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蹴りたい背中
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蹴りたい背中の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.63pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全175件 121~140 7/9ページ
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主人公・ハツの視点から、彼女に回避的な変容が生じていく様子が描かれている。 人との関わりを切望しながらも、ますます孤立していき、 仲のよかった絹代とも次第に疎遠になっていく。 繊細な「自己」が傷つくことを恐れて、対人関係を築くことを避けてしまう。 同じような状況下にあっても、にな川は孤立それ自体には無頓着で、オリチャンの世界に入り浸っている。 ハツがにな川を蹴る理由は、一種の恋愛表現で、オリチャンではなく、こちらに振り向いて、自らの辛い状況を分かってほしい、 そのような想いからではないだろうか。 また一方で、作者は高校時代にグループ活動や、好きな芸能人の情報を集めたりもしていたので、 絹代とにな川は、作者の分身と考えることもできる。 この場合、「蹴りたい背中」とは、周りに迎合したり、親密な関係に背を向けてしまうような、作者が否定的にとらえている自分自身のことかもしれない。 そして、ラストの夜明けのベランダで背を向けていたにな川が振り返る場面は、 やがて自分の膜を破って、職業作家としてあるいは自立した一人の人間として 新しい一歩を踏み出していくことになる綿矢りさを、象徴しているように思われる。 | ||||
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これは高校生時代に読み手が「どこの位置にいたか」で評価が分かれる。 スクールカースト上における最下層から一つ上。 周りから見れば、それは最下層と同類なんだけど、 自分としては「あいつ」よりマシと見下すことで心の安定を図る。 中学生時代に読んだときには、それほど心に残らなかったが 社会人になった今再読したところ大きな勘違いに気付いた。 主人公・ハツは背中を押す意味で背中を蹴ったのではなく ずっと私の下でいてね、という思いで蹴落とし、心を落ち着かせているのではないか、と。 自分は高校時代にハツと同じ「位置」にいたせいか、 同じ想い、同じ行動をしていて、自身を客観的に見せられているようで辛くなった。 その位置にいた一部の人間にとっては紛れもないリアルであり それを経験ではなく想像で描いたのだとしたら、やはり作者の技量は素晴らしく、芥川は妥当だったと思う。 ただこれより後に出した二作が凡作なので、この頃の情熱を思い出してほしい。 補足 「オチがない」と低評価の方がいるが、純文学はきっぱりとしたオチを書いてはダメという暗黙のルールがあり、 余韻を残す終わり方を上手く描かなければいけない。その点では良い締め方だった。 芥川賞は「面白さ」に与える賞ではない。将来性のある群を抜いた「新人作家」が対象。 ストーリー性やエンタメ性を期待する方は直木賞を注目しましょう。 | ||||
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よくある批判として「かわいいから内容はダメだけど売れた」というものがあるが 全く違うと思う 真面目に解説すると、お金持ちが豊かだという時代から抜け出した新しい時代を描いた凄まじい作品だ 好きだからそばにいたい、みたいな単純な表現ではなく、好きな子を蹴りたいという、すごく歪んだパーソナリティを持つ主人公こそが あらわしているものは 美人だけど、幸せじゃない私という今っぽさの象徴だと思う 作家としてとか芥川賞としてとかはどうでもよくて この作家が今後どう成長していくかとかもどうでもよくて この時代に発売されたこの内容の小説として高い価値を持つ作品だと思う 瞬間的な儚い「美」がこの小説にはつまっている | ||||
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最近、歴代芥川賞受賞作を良く、読んでいます。 今回読んだのは、史上最年少受賞、綿矢りさ氏の「蹴りたい背中」。 19歳の女性がいったいどういった文学を読ませてくれるのか・・・と、読んでみたら、個人的にかなりツボでした。 高校生の長谷川ハツは、いまいち・・・、というか、まったく学校生活に馴染めない日々を送っています。 絹代という中学時代の友人はいますが、彼女は別のグループで楽しくやっていて、ハツはそのグループには馴染めず、いつもひとりぼっち。 そんな彼女に、同じく友達のいない、にな川というオタクとの接点が生まれる・・・。 ハツとにな川の恋愛でもない、腹を割って話をする友人でもない、そんな不思議な関係が始まります。 この作品に共感できるのは、まず第一に、僕自身、高校時代、友人がひとりもいなかった・・・という過去があるせいでしょうか、ハツの心理描写に「分かるなぁ〜」と、うなずく所が多くあった点です。 軽蔑している連中のバカ話にもそっぽを向いていても、たまに面白い話などが出てくると、ハツは必死に笑いをこらえるのです。 別に、素直に笑えば良いのですが、それでは、彼女は何かに「負けた」気がするのでしょう。 そんな無理をしている姿が、僕には非常によく分かるのです。 あと、印象が良かったのが、分かりやすい点。 「?」と思うシーンが皆無でした。 分かりやすい=良い小説ではないのは、百も承知ですが、三島や、大江などの作品を読んだ後に、こういう小説を読むと、心にするする入っていくので気持ちよく読めました。 評価割れているみたいですが、賛美両論ある内が花かもしれません。 本当に魅力ない作品はそれすら起きませんから・・・。 マザーテレサじゃありませんが、愛の反対は、無関心です。 とにかく、楽しんで読めた本でした! | ||||
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この本は出版された当初に買った。そのあと芥川賞に選ばれ、そのときは実に不思議に思った。 面白くもなんともないこんな小説が芥川賞だと? いま振り返ると、芥川賞というのは決して面白さで決まる賞ではないことはわかっているし、これに出会えたことでそうした芥川賞の意味、意義がようやくわかった。 最初に読んだときは、たしかに面白くないと思った。たぶんいま読んでも面白いとは思わないだろう。面白い本なら他にもたくさんあるからだ。でもここまで深い本はそうあるものではないと思う。 読後、なにが言いたいのかさっぱりわからなかった。面白くもなんともない。そしてもうこんな本のことは忘れてしまった、約七年後のことだ。駅ホームでエスカレーターで下に降りようと思ったとき、目の前にいかにもきざったい男がいた。のろのろと歩き、それが格好いい、自分なりスタイル、自己主張、ダサい自己主張、しかし本人はそれが格好いいと感じている。そんな男が歩いていて、その瞬間、とてつもなくその背中を蹴り飛ばしたい衝動に駆られた。そのままエスカレーターから蹴落したいとすら思った。 だけど、次のとき、その目の前で歩いている男が自分の嫌な部分、自分にそっくりであることに気づいた。自分もああいう人間であると。自分勝手でそれが格好いいと感じ、臆面もなく披露するダサい自己主張。自分自身が目の前にあった。自分自身の一番嫌いな部分があった。 そのときこの本の意味がわかった。なるほど、蹴りたい背中の背中というのは、自分自身の醜い部分なのだと。嫌いなところ。本当は大嫌いな自分なんだと。本当はそうなりたくはない自分なんだとわかった。その瞬間、私はもう目の前の男のことなんかどうでもよくなり、この本の素晴らしさが身にしみて感じた。この本はそうした自分自身の嫌な部分を蹴りたい、脱却したいと思う心を書いた作品である。 そして発見後、芥川賞というのはこういう本が選ばれるのだと思った。つまり、直木賞といった即効性、読んですぐに面白いと思うような本ではないのだと。芥川賞というのは十年、二十年後になってもその味わいを残していつまでもその時代の人間を映し出す作品であると。決して色褪せることなく、またよくある出版されては売れるけど、すぐに人々の記憶から消えるような作品とも違う。芥川賞というのはそのとき面白いものではない。面白い作品でもない。なにか読む人に気付かさせてくれるものだと思う。それが何年後かは知らないが。 そうした多くのことを教えてくれたこの作品はまさしく未来永劫残すべき素晴らしき本であり、芥川賞の名にふさわしき作品だと思う。 | ||||
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芥川賞については置いときます。 本の内容からどう感じたか書くと"記憶がかゆい"。 自分にも主人公と同じような"人を選んでる"という 意識を持ってる時期が確かにあった。 本当は周りに置いてかれてるだけなのに。 作者の表現力は悪くない。むしろ歪んでる女の子には丁度いい表現だと思った。くどくてでも半端。15.6の自分はそんな感じだった。 この本を読むと、鬱屈してる気持ちと初夏の最後の、じめじめしてじわじわ暑い気温が混ざっただるい感覚を思い出す。 自己に浸ってる感覚、主人公の自己愛ときっと同じ、大人の目には"イタイ"物。 多分楽しく幸せな青春を送った人にはこの小説は全く無意味で何ももたらさないと思う。まさに"で?"しか思わないような。 そんな人は多分主人公に共感できないしするつもりにもならない。 青春時代に"ぼっち"にならなかったら、解らないだろう。 レビューを見てるとそんなに"ぼっち"がいないようでむしろ安心した。 | ||||
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軽快なストーリー。 いわゆる「文学作品」的なノリは皆無。 若者の世界、これからの世界。 デジタルと当たり前に共存していくわたしたちのお話。 (ちなみに、平成生まれのわたしにとってもとっつきやすいわけではないです。) | ||||
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日常と非日常の間のような話。こんなことあるねーと共感しながら読むところと、それはないだろうというところが入り乱れ新たな話となっていて楽しめた。 | ||||
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正直、この「蹴りたい背中」という感情はよくわからない 小説1冊でその気持ちを表現しているようだが、なんともモヤモヤした気分にさせられる。 主人公のストレートな感情表現や周囲の人間に対する観察眼は鋭いようでもあり 鬱屈した感情を表しているようでもある。豊かな表現が小気味良い。 | ||||
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高校のクラスでほとんど存在を無視され、実はそれを気に病んでいる主人公ハツと 同じように存在を無視されつつもそれを全く気にしていないにな川。 同じような境遇でありながら、ハツは傷つき、にな川は傷つくどころか自分の好きなことをしている。 同類のようで同類でないにな川を何とか傷つけ、どうにか同類にしたい気持ちが主人公の「蹴る」という暴力的衝動にあらわれているのであろう。 そして、その同類という思いは本人は断固否定しつつも主人公がにな川を思う恋という感情に繋がっていく。 そんな青春の少しひねくれた若々しい粗削りの感情を上手くあらわしており、面白い。 | ||||
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初めて読んだのは中学生の時で、その時は「?」って感じでした。 だけど作者がこの作品を手掛けたのと同じ歳になった今、あの時解らなかった何かがわかる気がして読み返してみました。 主人公のハツは複雑で欝陶しい人間関係を築くことを放棄した女子高生。一人でいるのは嫌いだけど、グループでいるのはもっと嫌な彼女は、ゆっくり老化していく自分をリアルに想像しながら毎日を過ごしていた。 そんなある日、理科のグループ分けで自分と同じようにクラスで浮いているにな川を見つける。 そして過去にハツが偶然出会ったモデルをきっかけに、にな川とハツは親密になってゆくのだが…… まぁ、あらすじはこんなかんじです。 なんてゆーか、共感、みたいなものは多少あった。感情の比喩もとても上手いし、品がある。 でも起承転結に欠けるからドキドキとかはなかったですね。でもそのけだるい、後に何も残らない感じが、主人公ハツの性格を現してるみたいで、私的にはよかったです。 特に、(文章に直接書かれてるわけじゃないけど)ハツがにな川を見下してる感じがリアルにじとじとしてて、うわっ、て思った。 自分と同じ様に浮いたにな川。ひとりがひとりに共感を求めて寄り添えば、少しは楽になれる。でもそんな同調性を仮面に、ハツの心の水面下には、にな川への無意識の軽蔑があったに違いない。 オタク、根暗、きっと自分の方が絶対まし。私には「まだ」絹代がいるから、と。 だけど、にな川は違った。毎日人の視線や好きで一人で居るの、のスタンスばかり気にしているハツとは違って、彼の興味はまるでこっちにはなかった。 同じようで、まるで違う。 もしかしたら、ダメでキモくて、うざったいのは、自分かもしれないと、きっとハツは思ったに違いない。 そんな焦りとか、嫌悪感とか、自分と似てるようで似ていないにな川に対するいろんな感情の摩擦が、愛しいよりも、いじめたいよりも、もっと乱暴で非道な衝動、背中を蹴ってやりたい、ってなったんじゃないかな。 なんかそんな理不尽な想い、すごい共感できんじゃんとか思ってしまいました。 また何度か読もうと思います(^^) | ||||
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この作品を初めて読んだ時、確かに僕も芥川賞をとるほどか?と思った。 しかし芥川賞をとるほどじゃあないが、それほど悪くないと思った。 主人公の、にな川に対する恋愛感情にもよく似たもどかしさ、思春期のもやもや感などが良く書かれていると思った。 最年少受賞やミリオンセラーとなったが、それに見合うほどじゃない。そのせいでこれほどまで叩かれる原因となったんだろうが、ここまで叩かれる作品じゃないのも確かだ。 この作品が芥川賞をとった事を残念に思う。とらなければ純粋に感動できた読者がもっとたくさんいたはずだ。 | ||||
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この若さでこの表現と構成のうまさが凄い。しかも老成した技術、熟練した巧みさではなく、若々しさがある。 主人公は決していい奴とは思えず、はじめ読んだときは「なんて嫌らしくて偉そうでひんまがった嫌な奴なんだ」と不快に思ったが、読み返すとその不器用さと強情さがいとおしくなってくる。高校時代の自分の不器用さを思い出すと、共感すらできる。 もしや綿矢りさがこの主人公のようではないか、と勘ぐる人がいっぱいいると考えると、綿矢りさが男性に人気があるのがとても理解できた。 清楚できつくなさそう(いや、本性はきっときついんだろうな)で顔立ちがかわいいだけでもモテモテだが、それだけじゃ弱い。才能があるだけでもまだ足りない。 かわいくて才能があるのに、不器用で強情で劣等感があって、仲良くなりたい人に近付こうとしてはうまく行かずに傷ついて、人気者のはずなのになぜか中心から外れてしまう。 ギャップ萌は時代遅れと言うけど、やっぱりこのギャップは強力だ。しかも、そのギャップを自分だけに見せてくれてるような気分にさせるから、もう完全にノックアウト。 小説にちょっとエッチな表現を出すのがスパイスだね。 オタク気味の思春期の人間が友達みたいに大事にするけど、成長するに連れて忘れてしまう。大人になって読み返した時、うまいか下手かわからない、結構つまらん内容だ、と思いつつも、なぜか胸がキュンとなる。そんな話。 | ||||
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若者の手によるジュブナイル小説としては悪くないと思うが、 芥川龍之介賞を受賞するに値するとは、私には思えなかった。 「学校のクラスのあぶれ者同士の連帯と同族嫌悪」というテーマは目新しいモノではないし、 更にそのテーマの描き出し方にも特別新しいモノは感じられなかった。 作者の言語感覚も決して悪いモノではないと思うが、内容が軽い。 強いて美点を挙げるなら、冒頭のオオカナダモの情景であろうか。あの描写には多少なりとも個性があった。 | ||||
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女性は共感できる部分が多いのかな?と感じました。 今の時代を感じるのにも、良い作品です。 | ||||
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ちょっと変わった青春モノという感じです。 感情の起伏が乏しいと言われる、若者たちの自分目線が垣間見れます。 大人でもなく子どもでもない中途半端な時代のこころのつぶやきが聞こえてきます。 | ||||
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なぜこの本が芥川賞に選ばれたのか…話題作りだ、などと揶揄されるのは実に嘆かわしい。そうやって皮肉っている人物は、若さが描く本当の若さが理解出来ない、思考が停止した老人でしかないのに、だ。別にそれは悪いことなどではない。むしろごく自然なものだ。人は年をとるとともに感性が変わって行くし、年を経ねばわからないこともある。だが、それによって失うものもあるのだ。そうやって失われていった感性が、この作品には詰まっている。経験を積めば積むほど失われていく輝きが、この作品には存在するのだ。 当たり前のことではあるが、敢えて言うのであれば、この作品は確実に思春期を生きる世代が最も共感ないし理解出来る作品であろう。思春期独特の生々しさや恥ずかしさ、卑屈さなどが非常に軽快な文体で巧みに表現されている。その一つ一つは、思春期を生き続ける一人としての立場で描かれているので、年不相応に聡いというような不自然な感じがなく、苛立を覚えるほどに青臭く描かれている。若さゆえの勘違いが、実にリアルに表現出来ているのである。これをテーマの過剰露出と捉えるのは、実に蒙昧極まりない。これは年を重ねた作家には絶対に真似の出来ない、若さあっての芸当であり、この作者自身でさえ、年を経れば確実にこういった作品は作れなくなるであろう。それこそが、この作品の魅力なのである。 ちなみに、この作品を「19歳の芥川賞」という色眼鏡で読んでおられる方は多いと思うが、そのような視点で読み物を繰るのは、もはやいち読者として論外であると言いたい。ただ、実際問題として、そういった弊害が起きるのは出版社側も予測出来ていたであろうだけに、こういった形でこの作品が世に出てしまったのは悲しいことだ。しかし、そうでもしなければ良くも悪くも注目が集まらない日本の文芸界というものも、実に冷め切ったものではないだろうか。 | ||||
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学生時代、心を開いて同級生と打ち解けることが出来ず、 大なり小なり、どこか冷めた目で傍から観察していたような人、 日陰で青春を送った人に支持を受けているように思います。 周りから受け入れてもらえず心が「痛い」、 ちょうどいい言葉が見つからず「もどかしい」、 同じようなクラスの余り者が、まるで自分を見てるみたいで胸が「痛い」、 でも親しい人への痛みの伝え方も、自己防衛の方法も分からない。 答えは「子どもだから」。 そういう思春期ならではのヒリヒリした痛みが伝わってきて、 そこに共感できた人はこの作品に大賛成している。 そのまま行くと陰気な小説になっただろうから、 ちょっと「にな川との恋愛もまんざらでは無い感じ」にして甘酸っぱく終わるかんじ、 それは成功だったと思う。 自意識過剰の余り者どうしがくっつくことは絶対無いと思うけど | ||||
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最近になって初めて読みました。あくまで勝手な評価ですが・・ 今までになかった主人公のキャラクターや文中の比喩表現、変わった恋愛の形を描いたことは面白いと思いました。 がしかし、内容がないという訳じゃないのですが少し単調だと感じました。 あっさりしてるというか、噛みごたえがないというか・・・。 勿論、書いた当時の彼女の年齢を考えればこれだけの物を書いたのは素晴らしいと思います。 それでも芥川賞に相応しい作品かどうかと考えると疑問ですね。 今後、更に良く練られた構成の作品を出して貰いたいです。 | ||||
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話題になった当時読んだ時は 「これで終わり!?」と思いましたが、 その間色々と小説を読み、今改めて読み直すと 「やっぱり細かいところが上手いな〜」と思いました。 ドラマチックなエンタメ小説を期待しないで 新世代の純文学を読んでみる気持ちで手に取れば 芥川賞も納得できると思います。 | ||||
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