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むらさきのスカートの女
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むらさきのスカートの女の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.46pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全201件 121~140 7/11ページ
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読み進めやすい文体ではあるものの、ストーリーとしての面白さは私にとって物足りず、なにか得るものや強いメッセージを感じるものでもなく。そういう意味で、本作は私にとって、なぜロングセラーか理解しづらいものでした。 | ||||
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私の人生における何度目かの、相当に熱い「読書ブーム」が到来している。11月某日、新幹線で移動中に、この本を読み始め、車窓からの眺めに目をやることもなく没頭。ホテルにチェックインしてからも読み続け、外に出るのが億劫になり、ルームサービスを注文した。これでは旅に出た意味がないと言う人もあろうが、日常を離れた旅先の読書は格別だ。ところで、今村夏子の小説を読んだのは、これが初めてなのだが、村田沙耶香の作品と相通じるものがあると感じるのは、私だけだろうか。この二人は、同世代なのか。何冊も読んだわけではないのに、勝手なことを言うようだが、「変人文学」とか「フシギちゃん文学」とか呼びたくなる。少数派の「変人たち」vs.多数派の「普通の人たち」の構図が描かれ、主人公は当然、少数派の「変人たち」のサイドにいるのだが、では、世界に対する違和感や疎外感を覚えて生きづらいのか?というと、そうでもなさそうだ。いや、むしろ己れの「変人ぶり」を熟知しつつ、それを十全に楽しんでいるような━━こうなれたら、向かうところ敵なし。最強だ。羨ましいことである。 | ||||
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読み始めて3ページ目で止めようと思った。何だこれはと。単なるストーカーものじゃないかと。 だけど腐っても芥川賞受賞作。何か良い所が有るんだろうと思い、我慢して最後まで読んだら、うーん、そう来たかと。なら、まあまあかなと。 最後まで読めたのは一にも二にもその文体ゆえ。読みやすいし、完結にして明瞭だ。けれど・・・。 芥川賞だからなあ。正直、新人作家に与えられる文壇最高の賞がこのレベルで良いのかとも思う。もっと高潔で気品のある、「新しい」作品であって欲しい。 | ||||
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読者は最初、看板(タイトル)に掲げられている「むらさきのスカートの女」に興味をそそられ、主人公の「私」と一緒になって観察に夢中になっていくのですが、読み進めていくうちに徐々に「私」の「むらさきのスカートの女」に対する異常なまでの執着に不気味さを感じ始め、今度は「むらさきのスカートの女」を観察する「私」を観察することに夢中になっていきます。そんな自分に気付いてたとき、この本の面白さ(作者のねらい)はコレか⁈ と驚愕しました。 誰かを誰かが観察し、その観察者をまた誰かが観察する…入れ子的な構造に背筋がぞくっとしました。 | ||||
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「むらさきのスカートの女」の単語が全ページに出てくるのには辟易するが、 日常的に良くある話題で進行していて、最後は自分に帰ってくる構成が面白い。 このタイトルを忘れることは無いだろう。 | ||||
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文章は読みやすく、1時間程度ですらすら最後まで行けた。 最後があまり納得行かない感じだった。 あれほど執着していた紫のスカートの女の行方を探すような感じもないし、急に最後論点がずれたような締めくくり方だったので星みっつにしました。 若干コンビニ人間に雰囲気が似ていると思います。 最近の流行りなんでしょうか。 でもコンビニ人間の方が終わり方はしっかりしていたと思います。 | ||||
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この作品は、美しい描写があるわけでもなく、魅力的な登場人物が出てくるでもなく、至って平凡な書きぶりの物語というと怒られるでしょうか。 この作品を読むとYouTubeを開くといっぱい出てくる独身女性のありきたりの日常のルーティン動画を思い出します。今、こういう動画が人気があるのですね。奇をてらった受けを狙う動画でなく、どこにでもいる普通の女性が登場する洗濯したり、歯みがきしたり、料理作ったりする当たり前の日常生活を切り取っただけの動画です。 文学もいっしょかなと思ってしまいます。文学も成熟しつくして、もうネタがないのでしょうかね、てなっ、ことはないですよね。わたしは、単純に感動する話を読んでみたいです。そして、いつまでも心に残る文学を読んでみたいです。 | ||||
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奇妙に面白かった。 黄色いカーディガンの女は、自分がむらさきのスカートの女になりたかったんだろうか… 分からんけれど楽しく読んだ | ||||
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著者が、芥川賞受賞インタビューの中で「書くのは辛くて、嫌だと思うときの方が多いけれど、でも書くのが楽しいから書く」と話すのを聞き、とても「素」の方だなぁと感じたのがきっかけで、初めて今村さんの作品を手にしました。 読了した今、改めて今村さんの授賞式インタビューを見たくなりました。 なんともつかみどころのないフワフワした気持ちの悪さが残っています。 主人公(黄色いカーディガンの女)の行動が、とても不気味で、何を考えていてどうなるのか、先が気になり一気に読み終わりました。小心者なのに、常識や善悪というものに我関せず、淡々と行動しているような主人公に、冷や冷やしました。「お金がない=食い逃げする」という行動に、思わず「え〜〜」と驚かされました。でも、捕まらないでほしい、どうぞこういう人は見逃してあげてくださいと願う自分がいました。とても不思議な気持ちです。善悪と自分の思いがあったら、自分の思いをとる主人公に「この人どうなっちゃうの?」と魅きつけられました。 自分が感じることをなんのフィルターも通さなかったら、私自身の中にも案外主人公と同じような感覚があるのかもしれない、自分の中の本性について探ってみたくなりました。もし、主人公と同じような感覚が発見できたら面白いと思いました。 | ||||
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なんか物足りない | ||||
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主人公の、むらさきのスカートの女との没関係性を一つの構図として、その仕掛け一本で最後まで描き切った小説で ある。それだけ、本当にそれだけの小説。見事と言えば見事であり、あっぱれと言えばあっぱれである。もっと何かあるのではないか、もっと何かないかと思う内に小説を読み終えてしまった。奇妙なドライブ感だけを残して。。。 それにしても読み易い小説である。こう言う作品もあるのか。芥川賞に対するイメージが変わったよ。 | ||||
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まだ読んでいません。 | ||||
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ずっと今村夏子さんのファンでしたが、この作品で芥川賞なんてがっかりです。 この作品を喜び勇んで読み終わった直後、ああ今回はダメだった、芥川賞また逃しちゃったな、と思いました。でも獲れたなんてビックリです。 おそらくこれまで「あひる」「星の子」で受賞させてあげられなかったので、そろそろ今回で……程度の理由で選ばれたんじゃないでしょうか。 これが今村さんの代表作になってしまうのだとすれば、芥川賞のした仕事は最悪です。 今村さんの小説は正体不明の違和感を描くことに優れていますが、それが定着してこの本では最初から狙っていったかんじです。正直、鼻につきました。いつも文章全体に漂っている詩情も、今回はありません。一言で言えばペラいです。 これまでの作品を読んできたかんじ、今村さんは少女が主人公の話のほうが良く書けるようです。大人を主人公にするとただ気持ち悪くなるだけということがわかりました。 このレビューを読んで今村夏子を読もうか迷っている人は「こちらあみ子」を読んでください。デビュー作にして最高傑作です。 | ||||
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文藝春秋に全文載ってて、面白そうだ読んでみたけど、分からない。 結局なんだったの? 何だったんだろう。 最後の最後で、「誰か」が分かったけど、 だけど何なんだろう。独特の世界観といえばそうなんだけど。すごく、モヤモヤする。 | ||||
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黄色いカーディガンの女がむらさきのスカートの女に違いない | ||||
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今迄体験したことのないような文体、構成で、想像力で書かれた作文と思いました。もいちど考えながら、じっくり読み返してみようとおもっています。そうしたら納得がいくかな?と思っています。 | ||||
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「五十嵐レイナのパンツ」などの稚拙なギャグ、むらさきのスカートというなんの暗示にもなっていないモチーフ、「私はあの人と友達になりたい」というあこがれありきで無い物ねだりの動機で動き出す主人公。 これらはすべて、漫画やライトノベルの手法である。 試しに、この本を読んだあとに、中学生や高校生、あるいは小学生の頃に読んでいた漫画本やライトノベルを取り出して、読み返してみればいい。 読後感やユーモアのセンスが全く同じだと気がつくはずだ。 私の場合はこの作品を読んだあと、押入れのダンボール箱に詰め込んでいたクレヨンしんちゃんをなぜか思いだした。 はて、おかしいな、今の感覚では思わず顔をしかめてしまう、お尻丸出しのあの漫画をどうして今さら思い出したのだろう。 そう疑問に感じ、押入れの下段の右奥で眠っていたその本を取り出した。 が、あらためて読んでみて気がついた。 「おねいさーん、いかすぅぅ」などと叫びながら女性に歩み寄るしんちゃんのセンスが、この作者の持つユーモアセンスと酷似しているのである。 五十嵐レイナのパンツを盗んだなどというくだりは、野原しんのすけが水着のおねいさん追いかける様子を描き読者の笑いを誘っているのと同等だ。 漫画やアニメ、クレヨンしんちゃんを批判しているわけではもちろんない。 小説あるいは文学とこれらの区別をつけられない作者の浅はかさと技量の低さをなげいている。 芥川賞受賞後のインタビューで、自身の受賞歴に文豪にゆかりのある賞が多いことについて尋ねられた作者は答えた。 「芥川の作品は読みません」 文豪作品の軽視が、作者の創作への姿勢に悪影響をもたらしていないだろうか。 | ||||
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読み始めから最後まで、さらさらと水が流れる様な文が続く。むらさきスカートの女の実況中継をすぐ近くで聞いているようだ。 この奇妙な女が、次に何をしでかすのかが気になって仕方なくなる。その好奇心が次から次へと文を追い続け、巻末まで導く。 物語としてはごく平凡で、特筆すべき点はないのだが、なぜか興味が沸く。空腹でもないのに、もりそばの大盛を完食した感覚に近い。わずかな薬味で最後の一口まで無心にすすり、つゆまでもそば湯で飲み干した感じ。 読後に残ったのは、読書という行為の満ち足りた充実感だ。 多忙が続き、読書から遠ざかっていた。疲れ果てる日が続くと、とても文を読む気になれない。ようやく仕事が落ち着き、芥川賞を受賞したというこの本をKindleで手に入れた。 恐る恐る読み始めた。可読性の高さに引き込まれた。冒頭の数ページでリズムに馴染む。心地よい時間だった。次にどんな本を読もうか考えている自分に気づく。楽しみが増えて嬉しい。 張り詰めた緊張を解きほぐす本。 | ||||
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どこが面白いのか分からず、いつになったら面白くなるのか?と期待していたが、結局最後まで特に面白みがなく、芥川賞って何なの?と残念の気持ちだけが残りました… | ||||
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主人公、むらさきスカートの女の物語が二人を含め登場人物皆がダメな中で紡がれている。皆のダメなところがちりばめられている。しかしそこには決して悲壮感はない、こちらあみ子にも通じるがダメがゆえにそれも感じられないという悲壮というかむしろ幸せというか。著者の独特の世界観が表現されています。 | ||||
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