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蹴りたい背中
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蹴りたい背中の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.63pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全175件 41~60 3/9ページ
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はじめは正直イロモノ的なイメージだったのですが、ふと気が向いて読んでみると、予想外におもしろかったです。もっと早く読めばよかった。 一言でいうと、いい意味で、純文学よりの少女漫画のノベライズというような印象でした。 吉本ばななにも似た、瑞々しい、複雑な心情を感覚的に描く、いかにも若い女性作家な文章がいいですね。 ただ自分的に、主人公は、「にな川」のマイペースで、良く言えばどこか超人的な部分にこそ惹かれているように思っていたので、ライブのグッズ物販の時、にな川が周りの目を気にせず列に並ばないのは「なんでだろう?」と感じました。 もし「にな川」をマイペース超人だとするなら、やっぱり彼は現実の恋愛どころか他人の価値観に興味すらない、まったく社会性/協調性のない「自分の世界の住人」でもよかったかも。 (人目を気にしてしまう主人公から見た理想の人間=にな川) もっとも、ストーリー自体がおもしろかったので細かいところはどうでもいいですね。 あと、なんとなく「こういうライトノベルがあったらおもしろいのにな」と思いました。 ふだん純文学を読まない人にもおすすめの、透明度の高い、エンタメとしてもたのしめる小説です。 | ||||
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「ハツがにな川を蹴った理由」を読者が察せられるかどうかで、本作に対して抱く感想は「薄い」か「おぞましい」かに二分されると思う。作中の「にな川」という人物とは、「物事を俯瞰で眺めてしまうために他者に迎合できないハツが、組織から疎外される中で見つけた『依存の対象』」である。だからハツは、彼のことを蹴って貶めて、自分に都合のいい共依存の関係に持ち込みたい。そういうエゴがハツのサディズムの原動力となっている。 そのことは作中で、最後まで明かされない。絹代の存在を媒介にして、「結局、ハツはにな川のことが好きなのか?」という問いが繰り返し表れるも、最後の最後までそれが明かされることはない。これが読者を引き付ける力となっている。 しかしその答えは、唯一、最後の場面でぼんやりと暗示されるに過ぎない。こんな景色を見ていても、にな川と私は全く別のことを考えているんだ、というような意味の終盤の一文がそれである。彼女はオリチャンに熱を上げるにな川を蹴落として、自分の方を向かせたい。そして互いに依存し合う関係を作ることを求めているのである。作中で中心となっていた疑問が暗示されているのだから、たとえ目に見えるクライマックスがなくとも、作品としてはここで終わるのが妥当である。 答えが作中で出されないのは、ハツ自身がその潜在的な欲望を自覚していないことの表れである。したがって、これはこう書かなければ作品の味を損ねてしまう。しかしそれが大衆からの理解され難さに繋がっている。読者がこの辺りを読み込めるかどうかで、この作品に対する感想は変わってくる。 普通に、芥川賞受賞レベルだと思う。しかし芥川賞というのは新人の登竜門的な位置づけのものであって、「これを取ったから偉大な文学作品である」という類のものではない。この作品は技巧に優れていて、よく練られているけれども、良くも悪くも、芥川賞受賞レベルの域を出るものではないと思う。 ただ、こういう解説を誰かがしなければ、作品の意図を把握できない読者がたくさん表れるために、「こんなのが芥川賞!?」と無用な混乱をきたすようにも思われる。注意深く読めば理解できる内容を読み落としながら、ただ作品を読み終えただけでは「作品を読んだ」ことにはならない。結果的に、この作品のブームはますます文学というものを大衆に嫌煙させ、若者の活字離れを加速させることになったのではないかと思う。別にだからどう、ということもないが。 | ||||
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これと言った盛り上がりもなく、 しかしながらつまらなくもなく 新鮮でした。 と言ってもだいぶ前の本ですが… | ||||
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皆んなが体験した事のある感覚。懐かしさを、まるで昨日の事のように思い出させる。不思議な世界に。 | ||||
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芥川賞受賞当時以来、約15年ぶりに読んでみました。当時、「インストール」も読んでみて、この作品の方がずいぶん良くなった印象を受けていました。そして今回…、変わらず新鮮に読めました。 正直、背中を「蹴る」という行為の意味(芥川賞の選評なども読みましたが、)をいまだに理解できませんが、作者の言葉の使い方の面白さと、リズムと、何より無理がなく、破城のない構成が素晴らしいと思います。 その後の作品も読みましたが、「蹴りたい背中」は作者の作品で私が読んだものの中では、ぶっ飛んでると同時に、最も小説として「整っている」と思います。大好きな作品のひとつです。 | ||||
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斎藤美奈子さんが的確に解説しているのであまり書くことありませんが、 長谷川、にな川、お前ら何やってんだと笑って読みました。長谷川は好んで余り者になったに対し、 にな川は基本的に周囲から弾かれおり2人は同等ではありません。 誇れる疎外者が情けない余計者に執着する動機が今ひとつ分かりませんが、にな川の描写が妙にリアルで気色悪く 笑かせてもらいました。終盤、絹代を2人の観察者として登場させます。彼女の観察が正しいのか作者はあえて答えを出しません。 しかし、もっと惨めになれという思いや背中蹴りは視点人物の本音でしょうね。面白かったです。 ※画像・プロフィールは無視してください | ||||
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史上最年少の19歳で芥川賞を受賞した作品ということで、読んでみました。 思春期の頃の女の子の気持ちが、細かく書かれていて、「そう。そう。ある。ある。」と、納得しながら読み進めていきました。 特に、体育館に生徒が集合する場面で、中学時代からの友達である絹代が「ここに入りなよ」と、お尻を動かして一人分のスペースを空けてくれる場面で、初実が空けてもらったスペースを回避した場面などは、初実、絹代、クラスメイトの等身大の心理描写は、とても素晴らしくさすがだと感心した。 しかし、全体として、不朽の名作とよばれる作品と比較すると、内容が薄く、あっけない結末で、感動するまでには至らなかったことが、残念でした。 | ||||
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一気に読みました。自分の高校時代は決してその通りではなかったのに、この本の中に出てくる登場人物(またはその取り巻き)に自分の心をスッと重ねていくことができます。 ああでもないこうでもないという思考の流れと、そのくせ一旦決めてしまうとストレートな実行に移す速度のコントラスト。一人は怖いのに群れたくない気持ち。 日中はエアコンがないといられないのに、縁側で夕暮れになると涼しくなり始める夏休み後半。そんな時期こそがGrowing painとないまぜになって、清々しい青春を作るんだと思い至りました。 冷えた炭酸飲料のような爽やかさです。 | ||||
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クラスに馴染めていない学生のお話がありきたりなのは否めないが、その思考の表現によいところがあった 蹴りたい背中というタイトルがイイ 言語化が難しい相手に対する気持ちを「蹴りたい」と表現しているのが共感をおぼえる 芥川賞受賞当時の盛り上がりの原因はなんだったのか知りたい | ||||
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表現が独特なので、純粋にそれを楽しみました。 ストーリー展開は物足りないかな。 著者の感性が、文章を通して強く感じられます。 19歳でこんな表現ができたなんてすごい。 | ||||
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いい意味でも悪い意味でも、2003年を感じてしまう文章でした。 口語っぽい文章ってその時は新鮮だけど、そこに当時の匂いが残りすぎるからか、15年も経つと急激に古びてしまいますね。 会話の中だったらそれほど気にならないのに、文章にすると途端に古臭さが出るのなんでだろう。 そういうわけで、長く残る小説ではないと思うけど、個人的にはとても好きでした。 目に映るもので価値観がコロコロ変わったりする年齢の中で生じる、言葉にできない変な感情というものを描こうとしたのは意欲的です。 個人的にはこういう気持ちのほうが惚れた腫れたよりよっぽど真実味があるし身に覚えがあるので、やっと言葉にしてるものに出会った!という喜びがありました。19歳で書かれたというのは敢えて触れなくても、素晴らしい作品であることに違いないです。 | ||||
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綿矢さんがこの本で芥川賞を取ったことは、 自分が中学生か高校生の時にニュースで知りました。 それから20年あまり。 ようやく読みましたが、自分の高校・大学時代がまさに この本の主人公が住んでいるような世界だったので 懐かしさを覚えながら読み進めました。 もう10年ほど前に、この本に出会っていたら もっと胆力を持って当時を過ごせたのかな、と思いながら。 いずれにせよ、手にすることができてよかったです。 | ||||
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表紙の絵が、まさに主人公の性格を表していて驚き、反面、感心します。 当時19歳だった女性が書いたと考えると、その時の気持ちをまんま表現しているように思えます。少し冷めている女の子の心の中を覗いているようでした。 文章から滲み出る皮肉や不満が、本当は私もそうしたいのに、と羨ましがっているように感じられます。思春期の繊細な女心がかなり気持ちよく表現されていました。物語よりもそちらに面白味を感じて読み進めていたので、純文学である、と思えます。 口コミなど見て、あまり期待せずに見たので、逆に感激しました。 星のマイナス一は、体言止めの多さですかね。なんか読み進めるリズム感を気にしているのか、見た目の美しさにかけます。最後まで言い切ってくれないと、内容がスカスカのように思える。軽い感じがマイナスでした。 若い女性の心なので、それはそれで高評価になるのかもしれませんが……。 個人的には気になりました。 | ||||
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おもしろかった。ハツという女子高校生の目で見た高校生活。 ハツは、陸上部に所属する。その部活の女子高校生の生態の描写がおもしろい。 ブラジャーの観察が、そういう風に見るのだと思ったりして、 しかし、ハツは、いつも仲間はずれになっちゃう。 オリチャンというモデルのアイドルを媒介にして、にな川という同級生と 知り合いになる。 にな川は、「味噌汁の、砂が抜けきっていないアサリをかみしめて、 じゃりっときたときと同じ、ものすごい違和感」があるという。 「醤油を瓶ごと頭にこぼしてしまったかのような 重く黒く長すぎる前髪の奥から、警戒するような光る瞳」をもっている。 そのにな川は、オリチャンが死ぬほど好き。 オリチャンは、27歳。特技は「卵焼きをキレイに食べること」 ハツはにな川の家に行って、オリちゃんのことをはなし、 オリちゃんのコンサートにまで一緒に行くが、ハツは、にな川に対する気持ちがわずかに揺れ動く。 ハツは、にな川の「もの哀しく丸まった、無防備な背中を蹴りたい。 痛がるにな川を見たい。」という欲望に駆られる。 「愛しいよりも、もっと強い気持ち」で、背中を蹴りたくなる。 なにかその衝動が、妙に共感がもてる。 いまの私も、そんな風に背中を蹴られるような、 もどかしい自分であるかもしれない。 若々しい眼で、いまのもどかしさ。少しの焦り。をうまく表現している。 背中を蹴ろうとするところに、なにか希望を見つけたような気がした。 | ||||
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年数が経っているわりにきれいでした いっきに読みました 作者の作品シリーズで購入したいと思います | ||||
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テレビで芥川賞を獲った綿矢りさが出て「可愛い子だな〜」と思って読んでみました。 自分は今まであんまり小説読んでこなかったけど、 表現が上手いし読みやすく、主人公に筆者の顔が浮かびやすくイメージし易い感じで 結構面白くすんなり読めました。 あんまり本読んでこなかった人には挑戦し易い小説。 | ||||
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なんとなく読んで、なんとなく終わってしまいました。読み終わったけど、記憶に残っていない。 | ||||
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主人公と高校のクラスメイトであるにな川の関係を にな川が憧れているアイドル「オリチャン」を通じて描いている作品。 繊細な心の描写が中心なので、読んだあとの爽快感や恋愛小説を読んだ後のようなほっとする感はないが、 高校時代の自分と重なる所が多くあった。 | ||||
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小玉重夫『難民と市民の間で』(現代書館)を読み始めていて、その214頁で「スクールカーストもの小説」の「先駆的な作品」として紹介されている本書を一読。いわゆる露骨ないじめという状況ではないものの、自我と恋愛感情の芽生えの中で、他者に容易に溶け込めない(溶け込ませてもらえない)息苦しい女子高校生の内面が、若々しくも瑞々しい文体で掬い取られており、(自分は男性ですが)昔の自分との比較でいろいろと考えさせられましたね。 「私は、余り者も嫌だけど、グループはもっと嫌だ。できた瞬間から繕わなければいけない、不毛なものだから」(22頁)。 「この、もの哀しく丸まった、無防備な背中を蹴りたい。痛がるにな川を見たい。いきなり咲いたまっさらな欲望は、閃光のようで、一瞬目が眩んだ」(76頁)。 「さっきの男子の態度、あれは同級生じゃなく、一段低い者への態度だった。掃除当番を押しつけようとしている感じ、といおうか、こちらが萎縮して当然と思っている態度」(84~5頁)。 「授業も教室の喧騒も灰色にくすんで、家に帰っても学校で何があったかよく思い出せない。たまった緊張のせいで背骨がきしむような痛みだけが残っている」(86頁)。 「私は、見ているようで見ていないのだ。周りのことがテレビのように、ただ流れていくだけの映像として見えている。気がついたら教室から体育館に移動しているし。もちろん廊下を渡ったり階段を降りたりしてここまで来たんだろうけれど、自分の内側ばっかり見ているから、何も覚えていない。学校にいる間は、頭の中でずっと一人でしゃべっているから、外の世界が遠いんだ」(89頁)。 「存在を消すために努力しているくせに、存在が完全に消えてしまっているのを確認するのは怖い」(100頁)。 「認めてほしい。許してほしい。櫛にからまった髪の毛を一本一本取り除くように、私の心にからみつく黒い筋を指でつまみ取ってごみ箱に捨ててほしい。人にしてほしいことばっかりなんだ。人にやってあげたいことなんか、何一つ思い浮かばないくせに」(109~10頁)。 「絹代の顔色が変わった。グループの他の子たちの目つきも。その瞬間、絹代たちがみんな同じ顔に見えて、背筋が寒くなった。私を、「外」のものを見る目つきでみている」(113頁)。 「授業の合間の十分休息が一番の苦痛で、喧騒の教室の中、肺の半分くらいしか空気を吸い込めない、肩から固まっていくような圧迫感。・・・ 自分の席から動けずに、無表情のままちょっとずつ死んでいく自分を、とてもリアルに想像できる」(166~7頁)。 「オリチャンに近づいていったあの時に、おれ、あの人を今までで一番遠くに感じた。彼女のかけらを拾い集めて、ケースの中にためこんでた時より、ずっと」(171頁)。 「なぜ、彼女はにな川の背中を蹴ったのか。いろいろな解釈が可能ですが、身も蓋もないことをいえば、これは一種の性的な衝動なんですよね。性を暴力に転化する男の子ならまあまあいた(いっぱいいた?)でしょうけれど、こんな形で衝動をぶつける、ないしはモヤモヤをふりきろうとする女の子が、かつての日本文学に存在したでしょうか」(181頁、斎藤美奈子氏解説より)。 「二人の「痛い高校生」は青春小説的世界そのものを「蹴る」ことにすら成功している。この小説が何より衝撃的なのはその点ではなかったでしょうか」(182頁、同上)。 「青春前期は潔癖なのです。読者の共感すらも拒絶するほど潔癖なのだ、と申し上げれば、わかっていただけるでしょうか。「青春」が苦手なこの二人が、私にはとてもチャーミングに感じられます」(183頁、同上)。 長谷川初(ハツ)実(90頁、14頁、19頁)と蜷(にな)川智(さとし)(24頁、115頁)、そして小倉絹代(9頁、160頁)のその後が読みたくなりました。 | ||||
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にな川という男子、いまいちつかみどころのないやつです。 にな川は普通の人なら当然怒ることをされても、さらっと受け流してしまいます。かといってただ鈍感なやつという訳ではなく、非常に周りが見えてて、やさしい男です。 そんなにな川の背中をなぜか主人公は「蹴りたい」と思います。蹴りたいだけではなくにな川の不幸を願う場面もあります。 これは一種の愛情表現なのでしょうか、 好きというより愛くるしい。愛くるしすぎるがゆえにいじめたい。 なんとなくわかる気がします。 | ||||
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