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暗幕のゲルニカ
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暗幕のゲルニカの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.17pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全20件 1~20 1/1ページ
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楽園のカンヴァスを読んでからこの本を読みました。確かに、この本を通じてピカソの思いやゲルニカの見方というのが変わったという学びはありますが、ストーリーにはさほど面白みを感じませんでした。 まず、視点の切り替えが頻繁すぎます。21世紀のヨーコと、20世紀のドラの視点の交互で話が切り替わり、そういう構成は楽園のカンヴァスでも同じなのですが、こちらはすぐにストーリーがブツブツ切れる感じで、集中力を削がれました。恐らく、気になる急展開が多いこと、そして良いところでいつも章が終わってしまうことが多かったからかもしれません。 あと、これは題材の性格故に仕方のないことかもしれませんが、「戦争は悪いこと」という道徳観、つまり結論ありきで話が進んでいるので、ストーリーに深みが感じられません。「わかりやすい正義のために戦う姿」を描いてるって感じです。 ネタバレになりますが、パルド・イグナシオという人物が単純にスーパーヒーローなので、これがさらに物語をつまらなくさせています。この人に任せておけば万事大丈夫、って感じで物語にスリルがありません。 そして、バスクをスペインから独立させることを掲げるテロ集団も、テロ結成の経緯や理由は興味深いと思ったものの、ゲルニカを狙う理由が「この世から消す」っていう、子ども向けの悪役っぽい陳腐なものでがっかりでした。 つまり、終始「意識高い系」でお話が進んでいく感じで白けました。 | ||||
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評価が高かったので買ったが期待外れだった。そもそもこの類の小説を読まないからだろうか、同じ様な説明が繰り返されすぎて読み進めるのが辛かった。他の人も書いてるけど、現代パートがつまらない。結局芸術でどうのこうのみたいな考え方自体がよく分からないといった感想。ここについては理解不足かもしれないが | ||||
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著者の作品である、楽園のカンヴァス、たゆたえども沈まず、のあとにこちらを読みました。 楽園のカンヴァスに出てくるティムブラウンが少しだけ登場しております。 この作品、同じことを何度も読まされます…。 現在と過去を行ったり来たりするのは楽園のカンヴァスでもそうですが、この作品は現在と過去で同じことを何度も説明するので半ばあたりで読むのがしんどくなってきました。 最初の頃はわくわくしていたけど途中から読んでいるのではなく読まされている感じがしてきます。 楽園のカンヴァスは早く先が知りたい!と思ってあっという間に読めたのですが登場人物にもあまり魅力がなく話のテンポも悪く残念です。 ゲルニカについても何度も同じことを違う形で読まされるので飽きてしまいました。 読み終わったあとになんか疲れた…と感じてしまった作品です。 | ||||
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あまり面白いと思えませんでした。 私の器が小さ過ぎたのかも知れません。いつか人として器が大きくなることがあればまた読むかもしれません。 | ||||
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日本人がゲルニカを観て先ずは思い浮かべるのは、敗戦確実になった後の米国による原爆投下などの虐殺行為である。この物語の主人公、知性ある日本女性のMoMAのキュレースターが、全くそれに思いを致すことなく、日本人虐殺の片棒を担いだロックフェラー未亡人にひたすら尽くす話は、作者が戦後20年近く過ぎの生まれであるにしても、歴史への思いが足りないのか、少し無神経に過ぎるようで不快感を催した。同じ著者の他の作品が面白かっただけに残念。 | ||||
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面白いと聞いたので買いましたが、途中でやめました。 他の方も書いてあるとおり、同じ話を(まるで今まで書いてなかった新しい話かのように)何度も何度も何度もまた語られます。あれ、わたしこれ読んでなかったっけ?おかしいなと前に戻ることもしばしば。文章力がないです。 主人公もいまいち魅力がないし、読んでる随所この人の凄さ(それこそテロリストに拉致されるくらいの)が全然伝わらなくて、ニッポン至上主義に感じました。 浅くて簡単な小説と感じました。ピカソもアートもわからない、って人が読んだら面白いかもしれません。 | ||||
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一枚の絵が、戦争を止める。私は信じる、絵画の力を。手に汗握るアートサスペンス! 反戦のシンボルにして2 0世紀を代表する絵画、ピカソの〈ゲルニカ〉。国連本部のロビーに飾られていたこの名画のタペストリーが、2003年のある日、突然姿を消した――。 | ||||
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登場人物がどうも薄っぺらく感じてしまうのです。テロリストの辺りもリアリティが無いというか・・・ ちょっと残念でした。ゲルニカの思い余ってって感じでしょうか。 | ||||
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「カフィーに待ちわびて」「楽園のカンブァス」に続いて3冊目のマハ作品でした。 最初に読んだ2作品は構成力が素晴らしく面白かったので期待したのですが少々残念。 「楽園のカンブァス」をまだ読んでない方はそちらを先に読む事をお勧めしたいです。 どちらも過去と現在が交互に進む構成が似ています。 その手法が成功していてより感動的なのは「楽園のカンブァス」の方だったから無垢な状態で読んだ方がいいと思います。 「楽園のカンバァス」を後に読んで重複を感じるとしたらもったいないです。 過去、現在の行き来がうんざりしてきたのと設定に違和感があって読むスピードが失速しました。 ゲルニカと反戦に対する著者の思い入れが強すぎるように感じました。 似た様なフレーズが何度も出てくるのは連載物だったから説明的になったためでしょうか。 実在するアメリカ大統領を偽名にする必要があったのかなと疑問を感じて冷めてしまったのと後半から異質な作品になってしまったように感じました。 マスコミに囲まれたりテロリストの標的になるあたりのキュレーターの社会的地位が誇大に描かれていたように感じました。 現実はアート関連の番組の解説者としてお見掛けする程度ですから。 ゲルニカがテロリストの標的になるのも現実離れしていて、作品世界に没頭できなかった理由です。 唐突に終わった感じで、前回の2作品の様な後読感もありませんでした。 ゲルニカ誕生の経緯やピカソとドラマールの関係性は興味深かったです。 期待はずれで少し残念でしたが、次回は刺激や壮大さよりも、奇をてらわない純粋なアートにかかわる作品があればそこに期待して別のものを読んでみたいです。 | ||||
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他の方も書かれているが、「ゲルニカ」や登場人物に関する同じような描写、説明の繰り返しが多すぎて、読んでいて辛いレベル。しかも、この絵の解釈は多様なものがあるが、(夢想的平和主義者が持つような)作者の浅薄な解釈が繰り返されるため、ウンザリする。作品の技巧に関する描写はほとんどない。ストーリー展開も非常に雑駁。主人公が交渉に行って速攻で断られ、2回目は主人公は交渉に絡まない。「テロリスト(という設定)」が主人公を拉致するも、あっという間に脱出するというシーンは、「うまく書けないなら書かなきゃいいのに(連載の回数稼ぎか)」とため息をつく。あまりのストーリの陳腐さと小説技術の低さに途中からパラパラめくるようになってしまったが、交渉成立の「条件」は最後まで隠されていたため頑張って最後まで読み進んだところ、オチのあまりの必然性のなさに愕然・・・。 | ||||
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レポートか作文レベル。 同じ表現が何度も出てきて、その度に萎える。 文体も、こうなって、ああなって、だからこうする、、、って作品の域に達していない。 ゲルニカを題材にしたストーリーのネタを思いついて書きとめたようなもので、表現力も作品性も なんにもない本です。 | ||||
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レイナソフィアでゲルニカを見、ヨーコのように衝撃を受けた人間です。 故にタイトルに惹かれ購入しました、が。 とにかくクドイ。 他の方も書かれていますがゲルニカに関する同じ表現が何度も繰り返し繰り返し使われていて 読んでいて疲れました。ここぞ、という台詞は一度きりだから映えるのではないでしょうか。 そして21世紀パートが本当に酷い。 もういっそ全部なくしてピカソとドラ(を始めとするミューズたち)の話にしたほうがまだ面白かったんじゃないでしょうか。 だってヨーコ、何もしてないですよね? 熱心な交渉シーンもない、NOと言われてすごすごとニューヨークに戻り 権力者であるルースが出て来て強引にこれまた権力者であるパルドと直接話をつけて終わり。 これ、ヨーコ必要ありますかね? くどいゲルニカに関する表現にページを割くのなら、バスクやテロ組織を登場させて唐突なアクション展開にページを割くのなら 如何にヨーコが今の地位に上り詰めたか、「ピカソと戦争」展を開催するまでにどんな紆余曲折があったか、パルドやアダに対してどのような説得が行われたかの描写に力を入れるべきだったのではないでしょうか。 その描写はなく、ただ周りが「ピカソの専門家」だなんだと持ち上げているだけ。 ビルバオにバスクの実情を知りに行くページなんてたった一人に話を聞いてお終い。 この章、要ります? 一人の話と、自分の周囲の人間の噂話を総合してバスクがゲルニカを狙ってる!と結論付けているだけ。 21世紀パートは本当につまらなかったですがこのビルバオ来訪部分は本当に不快でした。 だってルースはヨーコに「借りるなんて悠長な事を言ってる場合じゃない。奪うのよ!」 とまで言ってるのに自分たちはオーケーでバスクが欲しがるのはダメなの?ってなりませんか。 後半に出てくるテロ組織はさておき、 ゲルニカはバスク地方なのだから彼らがバスクが展示に相応しいと主張する事がそんなに悪い事のようでしょうか。 「鼓動が速くなるのがわかった」だとか「奪還」だとか「グッゲンハイムとバスク自治政府が手を組んでる」だとかどう読んでも好意的には書いていませんよね、これ。でも自分たちはマドリードから奪っても良いと。 言葉のあやにしろ、ルースの台詞が完全に余計でした。 終盤実在した(現在は完全武装解除)テロ組織まで出して「私たちのものだ」と説得するシーンがありますが、ルースの台詞の所為で物凄く冷めた目で見てしまいました。 そして前述のヨーコが何もしていない、という話に戻りますが ルースとパルドの権力者同士の会談の結果を内密に進めなければいけない立場の人が簡単にテロ組織に捕まる…… テロリストがヨーコを誘拐する必然性が全く分からないし、ヨーコの対応もお粗末すぎます。 それなのにパルドからは最大の功労者かのようにピカソの赤い涙をプレゼントされる。 苦労している描写なんかどこにもなかったですよ。ノーと言われて帰ってきただけ。 食事の場に招待してもらって勝手にパルドは味方だと思い込んで談笑しているだけ。 権力者同士の会談の場に居合わせただけ。 終盤、ドラとヨーコではないもうひとりの女性が出て来るとこう思わずにはいられませんでした。 この人が主人公で良かったのでは?と。その方がドラの設定も生きてきませんか。 | ||||
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とにかく、圧倒的な筆力である。そして、それを支える資料の収集と読み込みも膨大なものだったことが推察される。 読んでいる間、「手に汗握る」、「目頭が熱くなる」ような瞬間を、何度も味わわせてもらった。 だが、さいごの一文、ワン・ラインで物語が締めくくられたとたん、「何もなかった」かのように、「読後感」そのものが霧消し去ってしまった。 いや、これは「美術をテーマにした冒険大活劇」なのである。 バスク独立運動の活動家にヒロインが拉致される場面も、荒唐無稽という非難は、「冒険大活劇」だからこそ、当たらない。 しかし、徹底した「冒険娯楽大作」の印象が深まるにつれて、ピカソやドラ・マールのリアリティは、あまり質のよくないアニメの描く歴史的人物ていどの存在感すら持つことがなくなり、架空の人物・パルド・イグナシオともども、物語を進めるための遠景に置かれた人形のようになってしまう。 とまれ、娯楽大作としては、本作は成功している。 本作の執筆動機は、現実の、パウエル米国務長官が、国連本部でイラク空爆の会見を行なった際に『ゲルニカ』のタペストリーが暗幕で隠された、という事実から触発されたものだ、と著者自ら述べている。 この事実に対して、著者が投げかけたかった(であろう)政治的メッセージを、本作の「純娯楽性」は、ほとんど完全に無力化=無毒化している、と感じた。 この意味で、本作は、読後にもやもやしたものを一切残さず、本を閉じれば何もなかったかのように現実生活に戻れる、安全な、しかし「娯楽冒険大活劇」としては、大成功している。 著者が本作執筆に投じた労力は測り知れないものだと推測するが、あえて率直な感想を述べた。 | ||||
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おもしろかった。 おもしろかったんだけど、なんだかなー、という感じがぬぐえない。 ゲルニカを称賛するのもいいけれど、同じような表現や説明が多すぎる。 はじめはよかったんだけど、だんだん陳腐に感じられるようになった。 登場人物も同じ。 20世紀パートと21世紀パートを行ったり来たりするたびに あれ、これ、さっき聞いた話だよねー、というのが何回も繰り返された。 重複を省いたら、半分の厚みになるんじゃないか。 20世紀パートは、それなりに魅力的だけど、 21世紀パートがいただけない。 ヨーコ・ヤガミは、結局何をしたの? 富と権威に守られて、ニューヨークとスペインを何度か飛行機で行ったり来たりするだけで、 何にも仕事をしていないみたいに思えるんだけど。 「説明」じゃなくて「描写」が欲しい。 『楽園のカンヴァス』には描写があったし、キュレーターは仕事をしていたと思う。 | ||||
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原田マハさんのピカソ、ゲルニカを描いた作品。ピカソを導師と崇める彼女の、満を持しての作品かと期待しましたが、感想は、う〜ん。 とにかく、同じ表現や説明が多過ぎ!此処ぞ、というフレーズは一回だから響くもので、あまりにゲルニカを神聖化し賛美しまくっても、始めは心に響きましたが、途中からはもういいよ、ってなります。 「楽園のカンヴァス」大好きです! あまりに壮大なテーマで風呂敷を広げずに、人間ピカソと愛人たちの物語とか、読みたいなー!マハさんの作品で。 | ||||
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内容が突飛すぎる。 特に後半の展開が飛躍しすぎでついていけなかった。早く結末だけ知りたくて読み急いでしまった。 こんな滑稽な小説が、直木賞の候補だなんて、おかし過ぎる。 | ||||
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読後にまず抱いた感想が「残念だな」でした。ピカソとゲルニカを作者がどう料理するのかと期待して読みましたが、登場人物は表層的というか、何か足りない感じがしました。「ジヴェルニーの食卓」や「楽園のカンヴァス」に出てきたルソーやマティスのような、生き生きとした、きっとこんな人たちだったに違いないというような手触りの実感がないのです。この作家の人物描写は、本来はこんなものではないはずです。 話の展開も少々強引で、ゲルニカの意味が繰り返し語られることにウンザリして、最後は読み飛ばすようにして読了しました。 | ||||
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読みどころはピカソとドラの微妙な関係だけ。故に☆2個。特に21世紀の場面はことごとくいただけない。 「ピカソはゲルニカで全ての戦争に反対を表明した」 忠実に小説の記述を再現したものではないが、こんな陳腐な表現に満ちている。 あまりTVというものを観ない俺だが、1度、何かの番組で絵画の解説をする原田マハを見た。オール讀物で名作の解説もしていたのを読んだ。美術の知識は確かにある。うーん、だがそれだけなんだよね。 私は絵を描くことがある。 素描が出来上がったら、その絵を裏から見る。凹凸があるような絵は大体駄目。何とか形や影を整えようと苦戦しているから。さらっと描いたものがよろしい。 「良くできた」と思った絵が3日後に見たら良くなかったということ、逆に失敗だったと思ったのに翌日見たらなかなか、ということもある。 ・・・・・と、まあこんなリアルな感じが欲しいのだがな。 ※後日知ったのだが、原田マハは自身絵を描くことがあるそうだ。余計に不可解な感じがする。 ゲルニカは大作だが、私はゲルニカ自体に好感は持ってない。むしろ素晴らしいのはゲルニカを完成させるための習作群なのである。 絵画と文章をいかに融合させるか?絵画を活き活きと描写出来るか?それが原田マハにできたら直木賞だろう。 | ||||
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スペイン内戦以後の世界には、ピカソのゲルニカもキャパの写真もヘミングウェイの文学も何の役にも立たなかったことを知ってる現代人にとっては実に空々しい小説です。 芸術による反戦なんて無駄とシニカルなことが言いたいのではありません。ゲルニカさえあれば「戦争と戦える」とか「負の連鎖を断ち切れる」と思い込んでる登場人物の姿がまるで「ゲルニカ教」の信者のように映るのです。憲法九条があれば平和が守れると思ってる輩とかぶります。 「オレは絵を描く。他の事は知らん」というピカソ本人の態度が一番まともに見えます。 大体主人公瑤子と共にゲルニカの借り入れに奔走する上司のルースは、石油利権のために中東に紛争の種を撒き散らした元凶のロックフェラー家の人間じゃないですか。 そのルースが911で夫を亡くした瑤子を慰め励まし、反戦をテーマにした企画展を911以後のニューヨークで開催する旗振りをするなんて言うのは何の冗談かと思います。 911だって元をたどればアンタんちが悪いんじゃん。 文章がとにかくクドく、 「スペインに真の民主主義が訪れるまでゲルニカをアメリカに預かって欲しいというのがピカソの意思」という記述が何回出てきたか、数えるのもバカバカしいです。 パルド・イグナシオという人物が出てくるたび「伝説のアート界の巨人」とか「アート界を司る神」とか「芸術の守護神」とか「美の巨人」とか仰々しい 修飾語付きで鬱陶しいことこの上ないです。「民族の太陽」とか「偉大なる領導者」とか「敬愛する将軍様」とか言われてるアレを思わせます。 「ゲルニカの前でナチスと闘うことができるのは、この世でたったひとり、パブロ・ピカソだけだったからだ」 「幾千万の銃よりも、一本の絵筆のほうがはるかに強いと証明された記念碑的作品」 このように読んでるこっちが恥ずかしくなるような肩に力の入り過ぎた大げさな描写が次から次えと出てきます。 著者がリキめばリキむほどこちらの心は冷えて行き「ナチスと実際に戦って死んだ兵士に失礼だろ」とか「そんな証明がされたのはお前の脳内だけだろ」と思ってしまいます。 脂っこいというか暑苦しいというか。 文体を絵画に置き換えることができるならば、こんな風に過剰に装飾的で押しつけがましく単調なモチーフを繰り返す作品をみたら、元美術館のキュレーターだった著者だってうんざりするのではと思います。 真ん中あたりでもう止めようかと思ってたら、ゲルニカを狙うバスク地方分離独立を目指すテロ組織が出てきて「ほう、そう来たか」と読み続けました。 反戦のシンボルであるゲルニカがバスク独立戦争の引き金になるという皮肉な逆説に、どう落とし前を付けるのか見てみようと思ったからですが結果トホホです。 瑤子はテロ組織に誘拐され、ゲルニカを手に入れるための人質にされます。 必然性が全くありません。 ゲルニカの所有者であるスペイン政府に対し、人質の身柄と引き換えに作品の譲渡を要求するのであれば人質は誰でもいいのです。人質を取る必要もありません。「要求に応じなければどこかに仕掛けた爆弾を爆発させる」という声明を出せばいいのです。 必要もないのに人質なんて厄介な物のために警備員と監視カメラに囲まれた高級ホテルに宿泊する瑤子を狙うほどテロリストってバカでもヒマでも無いと思います。 だから監禁された瑤子の不安も恐怖もアホくさくて共感できません。 ついでに言って置きますがテロリストって書いてあるからそういってますが文化も言語も違う地域の住民が独立を望むのはある程度理解できるので「独立派の活動家」ぐらいに描くのが穏当じゃないかと思います。独立派=悪=テロリストとというのは体制側の視点であって小説家のとる態度じゃないと思います。無知です。 この後はネタバレになるので控えますが、ゲルニカは最後まで神聖にして侵すべからざる反戦のイコンで、皮肉な逆説のオチはありません。 どうやら著者自身がゲルニカ教の信者だったようで自分で書いた逆説に気が付いていなかったみたいです。 | ||||
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ピカソやゲルニカへの関心は掻き立てられるし、物語展開が気になって、最後まで読みはする。メッセージには全面的に賛成するし、アートの力に想いを馳せることにもなる。しかし、人物が固定的に描かれていて観念的であり、文章が陳腐である。美術評論で事足りる。ピカソの鋭い一言に敵わない。嫌いではなく、感動もしたが、評価するなら星一つ。 | ||||
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