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蹴りたい背中
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蹴りたい背中の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.63pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全175件 81~100 5/9ページ
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おじさんにはついていけないのかも さん、他皆さん 誤解が多い様なので「気怠い」ですが書きます!笑 本は、少しでも開いて、ご覧になってから購入された方が良かったかもしれませんね。そうじゃないと、大体の内容がわからない。 だから、おじ様の様に最後まで読まない。読んでないでしょ?読めばわかります。「蹴りたい」の意味が! それで、読んでない方が評価をする。蹴りたいの意味を間違えて。 選考者を「蹴りたい」との事ですが、本当にそうなら、かなり、今回の選考者や、作品を「評価されている」のですね!読んだ者にはその様に取れます。意味まで書くといけないのでこの辺で。 自分は、読んでいて、最初は「気怠かった」ですが、徐々に面白くなっていき、一日で読みました。本を一日で読み切る事は殆どありません。 笑う事もありました。自分的には、まずまず面白かったと思います。 芥川賞や直木賞等の意味は正直知りません。選考内容も。 でも、読んでみたら、面白かった。それで良いのでは? 大人の方は、意味とか、意義とか、名誉とか、賞に似つかわしいか、とか考えておられるから落胆されるのでしょうか? 自分は、読んでみて、まずまず面白かったから良いのではと考えてしまいます。 賞の名誉や肩書を重要視されている方には申し訳ありませんが。 実際、自分も、この作品が、芥川賞に選ばれてなければ、多分、読んでいません。 その意味では、賞のお陰ですが、皆さんが言われるほど悪くはないのでは? 結局は、ご自身で最後まで読んで、ご判断ください。 途中で止めずに。嫌になれば読まないのは勿論ご自由ですが、 あまり「クチコミ」を投稿されない方が良いのでは? だって、最後まで読んでないなら、本の全容を知らないんだから! | ||||
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ご本人によるとたしか100回以上書き直したとか。よくわかる。てにをはの類いかその延長を、書いては消し書いては消し、涙ぐましい苦闘ぶりだったかと思う。この作品では、それしかやることとてなかったはず。でも受賞してしまった以上、ご本人は無力感をストレートに口にすることもしにくい、それであの言。スマートすぎるほど謙虚な他の誰よりも、もっと好感の持てる正直な受賞の言葉だった。 それだけに金原ひとみさんの『蛇にピアス』との差がまた痛々しかった。努力の結果がただ痛々しいだけとは切ないが、要はかわいこちゃん仲良し受賞の話題作りアテ馬か。ひどい無責任ぶり、むごい仕打ち。 なるほどネット画像で見るとかわいい顔で、美人は得の定法通りだが、文学界とはいえ周りは普通の内臓をもつ人の集まり、得して損取らされるということもある。 | ||||
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著者は、『蹴りたい背中』で芥川賞を最年少で受賞した綿矢りさ。 (2007.4.20 – 2012.4.30 30刷発行) 長谷川初美は、モデルのオリチャンファンであるにな川に部屋に招待される。 クラスの“余り物”同士の奇妙な関係の中で初美が見つけた世界とは…。 『蹴りたい背中』という怖い題名から、いじめられている少女の逆襲物語と勝手に想像していたけれど、内容はそうではなく、初美はいじめられないもののクラスでは相手にもされないスクールカーストでは最下層の少女である。 高校の時はへらへらと周りに合わせていたけれど、高校ではそんな態度を辞めて孤独の道を選び(ある意味厨二病の最たるものだが)、中学で唯一仲良しだった絹代にも群れていることに軽蔑の眼をむけるようになってゆく。 そんな時に偶然仲良くなった(?)にな川に奇妙な興味を抱いてゆく。 『蹴りたい背中』とは少女のグロテスクな感情ではなく、性的な、少し歪んだ青春の発露としての『蹴りたい背中』だったのだ。中々奥が深い。 読み終わって、芥川賞を受賞するのはちょっと意外な感想だけれど、世の中の大人たちに今の(スクールカーストの最下層の)少女たちのリアルを、陰湿な世界ではなく、ほろ酸っぱい青春をうまく表現できたところが評価されたのかもね。 ───でも彼は絶対に地震が起こらないことが分かっている、絶望的な瞳をしている。こんなにたくさんの人に囲まれた興奮の真ん中で、にな川はさびしい。彼を可哀想と思う気持ちと同じ速度で、反対側のもう一つの激情に引っ張られていく。にな川の傷ついた顔を見たい。もっとかわいそうになれ。(p.148-149) | ||||
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中学生日記風な内容の作品です。確かに感性の良さは幾分感じられますが、それ以上でもそれ以下でもありません。作者は当時19歳か20歳の女子大学生で芥川賞最年少受賞者と記憶していました。もしかして、本離れをくいとめる為の話題造りの一環として芥川賞に選んだとしたら情けないことです。 | ||||
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ハツとにな川・クラスの”余り者”同士の普通ではない”青春”を描いてチョーベストセラーになった2004年芥川賞作品。10年ぶりに読み返してみると、当時は今ほど、というか、高校生にはスマホどころか、ケータイすら普及していない、固定電話で事足りていた時代。iPhoneが出るのが2007年だから、まだ先の話、いじめもブームになる前で、今ほど過激でない、むしろ、言葉遊びで、大人の痴話げんかの方がかしましい。 エビチャンはどうだったのか?オリチャンが出てきてもう一方の”余り者”、にな川がおたくになる……それに興味を持つ「私」が、絹代に冷やかされてつつ、ついて行く!って寸法・・・・・おじさん、おばさん、さらに加えて、じじ&ばばが中心の選考委員からすれば、スポコン・ドラマでもない、夕陽に向かって駆け出すでもない、「これって、新鮮!」っていう基準で受賞してしまった芥川賞!って感じい、みたいな。 | ||||
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綿矢りさが大江健三郎賞受賞ということで,興味本位で読んでは見たが,数十分で読み通せるほどの内容の薄さであった.アイドルヲタに気づいたら恋してましたという,クーデレな長谷川である.しかも,高校生という設定なのに,授業もまともに受けていないという謎の設定である為,共感しづらい.なんて,ラノベと言いたい.また,この作品を読んで,「かわいそうだね」を読んでみたいとは思わなくなってしまった.その作品も,この間の受賞対談によると,蹴りたい背中同様,短編と聞く. | ||||
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昔読みました 2,3回読んだと思います かなり笑いました 最後の終わり方もすごく良かったと思います 蹴るは”つっこみ” 京都人ということで、関西人のつっこみのノリがあったんじゃないでしょうか 思春期の女性の精神性みたい解釈は私にはよくわかりません 評価が低かったので、ネタばれしない程度に書いてみました | ||||
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若い時って中々本腰いれて小説書いてみよう、って気になる人いないんじゃないかな。そんな中著者は、まだ若いのに凄い。 | ||||
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どうも胡散臭さを感じていて今まで敬遠していたが新聞のエッセイを読んで、その文章のうまさと軽妙さに少し惹かれて読んでみた。 面白いとは思う。当方40のオジサンですが懐かしさや10代の幼さを感じて読後感はとても爽やかでした。・・・が軽い。内容はとても軽い。作者の年齢からすると当たり前かもしれないが・・・。やや話題作りのための加点はやはりあったのか? 文章は達者だが筆力があるという感じではない。 だが教科書なんかに載せるには良い作品だとは思う。(これは文学にとって褒め言葉ではない) 癖がなく万人受けしやすいから・・。 そのかわりハマル人も少ないと思うし、熱烈なファンもあまりいないのではないか。 文学は浅く広く愛されるよりは特定の人たちだけにでも深く突き刺さる方が良いと思う。・・・と言うか自分にとって深く陶酔できる作家が一人いれば充分だ。 だから賞について論じるのも愚なことかもしれないが近年の芥川賞作家なら田中シンヤや西村ケンタの方が引き込まれる人は多いのではないか。ただ賞をとる作品は癖が少ないモノが多いので彼らの作品も受賞作以外の方が面白いが・・・。 ただ作者の年齢を考えると今後に期待するし、その後どう作風が変わったか読む気にはさせてくれる作品だと思う。 | ||||
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今さらを文庫で読んだ『蹴りたい背中』は、装丁のイラストが好いです。 女子高生のキグルミを被った著者がなにか、そこに居るかのようです。 清新、繊細な感覚にして秀逸な文体と話題になった出だしから、それが十代の作家の 筆になった作品とはとても思えず。それも実質二作目と云うのだから、たぶんそれは 読ませる為の文章完成度を天才的に著者が有しているということなのでしょう。 話の流れ、シーンのリアリティ、場面転換、各要素の関連付け、人物描写、空間位相etc。 また十代に顕著なセンシティビティに併せ、その巧みな修辞を見るに付け、ひとりの作家の 内に共存する手練に長けたベテラン作家の在ることに、少なからずの不思議すら覚えます。 文学的な経験も少なく、素養のみでポンッとこういった作品が書けるなら、それは奇跡です。 しかしおそらくそれは違うのでしょう。著者の作家志望は、きっと長期に及ぶに違いありません。 本作をそんな風に感じながら読みました。つまり作品よりも、作家(作意)が常に際立って来るのです。 この作品には、経験の真がどうも見えません。高く鳴り響いて胸をしめつけているはずの孤独は、 それが修辞のままに諸所に飾り直されもするようです。そうやって作家のための作品は、 作意の抑圧を受け続けてしまっているようです。その象徴がきっと、にな川の背中なのでしょう。 偏愛するオリチャン(佐々木オリビア)に聴き入りながら、気を寄せるのかまだ定かでもない主人公の私に、 したたか蹴りつけられるにな川の背中、それこそが著者にとっての小説(作品)のように思えてなりません。 所謂、綿谷プロジェクトも十年選手です。先ずはこのにな川の背中を確と向け直して欲しいところです。 正々堂々(倒錯もまた然り)の抱擁を交わし、自分を預け、他者に出会う。 そして著者にも背中の或ることをです。そうした経験の真を確保したような創作を望ましくします。 作家を証し立てるのは作品に他ならず、逆は決してあり得ないこと。 自他に偽りのない、今後にそんな傑作を期待しています。 (継続する作家魂に感を得て不躾の強弁、なにとぞ悪しからずを下さい。頓首です) | ||||
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冒頭〜二十数頁の衝撃に胸がざわめきました。女子高生の微妙な感性や、凡人には思いもつかないきらめきと、それでいてそれ以上でも以下でもないという的確な表現の言葉が、容赦なく迫ってくるのです。私が今高校生なら、間違いなく誰かの背中を蹴りたい衝動に駆られていたことでしょう。 | ||||
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主人の頼まれものにつき自身は未読。時間があるときに読んでみたい | ||||
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書き出しの一行で引き込まれてしまった。言葉の使い方にみずみずしさがあり、そこにとてつもない感性や才能をみた気がします。期待に十分こたえる作品です。お楽しみください。 | ||||
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なんとなく聞いたことのある本だったので読んでみました。 にな川くんみたいな男性をある種軽くみている自分でしたが、羨ましくなりました。 とにかく好き、理由を他人に説明するのもめんどくさいほど好きなもの。 そういうものが自分にはないからです。 でも、希望が湧いてきました。 出版業界のことや芥川賞、文学とかまったく知らないですが単純におもしろかったです。 | ||||
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中学二年生の息子に読ませた感想。 「おれはこんな複雑なこと考えてねーよ。すげーな(女子は)。」 作中のハツとにな川君は高校一年生だが、男は多かれ少なかれ、にな川的なところがあると思う。 良く書けてる。ああ、懐かしい。 異物排除の空気を、あらためて、ほいっと見せられた感じもうまい。 もっと単純に考えて生きられればいいのになあ。 この上から下まで漂っている日本人の閉塞感、真面目だということなんでしょうなあ。 「インストール」よりはテーマ(らしきもの)がまだはっきりしています。 1時間もあれば読めるかと思います。 | ||||
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高校生の少女とその少女が好きになってしまうアイドルオタク その二人の夏の青春物語 この本は芥川賞を受賞した作品なので色々と議論はあると思いますが 私自身もこの作品が純文学とは思えないし、話題先行という部分は否めないでしょう でも この物語は声を出して笑ってしまうほど面白いしホノボノしてるし 読み物として優れていると思います 物語って一番重要なのは面白いかそうでないか 面白くてはじめて議論の上に乗るのでしょうね | ||||
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今期、史上最高齢75歳での芥川賞受賞者が出たが、この『蹴りたい背中』は史上最年少19歳での受賞作だ。 ついこないだのことのように記憶しているが、すでに10年も経とうとしている。 将来、作家を志望している若い方々、ぜひとも一読をおすすめしたい。 この小説を十代で書き上げたこと自体が奇跡にも思えるし、ありがちな女子高生モノとは一線を画す。 当時、書評などを読むと概ね好意的だが、大絶賛というわけでもなかった。それもそのはず。内容に華やかさというか派手さがないから、一見すると単調に感じてしまうのだ。 一般的に早熟な女性作家がペンを執ると、たいてい乱れた性関係とか望まない妊娠などの暗い影がつきまとう。 ところが綿矢りさはやってくれました。パンツを脱ぐことのない正統派の純文学を確立してしまったのだ。しかも19歳という若さで。 これだけ平凡な高校生を鮮やかに浮かび上がらせるテクニックは、もはや天才と言っても過言ではない。 主人公はどこにでもいそうな女子高生で、相手の男子も今どきのオタクだ。 ものすごくフツーな高校生なのに、キャラクターがはっきりと見えて来るのだ。そう、それはまるでその場に自分(読者)がいて目撃しているような錯覚を起こさせるから不思議だ。 ストーリーは、なんてことない。 高校生という枠組みに何となく馴染めないハツは、同じくクラスに馴染んでいない“にな川”に興味を持つ。 そのにな川は、雑誌のファッションモデルをやっている“オリチャン”に夢中。いわゆるオタクで、オリチャンに関するものなど全てネットオークションで集めたり、雑誌のバックナンバーも揃えていた。 ある時、にな川はオリチャンのライブチケットを4枚も買ってしまったので、一緒に行かないかとハツを誘う。だがそれでも2枚余ってしまう。 結局、チケットを余らせるのがもったいないので、にな川、ハツ、絹代の3人で出かけるのだった。(それでも1枚は余るが) ハツは、何となく自分の気持ちに気づき始めていた。それは、オリチャン命であるにな川に対する淡い恋心。 一方通行な気持ちになかなか折り合いをつけることができず、にな川に対して乱暴になってしまう自分を持て余してしまうのだった。 いわゆる青春小説というカテゴリに入れても間違いではない。だが、文学性という意味で抜きん出ているため、“青春”という若者向きの枠組みに一括りしてしまうのは、あまりにもったいない気がするのだ。 書くことが好きで、様々な文学賞に投稿していこうと考える未来の文士たちよ。 まずはこの小説を読み、自分を見つめ直していただきたい。 自意識過剰なまでの高校時代を思い出す時、果たして自分は綿矢りさほどの客観性と繊細さを持って、これだけの世界観を作り出すことが出来るだろうか? たぶん難しい。とても。 正直、この小説を読了後は、自分の才能に限界を感じ、あきらめてしまう人がほとんどだろう。だがそれでいい。 綿矢りさを認めることで、もっと自分自身を解放すると良いかもしれない。 繰り返して言う。将来、作家を志望している30歳ぐらいまでの若い方々、ぜひとも一読をおすすめしたい。 | ||||
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作者の若いみずみずしい描写が魅力と書いてあるが、回りくどい言い回しの例えが ただただうっとおしいように感じた。川端康成のように鮮やかさが欲しいな。 ここは本当に趣味が分かれる。 グループになじめずに物事を斜めから見る女子高生とJJやキャンキャンとかの 写真の切り抜きを集める変な男子高校生のやりとりがメインなのですが、 それが面白くなく、単調です。 若者へのシンパシーを狙った作品だと思うのですが、誰がこれにシンパシーを 感じるのか疑問です。 PS: あと、よく言われているルックスで芥川賞に選ばれたというのですが、そういう傾向 が最近、本当に顕著になりましたよね。小説だけでなくクラシックとか色んな場面で新人のゴリ押し がまるで昨今の若手芸人を推すように面白くない人が出てきます。本作はそういうのの走りでは ないかと思います。彼女の後の作品を見ても、やっぱり文章としては退屈ですし… でも、そういう風潮にもなれたなということを感じさせてくれることに気づきました 。 ★・・・・・・・・(1.5) | ||||
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女子高校生ハツはクラスの中で浮いている。きっかけは、理科の実験の班編成だ。ハツのような人にとって、先生の「適当に班をつくって」というのは辛い指示である。あれよあれよという間に取り残されてしまうハツ。こういうシチュエーションでは、自分の中から湧き上がってくるみじめさに圧倒されてしまうだろう。周りの人が見ているよりはるかに深刻な状況に、自分を置いてしまいがちだ。 しっかりと仲間をつくっている中学校からの友人 絹代に、裏切りを感じるハツ。「あの人たちはくだらない」という すっぱい葡萄の論理で自分の護るしかない。ハツは所属する陸上部でも上手くとけこむ事ができない。ハツのぶきっちょなもの言いが、さらに皆との壁を高く、厚くしてしまう。ハツの孤独を、 綿矢さんは、”さみしさは鳴る”と表現している。仲のよさそうなざわめきが、ハツの耳を通して胸に突き刺ってくるのだろう。本作品の中では、綿矢さんの独特な表現方法が見られる。平易な言葉の組み合わせで、感情の広がりを表すことができる19歳(当時)おそるべし。 ハツのクラスで、もう一人の浮いている男子 にな川。にな川は、ファッション雑誌のモデル オリチャンに夢中で、オリチャンを中心に世界が動いている。ハツは、そんな にな川から目を離せなくなる。恋愛感情だろうか? 確かに、ハツは、二人の間を勘違いされても、真っ向から否定はしない。だが、ハツは、にな川に自分と同じ孤独を見出したいのだろう。何かに夢中になっている にな川は、ハツからは、クラスから孤立していても意に介していないように映るのではないか。どこか超然としている にな川へ嫉妬をしてしまう。だから、ハツは、にな川がつらい目にあっているのが見たいし、背中を蹴りたくなるのだ。 孤独に直面して、気持ちになかなか整理がつなかいハツの真っ直ぐさが、愛おしくなってしまう作品である。 | ||||
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寂しさは鳴る。寂しさは鳴らないよ。いや、鳴るよ。とか、作家に一大紛争を引き起こしたとか、起こさないとか、冒頭の一文です。 学校生活に退屈して孤立している女子高生が、セブンティーンとかの雑誌の切り抜きをあつめてる「にな川」という男の子と知り合いになります。 その「にな川」の背中にケリをいれたいとか、文学風に書いてあります。 女子高生に背中を蹴られたいオタク歓喜な感じで、ややあざといです。 映画でいうとソフィアコッポラとか、ドロドロしない少女系の感性です。 透明で、少し孤独の影があって、女子高生フェチ向けな感じです。 モデルにコンプレックスを持つ普通の女子高生が、ファッションモデルオタクのオタク男子という内なる自分の背中にケリを入れてるような感じですが、モデルに憧れる女子高生心理が理解できない人にはハアという感じかもしれません。 女子高生の無敵感の裏には、大量の不安があります。街角でとあるファッションモデルにからかわれたときのシーンは、女子中学生なんかの人目に対する心象をよく表していて切ないです。 昔なら、文学青年崩れのゴーストライターとかが書いてそうですが、本物の女子高生に抜かれてしまったということで、そういうオッサン方は反省しないといけません。か? いやいや、力を秘めているはずの女子高生がオッサンなんかに抜かれるからいけないので、 セカチュー、恋空、失楽園なとの、アホな流行は全部オッサンの仕業とバレた昨今、そういうオッサンたちはいかがお過ごしでしょうか。印税でウハウハか。 でも恋空で女子高生が釣れたのは事実ですが、ただそこまで、実名を出して、お股をあっぴろげにできないのが女子高生の偉いところ、秋元康の枕営業といい、天下りの謎といい、顔を隠したオッサンほど最強の生き物はいません。 ダブル17歳芥川賞、当時はヤマンバギャルとかが流行っていて、綿谷りさの方は、清楚系の象徴でした。 | ||||
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