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ある男
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ある男の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.97pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全264件 241~260 13/14ページ
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ーおもしろかったです! 探偵もののような、サスペンスのようなドキドキ感。 続きが気になって気になって、久しぶりに没頭した小説です。 平野さんの本は、「マチネの終わりに」に続く2冊目。 マチネは少し難しく・切なく、噛み砕きながら読んでしまいましたが 今回は圧倒的に前のめりに、どっぷりつかってすぐに読み終えました。 マチネのような恋愛小説かと思いましたがちがいます。 人間の存在、個人とは、過去とは、現在とは、人をその人と たらしめているものは何か?ということに深く、深く迫っています。 マチネとはちがった「愛」、そして「存在への問い」を見せられました。 ー分人主義の考えが伝わる 著者が提唱している分人主義はネットの記事などで少し知っていました。 人にはいろいろな顔があるのではなく、いろいろな顔をもつ分人が個人を構成している、 というものですよね。その考えがベースになっている話だと解釈しました。 個人は一面ではないというメッセージが、よく伝わります。 著者の「私と何か」も読んでみたいと思いました。 マチネのような恋愛小説を期待している方にはあまりお勧めしませんが 別の切り口で「人を想うこと」について考えさせられた1冊でした。 | ||||
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本作の最も重要なテーマは「人間のアイデンティティとは何か?」。名前、家族、出自、記憶、記録、そして時の流れ。「私」を「私」として成り立たせているものは何なのか?「私」は「私」のままなのか?「私」は「私」であり続けなくてはならないのか?本作のシチュエーション自体は特殊なのかもしれないが、それが問うていることは人生における本質的なテーマであり、誰もが立ち止まって考えるに値する問いであろう。 本作を読んでいて、文脈は全く異なるもののオーウェルの「1984年」の中に出てくる「過去とは記憶と記録が一致しているもの」という指摘を思い出した。改めて含蓄の深い言葉であると感じた。 「恋愛」も本作における重要なテーマではあるが、「マチネの終わりに」ほどの位置づけではないので、「マチネの終わりに」で作者を知った人には少々物足りないかもしれない。 しかし、それ以上に思わせぶりな余韻があちこちに仕掛けられていて、想像力、妄想力を掻き立てられる。おそらく続編が書かれることはないだろうが、この余韻だけで何杯かのお酒を飲めそうである。 | ||||
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壁にぶつかって痕がついて 水に浸かって潤って 火に近づいて焦げついて 穴を通って痩せ細り 風に飛ばされ乱れきり 宙に浮いて無重力 芯はなく 身体の力を抜ききって 反応して 順応はしない ボコボコになればいい そのうちうっすらと膜ができて 僅かに触れられるぐらいに 「自分」が現れて すぐ脱ぐ 剥がすを繰り返す | ||||
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書き出しから心を掴まれる。最初はミステリーを読んでる感覚である男"X"の謎が少しずつ明らかになって繋がっていく感じに引き込まれる。話が進んで色々な背景がわかってくうちにXの事を好きになってる自分がいて、そうなるほど感傷的になった。 読んだ後は何とも言えない悲しさと優しい愛を感じた。 愛に過去は必要なのか?難しい。 | ||||
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非常に面白い小説であり、普段は当たり前だと思っている「自分」が、ある時から別の人格と入れ替わったらどういうことになるか、という奇抜なプロットを規定して書いていることなど、この小説の秀逸な点については他のレビュアーの方が十分解説しているので、そちらにお任せするが、主人公の弁護士城戸章良が帰化した在日三世であると言う設定には首を傾げざるをえない。 在日問題をテーマにしているわけではないし、城戸が完全に日本人化した在日三世であることは、小説の運びに何の関係もない。何でこんな余計な条件を城戸に付け加えたのか、不思議に思う。城戸が普通に日本人の弁護士であっても、この小説の言わんとすることには何の影響もないと思う。 | ||||
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作品中での「法律」の描き方があまりに的確で驚いた。驚きつつ調べると筆者は京大法学部卒。的確なのも当たり前か。ただ、これほど的確に「法律」を扱う作品にはなかなか出会えない。その「的確さ」を味わうだけでも読む価値あり。 | ||||
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『ある男』の登場人物は異色だが凡庸だ。『マチネの終わりに』の二人の主人公蒔野聡史と小峰洋子は凡人ではなかった。聡史は音楽に異才を発揮できたという意味でだけではなく、資本主義の凡俗な価値観に囚われていなかった。洋子にしても、アメリカ資本主義の低俗にがんじがらめな夫との価値観の相違は明らかで、分かれた理由もそこにあった。 しかし、『ある男』の主人公城戸章良も他の登場人物もある意味凡人だ。城戸は弁護士という特殊な職務のついているし、日本国籍とはいえ在日朝鮮人三世だという特殊性は持っているものの、通俗的な感性の持ち主で特別な存在とは言えない。ただ、知性のレベルで、例えば妻と比較したときに凡庸に社会悪から目を背ける程には俗人ではない程度だ。城戸は極右排外主義の風潮に対する不安を感じていた。東日本大震災以来の妻との関係の歪みもそこに由来していた。妻の香織には〈いつまでも赤の他人のために何かしようと努力し続ける夫が、よくわからないのだった。〉震災後の動揺が夫婦で異なった。ところが調査中に知り合った美凉には共感され、美凉は反ヘイトのデモストレーションに参加する。城戸の躊躇を軽々と超えてしまったのだ。美凉の「三勝四敗主義」も魅力的なスタンスだ。 過去を変えていった男の過去を追いかける城戸の疑問が、この小説の主題なるだろう。「愛にとって過去とは何だろうか?」ということだ。 「自分とは何か、ではなく何だったのか」「どういう人間として死ねのか」読者は城戸とともに考える。城戸はとにかく、カテゴリーに人間を回収する発想が嫌いで、在日という出自さえも面倒で仕方がない。人間は本来多面的だ存在だ。〈アイデンティティを一つの何かに括りつけられて、そこを他人に握りしめられるってのは、堪らない〉との思想は、作者の「分人主義」を想起させる。 『ある男』は特別な存在でない主人公たちに作者の思想を仮託したが、それは私たち庶民が巻き込まれる政治や社会的風潮を丹念に調べて背景に描くことによって可能だったのだと思う。やはり平野啓一郎には目が離せない。 | ||||
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「マチネの終わり」から2年。平野啓一郎は前作の「過去は変えられる」のフレーズに象徴された、人間にとっての愛と時間の関係をこの作品においても追求し、これまでの考えを進化させている。過去を消して別の人格として生きる男と彼を追う人物を並行して描き、人間の存在意味、および愛について迫る。難しい主題を扱いながらミステリーのスタイルを採用したことで読みやすい。つまり、純文学のテーマを扱いながらエンタメ小説の体裁という前作の手法は今回も成功している。明晰な日本語はいっそう磨かれて美しい。 ある地方都市で実家の文具店を手伝うバツイチの女性・里枝は林業会社に勤める職人・谷口大祐と再婚した。優しく働き者の夫との間に女の子が生まれて、幸せに暮らしていたが、夫はある日突然の事故で死んでしまった。葬儀の後で、亡くなった夫は谷口本人ではなく、まったく別の人物だったことがわかった。では、死んだ男は何者だったのか。以前に女性の離婚手続きを扱った弁護士・城戸章良が里枝の依頼を受けてその男の素性を明らかにしようと動く。 出自から明るい未来を奪われている人がいる。過去に深く傷を負った人もいる。そうした過去を捨て別の人間として新たに生きる人がいる。谷口大祐を名乗った「ある男」がそうであった。「ある男」の素性を調べるにつれて弁護士は自身のアイデンディティが揺らぐのを感じる。彼は、高校時代に帰化したことで在日朝鮮人3世としての過去を消して生きている。結婚して10年余りになる妻との間には亀裂が広がりつつある。外にはヘイトスピーチに象徴される排外主義がこの国で広がりを見せていた。弱者の弁護に献身しながらも、彼は漠然とした不安を抑えられないでいる。 一方、里枝は、愛した夫の過去が別人のものだったと知って、夫への愛を自問する。夫は、本当はどのような人物だったのだろうか。過去の事実を知っても夫を愛せただろうか。過去を知っていたらどこまで愛せたのだろうか。そもそも愛に過去は必要なのだろうか。それでも、夫と一緒に暮らした3年半は幸福だった。この記憶があれば生きていけると里枝は思う。 厳しい現実を前にして必死で生きる人たちが描かれている。過去に傷つきながら、一歩ずつ前へ進もうとする人たちだ。しかし、過去がどうであれ、人を愛することが何物にもまして力になる。なにより痛みを抱えた人には愛が必要なのだ。弱者へ心を寄せる著者の筆致に胸を突かれた。政治的な意見の表明を躊躇しない著者らしく、この作品にはヘイトスピーチをはじめ、この日本社会の在り方についてのアクチュアルな問題意識が流れている。「ある男」はまさに現代の日本文学を代表する一冊と私は高く評価したい。 | ||||
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ストーリーに引き込まれました。 自分とは、何かを考えさせられました。 | ||||
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繰り返し目を通す小説になると思いました。 そのときどきで、誰に自分が共感していくのか 変化を楽しみながら読んでいきたいです。 | ||||
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戸籍の交換という、普通の社会人には考えられない犯罪から夫婦の愛を探っていく。その斬新な設定が面白い物語を作り出している。ただ、日本が排外主義に陥っているという一方的な主張を登場人物の口を借りて語り、スムースなストーリー展開を台無しにしている。アイデンティティの問題を語るために主人公が在日朝鮮人であるという設定にする意義は理解するとしても、イデオロギーは持ち出さないでもらいたかった。 戦後、法学部の教授ポストはことごとく赤く染まった。GHQによるこの政策は今に至るまで影響が続いており、著者も深刻なWGIP洗脳のまま作家になってしまったのだろう。 | ||||
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多様性が叫ばれるほど、アイデンティティが際立つ。それは複数のロールの掛け合わせとされるもの。例えば、日本人であり、弁護士であり、マイルス・デイヴィス好きであり、夫であり、父親であり。それぞれを巧みに演じ分けることで、人は社会を生きている。まるでSNSのアカウントを切り替えるように。 もしも全ての役を降りたとしたら、そこで初めてアイデンティティも失われるだろう。その時、人生の幕は閉じてしまうのか。 平野啓一郎さんは本作を「マチネの終わりに」に続く愛の物語という。通奏するのは時間の概念と繋がり。親と子という役回りにおいて、否が応にもアイデンティティは継承されていく。 データとテクノロジーが作り上げる信用社会を目の前に、セキュリティと忘れられる権利が交差する具体作だ。 | ||||
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夢中になって読みました。平野啓一郎さんの作品でもっとも文章が読みやすくつくられた作品かもしれません。面白かったです。読み終わったあと、里枝とXの愛のあり方について深く考えました。背負っている背景・生まれもったものだけでなく、その人と話した時間、触れ合った時間が大事だと。二人が形成していった信頼関係がとても美しかったです。城戸がXを通して教えてもらった愛のかたちはとても尊いものだったと感じました。 序章がとても魅力的で、読み終わったあともう一度序章を読むことをおすすめします。 | ||||
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人は人生を生き直すことができるのか?人は人を愛し直すことができるのか?そして、それができたとするならば、人生にとって、愛にとって、過去とは一体何なのか? 『マチネの終わりに』のなかの「人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんです。」という台詞(本が紹介される際に最も引用されている箇所)に込められたテーマが別の物語を使って変奏され、さらに深く追求されてゆく。 その主題以外にも、小説に含まれる多数のトピック(東日本大震災・ヘイトスピーチに代表されるような近年の日本を覆う排外主義・犯罪の被害者遺族と加害者家族両方が背負う厳しい現実・中年の危機と夫婦の倦怠、など)は、主題を補助するための伴奏ではなく、副主題と言えるような重要性を持って、小説にポリフォニックな拡がりをもたらす。 ある男の隠された(隠そうとした)人生にのめり込んでいく城戸章良という弁護士の姿を追った今作は、主人公が知り得たものと同じだけの情報しか読者に与えられないミステリー仕立てになっており、読者は最後まで途切れることのない緊張感に導かれながら、ストーリーテリングの面白さと圧倒的な知性に裏付けられた濃密な読書体験を味わうことができる。加えて、唐突にも思えるような第21章のエピソードは、小説が終わっても解決されることのないもうひとつのミステリーとして、小骨が喉に刺さったような余韻を残す。 作中人物の少年が書いた、<蛻(ぬけがら)にいかに響くか蝉の声>という俳句はこの小説を端的に優れて表現しているように思える。過去は蝉の蛻のようなもので、登場人物たちはじっとその蛻を見つめ続ける。そして、作者である平野啓一郎は、その蛻に少しだけ彩色して、そっとわれわれに差し出してみせるのだ。 | ||||
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正直、本作「ある男」は読まなければ良かった。 読まなければ、「マチネの終りに」の余韻を永く楽しむことができたはずである。 本作は彼がこれまで扱ってきたテーマを踏襲するものであったが、 彼の隠すことさえない政治的主張によって、小説全体が毀損されている。 そのやり方は「知性」というものからほど遠い。 どうしても主人公が「在日韓国人3世」という設定は必須だったのだろうか。 理知的な弁護士という設定の主人公が通して語る在日問題は、 事実に基づいた中立性が保たれておらず、不安のみを徒に煽るものである。 事実として、阪神大震災、東日本大震災などの非常時に、日本人は特定の国籍を持つ人々を傷つけただろうか。 主人公の口を借りて「韓国では反日教育は行われていない」と主張するが、 読者を納得させるほどの論拠もリアリティもなく、一方的に終わる。 一体、何を目的にこの小説は書かれたのだろうか。 主人公が弁護士になった理由(父に言われて何となく…)、 主人公と妻との関係性(一方的に妻が悪いのか)、 特定政党に対するディスカウント(根拠の提示なし)、 主人公からの影響でヘイトスピーチに対するカウンターデモに参加する女性(あまりに唐突)・・・。 他にもそれぞれの要素がかみ合っておらず、ただただ独善的で視点の多様性がない。 人それぞれに相対的な事実があって、それぞれの記憶や認識も時間とともに可変であるというのが、 彼のテーマだと認識しているが、政治的主張を混ぜることで、そのテーマからも逸脱していないだろうか。 | ||||
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平野氏の小説を読む楽しみの一つ――私にとっては最大の楽しみの一つ――は難解な漢字に出会えることだ。今回も「顔容(かんばせ)」「淪落(りんらく)」「跫音(あしおと)」「出来(しゅったい)」「既遂(きすい)の」「妄(みだ)りな」「悴む(かじかむ)」「若干(そこばく)の悋気(りんき)」と云った、普段あまりお目にかからない漢字表現に出会(でくわ)し、楽しませてもらった。そして毎度のことながら副詞には当然のごとく漢字が使われる。「一先ず」「固より」「到頭」「予め」「頗る」「徐に」「寧ろ」「流石に」「些か」「俄かに」「尤も」「況してや」「宛らに」。 しかし、私にとってもう一つの楽しみであったあの晦渋な文体、現代の「読みやすい」小説への挑戦とも思われた重苦しいばかりの文体、『日蝕』『一月物語』『葬送』の文体は、最近どこへ消えてしまったのか。難解すぎて本が売れないから、読者に妥協、阿(おもね)って、解りやすい文体派に転向してしまったのだろうか。もしそうなら私にとっては已矣哉(やんぬるかな)である。 でも文学は文体じゃないでしょう、文体より内容が大切でしょう、――そう仰しゃる方もおられよう。成程そうかもしれない。しかし、その内容、そこで扱われる主題が如何に重大なものであっても、作者にとって切実なものでないなら感動は薄い。 『ある男』では様々な今日的テーマが提示される。在日朝鮮人(主人公は帰化した3世)とヘイトスピーチ、死刑制度の是非、女性が働く時代の家族の有り様(よう)、東日本大震災と原発、そして最も大きなテーマであろう「人は過去に引き摺られるべきなのか、忘れるべき過去もあるのではなかろうか」。――因(ちな)みに、この最後のテーマは、カズオ・イシグロ氏が “The Buried Giant” で扱ったものと通底する。 こうした問題を平野氏は、良く言えば理知的客観的に、悪く言えば他人事のように扱っていて、氏の内なる魂がこれだけはどうしても書かずにはいられないと云った切実さは感じられない。だから、「そうだ、自分もそうだ」と私が感情移入出来た登場人物は皆無、氏の見解を代弁する人物がいるだけで、心に響くものは殆(ほとん)どなかった。それは丁度、テレビの情報番組に登場する、知識は豊富で説得力豊かに語ってはいても、番組が終われば忽(たちま)ち己の恵まれた生活に戻ってゆくのが透けて見えるコメンテーターのようですらある。私たち庶民には皆目解らないカクテルの名前だとか、ジャズのレコードだとか、平野氏の個人的趣味に偏った話題が頻繁に語られることがそれを助長している。 唯一感動を覚えたのは最後の場面、里枝と悠人との会話である。それは何故かと考えてみるに、ここには実の父親ではないにも拘(かかわ)らず真の愛情をもって育ててくれた父親への感謝と愛(生みの親より育ての親)、そして母親が子供に抱く純粋な愛――近年これが疑われる事件が余りに多い故尚更のこと――に溢れているからだろう。これは今日的テーマであると同時に、古(いにしえ)より今に至るまで手を替え品を替え何度も繰り返されてきた、又これからも繰り返されるであろう、文学永遠のテーマだ。 文学は社会評論ではない。社会評論的要素はあっても、描くべきは飽く迄(まで)人間だ。生身の人間だ。文学者は冷静な社会評論家、コメンテーターではない。またそうであってはならないだろう。 思えば、これまでも平野氏の作品は内なる魂の已むに已まれぬ発露というよりも、頭で捻り出したものであった。屹度(きっと)、氏は大きな挫折だとか己自身を疑うと云った体験をしたことのない、幸福な人生を送ってきた人なのだろう。小説を書きたいという願いは強くある、だが書かずにいられないことは特にない。そこで資料を集め、優秀な頭脳を使って一篇の作品を組み立てる。だから魂を揺さぶる作品を生み出せないでいるのだ。 ならば、原点に返って、難しい漢字表現と晦渋な文体で――内容が難しく私たち庶民にはよく理解できなくとも構わないから――初期からの平野ファンを楽しませてくれるような、読者の(魂にではなく)知性に挑戦するような作品を提出すべきではあるまいか。泉鏡花や谷崎潤一郎、或いは芥川の初期の作品を想い浮かべれば解るように、文体も文学の楽しみの大きな一部であることは確かなのだから。 | ||||
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ミステリーっぽいけど、アイデンティティとは何かを問いかける文学作品です 。「空白を満たしなさい」とか、平野さんの「分人」についての作品も読むといいです。 心に残ったフレーズは、「存在の不安」と「蛻にいかに響くか蝉の声」 | ||||
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「ある男」は全くの別人だった。かつての依頼者に事故で亡くした夫が別人だったと相談を受けた弁護士が、彼は何者だったのか調べ始めます。「ある男」の素性に迫っていくなかで起きる出来事や、彼や弁護士の生い立ちにまつわる話にいろいろと深く考えさせられる内容でした。けして穏やかな話ではないのですが、不思議と気持ちは波立たず、まるできれいな景色をひとり眺めながら物思いにふけっているような居心地の良さを感じる文章でした。 あと、冒頭作者の「波乱万丈の劇的な人生を歩んできた人の話・・・それが書ければ、私の本ももっと売れるだろうが。」というつぶやきにクスリとさせられ、妙に心に残ってしまいました。 とても面白い作品(こんな表現しかできないのが恥ずかしい)です。ぜひ読んでください。 | ||||
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内容は、ある男が事故死した。 妻が、彼から聞いた実家に連絡を取ると、本人ではないということが判明。 死亡した夫は誰であったのかを、旧知の弁護士に調査を依頼する。 弁護士を中心に話が展開していくのだが、その弁護士も、自分の出自、夫婦関係など、個人的な悩みを持っている。 人の存在について改めて考えさせられる。 いい小説だと思った。 一晩で一気に読んでしまった。 再読してみたい本である。 | ||||
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「マチネの終わりに」からの著者の読者です。 同世代ということもあり、彼の描く中年の寂寥感についての描写等にいたく共感します。 現代作家の中では文章力が一つ抜きに出ているんじゃないでしょうか。 | ||||
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