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たゆたえども沈まず
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たゆたえども沈まずの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.16pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全158件 1~20 1/8ページ
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思うように進まない、進めない。 重い空気を吸いながら、懸命に辛抱強く生きる人々の姿が丁寧に描かれている。 たゆたえども、沈まず。まさに、この物語。 二度読み返して、三度泣いた。 | ||||
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本の状態も大変よく、前から読みたい本でしたので、満足しています。内容も面白いです。 | ||||
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原田マハの卓越した手腕は、歴史の流れを軽く超え、その生きた時代へと読者を誘い込み、詳細に描写を行う点にある。そのリアルさとタイムマシンの感覚が独特の魅力を放っている。その時代背景のもと、芸術家の葛藤、挫折、孤独、狂気を巧みに描き出している。ヴァン・ゴッホは孤独と狂気を身体の中に抱え、それゆえにその芸術性を発揮した。 『ゴッホの足跡』で、ゴッホのことがよく理解できたが、テオからみたゴッホが浮き彫りになる。テオにとっては、ゴッホを深く理解していた。しかし、テオにはテオの人生がある。テオが結婚し、子供も生まれて、経済的な負担が重くのしかかり、兄の経済的な支援もせざるを得なかった。そして、兄のゴッホの精神的な不安定さ、さらには、兄の絵が評価されないというその当時の現実が、さらに苛立たせた。また、そのことが、兄のゴッホをさらに苦しめることになった。ゴッホとテオの共存性がより鮮明になる物語だった。それにしても、テオの悩み方は、日本人的でもある。 本書の舞台は1886年、19世紀後半のパリ万国博覧会である。主人公であるゴッホとその弟テオ、そして同時代を生きた二人の日本人、林忠正と加納十吉を軸に物語が展開される。 「たゆたえども沈まず」(Fluctuat nec mergitur)の言葉は、パリの紋章にも刻まれ、その精神性を象徴している。いかなる苦境に追い込まれようとも、パリはたゆたい続けるが決して沈まない。すなわち、「嵐の中でも揺れ動くが、決して沈むことはない」「困難に直面しても、それに打ち勝ち、屈しない」という、不屈の精神やレジリエンス、回復力を表現しているのである。 物語は、東京開成学校において語学の才能に秀でた加納重吉が、パリで画商を営む先輩の林忠正に呼ばれてパリへ渡るところから始まる。重吉は学校からイギリス留学を勧められたが、それを断った。林忠正はその理由を尋ねると、重吉はイギリスにパリがないと答える。重吉は、パリにいると世界の中心にいるような気分になると言う。また、林忠正は単身で浮世絵をパリに持ち込み、ジャポニズムを流行らせた人物である。ゴッホ、マネ、モネ、ルノアールらは浮世絵の影響を大きく受けている。例えば、ゴッホの作品『雲龍打掛の花魁』には、その影響が見て取れる。 重吉は林忠正の画廊で働き、絵を売る役割を担いながら、ゴッホの弟のテオと交流を深めていく。テオは、パリで最も大きな画廊「グーピル商会」に勤務し、絵の販売に優れた才能を発揮していた。彼は兄のゴッホを敬愛していたが、やがてゴッホは画廊を辞めて絵の道に進む決意を固める。グーピル商会は、パリ万博に出展しており、パリの支配人であったテオはそこに関わっていた。一方、テオは、グーピル商会で取り扱う絵よりも、別の画廊の印象派や浮世絵に惹かれていた。 パリでの『雲龍打掛の花魁』をめぐる熱狂の中、林忠正が執筆した『パリ・イリュストレ』の日本特集が刊行される。これにより、重吉はその浮世絵をテオとゴッホに見せる。ゴッホはその作品を見て、「どうして、こんな絵がこの世にあるのか」と涙を流すのである。 また、タンギー爺さんの画材の店は、売れない絵描きたちの集まりの場となっていた。テオは兄の絵が売れないことに苛立ちを覚え、兄に対して疑念も抱き始める。兄のゴッホの葛藤の中で、煩悶しながらも、重吉が暖かく見守る姿勢が印象的である。タンギー爺さんの肖像画が二枚あり、その背景には『雲龍打掛の花魁』の絵が描かれていた。 重吉は、ゴッホに何かを感じ取り、「この兄には何かがある」とテオに告げる。その言葉に、テオは涙を流す。ゴッホと林忠正の会話も非常に深く、彼らの交流を通して、日本とゴッホの結びつきや、ゴッホの目指すものが明らかになる。このシーンを生み出した原田マハの卓越した創造力が光る。 ゴッホは、アルルへ向かう。アルルでは、ゴーギャンと共同生活を送り、その中で相手の個性や画風の違いから喧嘩も絶えなかった。最終的には、ゴーギャンが耳を切り落とす事件に発展し、共同生活は破綻する。 一方、テオは結婚を決意し、そのことを兄のゴッホには隠す。彼の幸せはひとしおであった。林忠正は、テオに対して、「あなたはもっと強くならなければならない」と諭す。「フィンセントはあなたよりもはるかに強い。それゆえ、あなたももっと強くなり、兄さんを支えることができるようにならなければならない。本当に兄を世界に認めさせたいのなら」という言葉をかける。 その後、テオはアルルに向かい、耳を切ったゴッホに会いに行く。幸い、ゴッホは命に別状はなかった。会話の中で、ゴッホはパリのセーヌ川を描きたかったことを理解する。ゴッホは、「たゆたえども沈まず」の思いだった。 兄のゴッホは、弟のテオのカバンを借りた。そのカバンの下の方に、レボルバーがあったのだ。テオは、全く忘れていた。そして、兄のゴッホは、自分の身体を撃った。レオは、慌ててサンレミに向かった。テオは、リボルバーを忘れていたことを思い出し、兄のゴッホを殺したのはボクだ。ゴッホ、37歳。そして、わずかな期間をおいて、テオも病気で亡くなってしまう。33歳だった。 この物語は、時代や境遇を超えた人間の不屈の精神と、ゴッホとテオ、そして林忠正と加納重吉の芸術に対する真摯な姿勢を鮮やかに描き出している。 | ||||
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この本はフィクションを含めていますが本を読み終わる頃すべての登場人物の人柄を好きになり、心を動かされます。読み終わる頃には本物の絵をいつか見に行きたいと心から思うようになりました。マハさんの作品は映画を観ているような気分になり大好きです。 | ||||
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・年明けに読了したゴッホ目線で書かれたリボルバーとは違うアングルで書かれていて、とても興味深い。半分はジャポニズムを浸透させた画商の林忠正と加藤重吉だが、もう半分は彼らとのやりとりを中心にテオとヨー目線で語られていて、浮世絵がゴッホや印象派の画家たちに与えた影響を含めて、複眼的に描写されていてそれが楽しかった。 ・それにしても、ゴッホという画家は確かに賞賛に値するが、それと同等にテオとヨーの功績も称えたい。こうしてゴッホの作品が世に知らしめられたのは彼らの労が大きいのは確か。ライト兄弟のように、ゴッホ兄弟として語られても良いくらいではないか。 ・この本そのものだとあまりハッピーエンドではないものの、ヨーがゴッホの絵を評価していて、それを世に知らしめる決意をしている点が、別途COTEN等で仕入れてきた情報とも合わさって、安心して読了することができた。 ・リボルバーの時もそうだったが、悔やまれるのは、National Gallayで折角ひまわりを見たのに、当時は何の知識もなかったので、ふーんで終わったこと。。。(つい先日、新宿のひまわりを観て、読書とCOTENラジオと作品鑑賞と重層的な楽しみを味わった)。望むべくは、National Gallay、ゴッホ美術館、MOMA・・・ゴッホの作品を一周して見て回れればとつい妄想してしまっている。 ・あと、この林さん、加藤さんにも感じ入るものがあった。の浮世絵を通じて日本を欧州に知らしめる精力さには脱帽する。200年超鎖国をしている文字通りFar Eastの小国、科学技術含めて文明的にも劣っているはずの国の人間が、欧州で卑下することなく、差別や冷遇に屈することなく、日本を売り込むのは並大抵のことではなかっただろう。日本の作品が海外に散逸した一因とも見なされている彼らだが、日本では包装紙代わりに使われたりとか、その後の戦火を考えると、結果論だが彼らのお陰で生き延びれているとも言える。それが海外諸国の日本への理解の一助になっているのは確か。こうした気概を持った日本人がいたのだなとも感じ入った。 | ||||
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面白かった。文庫本で、この厚みだと、電車で読むには、ちと重かった | ||||
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ゴッホが耳を切っちゃうシーンはやはり衝撃的だ‥。 | ||||
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本書は、当時の世界情勢を認識しながら読むことで、自身の美術への理解が一層深まります。かと言って大袈裟に構えて読む本ではなく、登場人物の人となり、性格、嗜好などを想像しながら、さらりと読める点が秀逸です。 | ||||
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あっという間に読了 切ない、なんとも切ないお話だ。 二人の兄弟愛、おかしくなっていくゴッホ それを支える人々 読み終わってなんとも言えない気持ちになる本だ でも、決して嫌な気持ちてはない 2025年開催されるゴッホ展が非常にたのしみだ | ||||
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ゴッホは時代が生んだものかもしれない。精緻な時代描写がそう思わせます。著者フィルターは当時の世界を見せてくれ、ゴッホの狂った理由と思われる要素が次々と発見できます。「板上に咲く」で棟方志功が版画に狂った、その始原には、届かない日本への憧憬に狂ったゴッホがいた。 | ||||
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ゴッホについて全く知らなかったが、 全てのゴッホの絵を見たくなりました。 最後はずっと泣きながら読んでいました。 | ||||
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ストーリーに引き込まれ一気に読みました。 | ||||
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兄弟の関係がとても切ないです。どこまでがフィクションでどこまでがノンフィクションなのかは分かりませんが、時代背景など合わせ描かれていて、興味深く読めました。スッキリという読後ではありませんが、面白い一冊だと思います。 | ||||
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原田マハの『たゆたえども沈まず』は、19世紀末のパリを舞台に、フィンセント・ファン・ゴッホと日本人画商・加納重吉との交流を描いた歴史小説です。この作品では、ゴッホが画家として苦しみ、孤独に悩む一方で、加納重吉は日本美術のヨーロッパ進出を目指して奮闘します。二人は、異なる背景や文化を持ちながらも、「芸術」という共通の情熱によって結びつき、互いに影響を与え合う存在となります。 ゴッホの生涯や精神的な葛藤、そして彼を支える人々の物語を通じて、「生きること」や「表現すること」の意味が探求され、現代に通じる普遍的なテーマが浮き彫りにされます。タイトルの「たゆたえども沈まず」という言葉は、どんな苦境にあっても決して諦めない姿勢を象徴しています。 | ||||
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わざわざ書店に買いに行く必要がなかったことが良かったことと、本の内容も当時の日本美術の評価等が想像できて面白かったです | ||||
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“博士ちゃん”のテレビ番組で、その時の博士ちゃんとまなさんが面白く読んだというので、購入しました。 とっても面白かったです。‼️ | ||||
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絵画の価値が変わった本 面白い | ||||
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実話と勘違いしてしまいそうなストーリー展開に戸惑いながら、後半になると物語に吸い込まれるように一気読みしてしまいました。 ゴッホ兄弟の悲しい末路…それを支える友人や家族… 林忠正の活躍ぶりも全てがフィクションではないのでは!?と思わずにはいられません。 | ||||
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ゴッホと弟テオの痛々しいまでの深い絆が本当によく描かれていて、家族だからこその葛藤と愛情を通して見るゴッホの半生を知ることで、彼の作品がまた違って見えてくるようになった。 | ||||
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私はゴッホとテオの兄弟、それからゴーギャンくらいは知っていた。耳を自らそり落としたとか、生前1枚の絵も売れなかったとか、ゴッホのエピソードも知っていたけど、後はチンプンカンプン。そういう人間にとって、実在しない人物を作り出して、感動的なストーリーを仕上げたこの作品は、知的好奇心を満たしてくれる、上質なエンタメ小説だった。 ちょうど今パリオリンピック開催中なので、なおさら面白く読めた。日本の浮世絵が、印象派やゴッホの絵画に大きな影響を与えているのは史実だと思うが、こうしてドラマにすると、とても面白く読め、同時に日本文化に対する誇りを持つ事が出来た。あまり掘り下げた心理描写はなく、構成も散漫でラノベ的。でも純文学を読みたいわけじゃない凡人には、この読み易さは歓迎。 誰か「柔道」についてフィクションを創作してくれないだろうか? オリンピックを見ながらの感想である。 | ||||
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