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日の名残り
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日の名残りの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.46pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全402件 81~100 5/21ページ
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ダーリントン卿への忠誠を捧げ、偉大で品格のある執事たらんとするスティーブンスの語り。30年以上携わってきた仕事を振り返るその語りは、執事業に対する情熱や、栄光ある思い出の矜持に溢れているが、それでいて何か寂しそうな印象も漂わせる。だが、もし物足りないものがあるとすれば、それはそれまでの執事業を否定することになる。スティーブンスはどこまでも抜かりのない執事だ。だから、自らその物足りなさを表面上明かすことはないが、その語りの奥に、ぽっかりと空いた穴が垣間見える。 完璧に執事業をこなすというのは、それだけ一層、自分の意思を捨てて主人へ追従するといった深みに嵌る。それは盲目的とも言えるし、他のことを犠牲にさえする。それでも極めた者にしか辿り着けない境地がある。失った分だけ、手に入るものは大きい。プロフェッショナルとはそういった振り子のような宿命を負うのだろう。スティーブンスが語り終えるとき、果たして彼は何を思うのか。栄光か哀愁か、それとも、、、? | ||||
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この本から、執事というものの世界を垣間見る。 妻子も持たず一生を主人に捧げて尽くす人生。 目的が、ただ「御主人の満足」、という一点に向かっているので、現代の部外者である私にはそんな彼の姿からそこはかとない悲哀を感じとってしまう。 美しいメイド頭の想いに気付かないまま、彼女を失い、老いて佇む執事の姿。悲しい。 | ||||
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この面白さはなんだろう?翻訳がすぐれているのは間違いない。でも、もとの文章がだめならいくら翻訳がよくてもだめだから、やはりカズオ・イシグロの、語りでひとを引きこむ技術がすごいのだろうと思う。 英国の執事といういまの自分の生活とはまったく関係のない、この小説でも読まなければさして想像もしなかったような世界の話だけれど、読めば読むほどに、主人公スティーブンスの語る戦前の思い出に自分自身もどんどん深く入っていった。 「わたしを離さないで」を読んだときにも思ったこと。過去を懐かしんだり、ノスタルジーにひたることにこの作家はなにかおおきな意味を見いだしているのだろう。 自分の人生はこれでよかったのか?間違いなかっただろうか?いや、かりに後悔することがあるとしても、それを肯定していかなければいけない。過去をふりかえるということは、同時に、そうした自分の人生を肯定する作業も含んでいるのだと思う。だから、カズオ・イシグロの小説を読んでいるときは自分のこころもそういう姿勢になっている。 スティーブンスは執事としての品格を持ち続けているために、感情的になることはない。しかし、最後の最後に、生涯を捧げたダーリントン卿のことを思い涙する場面がある。ここで読者のおおくはこころを打たれるだろうと思う。 イギリス、ドイツ、フランスの当時の関係。非公式の外交の現場で起こっていたこと。それを垣間見たスティーブンスの誇り。どこをとっても面白いです。映画もこれから見てみようと思います。 | ||||
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人生の中で誰もが思い悩むであろうことを、執事スティーブンスと自身を重ね合わせてしまう。自分の悩みは自分だけが感じているわけではないのだと、前向きに生きていこうと考えさせられる。 | ||||
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「信頼できない語り手」に感情移入してしまう稀有な小説。 欺瞞と自己防衛。わずかな希望と圧倒的な諦め。 誰が彼を否定できる? 人はみな、「信頼できない語り手」ではありますまいか。 | ||||
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「翻訳文学は少し読みにくい」という概念を全て吹き飛ばす作品。古き良きイギリスを描き、信頼出来ない語り手を中心としてとても引き込まれる文学作品です。読書好きなら絶対読むべき一冊。 | ||||
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英国のかつては伝統あるお屋敷に長年勤め上げた執事の独白形式で物語は進む。 第一次大戦から第二次大戦を経て英国の栄光は没落し米国にとって代わられ屋敷も新興勢力の米国人のものとなり、執事としての人生も終わろうとしている。そんなある日に当時同僚として心を通じ合わせていた女性に会いにいく機会を得てその道中、英国の田舎、伝統ある美しき英国の風土に触れて、自らの人生や英国の歩んだ道を回顧し、自らの人生の価値を再発見する。 ナタバレを避けたあらすじとしてはこんな感じなのでしょうが、テレビドラマ「ダウントンアビー」をイメージしながら読み進めてしまいました。まさにカーソンの生き様がそこにありました。ドラマの中のセリフが出てきたりして、思わず吹き出したり、ニンマリしたり。 主人公たちは熟年、老年です。そんな彼らが過去を振り返るのですが、決して年寄り向けのお話ではなく、若い頃から何度でも読み直すことのできる小説と感じました。 例えば、藤沢周平の「蝉しぐれ」、ケングリムウッドの「リプレイ」などを私は30年近く何度も読み返して年齢を増すごとに新しい発見と感動を得ています。そんな小説がまた一つ私の本棚に増えました。 淡く切ない青春が好きな方、人生を小さな幸せで満たしたいと考えいる方、お勧めです。 | ||||
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本から感動したり、心がゆすぶられたりという体験は久しぶり。ネタバレになったらいけないので書けませんが、ラストで主人公にかけられる言葉が大好き。 | ||||
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カズオ・イシグロは1954年に長崎で生まれている。父親の仕事の関係で、1960年に英国に渡っている。本作は1989年に発表されている。 本作の時代設定は1956年である。主人公は英国の執事。元々は英国の貴族に仕えていたが、その後は屋敷が米国人に売却されたのと同時に、その米国人に仕えている。 いくつか英国について参考になる描写がある。(1)執事は英国にしかいない。他の国にいるのは単なる召使い。(2)銀器の磨き具合の重要性。(3)品格について。 本書はフィクションだが、実在の人物が登場している。例えばハリファックス卿(1938年から1940年にかけての外務大臣)やリッペントロップ(駐英ドイツ大使)の話がある。 深読みし過ぎるべきではないとは思うが、登場する村人の考えは「自分たちの静かな生活を乱さないでもらいたい」(P.300)である。時代は大きく違うが、2016年の英国のEU離脱国民投票の離脱派の多くは地方の人々で、移民反対だったが、分かる気がする。 | ||||
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村上春樹でなく、この人をノーベル文学賞に選んだ選考委員の判断は正しいと思った。村上春樹の作品を全部読んだわけではないが、読んだ本の中に、こんな感動的ですばらしい作品はなかった。 ベテランの執事であるスティーブンスが主人の勧めで骨休めのためにイギリス国内を旅行し、かっての同僚であった女中頭のミス・ケントンに職場復帰を依頼するために会いに行く話。旅行の過程で起こった出来事と、その道中で振り返った過去の回想が記されている。主人公スティーブンスの視点で、彼の人生や生き方がその誠実な人柄そのままに、しみじみとした語り口で描かれている。書かれている内容は、主人公の「執事」という自分の職業に対する考え方や、それを裏付けるエピソード、ミス・ケントンとの間での出来事など。とにかく、一つひとつの場面描写が巧みで、映像作品のように鮮烈にイメージすることができる。とりわけ、父親が亡くなった日の出来事が印象的。 読んでいて感じたのは、主人公はどんな場面でも、「執事」という自分の役割を演じきっていたこと。 自動車のアクシデントで、テイラー夫妻の家に泊めてもらうことになり、その食堂での出来事。村の人たちが大勢やってきて、スティーブンスがひとかどの人物であると誤解するが、スティーブンスは自分が「執事」であることを明かさずに、「主人」であるかのように振る舞う。さてはスティーブンス、見栄を張ったなと思ったが、その後の手記を読むとそうではないことがわかった。スティーブンスは村の人が自分が執事であることを知ったらがっかりするだろうと、そのことを懸念したのだ。この場面でも、スティーブンスは執事として取るべき行動を取った。 ミス・ケントンとの再会で知らされた重大なことに関しては、スティーブンスはもっと早く気づくべきだろうと思った。多分、読者のほとんどがミス・ケントンの秘めた思いに気づいていただろう。いや、スティーブンスはとっくの昔に気づいていたのかもしれない。だが、執事として取るべき行動をずっと取り続けていただけなのかもしれない。 執事にとって「品格」が一番大事としながらも、執事の格を決めるのは主人次第だともスティーブンスは言う。 最後に桟橋で見知らぬ老人が主人公に語りかけた言葉が、この作品を締めくくるにふさわしい。 「夕方が一日でいちばんいい時間だって言うよ」 しみじみとした余韻を味わいながら、読み終えることができた。 | ||||
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品のある丁寧な翻訳で、カズオイシグロ氏の原文は分かりませんが 内容に沿ったものではないかと思いました。 かつてのイギリス貴族社会における 「ノーブレス・オブリッジ」 を、垣間見たような その偉大な紳士に仕える 品格を備えた執事の在り様は ある種 少年のような純なもので滑稽でもありました。 ダーリントンホールの主である ダーリントン卿は「ノーブレス・オブリッジ」を地で行くような紳士ではあるのですが、如何せん世間知らずというか、とっちゃん坊やのようなのですね、 世間知らずとも言える執事スティーブンスと、とっちゃん坊やのダーリントン卿が 第二次世界大戦末期ダーリントンホールで繰り広げられる物語、イギリスらしい皮肉も交えながら 古き良き時代のイギリス貴族社会を描いて興味深く、又 女中頭ミス・ケントンの登場も 物語の結末も含め興味深く読み進めました。 映画「日の名残り」では、執事スティーブンス役をアンソニー・ホプキンス、ミスケントン役をエマ・トンプソンが演じて秀逸! ほぼ原作に忠実に描かれており 映画と本と両方体験すると 堪能できます。 | ||||
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かつてダーリントン卿に仕えていた執事、スティーブンスは、新しい家主ファラディの許可を得て、一週間の慰安旅行に出かける。 その間、同じく執事であった父、恋心を寄せていた女中頭、ミス・ケントンや、故ダーリントン卿の思い出を語る回想録。 一流の執事とはどういったものかと自分に問いかけ、また自らそうあろうとするストイックなスティーブンス。 感情表現豊かでときにツンケンするといった、愛らしい魅力を振りまくミス・ケントン。 そして偉大な執事であった、亡き父との思い出や、財政界の大物と肩を並べ、第一線をわたり歩いてきたダーリントン卿が、 最後にナチスに利用され、すっかり落ちぶれてしまう顛末など、第一次世界大戦から第二次世界大戦の頃のイギリスを舞台とした、諸所の人間ドラマが繰り広げられる。 父やダーリントン卿の最期のエピソードや、ミス・ケントンの最後のモノローグなど、涙なしでは読めない話の合間に挟まれた、旅のエピソード――ちょっとしたアクシデントに見舞われたり、変な村人に絡まれたり、が笑いを誘う。 生真面目で礼儀正しいスティーブンスだが、ファラディに仕えるにあたって、ラジオなどを聴いて、ひそかにジョークを練習している。 しかし旅先の人やファラディに対するとっさのジョークが滑りまくり、本人のジョークよりはむしろ、そういった周囲に振り回される彼自身の身の上話のほうがむしろ面白い。 またスティーブンスが、語彙力強化のために読んでいた女性向けの恋愛小説を、ミス・ケントンにからかわれる場面も。 しかし恋愛小説を読みまくっているわりには、ミス・ケントンの女心はまるで読めない。 そのためか彼女のアプローチを事あるごとに無視してしまい、結局結ばれないまま終わってしまう。 しかし旅の最後のシーンで、彼女と20年ぶりに再会する。 そんな笑いあり、涙ありの感動スペクタクル長編である。 | ||||
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◎最初の出だしの印象、 一言で言うと主人公のこの人、とてつもなくめんどくさい人です。 「めんどくせー奴!」と思いながら、笑い転げながら読み進めました。 自分もそういう人間かなぁと一瞬迷いましたが、 ここまでは面倒くさくない、、、はず、、、と思いながら、、、 ◎最後まで読んで、 若い人も、歳を経た人も、女性も、男性も、心に残る作品と思います。 登場人物たちそれぞれの心の震えが伝わってきます。 もともと英語で書かれたこの作品でこういうことができる、 そう言ったことが、この作品がノーベル文学賞たるゆえんなのかと感じています。 もしかしたら、生涯一押しの一つかもしれないと感じています。 もし機会があったら是非読んで見てください。文学ってこういうものなんですね。 | ||||
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普段から乱読してます。今回、村上春樹、宮部みゆき、東野圭吾の作品を読みながらでしたが飛び抜けて面白かったです。他の作者の文章が稚拙にさえ感じました。 | ||||
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外交・政治のプロであれ、素人であれ、様々な視点とそれぞれの知識と情報の制約がある。アメリカにおいて、初めて太西洋横断を成し遂げた国民的英雄やフォード創業者も、当初、親ナチスだったと聞く。本作品の貴族が、ナチスに対して、宥和政策に賛同したことは無理からぬこととも思えるのである。結果論から(勝者の視点から)過去を振り返るのではなく、本書の様に、その時点に身をおいた回想小説は有意義である。 | ||||
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執事であることを誇りに思う、忠誠心熱いスティーブンスが 現雇い主から言い渡された旅の中での回顧録を中心に物語が始まって行きます。 自分の信念に沿って生きていくなか、 精神が徐々に解放されることによって、 「あの時ああすれば…」という、後悔が輪郭を帯びていきます。 最後は頑なな心が少しずつ解き、その後悔を受け入れ、それでも前に一歩歩む姿に ぐいぐいと引き込まれ、静かな感動の余韻を味わう事が出来ました。 人間が生きていく中、様々な後悔と折り合いをつけていくと思います。 あの時ああすれば・・・という後悔は常に抱くものですが、 過去は変える事が出来ません。あるのは未来だけ。 その未来をどう生きるか、ということを 丁寧な描写とともに考えさせてくれます。 その表現力や求心力、やはりカズオイシグロさんの文章はとても好きです☆ | ||||
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Fast shipment and good product | ||||
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この書物は、生粋の英国執事の手記という形で書かれている。 その日にあったことから、過去の出来事や自分自身の考えを綴るという珍しくもないスタイルだが、表現方法が秀逸。 風景描写はもちろんのこと、書き手の心理状態の変化を「偉大」と「品格」という言葉を軸に上手く表現している。 映画の「君に読む物語」などの郷愁をどこか感じさせる作品が好きな人に勧めたい。 | ||||
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執事が自らの執事としての人生を「手紙」という形式を通して語ってゆく作品 冒頭から一人の女性が登場し、その女性がこの物語の重要なパーソンであることはすぐに気づく・・ そしてその彼女を通して、主人公の執事は自分の人生をどう考えたか・・・ 最後は私も読んでいて涙を流してしまった | ||||
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感動した。 『わたしを離さないで』にも通じるけれど、この世での自分の役割を全うするべく、最後まで変わらないでいつづける主人公に感動した。 バス停での会話の意味を、(元)ミス・ケントンは十分わかっていたと思う。 小説でも映画でも、すごくいい作品は読み終わった後も自分の一部のように残り続けてくれる。 この作品も自分にとってそういう大事な作品になった。 | ||||
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