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蹴りたい背中
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蹴りたい背中の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.63pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全175件 21~40 2/9ページ
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綿矢りささんの作品は初めて読みましたが、感情を表現する言葉のセンス、書き方が好きになりました。(冒頭の「さびしさは鳴る」など。) タイトルにもある、背中を蹴ると言う行為も自分より立場が下の、好きでも嫌いでもない、でもなぜか気になる存在に対する言葉では言い表せない感情を表しているのかなと解釈しました。 | ||||
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思春期特有の、「周りと比較した自分」から始まる感情をとてもうまく表現しているように思う。 周りと合わせることに違和感を感じる主人公、周りと合わせることをしない人物にながわ、自分を殺してその他大勢に合わせる主人公の幼馴染。 主人公が、周りに合わせるように生きているクラスメートを見下し、また周囲の人間に興味のないにながわも見下している、そしてそんなことを考えている自分も見下している。この何とも言えない思春期特有の気持ちをうまく、ストレートに表現できているのが本書だと思う。 | ||||
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思春期のあの頃… 若いってことは無茶だ。 人は同時にありとあらゆる可能性を脳内で試行錯誤しているのだから蹴りたいと思うことだってあるだろう。 だが、実際に蹴る奴はいない。 …蹴ってしまう。 その感性が素晴らしい。 俺なら、蹴ったあと我慢できそうにない。 自分でも大ウケ、相手の間抜けさもウケる、相手も何で蹴られる、めちゃくちゃウケる。 どの立ち位置に瞬間移動して入れ替わっても爆笑。無理っす。ストーリーおかしくなるからぁ。 こんなに笑ったの久々。 キミら、役者じゃね。 . | ||||
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この痛さを理解できる人は強い | ||||
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とにかく美しい小説 | ||||
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よくある高校生活の中でクラスの余り物である「私」と「にな川」の関係や、「絹代」の存在。恋愛や、いじめ、事故、事件などなにも無いのに心が揺さぶられる作品でした。 | ||||
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当作品の影響で、僕も、背中を蹴りました 格闘技の小説ではありません 作者の年代としてはギャグセンスがある でも、文の初めに意識して好フレーズを置くという技術はむしろ、直木賞ライクで、好きになれない 年々、不抜けた小説を作ってる ここをピークに見ても良いと思う | ||||
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にな川はつかみどころのない気がつかえる優しくてかっこ良い男でときめきました。長谷川がオリチャンに夢中のにな川に嫉妬して彼を痛めつけたいような気持ちになる瞬間はわかるような気がしました。自分の彼氏との思い出を重ねて懐かしさがありました。 | ||||
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感動しました。 一行目から示されている通り、作品の主題は「寂しさ」であり、 小説全体は「孤独の殻から脱け出して成長していこうとしている二人の物語」として読むことができます。 独白や細かい記述が多かったり、とっつきにくい人物たちだったりで、 前半は停滞感や作品への入り込めなさを感じて退屈しながら読んでいましたが、 「二人は成長していこうとしている」ということに気づかされてからは一気に感情移入が進み、 人物たちに愛しさを感じながら読み終えました。 二人の状況が理解でき、感情移入が成立していると、 たとえばお見舞いのシーンも非常にドラマティックなものに見えてきます。 「にな川、オリチャン以外のことについて話そう」 「クラスの人たちどう思う?」 と、一見はどうということのない日常会話に見える台詞ですが、 「孤独の殻を破って、一歩を踏み出す」という状況の中では、 勇気のいる、大きな意味を持つ台詞になってきます。 こういう風に、「小さなことで大きく動かす」ことができるのは、作者の技量でしょう。 ちょっとしたことを象徴として使うという技術も多用しており、 その辺りを読み飛ばしてしまうと物足りなく感じたりもするのかもしれません。 まずは冒頭の紙屑の山があります。 明示されている通りこれは「孤独な時間」の象徴ですが、 (「さびしさが聞こえないようにプリントを千切る」→「結果としてできた紙屑の山は孤独な時間の凝縮」と、 論理的に象徴を組み立てているのも上手いです) にな川と話したあとで、この紙屑の山がなくなっています。 にな川によってハツの孤独に変化が生じたこと、それでもまだ孤独にしがみつきたい気持ちがあることを、 「紙屑の山=孤独な時間」という象徴を無駄遣いせずに、上手く使って示しているところでしょう。 ここ、カーテンの内側では、私のプラスチックの箸が弁当箱に当たる、かちゃかちゃという幼稚な音だけが響く。 という記述も、表面上は音の話として書いていますが、 孤独を気取る自分の幼稚さをハツが自覚していることを、やはり象徴的に書いているところです。 こういう細かいところで内面の変化や、葛藤が生じ高まっていくことをちゃんと書いているので、 なんでもない平凡なような話が、ドラマティックな動きのあるものとして感じられます。 一番上手いと思い、感動もしたのが、表題にも引いたフレーズです。 焦らないで、ゆっくり前へ進んでください、 と。 一見はライブ会場の整理係の平凡な注意なんですが、 「成長していこうとしている二人の物語」の中では、 二人の成長を見守り励ます、優しく温かいフレーズとして響きます。 一歩を踏み出し、成長に向かい、関係も進んでいくであろう二人ですが、 家庭のことや学校のことなど、先がそうそう上手くいかないであろうことも示されています。 微妙なところに着地して終わる小説ではありますが、 このフレーズであったり、にな川がハツの手を引っぱる描写なども効いているので、 「全体としてはちょっとプラス」ぐらいの感覚になり、 爽やかで前向きな気持ちで読み終えることができます。 …ということで、全体として「上手い。感動する」という感想です。 デビュー当時の過剰な報道が去った今だからこそ、 ちゃんと価値や技術が評価でき、素直に楽しめるようになったのかもしれません。 一時期の話題で終わってしまうにはもったいない名作であり、優れた小説家だと思います。 | ||||
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「食わず嫌い」という言葉がありますが,わたしはどうやら「読まず嫌い」のようです。 芥川賞を受賞し,世間の注目を集め125万部も売れた本ですがようやくというか,いまさらというか読みました。それはタイトルの「背中を蹴る」という言葉に対しての嫌悪感というか,生理的に受け付けなかったからです。まさに読まず嫌いです。 背中を蹴ることについて自分なりに考えてみました。背中を「たたく」でもないし,「頭」を蹴るでもないし,「背中を蹴る」ことのピッタリ感が,長谷川とにな川のもやもやとした関係を象徴しています。人は,どんなときに背中を蹴りたくなるのか,想像してみました。そんなことがあるかな~とか,長谷川も,にな川もお互いに自分の感情を露わにしません。 高校生が登場人物なので,青春小説と言っていいでしょうが,感動や涙や苦悩や友情,信頼,恋愛などいっさい持ち込まない妙に乾いた世界が新鮮でした。背中を蹴るのは青春時代に限ります。わたしの青春はとっくの昔にはるか彼方に行ってしまいましたが,中高生がこの作品を読んだら,「あるある,わたしも○○○○の背中を蹴りたいときがあるよね~」と言うのでしょうかね。 | ||||
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この作品で芥川賞を受賞させるとは、作家本人に対して酷なことです。芥川賞最年少受賞というパッケージに包んで、あまり小説を読まない人や若い人から小銭をむしりとるような、あくどい商売の仕方は良識がある(ありますよね?)出版業界の方々には慎んでいただきたかった。若き日の鷺沢萠のように選考委員や先輩作家を嫉妬させるような圧倒的な文才を備えていないということが、この作家の最大の長所であり、武器なのでしょう。若き日の金井美恵子の小説を読んでも、その驚きと感動はその作品を執筆した年齢ではなく、作品そのものにあります。この作家は小説よりブログが向いていると思います。些細な日常の感懐をお得意のゆるい文体と独自の感性で書き綴れば、人気ブロガーになれると思います。この作家のこの作品が芥川賞受賞作として、安部公房、大江健三郎、開高健の作品と同じ括りで残るとは。作家には罪はありませんが、出版業界、選考委員の方々はご自身の文学的センスと日本文学の未来について真剣に考えることはないのでしょうか。年齢やルックスや肩書きを売りにするような近頃の出版業界のビジネス手法は、安易に消費されていくだけの作家と作品を量産するだけで、本来であればその才能が素晴らしく開花したかもしれない作家の成長を阻む害悪にさえなっているように思えるのは私だけではないはずです。 | ||||
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誰がこの作品を芥川賞まで選定したんでしょうか? 最終選考の会議で反対したのはたった1人だけだったと聞いています。 この作品に芥川賞を与えたのは芥川賞はもはや賞ではショー(タイム)の証でしょう。 池澤夏樹とあろう目利きがこの程度の作品を絶賛するとはがっかりです。出版業界からそうするように圧力でも掛けられたんでしょうか? | ||||
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にな川 は 「現在のハツ」が捨てた「過去のハツ」 そして その「過去のハツ」は「現在のハツ」にとって消し去り、忘れてしまいたい存在 しかし そのハツも 紛れもない「ハツ」の人格の一つであり、本当は愛したかった存在(自己愛) 主人公であるハツが にな川との出会いから 「自分自身」と向き合い 相反する感情の中で葛藤する姿を描いた作品「蹴りたい背中」 ハツが本当に蹴りたかった背中は 「にな川の背中」(「過去のハツ」)ではなく 「現在のハツ」自身の背中だったのかもしれない 途中までは ハツ自身も気付いてなかったけど 最後に気付いたんじゃないかな… だから 2回目は にな川を蹴らずに終わって 涙が出たんじゃないかと思う | ||||
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インストール以来の綿谷りささんの作品を読んだ。 自分の感性に正直な女子高生とファッションモデルヲタクの男子校生との不思議な関係の話。 さすがに20年くらい前の話だがが感性は凄い。 綿谷りささんしか書けないだろう。 もう少し大きくなったら娘とも出会って欲しい。 最新の綿谷作品も読みたくなった。 | ||||
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何を書いてもいいのだろうが、取り立てて新鮮でも、斬新でもない。 ありふれた、少し除け者の高校生を、どこにでも溢れている言葉で書いただけに思える。 19歳が書いた、という点以外は何も取柄がない。 無理に深読みしようとしたが、それも無駄であった。 | ||||
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主人公とにな川と友達の絹代、そして憧れのオリちゃんといったたった数人しか登場人物のいない作品です。出来事も数回しか起こりません。心理描写、情景描写で見事に思春期の女子高生を描いていると感じました。理科室の最初の出来事はみんな感じたことのある情景ですが、にな川の癖が強すぎて笑えました。 同じ芥川賞受賞作である川上未映子の乳と卵、村上龍の限りなく透明に近いブルーあたりと同じ空気感を感じました。 1日で読めます。女性ならウンウンとうなずくのではないでしょうか。 | ||||
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私は男性なので、想像でしかないのですが、繊細で鮮やかな少女の心理で爽やかな読了感を味わえます。実際女性の方がこういう時期を過ごしているのかは不明ですが。 | ||||
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30歳手前の私には、閉ざされた狭い世界の、なんて事ない日常の話だった。そんなことどっちでも良くない?って思ってしまう。でもそれは私が10代の頃の、淡く時に痛い繊細な感情の浮き沈みを、とっさに放ってしまったトゲのある言葉をつぶさに表現してたと思う。今思えばバカだなぁ、若いなぁと思うことも当時は心動かされ、怒り、喜び、悲しみ、嬉しいた感じてたな。あの頃の青い感情と記憶を大事にしたいと思いました。 | ||||
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単純につまらない。時間の無駄でしかなかった。 主人公に全く共感できない。終始、蜷川にいじわるしたい衝動を抑えようと葛藤しているだけ。何を伝えたいのか分からない。これは、芥川賞の選考委員が悪い。芥川賞の価値を下げただけだと思う。 | ||||
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初めてこの小説を読んだのは11年前。 初めて読んだ日本の小説です。 当時私は韓国で高校生でした。夜、本を読みながらラジオを聞いていたら「世界の文学作品」を紹介してくれるコーナーで蹴りたい背中の冒頭部分が紹介されました。 私もハツと同じく高校生で学校ではグループに属していながらもその空気感が苦痛で悩んでいたので、本文に出る実験の時間に余り者にされてしまうハツの部分まで聞いて、続きが気になってすぐ図書館に向かって翻訳本を借りて来て一気読みしてしまいました。 間接的に味わった日本という国に魅力を感じました。何より綿谷りさの文体に惚れました。翻訳本じゃ物足りなくて、ひらがなも読めないのに原本を買い、原文のまま読みたくて日本語を勉強して、2年かかって読みました。 いつ読んでも、文体から伝わってくる色、音、雰囲気、顔の表情一つ一つがあの頃悩んでいた私を思い起こさせてくれます。 今は日本近代文学作品を研究する博士課程にいて、たくさんの日本の本を読んでいるのですが、今でも大好きな作品です。 | ||||
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