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暗幕のゲルニカ
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暗幕のゲルニカの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.17pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全191件 141~160 8/10ページ
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大変良い本に出会ったと思いました!PICASSOの絵画の見方が変わります! | ||||
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本屋さん大賞6位ということで 初めて原田マハさんの作品を読みました。 フィクションとはいえ 実在の絵画をみごとに1930年代のヨーロッパと 2000年代のアメリカ合衆国を舞台に サスペンス小説として成立させている手腕に星4つ。 ただ、ラストのサスペンス要素はなくても 良かったんではないかと、私は思いました。 北朝鮮とアメリカ合衆国のきなくさいニュースが流れる今 著者のメッセージがストレートに受け取れました。 | ||||
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とにかく、圧倒的な筆力である。そして、それを支える資料の収集と読み込みも膨大なものだったことが推察される。 読んでいる間、「手に汗握る」、「目頭が熱くなる」ような瞬間を、何度も味わわせてもらった。 だが、さいごの一文、ワン・ラインで物語が締めくくられたとたん、「何もなかった」かのように、「読後感」そのものが霧消し去ってしまった。 いや、これは「美術をテーマにした冒険大活劇」なのである。 バスク独立運動の活動家にヒロインが拉致される場面も、荒唐無稽という非難は、「冒険大活劇」だからこそ、当たらない。 しかし、徹底した「冒険娯楽大作」の印象が深まるにつれて、ピカソやドラ・マールのリアリティは、あまり質のよくないアニメの描く歴史的人物ていどの存在感すら持つことがなくなり、架空の人物・パルド・イグナシオともども、物語を進めるための遠景に置かれた人形のようになってしまう。 とまれ、娯楽大作としては、本作は成功している。 本作の執筆動機は、現実の、パウエル米国務長官が、国連本部でイラク空爆の会見を行なった際に『ゲルニカ』のタペストリーが暗幕で隠された、という事実から触発されたものだ、と著者自ら述べている。 この事実に対して、著者が投げかけたかった(であろう)政治的メッセージを、本作の「純娯楽性」は、ほとんど完全に無力化=無毒化している、と感じた。 この意味で、本作は、読後にもやもやしたものを一切残さず、本を閉じれば何もなかったかのように現実生活に戻れる、安全な、しかし「娯楽冒険大活劇」としては、大成功している。 著者が本作執筆に投じた労力は測り知れないものだと推測するが、あえて率直な感想を述べた。 | ||||
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今読み始めて7章までいきましたが大変面白いです。 翌日が仕事なのも忘れてどんどん引き込まれてしまいます( ^^) 現代に生きる人のピカソへの思いとピカソと同時代を生きた人のピカソへの思いが交代交替ででてきてまるで映画のように感じました! | ||||
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「ゲルニカ」--。最初にこの絵に出会ったのはテレビだった。深夜番組だったと思う。テレビの中のゲルニカを見て、涙が出てきた事を覚えている。独り暮らしで使っていた小さなブラウン管テレビ。それでもゲルニカは私の心を抉るインパクトがあった。こんな経験は自分だけかと思っていたが、どうやらゲルニカには人々に強烈な印象を与える何かがあるのだろう。本書は「ゲルニカ」に心を奪われた人々の物語。9.11をきっかけに「ピカソの戦争」というテーマで展覧会を企画したMoMAのキュレーターである瑶子が、ピカソがゲルニカで訴えたかった事を世界に示す。暗幕は平和に目をつぶる行為の比喩である。もしかすると、世界の惨状に目を向けない私たちも世界に暗幕をかけてしまっているのかもしれない。そんなことも考えさせられた。怖くても暗幕は取らなければ! そして本物の「ゲルニカ」をいつかはこの目で観たい。 | ||||
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おもしろかった。 おもしろかったんだけど、なんだかなー、という感じがぬぐえない。 ゲルニカを称賛するのもいいけれど、同じような表現や説明が多すぎる。 はじめはよかったんだけど、だんだん陳腐に感じられるようになった。 登場人物も同じ。 20世紀パートと21世紀パートを行ったり来たりするたびに あれ、これ、さっき聞いた話だよねー、というのが何回も繰り返された。 重複を省いたら、半分の厚みになるんじゃないか。 20世紀パートは、それなりに魅力的だけど、 21世紀パートがいただけない。 ヨーコ・ヤガミは、結局何をしたの? 富と権威に守られて、ニューヨークとスペインを何度か飛行機で行ったり来たりするだけで、 何にも仕事をしていないみたいに思えるんだけど。 「説明」じゃなくて「描写」が欲しい。 『楽園のカンヴァス』には描写があったし、キュレーターは仕事をしていたと思う。 | ||||
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美術の教科書でしか見たことがない「ゲルニカ」……。 絵画に全く興味のない私でさえ、どんな作品だったか思い出せるということは、よほど強烈な印象だったのだろう。 その制作過程を描いた部分が一番ワクワクした。 決してピカソが絵筆を折ることがないよう、様々な敵から守った愛人ドラ。 「ゲルニカ」を戦禍から逃し、アメリカ“MoMA”へ持ち込み、真のメッセージを世界に向け発信しようとしたバルド。 この20世紀パートの登場人物からは、強い意志、使命感が感じられ、生き生きと描かれていた。 しかし、21世紀パートの登場人物の主役である瑤子の描き方が雑。命が吹き込まれていなかった。 「9.11」と「ゲルニカ」を結びつけたのは理解できるが、成功したとは言えない。 表現の繰り返しが多過ぎるのも気になった。ちょっとしつこい。 瑤子が、テロ組織「バスク祖国と自由」に拉致されるあたりからは、「うーん……?」と唸るしかなくて、最後の展覧会の描写に至っては、盛り上がるどころか、興ざめ。 パブロ・ピカソの代表作の一つ「ゲルニカ」が生まれた背景を知ることができたことは良かった。 | ||||
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原田マハさんのピカソ、ゲルニカを描いた作品。ピカソを導師と崇める彼女の、満を持しての作品かと期待しましたが、感想は、う〜ん。 とにかく、同じ表現や説明が多過ぎ!此処ぞ、というフレーズは一回だから響くもので、あまりにゲルニカを神聖化し賛美しまくっても、始めは心に響きましたが、途中からはもういいよ、ってなります。 「楽園のカンヴァス」大好きです! あまりに壮大なテーマで風呂敷を広げずに、人間ピカソと愛人たちの物語とか、読みたいなー!マハさんの作品で。 | ||||
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イラク空爆前夜、当時のアメリカ国務長官コリン・パウエルが国連本部で記者会見した際、そこにあるはずのタペストリーが暗幕で隠されていたという出来事があったそうだ。 それが、ピカソのゲルニカのレプリカだった。 その出来事に立脚されているが、物語中の「現在」は仮名を与えられた人物達が生きる、少し仮想の現在になっている。 その少し仮想の21世紀と、「ゲルニカ」を描いているピカソとそれを撮影するドラ・マールが生きる20世紀が、同時進行に語られる。 少々、複雑な進行をしているわけだが、ゲルニカの空爆と9.11やイラクへの空爆がぴたりと重なり合い、その野蛮に対するアートからの抵抗が呼応する。 そして、ドラのピカソへの愛と、瑤子のイーサンへの愛が共鳴しあう。 どこまでが事実に基づいており、どこからが創作であるのか、溶け合ってわからないほど。 物語がどこへたどり着くのか、ページを繰るのももどかしくなる。 私の敵は、戦争である。暴力である。憎悪である。 絵筆一本で闘ったピカソと、美の守護神となることで共闘した人々の祈りに満ちた物語だった。 | ||||
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内容が突飛すぎる。 特に後半の展開が飛躍しすぎでついていけなかった。早く結末だけ知りたくて読み急いでしまった。 こんな滑稽な小説が、直木賞の候補だなんて、おかし過ぎる。 | ||||
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こんどバスクに行くんですよと知り合いに言ったらこの本をすすめられた。ゲルニカ。気になって調べたところ、ゲルニカにはゲルニカはなく、マドリッドにある。そういう話もこの小説の複線になっている。原田マハさんはテレビの美術番組で見たことがあり、何をする人なのかなと思っていたがこういう小説を書く人なんだ。キュレーターとしてMoMAにいたこともある。登場人物の一人がMoMAのキュレーターというこの小説は彼女の経験と見識に裏打ちされて、大胆な筋書きながら絵空事とは思えない本物感が随所に出ていて読みごたえがあった。 ピカソは20世紀の芸術の代名詞みたいな人だけれども、子供のころに箱根の森美術館でピカソの陶芸コレクションを見たときには、「これの何がいいのだろう」と思った。長じて2回、ピカソの展覧会に行った。ひとつはMoMAのPicasso and Portraiture(1996)、もうひとつはTATE ModernでのMattisse Picasso(2002)。後者においてはマチスの存在感が圧倒的だったが、ピカソの描いた肖像画ばかりを集めたMoMAの展覧会はピカソの自在さと力強さとそれらの源泉となった彼にまつわる実在の人間の息吹が伝わってくるもので、強く印象に残っている。なかでも彼のミューズとなった女性たちのそれぞれの個性がカンバスに生き生きと再現されていて、彼女たちを知っているような気にさえなった。印象に残っているのはビスクドールのように端正なオルガ。母性溢れる温かなマリーテレーズ。そして、首の長い花として描かれたフランソワーズ。なぜかドラ・マールのことはあまり印象にない。そのとき自分が絵をみたかぎりでは、ピカソはマリーテレーズのことをもっとも愛したのではないかと思った。 しかし本書での主役はドラ・マールである。彼女がこの歴史的な作品の制作過程を写真におさめていた。ゲルニカはピカソにとっても特別な作品であろう。そのコンセプトの誕生から絵の完成までをともにしたドラ・マールとの関係が壊れたのは必然だったかもしれない。ピカソが苦しみ抜いて描いたゲルニカは、祖国を守るために世界を放浪するという悲劇の運命を背負っていた。この絵の母ともいえるドラを見るたびにそのことが思い出されただろう。ゲルニカがなければ二人の関係は少なくとももう少し長続きはしていただろうか。あるいは、ゲルニカを作るために二人の関係は続いたのか。というようなところは、本書の脇道の話だが、読みながら20年以上も前にニューヨークで見たピカソポートレート展の記憶が押し寄せるように戻ってきて、その後ほとんど思い出すことのなかった絵そのものもぼんやりと思い出されてきた。ピカソがマリーテレーズに会いにいっているかもしれない、「次の女」を見つけようとしているかもしれない、と思っていたたまれなくなるマリーテレーズ。でも「が、このいたたまれなくなる感じがいっそ好きだった」。マハはそんなふうにドラを描く。ポートレート展では絶対に「泣く女」もあったはずなのに、はっきり像を結ばない。その理由さえこの本が与えてくれているような気がした。 あの展覧会は9.11以前のことだった。2003年にパウエル長官が国連安保理会議場のロビーで会見したときにゲルニカのタペストリーに暗幕がかけられていたというのは本当のことらしいが、知らなかった。それに憤った大コレクターの言葉を目にして原田マハはこの小説を書くと決めた、と東洋経済オンラインのインタビューで読んだ。おなじインタビューでこの作品は10%が史実で90%がフィクションであるとも書いてあった。フィクションの部分の最大の謎は「誰がゲルニカに暗幕をかけたのか」である。普通に考えるとホワイトハウスだが、深読みをするとあの人であるような気もする。それにしても、ヒトラー。最近読むどんな本にも出てくると言ったらいいすぎか。ピカソも含むモダン・アートの作品をわざと劣悪な展示環境で価値のないもののように展示した「退廃芸術展」なるものがあったことをこの本で初めて知った。芸術が政治の道具にもなり得るし、政治に対する武器にもなり得るということの証左である。 この小説に描かれる八神瑤子のゲルニカを借り出すための命懸けの戦いは、「映画みたい」な話ではなく、十分にありえた話だろう。芸術もビジネスにまけずおとらずかけひきとパワーゲームの世界であり、展覧会はキュレーターが全人格をかけてつくりあげたコンテンツだ。今回、自分の行った展覧会についての記録をネットで調べてみたが、たとえばMoMAのサイトではExhibition Historyとして展覧会の記録を開館当時のものまでさかのぼることができる。マドリッドではゲルニカを必ず観に行こうと思った。「世界が崩れる瞬間を見てしまった、創造主の目」をした牡牛に対面しに。 | ||||
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どこまでが事実なのかよく知らないながらも、ゲルニカの描かれた意図、ドラ・マール、の存在、ETAのことなど とても勉強になりました。 楽園のカンヴァスの方が良いという意見がたくさんありますが、楽園のカンヴァスを読んだ時以上に「そうなんだ!」ということが多かったです。 でも楽園のカンヴァスも久しぶりに読み直してみようと思いました。 今のような時代だからこそ、例えば芸術の力で平和が実現するような世界が本当に来ると良いな、という祈り、願いを強く感じます。 | ||||
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過去と現在を同時進行させながら、絵画や芸術史を題材にミステリーを展開する。筆者が得意とする構成はとてもいいのだけれども、なんかと比べると興ざめする。 まず、主人公のキュレーターがいいところに住んで、リッツを定宿にして、大富豪にもかわいがられてという、キャリアウーマンぶりが鼻につく。 そして何より、アートの力で戦争に対抗するために、ゲルニカをマドリードからニューヨークへ移すという分かったようで理解できない行動に、キュレーター様の独りよがりを感じる。 | ||||
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ヨーロッパに反移民と極右の波がひたひたと押し寄せ,アメリカにトランプなどというおよそアメリカ民主主義とはかけ離れた大統領が誕生するとき,第1次大戦後の Naziが誕生するときに驚くほど似ている現代に,Francoと真正面から向き合った Picasso の作品を, 2011年の WT Center への飛行機の突入とからませてストーリーを展開していく様子は,大変共感して読むことができた。多分そのころよりも今はもっと Fascism の脅威が強まっていると思われる。この時期に是非この本を多くの読者に読んでもらいたいと思う。 | ||||
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読後にまず抱いた感想が「残念だな」でした。ピカソとゲルニカを作者がどう料理するのかと期待して読みましたが、登場人物は表層的というか、何か足りない感じがしました。「ジヴェルニーの食卓」や「楽園のカンヴァス」に出てきたルソーやマティスのような、生き生きとした、きっとこんな人たちだったに違いないというような手触りの実感がないのです。この作家の人物描写は、本来はこんなものではないはずです。 話の展開も少々強引で、ゲルニカの意味が繰り返し語られることにウンザリして、最後は読み飛ばすようにして読了しました。 | ||||
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ピカソが「ゲルニカ」を描いた経緯、その後の作品「ゲルニカ」がたどった数奇な運命をめぐり、魅力的な素材を小説化した。多国籍軍のイラク空爆に当たり、国連本部の「ゲルニカ」タペストリーが暗幕で覆われたという事実には、今まで気づかなかった。そのへんのくだりはなかなか面白かった。 しかし、中盤からダレてしまう。同じ内容が繰り返し書かれたり、同じフレーズがまるで枕詞のようにお決まりで繰り返される。さすがに飽きた。もうちょっとコンパクトに中編程度にまとめられる内容ではないだろうか。 | ||||
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読みどころはピカソとドラの微妙な関係だけ。故に☆2個。特に21世紀の場面はことごとくいただけない。 「ピカソはゲルニカで全ての戦争に反対を表明した」 忠実に小説の記述を再現したものではないが、こんな陳腐な表現に満ちている。 あまりTVというものを観ない俺だが、1度、何かの番組で絵画の解説をする原田マハを見た。オール讀物で名作の解説もしていたのを読んだ。美術の知識は確かにある。うーん、だがそれだけなんだよね。 私は絵を描くことがある。 素描が出来上がったら、その絵を裏から見る。凹凸があるような絵は大体駄目。何とか形や影を整えようと苦戦しているから。さらっと描いたものがよろしい。 「良くできた」と思った絵が3日後に見たら良くなかったということ、逆に失敗だったと思ったのに翌日見たらなかなか、ということもある。 ・・・・・と、まあこんなリアルな感じが欲しいのだがな。 ※後日知ったのだが、原田マハは自身絵を描くことがあるそうだ。余計に不可解な感じがする。 ゲルニカは大作だが、私はゲルニカ自体に好感は持ってない。むしろ素晴らしいのはゲルニカを完成させるための習作群なのである。 絵画と文章をいかに融合させるか?絵画を活き活きと描写出来るか?それが原田マハにできたら直木賞だろう。 | ||||
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反戦画の傑作である「ゲルニカ」を扱った作品である。ピカソの登場部分は史実に基づくから、表紙に装丁された原画を見ながらスムーズに読み進められる。 それに対し現代に生きるキュレーターの瑤子部分は、マハさんの創作かな?無理にゲルニカに繋げようとしているようで現実感がなく、瑤子がスーパーヒーローとなりすぎて共感出来なかった。 むしろピカソの時代に絞ったら、読後感がすっきりしたかもしれない。 | ||||
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面白く読めるお話だった。 ピカソの人物像、ドラのその寄り添う様子、 それは実際にあったことなのだろう。 ドラが撮った、ゲルニカの完成までの過程をぜひ見てみたいと思った。 一度は聞いたり見たりしたことのあるピカソのゲルニカ。 その誕生するまでの歴史的な事実。 それは知ってよかった。 美術に詳しい作者が、その名画と画家を描きたくなるのは当然だし、 それによって興味深く読める私のような読者も多いだろう。 ただ、この作者は、美術をからめない、ほかの作品のもののほうが、 良さがでているのでは? と思うのはわたしだけだろうか? | ||||
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世紀の問題作を描いたのは誰か。時はスペイン内戦と第二次世界大戦、フランシスコ・フランコが率いる反乱軍を支持するナチス・ドイツがバスク地方の都市ゲルニアを空爆した。千人以上の人々が一瞬のうちに犠牲になり、その魂を一つの筆に宿した男パブロ・ピカソ。彼がこの作品「ゲルニカ」に込めた苦悩と想いが痛いほど分かる一冊。「スペインに本当の民主主義が戻るまでゲルニカを保管しててくれ」ピカソがMomaの初代館長アルフレッド・H.バーJr.に直接依頼した大事な作品。彼の作品とそこに込められた想いは今でも多くの人の胸に焼き、平和の象徴となっている。 そんな「ゲルニカ」のタペストリーに暗幕が掛けられた日。その日こそ国連が米国のアフガニスタン攻撃を容認した日だった。ピカソが「ゲルニカ」に込めた想いを9.11で傷ついたアメリカ国民と世界中の人に再度知らせる為、主人公の瑤子は「ピカソと戦争」という企画展をMomaで開催するために孤軍奮闘するものの、レイナ・ソフィアにある「ゲルニカ」を借りることは不可能である。なぜそこまでしてスペイン政府はゲルニカを他の国に貸さないのだろうか?その背景に隠された理由を史実に基づき紐解く知的ミステリー。あなたも「ゲルニカ」が誰のモノかわかるはず。 | ||||
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