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たゆたえども沈まず
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たゆたえども沈まずの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.16pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全188件 181~188 10/10ページ
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ゴッホ展やゴッホの映画を見る前に、この作品を読むことをお勧めします。 | ||||
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とてつもないエネルギーを持つゴッホの絵を世に出すためには、その絵と同じくらいの力強さが 必要、と納得した。自分ひとりでは支えきれない兄ゴッホのために苦悩する弟と、厳しくも優しく見守る日本人画商たちが活き活きと描かれている。苦しさの中でも陰気な話にならないのは、著者のやさしい眼差しのせいか。 | ||||
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切ない物語だった。 パリとセーヌ川を中心に「天分の戦い」が繰り広げられていく。 パリに日本の浮世絵を売り込む天才画商の林。 パリに魅せられフランス語を通して林と関わり、パリに導かれ、ゴッホ兄弟の運命に巻き込まれていく重吉。 兄ゴッホの才能を信じるゆえに「兄の天才資質」に振り回されていくテオ。 天才とは「その天才に出会ってしまったすべてのものを巻き込む天災なのだ」と改めて考えさせられた。 狂気にいたるほどの苦慮や悲痛。 完成したゴッホ作品は今もなお「理解を求めて」さまよっている気がしてくる。 テオの妻「ヨー」の優しさと重吉の実直さが掬いであった。 やはり美術作品をテーマにした原田マオ作品は圧巻である。 | ||||
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あくまでフィクションではありますが、参考文献の多さからも多くが事実に則って書かれているのではないかと思います。 ゴッホよりも、日本人画商である林忠正に強く惹かれました。 | ||||
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ゴッホとテオに関しては、余りにも有名な話だから、そっちは割とどうでも良かった ま、よくもこれを見捨てなかったよなあ。自分なら「この時点でお前の絵に値段がつくとでも思ってんのかふざけんじゃない」と、切り捨てるが。 支え続けたテオにも、支援者であったタンギー親爺にも「よく支えたねえ」より「大変に愚かに見えるお人よし」に感じる「イラつき」の方が、大きい 稼ぎもないのに、何故、よりによってその画法な訳!?とw 個人的には「浮世絵」の評価や、いわゆる「流出」の経緯の部分が面白かった 「流出」と捉えると、「売国奴」的に思えるが、広く一般に知らしめ、評価を高めた。と捉えると「偉大なる功労者」。どっちにも読めるのが楽しい 使い捨て仕様前提物に価値を付けた。で、自分的には「功労者」ですが 何気に「紙も、顔料も、昔の物は、良いモノだったんだなあ」と。「耐久性」という事はおそらく大して考慮してない「大量生産品」(ま、大量と言っても現在のロットとは大分違うでしょうけど)が、今現在でも残ってる事自体が、すごい。と、しみじみしました 自分がこつこつと築き上げた所に、「場違いな身内」が突然現れた時の、羞恥といたたまれなさと苛立ちを知ってる身としては、「軽い悪戯心」は殆ど「罪悪」だ。もともと、ここの関係性を「兄弟愛」とは思っていない。テオは「むさぼり絞り尽くされ、なお、開放して貰えなかった」気の毒な人だ。 …の印象は変わらなかった 愛じゃなくて呪いだよ。みたいな 楽しみました | ||||
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パリで画廊を経営する林忠正と加納重吉は折からのジャポニズム人気もあり、 浮世絵や陶器などの商売で忙しい日々を過ごしていた。 浮世絵の技法が当時の印象派の画家たちに大きな影響を与えたこともあって、 印象派画家との関わり合いが深まってゆく。 そして、ゴッホとの邂逅…。 フランスに日本の文化を伝えた二人を通じ、ゴッホとテオの兄弟の芸術へ 向き合う姿を美しく描いた一冊だ。 アカデミーの画家たちの画を売りながら思うテオ自身の美術観との乖離や 自分の家庭と兄を支える生活の困難がさりげなく、しかし重く、描かれる。 | ||||
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多くのゴッホ本がある。それほどゴッホの短い生涯は劇的だ。 原田が挑戦したこの小説は,パリで生きようとする日本人,重吉の視点からゴッホとその弟を物語っている点が新鮮である。ゴッホを初めとする登場人物が個性的なだけに,主人公の個性が控えめだ。この点がやや物足りないが,物語の構成上,あるべき設定なのかもしれない。 私が一番感動したのは,小説の題にもあるように「たゆたう」生き方を決意したことを,林がシゲに語る場面である。人生,ひとり困難に立ち向かうことも大切だが,困難に耐え,次の希望を探すという生き方もまた大切だ。林の生き方は間違ってない。 林の生き方は,ゴッホ兄弟の生き方とのちがいを,静かに自己主張している。 | ||||
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万博を機にパリへ渡り、日本美術の紹介と販売を手掛けて来た林忠正。日本に恋い焦がれた孤高のオランダ人画家、ゴッホ。本書は、忠正の直弟子である重吉とゴッホの弟テオドルスの出会いと友情を縦軸に、ゴッホ兄弟の愛憎、日本人二人の絆を盛り込みつつ、1880年代後半のパリ後期印象派の躍動が、まるでセーヌ川の流れのように描かれる。 オランダ人のフィンセントとテオドルス、日本人の忠正と重吉。この二組のパリでの幸運な出会いは、浮世絵と印象派を新たなステージへと押し上げる。 広重・歌麿・北斎の浮世絵が、ゴッホ兄弟とその作品が、身近に感じられるようになる一冊。 ・フランス芸術アカデミーの巨匠、ジャン=レオン・ジェローム、筋金入りのジャポニザンである小説家、エドモン・ド・ゴンクール、若き画家の"パトロン"にして画材商のタンギー爺さん、ガシェ医師、そして、ポール・ゴーギャン。まるで彼らがそこに存在するかのような活き活きとした会話も、本書の愉しみのひとつだ。 ・オペラ・ガルニエ宮、カフェ・ド・ラ・ペ、コメディ・フランセーズ劇場、オテル・デュ・ルーブル、建築中のエッフェル塔。現在のパリでもお目にかかれる建物の登場も嬉しい。 ・世紀末パリのジャポニスム旋風に乗り、日本美術工芸品を広く紹介した仕掛け人、林忠正。彼もまた孤高の人生を歩む人だ。だから、ゴッホ兄弟を理解できたんだろう。 ・「イギリスには、パリがない」(p29) 凛として横顔に風を受け、未来を見据えて輝く瞳。忠正と重吉の出会いはすがすがしく、パリへの想いは熱く語られる。向上心に溢れた日本青年の姿は素晴らしい。 ・『タンギー爺さん』制作の現場。背景に据えられた六点の浮世絵。それらを貸し出しながら、決してアトリエに足を踏み入れず、ショーウィンドウ越しに見護る忠正と重吉。良いなぁ(p188)。 ・まったく新しい絵画。「絵の具が叫び、涙し、歌っている」(p202)のがゴッホの表現であり、観るものに、どっと押し寄せる「色彩の奔流」(p172)を感じさせずにはいられない。このあたり、著者の表現は見事だ。 天空の下、滔々とセーヌは流れる。FLUCTUAT NEC MERGITUR―― たゆたいはしても、流されることなく、沈まない。フィンセント・ファン・ゴッホが本当に描きたかったものがテオと重吉に明かされるのは、アルルでの「耳切り事件」の翌日のことだ(p315)。 そして「とうとう……成し遂げたんだな」と忠正に言わせた『星月夜』を前に、フィンセントとテオドルス、日本人の忠正と重吉がたたずむシーンは感動的だ(p360)。 たったひとつ、弟のためにしてやれること……(p387)。それが答えだったとしたら、あまりにも、あまりにも哀しい。 読後の余韻に浸りつつ、装丁を眺める。物語の鍵となる『星月夜』と『大はしあたけの夕立』があしらわれ、実に良い。カバーを外すと、よれよれの中折れ棒と、山高帽が現われる。うん、兄弟の運命と名声に叶う、粋な計らいだ。 アムステルダムのゴッホ美術館に行きたくなってきたぞ。 | ||||
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