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蹴りたい背中
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蹴りたい背中の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.63pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全29件 1~20 1/2ページ
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結局、見ていてイライラする、バカみたい、なんで私を見てくれないのか…等思ったから、蹴りたいんでしょうか? 答えはよくわかりませんが、作者の作品は、こういう曖昧な状態が続いたままのものが、多いと思います。 私が若い頃に読んでも、共感はなかったと思います。 作者が「以降の作品はボツばかりなってた」と語っていて、そこは納得した。 | ||||
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にな川に対する主人公の感情が何なのか、僕にはよく分かりませんでした。 | ||||
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グループ作り。授業の合間の十分間休み。友人がいること前提の学生生活のそれらは、ドッジボールのコートに入れられているような、息の詰まる時間。 読んでいるうちに、自身の学生時代の記憶へとどんどん潜ってゆく。集団から外れないように、いじめに遭わないように、慎重に教室で暮らしていたあの頃。クラス替えまでの一時的な友情が、学生生活を楽しくするためのすべてだった。 余計なものはいらない、というハツのスタンス。けれど、親友だと思っていた人もこの人よりはマシだと思っていた人もみな、ハツに背を向けていく。誰の一番にもなれない歯痒さと哀しさに、古傷が疼いた。大人になった今なら、一番なんかに固執しなくてもただ楽しめば良かったのだとわかる。でもあの頃は、あなたは一番の親友だと、あなたがいればそれでいいのだと、大好きなあの子に言われたかった。 | ||||
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ちょっと変テコな話。 陰キャ×陰キャの話 だがこれは愛情なのかしら?大分ひねくれた形の インストールよりよかった。 2作品とも唐突に終わる感じがした それが純文学というモンなのかもしれないが。 | ||||
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これと言った盛り上がりもなく、 しかしながらつまらなくもなく 新鮮でした。 と言ってもだいぶ前の本ですが… | ||||
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史上最年少の19歳で芥川賞を受賞した作品ということで、読んでみました。 思春期の頃の女の子の気持ちが、細かく書かれていて、「そう。そう。ある。ある。」と、納得しながら読み進めていきました。 特に、体育館に生徒が集合する場面で、中学時代からの友達である絹代が「ここに入りなよ」と、お尻を動かして一人分のスペースを空けてくれる場面で、初実が空けてもらったスペースを回避した場面などは、初実、絹代、クラスメイトの等身大の心理描写は、とても素晴らしくさすがだと感心した。 しかし、全体として、不朽の名作とよばれる作品と比較すると、内容が薄く、あっけない結末で、感動するまでには至らなかったことが、残念でした。 | ||||
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クラスに馴染めていない学生のお話がありきたりなのは否めないが、その思考の表現によいところがあった 蹴りたい背中というタイトルがイイ 言語化が難しい相手に対する気持ちを「蹴りたい」と表現しているのが共感をおぼえる 芥川賞受賞当時の盛り上がりの原因はなんだったのか知りたい | ||||
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主人公と高校のクラスメイトであるにな川の関係を にな川が憧れているアイドル「オリチャン」を通じて描いている作品。 繊細な心の描写が中心なので、読んだあとの爽快感や恋愛小説を読んだ後のようなほっとする感はないが、 高校時代の自分と重なる所が多くあった。 | ||||
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思春期の友達関係に揺れる女心を冷静に丁寧に描写している点は読んでいてストレートに伝わってきて良いと思う。同じような経験をしている人にとっては非常に生々しく感じ引き込まれるレトリックも多い。ただ、物語としてはあまり読んだ後に残らない作品にも思える。 | ||||
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最近読みました。40過ぎの私が感じた事では、芥川賞云々より 只々可愛いと感じます。主人公のハツの心情には哀しくも感情移入出来ないのですが、にな川くんの届かぬ相手への異常なまでの執着心には、恥ずかしく照れてしまう思いでした。作品名の蹴りたい背中が、中判で蹴っちゃう辺り笑えます。体がムズムズするような煮え切らない思いの様な感情が、歳を重ねた自分を少し学生に戻してくれました。 | ||||
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クラスの端っこにいて周囲から浮いている存在。 そんな孤独にありながらどこかその周囲を見下すハツ。 そのハツの視点・気持ちから見たクラスの描き方が生々しい。 一方、にな川はオリちゃん一筋でありある意味強い。 同じはみ出し者同士でありながら気持ちは一筋でオリちゃん以外の 事には全く動じない。そんな2人がオリちゃんという共通事項を通して 接し互いに揺さぶられる様子が興味深い。 | ||||
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第130回(2003年下半期) 金原ひとみ「蛇にピアス」、綿矢りさ「蹴りたい背中」(最年少受賞)。芥川賞の受賞作品という事で当時話題になった本。 参考までに説明をつけておく。Wikipediaより抜粋。 ■『芥川龍之介賞(あくたがわりゅうのすけしょう)』、通称「芥川賞」は、純文学の新人に与えられる文学賞。文藝春秋社内の日本文学振興会によって選考が行われ、賞が授与される。 ■『純文学』、大衆小説に対して「娯楽性」よりも「芸術性」に重きを置いている小説の総称。 「娯楽(性)」=仕事や勉学の余暇にする遊びや楽しみ。また、楽しませること。エンタメ。 「芸術(性)」=表現者あるいは表現物と、鑑賞者とが相互に作用し合うことなどで、精神的・感覚的な変動を得ようとする活動。 お分かりか。 「娯楽」は作家が読者に対して楽しませるもので客観(相手)に重視をおくが、 「芸術」は逆。自己表現が要となる。 要するに小説の場合(小説以外でも通じるが)、読者が作家を好きになれるかどうか。 感性が合うかどうかという事になる。 感想です。作家様に対しては初読です。 これの前に『インストール』が第38回 (2001年)文藝賞(ぶんげいしょう)を受賞してんですね。これも当時、最年少という事で話題だった。 まー、蚊帳の外にでも置いておきましょう。大人の事情なんて話題のネタと批判者の餌なんですし。そっちに食いついておいて下さいな。 表現的には好感を持てる。ひとりでいる方が好きなもんで、気持ちは分かる。 むしろ何で団体行動を「常に」しなければいけないんだい? という一方の価値観の押しつけ者に聞きたい。 トイレに連なっていく女子に聞きたい。例えば3所しかトイレのない所に女子5人で行ったって、2人待ってなきゃいけない。そのダラダラした感覚がいいのかい。 自分は嫌だ(笑)。これが変かい? Amazonレビューから後半引用↓ 『この作家に生来的に備わったシーン接続の巧みさや、魅力的な登場人物の設定に注目させられる作品でもある。高校1年生の女の子の、連帯とも友情とも好意ともつかない感情を、気になる男子の「もの哀しく丸まった、無防備な背中を蹴りたい」思いへと集約させていく感情と行動の描写も見事だ。現在19歳の作者でなければ書くことができない独自の世界が表現されている。 (榎本正樹)』 たぶん感性と独自で書いてるから面白い味がある文章になってるだけなんでしょうけど、 それが功を奏して、こうなったというべきか。何回も書き直しているでしょうから、 まだこれからどうなったもんか、誰にもわからぬ。 文章は上手いと思いますけどねー。突っ掛らなかったし。一人称だから自由に書けるしね。 ストーリーだけなら、地味すぎて賞がなければ埋もれそうです。団体にそぐわない孤立した女子が、最後には世界が少々開けてくっていう流れかな。それが恋なのか友情なのか仲間意識なのかが曖昧なところ。言葉にできない「何か」。 極端に暴力には走らない、だから背中を蹴りたい程度。この感性、絶賛されてもいいと思います。 なにも無理に解説しなくたっていいのよ。芸術なんだから。 実はこの本、図書館の「若い人が読む」みたいなコーナーに並んでいた本。 その対象以外は、とっつきにくくて当たり前なんです。 批評するなら、それを踏まえた上で批評しなくちゃ。 と、いうわけで。主人公とにな川と絹代。いい終わり方で好感も持てたし、 いい気分でした。偏見は嫌いだねぇ。 | ||||
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綿矢りさが大江健三郎賞受賞ということで,興味本位で読んでは見たが,数十分で読み通せるほどの内容の薄さであった.アイドルヲタに気づいたら恋してましたという,クーデレな長谷川である.しかも,高校生という設定なのに,授業もまともに受けていないという謎の設定である為,共感しづらい.なんて,ラノベと言いたい.また,この作品を読んで,「かわいそうだね」を読んでみたいとは思わなくなってしまった.その作品も,この間の受賞対談によると,蹴りたい背中同様,短編と聞く. | ||||
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どうも胡散臭さを感じていて今まで敬遠していたが新聞のエッセイを読んで、その文章のうまさと軽妙さに少し惹かれて読んでみた。 面白いとは思う。当方40のオジサンですが懐かしさや10代の幼さを感じて読後感はとても爽やかでした。・・・が軽い。内容はとても軽い。作者の年齢からすると当たり前かもしれないが・・・。やや話題作りのための加点はやはりあったのか? 文章は達者だが筆力があるという感じではない。 だが教科書なんかに載せるには良い作品だとは思う。(これは文学にとって褒め言葉ではない) 癖がなく万人受けしやすいから・・。 そのかわりハマル人も少ないと思うし、熱烈なファンもあまりいないのではないか。 文学は浅く広く愛されるよりは特定の人たちだけにでも深く突き刺さる方が良いと思う。・・・と言うか自分にとって深く陶酔できる作家が一人いれば充分だ。 だから賞について論じるのも愚なことかもしれないが近年の芥川賞作家なら田中シンヤや西村ケンタの方が引き込まれる人は多いのではないか。ただ賞をとる作品は癖が少ないモノが多いので彼らの作品も受賞作以外の方が面白いが・・・。 ただ作者の年齢を考えると今後に期待するし、その後どう作風が変わったか読む気にはさせてくれる作品だと思う。 | ||||
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芥川賞どうこうは忘れて、ただ一つの作品として読みましたが、なかなか良い作品だと思います。 160ページ程度の短編ですが、どこの学校にもいそうなクラスの余り者のリアルな青春を感じました。 蹴りたい背中。たしかに、自分も読んでいて、「にな川」の背中を蹴りたくなりました。 | ||||
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とにかくタイトルが秀逸だと思いました。 この「背中を蹴る」という行為に、主人公の感情はもとより、この本の要素すべてが集約されていると言ってもいい気がします。 「蹴る」という行為の裏にあるのは、決して「嫉妬」や「怒り」といった単純な感情ではなく、もっと複雑で鬱屈した感情なのではないでしょうか。何て言ったらいいかわかりませんが、あたかも感覚だけは刃物のように研ぎすまされているのに、自分の気持ちや身体を自由にコントロールできずに持てあましているモヤモヤ感というか。 安い青春小説であれば、その捉えきれない若い感情を、「愛」とか「恋」といった通り一遍の言葉で置き換えてしまうのでしょうが、この作品ではそれを、あくまで「蹴る」に代表される身体感覚で表現していて、その描写がとにかくうまいと思いました。 | ||||
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なんだか特徴のつかみづらい作品だなと思いました。 文章力が際立って良いわけでもなくストーリーに特別面白味があるわけでもない。 むしろ序盤に出てくる「……っていうスタンス。」という高校生のメールを思い起こさせるような今どき風の文体に賛否両論分かれるなと思いました。 しかし、特徴をつかみづらい原因は、この作品の描写力があまりにも優れているところにあると思うのもまた事実です。 登場人物のささいな仕草や行動を的確な言葉と臨場感あふれる比喩であますところなく描写。 たとえば終盤のライブ会場のくだりなんかは秀逸です。 周りのファンがオリチャンに熱狂を浴びせる空間のなかで、オリチャンとの距離を縮られるはずのライブが逆に彼女との世界の違いをリアルに思い知らされてふさぎ込んでしまうニナ川の描写がありますが、これはニナ川の心情をストレートに解説することなしに、ニナ川の一挙一動と主人公ハツの視線を以て、ニナ川の憂鬱な心境を読み手にわかりやすくかつ感覚的に訴えています。 登場人物を客観的にとらえると同時にその解説をあえて取りのぞいた描写で人間の心情をきめ細かく読み手に伝えるというのは、小説家であれば誰でもできるレベルのものではないくらい技術を要するものだと思います。それもこの作品の場合はかなりわかりやすく伝えています。 その技術力をにおわせる描写がこの作品にはたくさんつまっているので、ここがこの作品のすごいところだと思いました。 ただストーリーの展開に起伏があればもう少し楽しみながら読めたかなと思います。 | ||||
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なぜかいまのいままで読まずにきてしまって、遅ればせながらやっと読みました。読めば数時間なのに不思議なものです。記憶が定かでないのですが、「インストール」よりも進歩しているというか、たとえば、すこし前にサンダルで駆けてしまって怪我をした足で、「にな川」を「蹴る」主人公の足の痛みにあえて触れないラストなんかに作家としての成長を感じました。ただ逆に、こういうこと書いてたかなと思わず首をひねりたくなるような、作者の「素」の部分を思わせる、地の文の視点をはじめ、やはり世代の違いというのか、読む自分との隔たりを強く意識させられたというのが正直な感想です。 | ||||
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若者の手によるジュブナイル小説としては悪くないと思うが、 芥川龍之介賞を受賞するに値するとは、私には思えなかった。 「学校のクラスのあぶれ者同士の連帯と同族嫌悪」というテーマは目新しいモノではないし、 更にそのテーマの描き出し方にも特別新しいモノは感じられなかった。 作者の言語感覚も決して悪いモノではないと思うが、内容が軽い。 強いて美点を挙げるなら、冒頭のオオカナダモの情景であろうか。あの描写には多少なりとも個性があった。 | ||||
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普通に読めば、「グループづきあいに嫌気がさした女の子が、外れ者としてやってくけど、毎日周囲をバカにする一方劣等感も抱えている日々。ところが自分よりもっと外れたアイドルおたくのクラスメートとの交流のなかで、憎らしさとほのかないとおしさ?も交えた感情を抱き始め……」 って話に読めますし、この本が刊行されたときの、中学生の私はそのとおり読んで「くだんない!これが芥川賞かよ」と思った。 けど、今読み返してみると、この本。 主人公に「蹴りたい」と思われ続けるアイドルおたくの男は主人公の自己愛と自己嫌悪の投影対象としての役割を担ってるんですね。それを書きすぎずに、主人公へ自分自身のゆがんだ思いの自覚も促さず、書かないことでこの作品を「文学」たらしめてい力量はさすが。やっぱりあの若さでそんな巧みな小説の構造をする綿谷りささんは、十分に芥川賞に値する | ||||
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