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たゆたえども沈まず
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たゆたえども沈まずの評価:
| 書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.16pt | ||||||||
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全200件 181~200 10/10ページ
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| というフィクションですが、140ページくらいから楽しめました。 重吉と忠政の関係には興味ないので飛ばしました。そういう本の読み方もあるのです。笑 テオの死因は梅毒説が有力だが、ゴッホは自殺なら拳銃をどこから入手したのかが問題だった。 それをこの本はフィクションで解決した形になってます。 フランスやパリの地図を見ながら、楽しく読みました。 グーグルマップは有り難いです。みなさんにもオススメいたします。 | ||||
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| フィンセントの画集を開く。 ”ジャガイモを食べる人々” 暗い部屋、 テーブルに座る人々から土のにおいがする。 「第三の新しい窓になる」とテオは思った。 ”花魁” 鮮やかな色彩、竹林に睡蓮の背景が大胆だ。 「英泉はあの二人のもとにあって、生かされたな」 と忠正が言う。 そして”星月夜” 描いてきた絵が、光の洪水をたどって完成した。 一人立つ糸杉は、フィンセントー 「いつか訪れる朝を待っている孤高の画家」 彼の誕生は早すぎた。 ゆえに、彼は孤独だった。 もう一人のフィンセントが、此処にいる。 | ||||
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| ☆4、5 誰も知らない、ゴッホの真実。 天才画家フィンセント・ファン・ゴッホと、商才溢れる日本人画商・林忠正。 二人の出会いが、〈世界を変える一枚〉を生んだ。 1886年、栄華を極めたパリの美術界に、流暢なフランス語で浮世絵を売りさばく一人の日本人がいた。 彼の名は林忠正。 その頃、売れない画家のフィンセント・ファン・ゴッホは、放浪の末、パリにいる画商の弟・テオの家に転がり込んでいた。 兄の才能を信じ献身的に支え続けるテオ。そんな二人の前に忠正が現れ、大きく運命が動き出すーー。 以上、そんな内容の、ゴッホの半生と芸術家の生き様を描いた作品! まずは実際に日本画大好きだったゴッホと、当時パリに実在した日本人画商をフィクションとして結び付けた点が素晴らしく、 ゴッホの弟と、林忠正の後輩=主人公の友情によって、 読者はゴッホを身近に感じつつ日本画の素晴らしさを誇らしく思えるように感じる手法が巧みでした! また、様々な苦悩の中で作品を産み出す『創作の産みの苦しみ』がリアルに描かれており、 僕自身も昔、素人ながらに詞や小説を書いた時や、敬愛する芸術的な音楽家のドキュメント本やインタビュー雑誌から感じた『産みの苦しみ』に通じる部分を身近に思い、 丁度、そういった『苦悩の産みの苦しみ』を経て過去最高の名盤と化した大好きな音楽のニューアルバムを聴きながら今作品を読んでいたので、芸術の真髄を堪能しながら作品を深く楽しめました! こういう『産みの苦しみ』があるからこそ、あらゆる芸術作品はより輝きを増し、人々の魂を魅了していきます。 そんな過程を感じて、より芸術を堪能したい時にオススメな名作であり、 去年読んだ『かがみの弧城』『AX』に続いて、ようやく本屋大賞ノミネートに相応しい素晴らしい作品を読む事が出来ました(^-^*)/ | ||||
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| ゴッホ関連の本の中では最高に読みやすいです。 そして感動します。 | ||||
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| ゴッホの絵、浮世絵それらの作品を通して、登場人物たちの感情が自然と流れ込んでくる。その感覚がとても心地よく、時に切なく、この本の世界にずっと浸っていたいと思いながら読んでいました。 ゴッホの作品と日本美術の関係、ゴッホ兄弟の人生。知っているつもりでしたし、ゴッホの人生は自分にはあまりにも過激で悲しく、物語として読んだ時、途中で嫌気がさしてしまうんじゃないかと思いながらも、原田マハさんの美術題材の小説が大好きでとりあえず読んでみようと手に取りました。 フィンセントがどのように日本美術と出会い、感銘を受けたか。名作「星月夜」がどのように誕生したか。フィンセントとテオが絵を通して語り合い、響きあい、どんな人生を歩んだか。そのゴッホ兄弟を見守り続けた日本人画商の忠正と重吉の思い。ゴッホの名作を通して知る、登場人物たちの思い、全てがかけがえなく愛おしいものでした。 なんでこんな風に画家1人1人の人生を本当に見てきたかのように、生き生きと描けるのか。いつも驚かされます。 いつかこの本をもって、本物の「星月夜」を見に行きたいです。 | ||||
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| ゴッホ兄弟の繊細な人生と、それをサポートする日本人画商の関係性が非常に濃く惹きつけられます。 勿論フィクションではあるのですが、参考文献も多彩でかなり史実に近い内容ではないのかなというところも魅力的です。 ゴッホの最後の葛藤と兄弟愛には涙です。 そしてそれを静かに受け止め、残った家族をサポートしていく日本人画商の強い思いにも感動します。 | ||||
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| 日本人の画商である林忠正と加納重吉、そして画商のテオドルス・ファン・ファン・ゴッホと画家のフィンセント・ファン・ゴッホのお話。 実在した人物たち、同じ時代パリに居合わせた日本人とオランダ人。しかし林忠正とゴッホがお互い巡り合っていたかは文献でも定かではない。 その辺りをフィクションで四人が巡り合って、それぞれの思いや奮闘や葛藤などを筆力した著者の原田ハマさんは逸材だと思いました。 人物像や物語の素晴らしさは勿論、終巻の参考文献の多さから、原田ハマさんの努力が伺えて私の中でお気に入りの愛読書になりました。 | ||||
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| 東京都美術館での展示、 テレビでの、現地を訪れてのいくつかの紹介、 古い映画ではあるが、’炎の人 ゴッホ’ と、ゴッホについては、ある意味情報があふれている。 展覧会があるこの時期に合わせての紹介が、また興味をかきたてられる。 ただ、絵を見て、これが好き、という見方もある。 絶対的にそのような見方しかできない。 でも、いろいろな情報を知って鑑賞すると、また違ったかんどうも得られるのは本当だ。 なかでも、この本を読み、 いままでなんとなく知っているような気がしていたゴッホ兄弟のことが、 とても身近に感じられた。 ゴッホをめぐる人々、特に弟テオ、その価値を早くからわかって彼なりのやり方で応援していた林忠正、 その部下で、テオの友人であり続けた加納重吉、それらの側からゴッホが語られる。 日本とのつながりも興味深い。 ゴッホが思い描いた日本は、私たちの知る日本とはかけはなれていたかもしれない。 でも、アルルでゴッホの日本を感じることでうまれた作品が多いのだと知った。 苦悩の人であったゴッホ。 わたしが、一番好きなのは、 テオに子供が生まれたときに描かれた アーモンドの花。 描く側も、見る者も、心おだやかに静かに満たされる感じがする。 有名な絵ではないので、知らずにいた。 それを知れただけでも嬉しい。 もう一度、美術館を訪れて、鑑賞したい | ||||
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| だから、浮世絵は縦がほとんどだし、「読み終わった瓦版同様たいして価値のないもの。」であったはずなのに、異国での評価がまったく違った。「フランス語とは、まるで言語の芸術のごとし。」といわれる地では現地の画家たちが驚愕を持って模写するし、中興ブルジョワが競って買うほどのほどの歓迎ぶりだった。 アカデミー派と呼ばれる権威主義の画壇から認められないかった印象派たちは、当初はまったく売れない画家だったが、国民の意識も微妙に変化し「新しい時代に向かって開放された窓」を求めていた時代に幸福にも接点をもてたゴッホと日本人画商とのほんとうに幸せな物語。もちろん、結末としては不幸な展開を迎えてしまうのだが、彼が残した遺産の大きさは人類全体にとっての幸福となった。 失礼ながらちょっと低迷期かと思われた作者が、やはり大得意のフィールドで見事にいい小説を書いてくださった。たぶん「展覧会スケジュール逆算」で作品を書いてくださるので、次作はフェルメールか?はたまた日本画つながりで伊藤若冲?大期待です。 | ||||
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| 明治初期、欧米のジャポニズム人気に便乗し、花の都パリで浮世絵を初めとする日本の美術品を売りまくった日本人2人。彼らの日常生活や当時の社交界との交流を通して、フランス印象派画壇に大きな影響を与えたジャポニズムの背景が語られる。特に悲劇の画家ゴッホと彼のパトロンである弟テオ、対する二人の日本人画商との運命的交流を縦糸に、歴史的名画の誕生にいたる、ゴッホの苦しみとテオの悲劇が丹念に展開されていく。ぐいぐい読者を引き込んでいく、作者の力量、ゴッホに感情移入していく凄まじさに圧倒された。 | ||||
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| ゴッホ展やゴッホの映画を見る前に、この作品を読むことをお勧めします。 | ||||
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| 「ゴッホの映画を観てから展覧会に行くといいわよ」と、友人から勧められて、小春日和の11月末、映画『ゴッホ最後の手紙』を観て、翌日『ゴッホ展―巡りゆく日本の夢』を観た。そして、迷わず原田マハの『たゆたえども沈まず』を読み始め、一気に読んでしまった」。 二つの魂と魂の響き合い―とでも言ったらいいか。 まずフィンセントとテオのゴッホ兄弟。 林忠正と加納重吉(後者は架空の人物)という日本人美術商。 このカルテットに、テオとその妻ヨーというもう一組の「二つの魂」が入ってクインテットになる。 その魂と魂の響き合いの協和音と不協和音が連なって、物語はゴッホの悲しい最期へと向かっていく。そしてフィンセントの最期が、テオの最期に繋がり、同時に残された者たちの新しい道を紡ぎ出す。 この過程が、原田氏によってあますところなく丁寧に書かれていた。 もちろん彼女は、フランスにおける日本美術、特に浮世絵の受容もよく書き込んでいるのだが、私にとってはそんなことより魂と魂の葛藤の方がずっと興味深かった。 それにしても、ゴッホの絵とは、内面が繊細であるがゆえに、行き場を失った激しいエネルギーが大胆な絵となってたちあらわれてきたものだろうか。 「フィンセントの描く絵は、激しい感情に彩られている。絵具が叫び、涙し、歌っている。あんなふうに絵具そのものに情緒が込められている絵が、いままでにあっただろうか」。 だから、私は今までゴッホをあまり好きになれなかったのだ。ベートーヴェンをすごいと思いながら好きになれないのと同じ。あまりに赤裸々で、目をそむけ、耳を塞ぎたくなってしまう。 ぜひ、ゴッホ好きの人にもゴッホ嫌いの人にも読んでいただきたい一冊です。 | ||||
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| 兄のフィンセントと弟のテオの兄弟愛が痛いほど、悲しいほどに伝わってきます。 これは、一人の画家の才能を信じ、支え続けた弟・テオの物語でもある。 ゴッホの事を詳しく知らない人でも、絵画に深い造詣が無くても、物語として、十分に楽しめる小説です。 もちろん、有名な絵の数々やタンギー爺さんが登場するあたりは、ゴッホファンには感涙ものだと思います。 そして読み終わった時、きっと、ゴッホの絵の数々を鑑賞したいと思うはずです。 | ||||
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| 切ない物語だった。 パリとセーヌ川を中心に「天分の戦い」が繰り広げられていく。 パリに日本の浮世絵を売り込む天才画商の林。 パリに魅せられフランス語を通して林と関わり、パリに導かれ、ゴッホ兄弟の運命に巻き込まれていく重吉。 兄ゴッホの才能を信じるゆえに「兄の天才資質」に振り回されていくテオ。 天才とは「その天才に出会ってしまったすべてのものを巻き込む天災なのだ」と改めて考えさせられた。 狂気にいたるほどの苦慮や悲痛。 完成したゴッホ作品は今もなお「理解を求めて」さまよっている気がしてくる。 テオの妻「ヨー」の優しさと重吉の実直さが掬いであった。 やはり美術作品をテーマにした原田マオ作品は圧巻である。 | ||||
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| とてつもないエネルギーを持つゴッホの絵を世に出すためには、その絵と同じくらいの力強さが 必要、と納得した。自分ひとりでは支えきれない兄ゴッホのために苦悩する弟と、厳しくも優しく見守る日本人画商たちが活き活きと描かれている。苦しさの中でも陰気な話にならないのは、著者のやさしい眼差しのせいか。 | ||||
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| あくまでフィクションではありますが、参考文献の多さからも多くが事実に則って書かれているのではないかと思います。 ゴッホよりも、日本人画商である林忠正に強く惹かれました。 | ||||
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| ゴッホとテオに関しては、余りにも有名な話だから、そっちは割とどうでも良かった ま、よくもこれを見捨てなかったよなあ。自分なら「この時点でお前の絵に値段がつくとでも思ってんのかふざけんじゃない」と、切り捨てるが。 支え続けたテオにも、支援者であったタンギー親爺にも「よく支えたねえ」より「大変に愚かに見えるお人よし」に感じる「イラつき」の方が、大きい 稼ぎもないのに、何故、よりによってその画法な訳!?とw 個人的には「浮世絵」の評価や、いわゆる「流出」の経緯の部分が面白かった 「流出」と捉えると、「売国奴」的に思えるが、広く一般に知らしめ、評価を高めた。と捉えると「偉大なる功労者」。どっちにも読めるのが楽しい 使い捨て仕様前提物に価値を付けた。で、自分的には「功労者」ですが 何気に「紙も、顔料も、昔の物は、良いモノだったんだなあ」と。「耐久性」という事はおそらく大して考慮してない「大量生産品」(ま、大量と言っても現在のロットとは大分違うでしょうけど)が、今現在でも残ってる事自体が、すごい。と、しみじみしました 自分がこつこつと築き上げた所に、「場違いな身内」が突然現れた時の、羞恥といたたまれなさと苛立ちを知ってる身としては、「軽い悪戯心」は殆ど「罪悪」だ。もともと、ここの関係性を「兄弟愛」とは思っていない。テオは「むさぼり絞り尽くされ、なお、開放して貰えなかった」気の毒な人だ。 …の印象は変わらなかった 愛じゃなくて呪いだよ。みたいな 楽しみました | ||||
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| パリで画廊を経営する林忠正と加納重吉は折からのジャポニズム人気もあり、 浮世絵や陶器などの商売で忙しい日々を過ごしていた。 浮世絵の技法が当時の印象派の画家たちに大きな影響を与えたこともあって、 印象派画家との関わり合いが深まってゆく。 そして、ゴッホとの邂逅…。 フランスに日本の文化を伝えた二人を通じ、ゴッホとテオの兄弟の芸術へ 向き合う姿を美しく描いた一冊だ。 アカデミーの画家たちの画を売りながら思うテオ自身の美術観との乖離や 自分の家庭と兄を支える生活の困難がさりげなく、しかし重く、描かれる。 | ||||
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| 多くのゴッホ本がある。それほどゴッホの短い生涯は劇的だ。 原田が挑戦したこの小説は,パリで生きようとする日本人,重吉の視点からゴッホとその弟を物語っている点が新鮮である。ゴッホを初めとする登場人物が個性的なだけに,主人公の個性が控えめだ。この点がやや物足りないが,物語の構成上,あるべき設定なのかもしれない。 私が一番感動したのは,小説の題にもあるように「たゆたう」生き方を決意したことを,林がシゲに語る場面である。人生,ひとり困難に立ち向かうことも大切だが,困難に耐え,次の希望を探すという生き方もまた大切だ。林の生き方は間違ってない。 林の生き方は,ゴッホ兄弟の生き方とのちがいを,静かに自己主張している。 | ||||
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| 万博を機にパリへ渡り、日本美術の紹介と販売を手掛けて来た林忠正。日本に恋い焦がれた孤高のオランダ人画家、ゴッホ。本書は、忠正の直弟子である重吉とゴッホの弟テオドルスの出会いと友情を縦軸に、ゴッホ兄弟の愛憎、日本人二人の絆を盛り込みつつ、1880年代後半のパリ後期印象派の躍動が、まるでセーヌ川の流れのように描かれる。 オランダ人のフィンセントとテオドルス、日本人の忠正と重吉。この二組のパリでの幸運な出会いは、浮世絵と印象派を新たなステージへと押し上げる。 広重・歌麿・北斎の浮世絵が、ゴッホ兄弟とその作品が、身近に感じられるようになる一冊。 ・フランス芸術アカデミーの巨匠、ジャン=レオン・ジェローム、筋金入りのジャポニザンである小説家、エドモン・ド・ゴンクール、若き画家の"パトロン"にして画材商のタンギー爺さん、ガシェ医師、そして、ポール・ゴーギャン。まるで彼らがそこに存在するかのような活き活きとした会話も、本書の愉しみのひとつだ。 ・オペラ・ガルニエ宮、カフェ・ド・ラ・ペ、コメディ・フランセーズ劇場、オテル・デュ・ルーブル、建築中のエッフェル塔。現在のパリでもお目にかかれる建物の登場も嬉しい。 ・世紀末パリのジャポニスム旋風に乗り、日本美術工芸品を広く紹介した仕掛け人、林忠正。彼もまた孤高の人生を歩む人だ。だから、ゴッホ兄弟を理解できたんだろう。 ・「イギリスには、パリがない」(p29) 凛として横顔に風を受け、未来を見据えて輝く瞳。忠正と重吉の出会いはすがすがしく、パリへの想いは熱く語られる。向上心に溢れた日本青年の姿は素晴らしい。 ・『タンギー爺さん』制作の現場。背景に据えられた六点の浮世絵。それらを貸し出しながら、決してアトリエに足を踏み入れず、ショーウィンドウ越しに見護る忠正と重吉。良いなぁ(p188)。 ・まったく新しい絵画。「絵の具が叫び、涙し、歌っている」(p202)のがゴッホの表現であり、観るものに、どっと押し寄せる「色彩の奔流」(p172)を感じさせずにはいられない。このあたり、著者の表現は見事だ。 天空の下、滔々とセーヌは流れる。FLUCTUAT NEC MERGITUR―― たゆたいはしても、流されることなく、沈まない。フィンセント・ファン・ゴッホが本当に描きたかったものがテオと重吉に明かされるのは、アルルでの「耳切り事件」の翌日のことだ(p315)。 そして「とうとう……成し遂げたんだな」と忠正に言わせた『星月夜』を前に、フィンセントとテオドルス、日本人の忠正と重吉がたたずむシーンは感動的だ(p360)。 たったひとつ、弟のためにしてやれること……(p387)。それが答えだったとしたら、あまりにも、あまりにも哀しい。 読後の余韻に浸りつつ、装丁を眺める。物語の鍵となる『星月夜』と『大はしあたけの夕立』があしらわれ、実に良い。カバーを外すと、よれよれの中折れ棒と、山高帽が現われる。うん、兄弟の運命と名声に叶う、粋な計らいだ。 アムステルダムのゴッホ美術館に行きたくなってきたぞ。 | ||||
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