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むらさきのスカートの女
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むらさきのスカートの女の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.46pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全201件 61~80 4/11ページ
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本作は文庫版の帯によれば、TikTokで「何も起こらないのにおもしろい」と話題になったという。 フローベール以降、近代小説は何も起こらない日常を題材として、叙述に工夫を凝らすことで確立した。一方、ミステリはいわゆる純文学の傍らで、アガサ・クリスティ以降、信頼できない語り手による叙述トリックの可能性を探究してきた。本書はいわばこれらふたつの流れの合流する地点に位置するが、それは純文学と娯楽文学の境界が近年どんどん薄まりつつあることと無関係ではないだろう。 事件らしい事件は不在でも、語り手のトリックが読者を牽引する力になりうる。その点でこの小説は、純文学離れが若者のあいだで進んでいても、若者を振り向かせる力が文学にあることを実感させてくれる重要な例だと思う。 | ||||
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漱石や川端や三島や遠藤、最近だと村上と違って、日本人作家の英訳本は、日本人として、誇らしい気にもなり、少なからず読んで、堪能している。 これも英訳を読むつもりであったが、まずは原作を先に、と。 ところが、あまり面白いとは思わなかった。解説は英訳者自身であり、欧米のベストセラー作家が一様 に褒めちぎっているようにみえたので、期待したのだが、読んで、褒める理由が見当たらなかった。英 訳者と同様、レヴューの殆どに目を通した。それによって、褒める理由は拾い上げられた(と思う)が、 それでもわざわざ英訳を読もうという気にならなかった。 イシグロ・カズオで一躍有名になった「信頼のおけない語り手」式がその魅力のようにも思われるが、 それとは趣旨・ニュアンスが違う。最後まで語り手が正体を隠し、しかし「むらさきのスカートの女」 と語り手が実は同類の、孤独な、ポーカーフェイスな、裏のある女だと語り手が思い込んでいたこと が一種の”誤解”だったことが、最後になって初めてわかる(但し、同類である点は共通)、現代人の 「裏のある、孤独ミステリー」を欧米のレヴュワーは評価するのであろうか。 英語を読まずして言うのはフェアーではないが、おそらくborinigな英語なのではあるまいか。もしそ うでなければ、英訳者の腕・術が抜群なのであろう。今はわざわざそれかどうか自分では確かめない でおく。(でも、フェアーさのためには、読まねばなるまいか...?) | ||||
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観察する私は、観察される女よりももっと悲惨な生活を送っているにも関わらず、誰にも見えていない。私は悲惨な女に心から同情を寄せどうにかして助けようとさえするにも関わらず、私こそは誰にも見られず、助けられず、どこにもいないように扱われ続ける。不可視の弱者は物語の中では不可視のままで、それを可視化し得るのはこの物語の読者である。読者は、ユーモラスな語りが終わった後で、不可視の弱者たちが日本社会のあちこちで不可視のまま生きているという重い事実をずしりと受け取ることになる。と、そんな風に読んでみた。 | ||||
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どうしようもない自身を棚に上げて、他人を監視し批判を繰り返す。 こういった人はどこにでもいるものですね!以前の職場にもいました。 その人も、ネットカフェで暮らしていたのを思い出してゾクゾクしました。 今は数少ない、商店街の雰囲気、女性ならではの生活感がとてもいい。 職場の虐めがとてもリアルです。妙な噂に尾ひれがつくこともありますねー。 嫌すぎる虐めが、更に災いをもたらしています。 不安定な非正規雇用の貧困の中で困窮し、狂わせてしまっていますね。 | ||||
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きっかけは、TikTokのある動画。 学生の時は「朝読書」なんて時間が設けられていたりして、嫌でも本に触れる機会があった。 とはいっても朝読書なんて建前で、本を開いて居眠りしていたり、1時間目に提出しなくてはいけない宿題を、内職しているような生徒などが多くいた。そんな中、私は律儀にも朝読書の時間をしっかり読書にあてていたと思う。要するに、本を読むことが好きだった。 朝読書でなくても、休み時間には自分がトイレに行きたくなければ、教室に残って本を読んでいたし、お気に入りの本があれば、大好きな”かたき”もしに行かず、ひたすら机にかじりついていた。 そんな学生時代を送っていたが、社会人になると読書に割く時間なんてぱったりと無くなる。必要かな、なんて思ってた朝読書が今にになって恋しくなってきた。そんな時になんとなく、「ああ、本が読みたいな」なんて思った。 忙しいとか時間が無いとか、体力が持たんとか色んな正当っぽい理由を付けて、気付けば遠ざかっていた小説を、何の気なしに読んでみたいと思った。 そんな時にTikTokで見かけた「むらさきのスカートの女」のレビュー動画。ひと目でこれにしよう。って思った。 話には聞いていたが、語り手の「わたし」が異常をあたかも正常かのように話す様は、わっ、と来ることの無いじんわりと侵食してくるような狂気を孕んでいた。それは、読んでいた私の恐怖心、そして同時に好奇心を煽らせた。 何となく出てきていた影の薄い彼女が、まさか、とは思ってたけどどんでん返しのあのタイミングで知るとは思ってなかったし、そんでもってわんさか溢れ出る「わたし」の狂気。 じわじわ来ていた「面白い」の感情はその場面でピークに達した。 もう1回読み返したらきっとまた違う面白さがあると思うので、噛めば噛むほど味の出るスルメのような小説だと思った。また、読み返すのが楽しみでならない。 ああ今日は早く寝ようと思っていたのになあ。止まらなくて全て読み終えた頃には、寝ると決めていた時間はとっくに過ぎていた。明日もまた、仕事なのに。 こうなってしまうから小説から遠ざかってしまう。こうさせてくれるから、小説はやっぱり面白い。 今村先生のあとがきも全て読み切り、少し憧れて背伸びをした、こんな自己満レビューを書いている今に至ります。 久々に読んだ小説が「むらさきのスカートの女」で良かった。 今村夏子先生。一言ではまとめきれない面白い小説を生み出して下さり、ありがとうございます。 恥ずかしながら今村先生の名前を知ったのはこの作品で初めてでしたので、他の作品も読ませて頂ければと思っています。 これを機に、また小説に触れる日常を過ごしていけたらいいな。 長ったらしいレビューを失礼致しました。 お付き合い頂いた方、ご拝読頂きありがとうございました。 | ||||
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少し難しかった気がするけど、文章のリズムは好きな感じだった。けっこう最初の頃から語る女と語られる女は同一人物だと決めてかかって読んでしまった。それを確認する言葉や状況を探していたから、普段なら気にするはずの、生活の不安定さとか、女性ならではの会社での嫌なやり取りとか、子供たちからの目線とか、ちゃんと感じられなかった。自分の思い込みで鈍感になってしまった。自分の読み方が残念だ。 でも、語る女に引き込まれたのは確かで、すぐに読み終わっていた。感想を書く前は感情が動かない作品だなと思っていたけど、エッセイや解説を読んでこんなに変わるものかと思った。今は少し寂しいような気分だけど、悪くない感じではっきりしない。また読んでみようと直後に思う作品は初めてだ。それはそれで嬉しい。読めて良かった。 | ||||
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紫のスカートの女が町内で話題の人物で子供から年寄りまで噂するとか、紫のスカートの女を見ると幸せになるとかそういう噂で、、、みたいな話の世界観にどうしても入れず、違和感を抱えながら途中まで読んで、また克服すべく最初から読むんですが、紫のスカートの女が噂になる程世の中狭いです?この本はファンタジーなの? あと公園で子供たちがむらさきのスカートの女に群がるのも想像できないしましてや誰かもわからん女がくれたチョコレートたべんと思う。 | ||||
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いつもむらさき色のスカートを履いている近所のちょっと変わった女性を、語り手である「わたし」が観察し、過去に知り合った誰かに似ている、あの人だろうか、いやいやあの人だろうか、と妄想する場面から始まる本書、読み進めていくうちに割と早い段階から、「むらさきのスカートの女」よりも語り手である「わたし」の方が、よっぽど個性的、「むらさきのスカートの女」と友達になりたいと思いながら行動する姿は、見方を変えればストーカーと言われてもおかしくないほどの、ブラックユーモア的執着を見せます。 今村夏子作品を読むのは『こちらあみ子』に続く2作品目ですが、今村夏子ならではのオリジナルな文体を再び味わうことができ、今村夏子の書く小説の面白さは間違いない、と確信しました。 特に、クスッ!(場面にによっては「グハッ!」)と思わず笑ってしまうさりげない一文がところところに散りばめられているのが良いですね。 たとえば、公園で「むらさきのスカートの女」にかまってくる子供たちに、一粒980円もするホテルの高級チョコレートを配る場面では 「普段食べているチロルチョコレートとの違いが彼らにもわかるのか、子供たちは至福の表情を浮かべながら味わっていた」 と突然リアルな商品名が出て、「チ、チロル!ククククッ」と笑いで息が詰まり悶絶しそうになりました。 「わたし」が中学時代に今まで出会った人間の中で一番の危険人物と思っていた不良の同級生有島さんから一度だけガムをもらったのだが、くれたガムが「梅ガムだった」という、なんでもないこの一文も私の笑いのツボにはまりました。 今村夏子面白いなあ。 巻末のエッセイで、「水曜日のダウンタウン」を観ながら缶ビールを飲んだ、とあり、なるほどユーモアの感性に私の好みと通じるものがある、と妙に納得。 次は『星の子』『あひる』あたりを読んでみようかと思います。 | ||||
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2019年芥川賞受賞作品の小説です。 紫色のスカートの女性に執着する女性の物語です。ある意味ホラー作品のようで女性同士の百合作品のようにも解釈出来ます。 賛否両論ありますが、敢えてこの作品は高評価したいと思います。 何も解決しない解答がない中途半端なミステリーのようで、読者は作品の中に置いてきぼりになるので評価が低いレビューが多いですね。 でもこの紫色のスカートの女は実在したのか?また主人公と紫色のスカートの女は同一人物でないのか? そんな解釈をするととてもメッセージの深い小説だと思いました。 ドライな文章が現代の孤独と閉塞感を表現していて素晴らしいと思います。 著者の今井先生は就職氷河期世代であり、大学卒業後は正社員になれずにアルバイトを転々としたとの事です。その中でもっとも長く続けた職場が、この小説の主な舞台となっているとの事なので体験に裏付いたリアリティーがあります。 現代の日本の格差社会の中、見捨てられたような境遇で孤独な生活を送る女性たちの哀しさ。 このメッセージは現代の芥川賞に相応しいと思いました。 また個人的には百合作品でもあるので、百合好きな方にもお薦めです。 いまの閉塞的な日本社会を生きる孤独を表現した素晴らしい傑作だと思います。 この印象的なエンディングの解釈をどのうように受け止めるか。 この賛否両論のエンディングこそこの作品の魅力だと私は思います。 機会あれば是非読んで頂きたい小説です。 | ||||
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『星の子』に続いて 今村夏子氏の作品は2度目 このジャケットはおかしい。 絶対ホラー小説と思ってしまう。 まぁある意味ホラーではあるが。 映像化したら、ホラーにもミステリーにも人情話にもなってしまう。 『星の子の今村夏子が描く本格ホラー小説、遂に映画化!あなたはこのラストに耐えれることができるか!?』ってなるのかな。 いや、そうは言っても『星の子』よりは好きです。この歪んだ人物たまりません。 『星の子』もかなり歪んだ人々いましたけど、主人公の女の子でほがらかになる。 今回は歪んだ人や何も救われない感は今村夏子氏の『えっ!これでラスト?』 に何も違和感がなかった。 芥川賞の基準は分かりませんが、コンピューターから算出させれば選考から漏れるんでしょうけど、過去の受賞作と比較しての選考でしたらそれこそバイアスがかかります。 この作品は良い作品です。 | ||||
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変な人を観察する人も変だし、その人に説教してきた人も実はおかしい。それなら、この作者はまともか。登場人物たちを変な人だな〜とわざわざお金を払って本を買って観察している自分はどうか。 こういう話であるとひとことで説明できない小説だなあ、と思いながら読み進めていたが、最後の病院のシーンで上のように感じた。オチがないというレビューが多いが、私にとっては充分だった。 今村夏子さんの作品を読むといつも、後ろめたさやきまり悪さのようなものが残る。一人称わたしによる視点で終始進むが、人物の見え方はくるくると変わり楽しかった。 | ||||
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個人的にはこの作品で芥川賞受賞は納得です。この作品の良さがわからない方は、賞を取った本だけでなく、せめて文芸誌を一年通読してみるか、選考委員の最新作と代表作くらいは読んでから貶したほうが良いと思います。見てる方が恥ずかしくなっちゃいます。 100円おばさんのところと、真実の告白をしそうなところで斜め上の行動に出るところで笑ってしまいました。親身ぶっているのに、さりげなくイジメに参加している語り手を、さらりと描写してるのもすごいと思いました。 | ||||
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むらさきのスカートの女はどうなるのか‥と読み進めたら、最後のページじゃないか! でも、ああなった、こうなったと結末が書かれていたら「ありきたりな小説」だろうな。 同じ匂いがする彼女と仲良くなりたい「私」。でも、孤独なのは自分の方だって気づくんだよね。なので、同じ孤独になってもらって唯一の友達に‥いざ逃亡先のホテルへ!ってのは私の考えすぎかな?友達にはなれなかったけど、お互い同じ孤独にはなれた‥。 | ||||
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普通の読み物とは少し異なる展開◎ | ||||
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「こちらあみ子」を読んで今村夏子さんのファンになりました。「ピクニック」以上に職場のリアルが描かれているのは作者様の自体験でしょうか?(wiki参)今作を酷評されている方も多く、確かに物語としては『な~んだ』で終わりますが、あみ子や七瀬さんのような『変わってる』人に焦点を当てる着想は面白いと思いました。「コンビニ人間」同様です。変わってる度合いで言えば、紫<<<<黄色<<<<<<<<<作者!って感じの不思議な読後感でした。『あちら側』の視点を持つ稀有な作家さんです。 | ||||
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届くの早いし不満はない | ||||
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結局のところ、なんだかわからないというのが感想であった。 いや、わかるのだが物語としてわからない。 どこを盛り上がりとしているのか、どこで惹きつけられるのか。 芥川賞だからまぁ、淡々としたのがいいのかもしれないが。 もう年だからか、解釈によって内容を咀嚼するような小説を読む余裕がなくなってきた。 単純に感動したり、ワクワクしたりするものが好きになってきたからか。 読み手の問題といわれればそれまでだが。 心に残ったのは、むらさき色をはいたスカートの女がいた、というタイトル通りのことくらいである。 あと、ただ内向的なだけで意外と普通の人であるということである。 たしかに、通勤途中などで気になる人はいる。その人がどういう人か、毎回気になる。 そこを解き明かそうとした実験小説なのかもしれない。 | ||||
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綺麗でした | ||||
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奇妙な物語で好きなジャンルでした。ただ、良く言えば分かりやすく、悪く言えば何となく話が読めてくる内容で、本を読むことがあまり得意ではない方やあんまり奇妙すぎる物語は好きじゃない方にはおすすめです。 | ||||
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他の人のレビューを見て購入。一気に読みました。他の今村先生の小説も買ってしまいましたね。 | ||||
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