■スポンサードリンク


蹴りたい背中



新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
【この小説が収録されている参考書籍】
蹴りたい背中
蹴りたい背中 (河出文庫)

蹴りたい背中の評価: 3.63/5点 レビュー 175件。 Bランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点3.63pt


■スポンサードリンク


Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全175件 61~80 4/9ページ
No.115:
(1pt)

んー、、

んー、、これだったら太宰の女生徒の方が繰り返し読めるかなぁ
何で友達でもない人の部屋に入れるのか理解不能。。。
蹴りたい背中Amazon書評・レビュー:蹴りたい背中より
4309015700
No.114:
(5pt)

蹴りたい背中はある。

結婚して、まあまあ年数の経った主婦の間では、共感している人が多いです。
時に、なんとも表現でき無い、旦那の背中を蹴りたくなる心理で、解るわ〜〜って。
男性や、若者には、解りずらいかもですが、女性にはいつか、アレだ!と腑に落ちた、と言う時が来るかもしれない内容。
蹴りたい背中Amazon書評・レビュー:蹴りたい背中より
4309015700
No.113:
(2pt)

期待しすぎた

うーん
もうちょっと面白いか、深みか、どちらかの新鮮なインパクトがあるかと思ったけど。僕には読みにくかった。最近のやつを読んでみてダメだったらもういいかな。
蹴りたい背中Amazon書評・レビュー:蹴りたい背中より
4309015700
No.112:
(4pt)

良いですね。

読書週間なので、この本をチョイスしました。
難しくなく、読み切りました。良いです。
蹴りたい背中Amazon書評・レビュー:蹴りたい背中より
4309015700
No.111:
(4pt)

思春期の危険さ

にな川はオリチャンのファンをやってたはずだったけどいざ目の前にすると遠すぎる存在だと知る叶わない愛情、ハツはにな川が傷つくのを見たいという歪んだ愛情。どっちも不器用であり、それを切り取ることに成功してる作品だと思う。
僕が思うに愛情の真の姿はそういうところではあるやろうけど、彼らがこの先の人生を幸せだったり上手だったりして生きていく未来が見えない。それは未だに僕も分からないこと。
蹴りたい背中Amazon書評・レビュー:蹴りたい背中より
4309015700
No.110:
(3pt)

鮮やかな心理描写以外は、、、

思春期の友達関係に揺れる女心を冷静に丁寧に描写している点は読んでいてストレートに伝わってきて良いと思う。同じような経験をしている人にとっては非常に生々しく感じ引き込まれるレトリックも多い。ただ、物語としてはあまり読んだ後に残らない作品にも思える。
蹴りたい背中Amazon書評・レビュー:蹴りたい背中より
4309015700
No.109:
(1pt)

途中でKO

インストールを読んだ後に読みました。
インストールは最後までさくさく読めましたが、これは半分以下でギブアップ!
なぜか先に読む気になれませんでした。
個人的にはインストールの方が、読みやすく
壊れたPCを通じて、主人公とそのPCを直した子供とのやり取りの関係がうまく書かれ、
そして2人の中に子供からバイトの依頼を主人公が受けとり、一定期間だけだが、
2人に深く友情が生まれたように感じたし、流れも悪くなかった。しかし、どうしてもインストールと比較すると、これはそこまで深く主人公が描写されていないと思う。
蹴りたい背中Amazon書評・レビュー:蹴りたい背中より
4309015700
No.108:
(3pt)

芥川賞は、まず置いといて

最近読みました。40過ぎの私が感じた事では、芥川賞云々より 只々可愛いと感じます。主人公のハツの心情には哀しくも感情移入出来ないのですが、にな川くんの届かぬ相手への異常なまでの執着心には、恥ずかしく照れてしまう思いでした。作品名の蹴りたい背中が、中判で蹴っちゃう辺り笑えます。体がムズムズするような煮え切らない思いの様な感情が、歳を重ねた自分を少し学生に戻してくれました。
蹴りたい背中Amazon書評・レビュー:蹴りたい背中より
4309015700
No.107:
(4pt)

ハツの母性の表現では…?

とても楽しく読んだ。この文章力と表現と読ませる力は19歳とは思えない。
読了後、「結局なんなんだ?」みたいなのが残ったが、まあそういう作品なんだろう。
まず思ったのが、ハツの内面描写の揺れ動き。とても繊細でリアル。自信がわからない思春期の不安定さもあった。
印象に残ったのが、にな川の部屋で桃を食べるシーン。少し性的な匂いを感じた。ハツの支配の欲求みたいなのが見える。
それと、絹代の使い方がうまい。彼女がいる事で、ハツは皮一枚孤立はしていないし、彼女にハツはにな川の事が好きだと勘違いさせることで、ハツの気持ちの揺れを強固にしている。つまりにな川に対する恋愛感情は曖昧にさせている。
作者はおそらく全てを曖昧にしたいのだと思う。関係性やヒエラルキーや感情など、読み間違えてなければ、小説ないで、はっきりさせていることは何もないように思う。
しかしながら、小説の軸はやはりどう考えても、ハツのにな川に対する、気持ちというか内面なのだから、恋愛でもなく、友達でもなく、悪なども感じさせない。自分の中で整理すると「母性」ということが残った。
蹴りたい背中Amazon書評・レビュー:蹴りたい背中より
4309015700
No.106:
(4pt)

我を忘れてのめり込む芸能人ファンへの警鐘

目の前の大事な人に向き合わず、芸能人に夢中になる男子が気になる主人公女子。面白く読みました。
その男の子の家の親の主人公への対処がとても温かくて良かった。人のウチに黙ってあがっちゃいけないことを注意しつつ、友だちを受け入れてくれる姿勢に感動しました。
でも、その男子の名字に意味を持たせるなら、ありそうにない名字だったらもっと良かったと思います。
蹴りたい背中Amazon書評・レビュー:蹴りたい背中より
4309015700
No.105:
(4pt)

蹴りたい背中が意味すること

ずいぶん前の芥川賞で読んだ人も多いでしょうから、今更って感じですが、当時読まず嫌いだった私も納得な一冊でした。蹴りたい背中を二度蹴りますが、その意味を考えると面白いと思います。
蹴りたい背中Amazon書評・レビュー:蹴りたい背中より
4309015700
No.104:
(1pt)

これが芥川賞か……

かなり話題性を持った本なので、胸躍らせて読んだが、なんだこりゃ。こんなんで芥川賞受賞できるのか。その背中を蹴るという官能的な行為の描写を肯定する以前に、この時の選考委員はもっとツッコミを入れるところがあっただろうに。ツッコミを入れているのは三浦哲郎のみではないか。
高樹のぶ子は「小説のカタチで新しさ主張する愚にも陥らず」と述べているが、いやいや完全に陥っているでしょうに。仮にも純文学作品に(笑)とは一体どういう了見だ。こんなものが二十一世紀の始めに話題に登ったことを恥ずべきである。
山田詠美も宮本輝も河野多恵子も黒井千次も、皆「若いのによく頑張りましたね。エライね。」と言わんばかりの選評。私は宇野浩二が読んだらどうだっただろうと要らん妄想までしてしまった。
高樹の読みは見事に外れている。

「作者は、作者の周辺に流行しているだろうコミック的観念遊びに足をとられず」

とも書いているが、「コミック的観念遊び」とは、そもそも何ぞや。コミック及び若者をなめてんのか説明が欲しい。仮にも作家であろうに、結局この人は年老いて世相の時流に着いて行けず、部屋に閉じこもって小説を書くような人間で、そういう人間にとってのこの作品の解放性は非常に刺激的なものだったのであろう。
この時点での綿矢りさは、心情描写に非常に優れてはいるが、その心情を記号化する程の力はあるのだろうか疑問である。いや、あったのであろうか、とりあえずこの作者には、この時点ではそれが無い。今はどうか。今度また綿矢りさ作品を読んでみたいと思う。おそらく他の人もこれを読めば、そう感じる筈である。
しかし坂口安吾が第二十四回芥川賞選評の際

「私は作者の未来に対してよりも作品に対して受賞すべきだと考えている」

と書いたように、「将来性」やら「新人だから」とかの(ハツに言わせればハッ。ていうこの)スタンスで作品の評価まで高めて良いものか。折角先人が積み上げてきた現実と虚構の関係性を壊すものではないかと思う。不思議な作品である。
(こんな風に偉そうにレビューを書いて、商売の邪魔にはならないだろうか、心配だ……)
蹴りたい背中Amazon書評・レビュー:蹴りたい背中より
4309015700
No.103:
(1pt)

主観ですが

昔注目されてたなー、と思って読み始めた。当時はタイトルからして読む気にならなかった。読み終わって…だから何なんだ、と気だるくなる内容=中身がない印象。描写は細かいから繊細そうだけど、それがダラダラ続くだけ。当時読まなくてよかった、こんな内容に人物像の心情に何かしら影響受けたとしたら無駄でしかないから。結局、何が大切かとか見出だせない一冊。読み終えて初めて捨てた本です。
蹴りたい背中Amazon書評・レビュー:蹴りたい背中より
4309015700
No.102:
(3pt)

溶け込めなさの描き方

クラスの端っこにいて周囲から浮いている存在。
そんな孤独にありながらどこかその周囲を見下すハツ。
そのハツの視点・気持ちから見たクラスの描き方が生々しい。

一方、にな川はオリちゃん一筋でありある意味強い。
同じはみ出し者同士でありながら気持ちは一筋でオリちゃん以外の
事には全く動じない。そんな2人がオリちゃんという共通事項を通して
接し互いに揺さぶられる様子が興味深い。
蹴りたい背中Amazon書評・レビュー:蹴りたい背中より
4309015700
No.101:
(5pt)

さびしさは鳴る

さびしさは鳴る
秀逸なこの一文から始まる。
随所に散りばめられている表現が素晴らしいです。
但し、文末の書評は酷すぎる。
蹴りたい背中Amazon書評・レビュー:蹴りたい背中より
4309015700
No.100:
(5pt)

自分が高校生の頃を思い出します

空気感とか雰囲気を作るのが非常に上手い作家さんだと思いました。
読んでいるうちに、自分が高校生の頃を思い出します・・・。
蹴りたい背中Amazon書評・レビュー:蹴りたい背中より
4309015700
No.99:
(2pt)

高校生にしては文章力があるが、しかし

最近の心の内面を描いたような「ボヤキ小説」の典型というか、その先駆けとなった小説のような気がする。人の心の中は見えないのだから、行動や外見、ふるまいや景色の描写で小説を描いてほしいものだ。
蹴りたい背中Amazon書評・レビュー:蹴りたい背中より
4309015700
No.98:
(5pt)

書きたい話

かなりの良作なのだが、案外評価が高くなくて驚いた。

現代病である”ぼっち”がテーマに据えられたトコといい、狂信的なドルオタであることといい、いかにも若い作家が書きましたってカンジ。

本当の意味での現代の若者の感性は現代の若者にしか書けないと思うのだが、この小説はそれが書けている。

得体の知れないラストシーンも、好き。
蹴りたい背中Amazon書評・レビュー:蹴りたい背中より
4309015700
No.97:
(5pt)

研ぎ澄まされた五感と蹴り

さびしさは鳴る。耳が痛くなるほど高く澄んだ鈴の音で鳴り響いて、胸を締め付けるから、せめて周りには聞こえないように、私はプリントを指で千切る。細長く、細長く。紙を裂く耳障りな音は、孤独の音を消してくれる。

冒頭のこの書出しに衝撃的なデビューを飾った本著のすべてが感じとれる、といえば大袈裟に聞こえるだろうか。確かにこの作品を青春小説のカテゴリーで新鮮な感覚やその特異性について論じることは可能かもしれないが、個人的にはむしろこの小説の力強さと否応なく現在(いま)を顕わにするその言語感覚に驚嘆する。
高校生の他愛のない日常を描いているに過ぎないといえばそれまでだが、圧倒的な筆力で読者をひきつけ一気読みさせる文体には誰でもこの書き手の稀有な才能と可能性を感じるだろう。
斎藤美奈子さんもそのことについて、著者の五感、とりわけ聴覚と視覚が異様に研ぎ澄まされていることに注目してほしいと解説している。ぼくはさらにその後につづけられるスタンスという言葉に注目してみたいと思う。冒頭の一文はこのようにつづけられている。

気怠げに見せてくれるしね。葉緑体?オオカナダモ?ハッ。っていうこのスタンス。あなたたちは微生物を見てはしゃいでいるみたいですけど(苦笑)、私はちょっと遠慮しておく、だってもう高校生だし。ま、あなたたちを横目で見ながらプリントでも千切ってますよ、気怠く。っていうこのスタンス。

遠慮しておくというこのスタンス、自分を取り巻く環境や人との関係のもち方、その立ち位置について考えてみると、否応なく自ら「余り者」として振る舞う孤独なポジションを選択していることが分かる。干渉されたり気づかったり周囲との関係を著しく警戒しなければ自分の存在が埋没してしまうことを恐れるようにしらけている。
だが、一人称で語られる「私」の内面はけっして充足された気分とは云えない。現実はその逆で方向性を失ったままやり場のない感情とそれゆえに研ぎ澄まされた五感(センサー)を使って必死で自分の存在を確認しようとする状況が伝わってくる。この作品の主題はむしろそのことかもしれない、ぼくはそう思う。
無防備な「余り者」として私と共通の話題(ファッションモデル=オリチャン)をもつにな川という同級生や周囲との関係性を抵抗なく受け入れられる同級生絹代が設定され、物語は奥行きと厚みをましてテンポのいい展開をみせる。

タイトル『蹴りたい背中』とは研ぎ澄まされた五感で世界と向き合う私が、余り者同士でありながら盲目的にオリチャンに関心をもつにな川の無防備な姿に対して衝動的に加えた彼の背中へのひと蹴りのことだが、まぎれもなく同時代の気分を象徴的に描いたものであり文学史上の衝撃的な事件(最年少19歳で芥川賞)となったことも分かる気がする。
綿谷りさ、おもしろいです。次は処女作『インストール』を読もうーっと。
蹴りたい背中Amazon書評・レビュー:蹴りたい背中より
4309015700
No.96:
(3pt)

価値観の押しつけは嫌ーい

第130回(2003年下半期) 金原ひとみ「蛇にピアス」、綿矢りさ「蹴りたい背中」(最年少受賞)。芥川賞の受賞作品という事で当時話題になった本。

参考までに説明をつけておく。Wikipediaより抜粋。

■『芥川龍之介賞(あくたがわりゅうのすけしょう)』、通称「芥川賞」は、純文学の新人に与えられる文学賞。文藝春秋社内の日本文学振興会によって選考が行われ、賞が授与される。
■『純文学』、大衆小説に対して「娯楽性」よりも「芸術性」に重きを置いている小説の総称。

「娯楽(性)」=仕事や勉学の余暇にする遊びや楽しみ。また、楽しませること。エンタメ。
「芸術(性)」=表現者あるいは表現物と、鑑賞者とが相互に作用し合うことなどで、精神的・感覚的な変動を得ようとする活動。

お分かりか。
「娯楽」は作家が読者に対して楽しませるもので客観(相手)に重視をおくが、
「芸術」は逆。自己表現が要となる。

要するに小説の場合(小説以外でも通じるが)、読者が作家を好きになれるかどうか。
感性が合うかどうかという事になる。

感想です。作家様に対しては初読です。

これの前に『インストール』が第38回 (2001年)文藝賞(ぶんげいしょう)を受賞してんですね。これも当時、最年少という事で話題だった。
まー、蚊帳の外にでも置いておきましょう。大人の事情なんて話題のネタと批判者の餌なんですし。そっちに食いついておいて下さいな。

表現的には好感を持てる。ひとりでいる方が好きなもんで、気持ちは分かる。
むしろ何で団体行動を「常に」しなければいけないんだい? という一方の価値観の押しつけ者に聞きたい。
トイレに連なっていく女子に聞きたい。例えば3所しかトイレのない所に女子5人で行ったって、2人待ってなきゃいけない。そのダラダラした感覚がいいのかい。
自分は嫌だ(笑)。これが変かい?

Amazonレビューから後半引用↓
『この作家に生来的に備わったシーン接続の巧みさや、魅力的な登場人物の設定に注目させられる作品でもある。高校1年生の女の子の、連帯とも友情とも好意ともつかない感情を、気になる男子の「もの哀しく丸まった、無防備な背中を蹴りたい」思いへと集約させていく感情と行動の描写も見事だ。現在19歳の作者でなければ書くことができない独自の世界が表現されている。 (榎本正樹)』

たぶん感性と独自で書いてるから面白い味がある文章になってるだけなんでしょうけど、
それが功を奏して、こうなったというべきか。何回も書き直しているでしょうから、
まだこれからどうなったもんか、誰にもわからぬ。

文章は上手いと思いますけどねー。突っ掛らなかったし。一人称だから自由に書けるしね。
ストーリーだけなら、地味すぎて賞がなければ埋もれそうです。団体にそぐわない孤立した女子が、最後には世界が少々開けてくっていう流れかな。それが恋なのか友情なのか仲間意識なのかが曖昧なところ。言葉にできない「何か」。
極端に暴力には走らない、だから背中を蹴りたい程度。この感性、絶賛されてもいいと思います。
なにも無理に解説しなくたっていいのよ。芸術なんだから。

実はこの本、図書館の「若い人が読む」みたいなコーナーに並んでいた本。
その対象以外は、とっつきにくくて当たり前なんです。
批評するなら、それを踏まえた上で批評しなくちゃ。

と、いうわけで。主人公とにな川と絹代。いい終わり方で好感も持てたし、
いい気分でした。偏見は嫌いだねぇ。
蹴りたい背中Amazon書評・レビュー:蹴りたい背中より
4309015700

スポンサードリンク

  



新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!