は肉体関係を結んでしまう。砂掻きをしないと水をもらえない。村人は火の見櫓から双眼鏡で二人が仕事しているかどうか(+二人のプライバシー)を観察しているらしい。仁木はいったんはおとなしくして、ある日、カギ縄をつかって女が寝ている間に脱出成功。しかし、結局は部落にまた迷い込んでしまい、村人につかまって連れ戻される。 今度は村の老人に談判すると、二人のセックスを見せてくれれば考えてもいいけど・・みたいなことをいわれ、仁木はしかたないかとかんがえるが女は断固拒否。そんなとき、穴の家でわき水がでてくる。仁木はこれで「仕事サボる→水攻め」という心配から解放されるとともに、水くみだし装置の研究に没頭するようになる。女は妊娠し、病院に連れて行かれる。このときから、仁木はあわてて脱出することもないと思うようになり、結局、このままこの村に居着いてしまったらしい。 コスト上の理由でせっせと砂を掻き出すという奇妙な生活への適応というのは奇妙な心理状態ではるのだが、人間というのはこういう理由はあるけど意義のない仕事に捕らわれがちであるのだから、奇妙にみえてそれほど奇妙なわけでもないという戯画なのかもしれない。 安部公房はおもしろい比喩や蘊蓄表現が多い。 錆びたブランコをゆするような、ニワトリの声で、目をさました(P50)。 濡れた生フィルムのようなかげろう(P58)。 死んだ蝿の脚のような活字に視線をおよがせる(P101)。 なかみの分からない荷物は、好奇心という引き金つきの爆薬だ(P127)。 文明の高さは皮膚の清潔度に比例しているという(P136)。 性病は、人類の連帯責任なのだ(P151)。 などなど。 | ||||
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| 突拍子もない舞台設定で、そのファンタジックな部分と、ものすごくリアリティのある人間の個人および集団の心理の描かれ方が素晴らしいです。 小さな運命共同体に対するイメージは、この本から受けた印象が抜けない。 排他的なんだけど一度取り込んだら逃がさないぞ〜っていう怖さ。 本作に限ったことではないですが、作者の情景描写の表現力が素晴らしいと思います。 | ||||
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| 安部公房さんの著作。 1962年(昭和37年)に出版された小説。 独特の世界観に引きこまれていく感じがした。 男(仁木順平)は昆虫採集の途中で砂の穴の家に 罠のごとく閉じ込められる・・ 女との共同生活をしつつも脱出を図る。 一度脱出しかけるが・・連れ戻される。 男の・・人間の変化が上手く表現されている作品であると思う。 女との関係、水の発見、溜水装置、穴での生活が充実するにつれ 無理やりに脱出しようとしなくなる男。 まさに罰がなければ、逃げる楽しみもない。 ドナルド・キーンさんの解説も良い。 芥川龍之介の羅生門のように耐えず隠れている意味を熟考する必要などはないのも 読みやすい。 | ||||
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| 自虐的だけれど、自尊心が肥大化しているような、ある ”男” の物語。 妻や同僚を誑かそうとしたのか、はたまた人生を悲観視して逃げ出したのか、、 男は昆虫採集を表向きの理由として、都市から離れた砂地の部落に迷い込み、 部落の都合により、”女” が住み着く ”砂穴” で軟禁状態となります。 男は、部落や諦観した女を嫌悪して、どうにか砂穴から抜け出せないか画策しますが、 砂穴から逃げる事、脱出方法への考察、砂穴でより良い水を得る研究へと、目的が変質していきます。 人の思考がバラバラになり、目的、優先度、欲求も、どんどん変わります。 この辺りは、狂人への過程のようで、嫌悪感もあるし、非常に恐怖です。 ただし、元の生活を送っていた ”男” にとっては、 教師生活、”あいつ”からは愛想をつかされている結婚生活は、 閉ざされた穴のような世界であったようです。 結局は、その穴から、別の砂穴に移っただけで、苦しみが永遠に続く物語だとも思います。 ”男” は、自分自身からは、どうやっても逃げ出す事は出来ません。 自分自身がひとつの大きな砂穴であり、一生その穴からは逃げる事は出来ないんだろうな、と、 不気味で目を背らせたくなる小説でした。 | ||||
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| 当原作を読んだ後、当原作の映画版dvdも鑑賞した。岸田今日子が家内を演じる砂に埋もれた周辺が砂の家で砂が混じったご飯を旦那が食べ岸田今日子が不満な主婦らしく小言を言ったりし、旦那が砂の壁を這い上がってその砂の家屋から逃れようとするが逃れられない、以前xjapanのhideがpinkspiderという曲を発表後警察発表では自殺だったが不審な死の事件があったが… | ||||
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| 何度読んでも面白い作品ですが、子供の読書感想文向け、ではないのかも知れません。 | ||||
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| 安部公房「砂の女」を読了。砂の中での生活。主人公は地上に出たいが、砂の中での生活を選んだのだのだろうか。砂の中でも地上でもどちらでも生きていることには変わりが無い。砂の外で自由な生活を送るか、砂の中で集落の存続のために働き、その報酬として生活の糧を支給されるのか。どちらを選んでも生きていることには変わりが無い。資本主義社会と社会主義社会の対比にも思える。どちらを選んでも人間は生きるしかないのであろうか。生きることだけが真の目的なのか。作者は完全なる虚構の世界から読者に問いかける。 | ||||
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| 面白い比喩が多く外国文学を読んでいるようだが、そのことが著者の弾むような日本語の美しさを際立たせている。多用される・・・からもわかるが、著者は日本語の音の部分に非常に重きを置いていたのではと思う。 この小説は何カ国語にも翻訳されているようだが、日本語で読めたことは幸せだと感じた。 | ||||
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| あらすじや結末を知った後でも読む価値が十分にある本だと思います。 砂の穴の中での生活の描写は、恐怖と熱がそのまま伝わってくるほどリアルで、ただ「苦しい」や「はらはらする」では表現できない気持ちで読めます。主人公である男の感情は多くの言葉で書かれていますが、その奥にある変化は書かれていません。書かれていないそれに、深く考えさせられます。 どんな本?と聞かれてストーリーを説明するのはとても簡単です。シンプルで恐ろしく、強く響く本です。 | ||||
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| 繰り返す日常に飽き、疲れ、意味も無く苛立ち、そこからほんの少しずれてしまいたいという気持ちは 誰にでもあることではないでしょうか。 この本は、そんな日常から、好きな昆虫採集を行うために少し逃避をしようと旅行をした男が、 知らず知らずに砂に囲まれた奇妙な部落の罠にかかり、抜け出せなくなってしまうというお話です。 まるでその情景を見ているような徹底的なリアリズムで、 砂の穴の中で生活を行う男女の労働、人間模様、そして性交、その苦痛やひそやかな楽しみを、 緻密な描写で描き出しています。 こんな砂だらけの、砂かきをしないと10日もせずに崩れて消えてしまう部落など現実にあるはずがないのに、 あまりに描写が緻密で危機迫っているために、非現実だと冷めた目線で見る事が出来ず、 ぐいぐいっと小説の世界に引き込まれ、罠に陥れられた男と一緒になって、 手に汗握るような気持ちで穴からの逃亡を切望してしまいます。 砂という素材が、湿ったり、塩けを含んだり、氷と混じったり、からからに乾いたり、さまざまに変化をして、 小説の中で重要なエッセンスの役割を果たしています。 砂の穴の中の小さな家で、特筆すべきことは何も起こらず、モチーフも少なく、登場人物も少人数なのに、 次々と展開が変わり刺激の多い小説よりも、ずっと深みがあり、心を奪われる面白い小説です。 思わず砂の家や砂の質感を想像し、頭の中で映像にしたくなります。頭の中で物語の続きを考えたくなってしまう。 根源的な、じりじりとひりつくような性欲やのどの渇きと、絶えず考察する冷静な理性。 そういうものがねっとりと描写されていく中で、さらさらと変わらず、絶えず流動し続ける砂、砂、砂・・・ 繰り返す日常の中に求めた非日常、そしてその先にまた続いていた、茫々とした日常・・・ 小さな構図に、一人の男の人生が描かれ、それに非常な興味を惹かれて、何度読んでも飽きない傑作です。 | ||||
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| 10年ほど前に読んだが、今でもはっきり内容、文体を覚えている、それくらい強烈な印象を受けた。 一読すると、設定が余りに非現実的で、且つ、暗く、絶望を感じるが、 『読者の住む世界も、所詮砂の家のようなもの、その日々の何気ない生活のなかで 現実を直視し、逃げずに人生を全うせよ。』というむしろ前向きなメッセージを感じた。 | ||||
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| 私は、よく夢を見る。と言っても、将来、実現させたい「夢」ではなく、睡眠中に現れる「夢」である。私の夢にはいくつかのパターンがあるが、一番多いのは、どこか知らない土地に行ったのはいいが帰り方が分からず、いろいろ試みるがどうにもならず途方に暮れるというものである。何らかの解決法を思いつけばいいのに、夢の中の私は全く以て無力・無策なのだから、嫌になってしまう。 初めて『砂の女』(安部公房著、新潮文庫)を読んだ時、この私の夢と同じような感覚を覚えた。主人公の「男」が置かれた境遇と行動が、夢の中の私のそれとあまりにも似ていたからである。 砂丘に新種の昆虫を探しに出かけた男が、蟻地獄の巣のような砂穴の底に埋もれそうな一軒家に閉じ込められてしまう。あらゆる方法で脱出を試みる男。その家が埋もれてしまわないように、常に砂を穴の外に掻き出す人手として、男を穴の中に引きとめておこうと必死な女。そして、穴の上から男の逃亡を監視・妨害する部落の者たち。 男が脱出しようとして、砂の底なし沼にはまり込んだ場面――「夢も、絶望も、恥も、外聞も、その砂に埋もれて、消えてしまった」。脱走に失敗して、再び穴の中に連れ戻された男が女と再会する場面――「夜明けの色の悲しみが、こみ上げてくる・・・互いに傷口を舐め合うのもいいだろう。しかし、永久になおらない傷を、永久に舐めあっていたら、しまいに舌が磨滅してしまいはしないだろうか?」。男が、まだ脱出を諦めていない場面――「脱出に失敗してからというもの、男はひどく慎重になっていた。冬眠しているくらいのつもりで、穴のなかの生活に順応し、まず部落の警戒を解くことだけに専念した。同じ図形の反復は、有効な保護色であるという。生活の単純な反復のなかに融けこめば、いつかは彼等の意識から、消えさることも不可能ではないだろう」。女との生活の場面――「孤独とは、幻を求めて満たされない、渇きのことなのである。だから、心臓の鼓動だけでは安心できずに、爪をかむ。脳波のリズムだけでは満足できずに、タバコを吸う。性交だけでは充足できずに、貧乏ゆすりをする」。やがて、男に変化が表れる――「いぜんとして、穴の底であることに変りはないのに、まるで高い塔の上にのぼったような気分である。世界が、裏返しになって、突起と窪みが、逆さになったのかもしれない」、「べつに、あわてて逃げだしたりする必要はないのだ」。 これは、まさに不条理の世界であるが、男の行動と思考を通じて、人間の自由とは何か、人間にとっての日常とは何か、男と女の関係とは何か――を考えさせられる。 この不気味な、また、ある意味ではユーモラスな作品は、今では、私が仕事上で、あるいは私生活面で難問に直面したときの精神安定剤の役割を果たしてくれている。 | ||||
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| 最近、ノーベル賞の選考委員が明らかにしたところによれば、ノーベル文学賞受賞の最有力候補として阿部公房の名前が上がっていた事が明らかになりました。 ノーベル賞の規定では死者は受賞資格を失うとあり 阿部氏が夭折しなければ、受賞は間違いなかったとされています。 阿部氏は、まさに幻のノーベル賞作家でした。 阿部氏と同時期には三島由紀夫が最有力と噂され、最近では村上春樹が次の日本人ノーベル賞作家と目されていますから 見落とされがちですが、実は阿部氏がノーベル賞作家となった人物だったわけです。 砂の女は、この阿部氏の代表作であり 砂丘の蟻地獄の底にある一軒家にたどり着き、そこに住む女と同居する。 社会主義に似た暮らしをする部落が存在して、そこで砂を掻き出す生活を繰り返しながら 脱出を試みる男 この世界だけでも、どこか、何かを感じさせるものがありますが 阿部氏は、そこに複数の素材を散りばめて、人間というものを考えさせてくれています | ||||
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