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日の名残り
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日の名残りの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.46pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全402件 261~280 14/21ページ
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最初の方はだらだらと思うがままに書き綴られていますが、人物表現、時系列、全くばらばらでなにを言いたいのかさっぱりわかりません。言っている内容が幼稚といいますか、どうでもいいようなな部分が多く読むのが少し苦痛になります。 章立てができていないのもだらだら話だからでしょうか。作家は何度か読み返して、まとめあげると少しは分かり易くなり、面白さも増えるように思います。読み直して、読者が作家の意図通りの思考になるかどうか、確認した方がいいです。そういう意味で、作家としての才能は少し欠如しているのでしょうか。 話がまとまって面白くなるのかと思うと、いきなり、全く異なった過去の事が掛かれていたり。後回しにした話が抜けていたり、ちょっと、支離滅裂なように感じました。 執事とはどのように考えて仕事に取り組んでいるかはわかりましたが、内容はこれからの若い人には勉強になうかもしれませんがある程度の人生経験をした人には少し幼稚な感が否めません。 初歩的な人物像や時間の表現ができるようになって頂きたい。表現できない部分は忘れた事にしていますが、それは単に表現力がない事の言い訳に見えました。 後半、面白い部分もありましたが、時間を無駄にしてしまいました。しかし、ノーベル文学賞でもこの程度なのかという事は理解できました。 執事という職業人がどういう姿勢で仕事に取り組んでいるかはわかりましたが、内容は若い人には勉強になると思いますが、ある程度人生経験がある人には少し幼稚な感が否めません。そう思わせない為にもところどころにもう少し面白さが加わると良いのではないでしょうか。 前にも少し述べましたが、小説の中に登場してくる脇役的な人物についてのプロフィールやその後等をもう少し丁寧に書いて頂きたい。そういう部分の面白みがほとんどない小説です。 人物についてはイギリス人ならすぐにわかるような人なのでしょうか。日本人の私にはほとんどの人がどのようなことをしてきた人なのか分かりませんし、どんな立派な人なのかもわかりません。そのような人物のプロフィールがほとんど書いてないのは無神経としかいいようがないように思えました。 | ||||
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執事の冷静な中に心の揺らぎをイングランドの風景に投射した文律は心に残るものでした。 | ||||
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24年ほど前に、原文で読む機会があった。オランダ人の人に進められたからだ。あれは日本人なのか、と言われた。職務に滑稽なほど懸命な主人公と、その結果、うまくいかなかった、懸命に使えた主人の仕事が必ずしも国にとって望ましい結果をもたらさなかったということで、自分の努力が無駄になったという後悔の念についてはよく理解できた。また職務に忠実なあまり、女中頭の気持ちも受け止められず、自分自身の感情も理解できなかったという後悔の念も。しかし本書の最後についている丸谷才一のうすっぺらな批判には腹が立った。丸谷は、使えていて尊敬していた主人の失敗を見抜けなかったこととか、女性の感情も理解できなかったことで、つまらない男だというふうに切り捨てている。これはあまりにもひどい。丸谷は、職務などに忠実で、全霊を捧げるということには、無縁に違いない。そして、女性の気持ちがよくわかる男、たぶん女たらしなのだろう。しかし、会社の営業の業務に、また製品開発に、研究に、そして後進の教育に、自らの一生を捧げて悔いないという人生を送っている人は数多くいる。その結果が、実はうまくいかないこともあるだろう。それが人生だ。それをつまらないというふうに切り捨てる丸谷は、いかにもどうしようもないという気がする。そのような主人公だからこそ、この女中かしらは引かれたに違いないと思う。丸谷は、偉そうに他人を貶すだけのつまらない人間だった。これまでは少しは良いところがあると勘違いしていた自分を恥じる。 | ||||
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この本を読む前に連続テレビドラマ「ダウントンアビー」を見て貴族の館を取り仕切る執事の仕事が、何となく分かったので、この「日の名残り」はわかりやすかった。テレビドラマの方は職場のシステムに関して理解出来ましたが、日の名残りでは、執事の内面が、詳しく書かれて居て、成る程と、思いました。日本の大名屋敷の御家老とも違う役割かな、英国の独特な仕事と、階級。執事に大切なことは品格であり、仕えるお屋敷の格やご主人の地位に関わってくる。対して下僕やメイドと言う職業の階層もあり、執事は主人を超えず屋敷内の行事や人事管理もこなす。 社会の変化の波に抗し切れず屋敷は人手に渡る。下僕もメイドも減らされていく。 新しい米国人のご主人には中々英国流は、受け入れられず、葛藤しながらも新しいご主人に忠実に仕えていこうとする誇り高い、英国最後の執事に感動しました。 | ||||
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日の名残りのように、心に残響を刻むフレーズ、 数え切れない程の著者の想いを、この心に噛み締めました。 | ||||
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ある一人の執事が語る思い出話です。 不思議なことに、第二次世界大戦の前「夜」のイギリスとドイツの緊迫した 雰囲気が感じられる物語でした。 物語りの舞台は、第二次世界大戦前夜(1936年ごろ)から「二十年後」の 「1956年」 世界大戦の戦火が消えてから「二十年たった後」の思い出話です。 この本のタイトルは『日の名残り』ですが、 むしろ「火の名残り」と考えて読んだほうが味わい深くなる物語 ではないかと思いました。 「火の名残り」とは、焼けぼっくいに火がつく、のアノ 「焼けぼっくい」の「火」のつもりです。 一度焼けて炭化した杭は再び火がつきやすいことから、すぐに燃え上がる関係、 とくに男女の恋愛関係について言うようになったそうです。 「過去に関係のあった者同士が、再び元の関係に戻ること。 多くは男女関係についていう」と語源由来辞典にありました。 本作品『日の名残り』では、執事と元女中との関係は元には戻りません。 この本での「執事と元女中との関係」とは、もちろん仕事上の関係であり、 「ミスター・スティーブンス」、「ミス・ケントン」と呼び合う、礼儀正しい 品格ある関係です。 元女中には離婚して元の館に戻って働きたいという気持ちがあるようだ、と 執事は彼女の手紙から勝手に推測して、休暇の自動車旅行を利用して 彼女の住む町へ直接確かめに出かけるという物語です。 ストーリーは、「二十年前」の執事と元女中との間の淡い片思いの思い出話なのですが、 その舞台の背景が驚くべきスケールなので、すごい。 さすが、スパイもので実績のある英国文学の流れをくんでいて、 本作品は「背景」のほうに強い魅力を感じました。 「舞台」となる館の主人は、第二次世界大戦前夜に自分の館に英国首相や外務大臣、 ドイツの大使を招いて極秘である計画を推進しようとして英国首相を説得します。 英国外務省の反対を取り除くのにやっきになっていたのです。 そう考えたのは、執事ではなく、館の主人のお気に入りだった「作家」です。 どこまでが歴史的事実なのか、読者には分かりません。 好奇心を持ってドアの前で立ち聞きするなど絶対にありえない、「品格」ある 執事にも分かりません。 館の主人は「常に国家間の相互理解に尽力し」、「ヨーロッパに平和がつづくように と努力しておられる」(324頁)と固く信じている執事なのですから。 「二十年前」の執事と元女中との間の思い出話なので、単なる「焼けぼっくい」の話か と思いきや、歴史的背景を背負った「偉大なる英国小説」でした。 「偉大な執事は、今朝私(註:ミスター・スティーブンス)が見た偉大な風景と同じ です。行き会いさえすれば、偉大な存在に出会ったことがわかるのです」(63頁) 「偉大な」「偉大な」「偉大な」 握りこぶしを振り上げて何度も何度も何度も繰り返す執事。 この本のタイトルを「火の名残り」と感じた、もう一つの理由。 この本の「プロローグ」は、「1956年7月」で始まります。 1956年10月、第二次中東戦争(スエズ危機)をイギリスが再び始めます。 「焼けぼっくい」には、再び「火」がついたのです。 「焼けぼっくい」には再び「火」がつきやすい! カズオ・イシグロは「火の名残り」に注意せよと世界に警告している・・・ そんな風に感じました。 | ||||
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日の名残りのように 優しく心に残るフレーズが 数えきれない。とりわけ …いいかい、いつも後ろを振り向いてちゃいかんのだ。 後ろばかり向いてるから、気が滅入るんだよ。 昔ほどうまく仕事ができない? みんな同じさ。いつかは休むときが来るんだよ。 わしを見てごらん。隠退してから、楽しくて仕方ない。 そりゃあんたもわしも、必ずしももう若いとは言えんが、 それでも前を向きつづけなくちゃいかん。 人生、楽しまなくっちゃ。 夕方が一日でいちばんいい時間なんだ。 脚を伸ばして、のんびりするのさ。 夕方がいちばんいい。わしはそう思う。 みんなにも尋ねてごらんよ。 夕方が一日でいちばんいい時間だって言うよ…… 熟練した手で ていねいに淹れられた オールドビーンズの珈琲のように かぐわしく、ほろ苦く、 余韻は甘く長くたゆたう。 これから、何回も何回も お気に入りの珈琲店で カズオ・イシグロに浸るだろう。 旅にも携えるだろう。 想像しただけで、 幸せすぎて体がふわっと軽くなる。 こんな贅沢を教えてくださった イシグロさんに深謝。 | ||||
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最初に読んだのは25年程前でした。英国の懐古的世界が好きな私にはその格調の高さを楽しめましたが、正直、物語としては起伏に乏しく、読み終わるのが若干辛かった記憶があります。しかし、今回改めて読み直して、読み方が断然変わりました。仕事最優先で親の死に目にも会えず、社内恋愛などとんでもないと、ひたすら己の職責を果たすことのみに邁進する主人公Stevens。主人に取って替わろうなど考えたこともなく、お仕えする主人の判断に全幅の信頼を置きそれを疑うことなど微塵もなく、主人が成し遂げる成果を忠実に自己の職責を果たしきることによって己の誇りとして共有する。これって昭和時代の日本の会社員の姿じゃないの、日本の会社にはたくさんMr.Stevensがいるんじゃないの、と思います。しかしながら自分が疑いもしなかった勤める会社の大義やカリスマ経営者の経営方針に大きな欠陥があり、実は粉飾決算をしていたり、大きな事故を起こして社会に迷惑をかけたりして社会から指弾を受けたとしたら。挙句に会社は外資に乗っ取られたとしたら。人生も終焉に近づきこれまでの生きざまを振り返って一体自分の人生の意義をどのように総括しようか、残りの少ない人生をどのように気持ちを整理して踏み出そうか。Stevensもそんな気持ちなのではないでしょうか。これまでの自分の人生観が崩れるというよりか、自分の信じてきたものと、外の社会の評価が違い過ぎて戸惑いどうしてよいのか分からないといった気持ち。私も自分の会社員人生も最後に近づき、また、25年前は世界を制覇する勢いであった日本の経済力も今や黄昏つつある今、胸につまされる気持ちで読みました。深くしみじみとした読後感です。 | ||||
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日本語訳が上手く、非常に読みやすい上に描写も丁寧。主人公の仕事への愚直な打ち込みかたには感心するが、人としての冷たさを感じざるを得ない。エンディングが思ったより淡白だったのも若干拍子抜け。が、全体を通した英国っぽさがなかなかいい。 ちょうど読んでいた時にノーベル賞受賞の知らせ。他の作品が軒並み在庫切れになって困惑。 原書でも是非読んでみたい。 | ||||
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ストイックな主人公に不満を抱く人がいるかもしれない。 でも、私は彼らが結婚しなかったからこそ、彼らの互いを 思う気持ちは、永遠の恋へと昇華したのではないかと思われる。 それは私が輪廻転生を信じているからかもしれないが、 来世は夫婦になることを確信した。何度も何度も生まれ変わり、 時にはパートナー、時には夫婦となって、互いを尊敬し続けるのだろう。 こんな恋をしてみたいと思った。 そう思ったのは、私がそれを許されない立場にいるからだが。。 | ||||
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動けよスティーブンスぅうううう!!! と、読みながら腹の立つことしきり。 敬愛する主が他人に影響されてユダヤ人の使用人を全解雇しようが、ナチ系の政治家と接近しようが、その判断を内心でどう思おうが、主人公の執事スティーブンスは何もしない。分を弁えた姿勢こそが、執事の品格と考えているから。周囲の誰にどう言われようが、決して動じない。動じなかった自分に、勝利感すら覚える始末。 今際の際の父よりも仕事を、女中頭の涙よりも仕事を、今は亡き主を選んで選んで従って、人生の夕暮れ。旅と女中頭との再会を経て、やっと自らの品格に疑問を抱く。自問したところで、もう時は戻せないのだけれど。 夕方こそがいい時間、自分を責めても仕方がない、何かに人生を捧げられた満足感、ジョークを学ぶという新たな目標……最後に数々のささやかな救いがあっても、これで本当に良かったのかなぁと思ってしまう。スティーブンスの生き方としても、物語としても。 品格という強い信念の下とはいえ、主人公が何もせず、大きな変化を起こそうとしない。過ぎゆく状況をただ見つめるだけ。いかに美しい文章で綴られていても、構成と心情の機微が見事でも、これを物語と呼んでいいものか。ただの視点、描写、観察記録に過ぎないのではないか。 自発的な人生の激変なき文章を、私は物語と認めたくない。 最後まで飽きずに読めた、けれども大きな不満が残った。 | ||||
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著者がノーベル賞を受賞したので読み始めたという不純な動機だが、読み終えて感動している。私ももうすぐ五十半ばになる。主人公の老執事のように、人生の最後に人生に祝福を挙げられる生を全うしたいものだ。 | ||||
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イギリス,ダーリントンホールという館に長年仕えてきた執事のスティーブンス。 たまたま得られた休暇中に,国内旅行をしながら,「執事」として生きてきたこれまでを回想し,「執事」とはなにか,英国のトラディッショナルな文化とは何か,その主要な要素である「品格」とはなにかについて,1人称で思いを語り描く物語。 現在の主人であるファラディ(アメリカ人)と旧主人であるダーリントン(イギリス人)との対比をはじめ,第2次大戦におけるイギリスとナチスドイツ,また大戦後の主要な会合で議論された内容(イギリスの立場とフランスの立場),そこに登場する人物(ヨーロッパ人とアメリカ人),旅先で出会うさまざまな人々とのかかわりなどなどを通じて,執事という伝統的な職業を媒介して「英国の品格」を描き出そうとしているように感じられました。 執事による語りという特性上,非常に淡々と,落ち着いたテンポで物語が進みます。 読み始めは,少し退屈さを感じると思われますが,ひとつひとつの回想や語りが非常にじっくりと深みがあるので,読んでいくうちに本作の味わいをしっかり感じとることができると思います。 中盤からは,旅先でのトラブルや過去の失敗等の回想などがでてきて,一気に話に入りこめました。 まとめて読書する時間がとれるときに,ゆっくりと読みたい一冊です。 良作でした。 | ||||
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ノーベル賞を取得後ミーハー読み。本屋でどっさり平積みされており思わず手にしました。 読み始めると何とダウントンアビーの小説版。執事が旅をする話しかと思ったらちゃんとカントリーハウス内での生活も事細かに書かれているではありませんか。更に紀行文的要素もあり、英国の美しい風景が描かれ、執事の控えめな、気高い口調な語り口と言い、じわーっと来る読後感です。 他の本も読んでみよう。 | ||||
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ノーベル賞受賞後に読んだミーハーな自分が恥ずかしいくらい、ずいぶん前から皆さんすごく高評価のレビューを残しておられます。実に慧眼と先達に脱帽します。 海外にいる日本人(あるいは元日本人)の方が、平均的日本人よりよほど日本的ということが不思議とあります。 この小説は題材的に英国人(の中でもごく限られた人)でないと絶対書けないですが、すぐれた翻訳のせいでしょうか、底流にはまぎれもなく和の精神が存在するように感じられます。 直前まで暗殺者が主人公のアクション小説を読みあさっていたので、果たしてこんな地味な本が退屈せずに読めるだろうかと危惧していたのですが杞憂でした。しみじみとよかったです。たぶん受賞のニュースに接しなければ一生読んでなかったでしょう。ノーベルアカデミーさん、ありがとう。 | ||||
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一人称の語り手は品格のある執事。 執事という言葉から連想するのはアガサ・クリスティの小説に登場する執事とドコモの動いて邪魔なひつじのしつじくん。 料理の給仕や食器の管理も執事の仕事であるというのはちょっと意外でした。 全編通してモノクロームの映像を観ているよう。そのため、最後の夕景がいっそう鮮やかに映ります。 格調高い文体で書かれた心に沁みる名作です。 | ||||
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読み始めたら止まらいないというのは、この本の事だろう。 日本にはいない 執事の矜持がよくわかる。 かつてのご主人さまに仕えていた頃の回顧を通して、主人公に寄り添うような感じで読んでいく作品。 じっくり主人公に肩入れした読者には、言葉にならないラストシーンが待ち受けています。 訳者のあとがきがすべてを物語っているので、絶対に先に読まない事です。 そして、作品を読んでしまった後は、必読です。 作品に対する理解が、より一層深まることは間違いありません。 | ||||
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とにかく、超絶つまらなかった。どこが良いのかと思った。 非常に読み進みにくい。 | ||||
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私はスティーブンスとは仲良くなれないタイプだなぁ。 彼の大切にしている品格と言うものをイシグロはどのように捉えているのだろう? 抑制の効いた文体はイシグロの特徴なのか?作品が変われば変化するのか? もう一冊読んでみたい。 | ||||
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カズオ・イシグロのノーベル文学賞受賞を知り、初めてkindleで購入。一日で一気に読了。 この小説がどのような点で評価されたのかについて考えた。 英国において失われた「執事」の文化を日系の作家が捉えた描写の精妙さがエキゾチシズムと感じられたのだろうか。 欧米人にも日本の「武士道」は知られているが、主人公スティーブンスが追求している執事の「品格」が、どこか「武士道」と重なる。スティーブンスがダーリントン卿に対してもつ、信仰にも似た滅私的な態度は、「武士道」の主君への忠を彷彿させるだろう。 「武士道」が、武士階級がなくなった明治時代になって、理想化されたものとして生み出されたように、スティーブンスのいう「品格」は反時代的であり、現在社会から遊離しているのではないだろうか。 主人公であるスティーブンスが語り手となって、物語は進行するせいか、その中に感情移入してしまうと、作者が含ませたトゲが鈍り、アイロニーが淡くならざるを得ない。作者の意図を汲んだ土屋政雄氏の訳文は、そうした屈曲を十分ていねいになぞっているのであるが……。 最後の場面-ウェイマスの桟橋で「夕方が一日でいちばんいい時間なんだ」という行きずりの男の忠告をスティーブンスは理解しかける。けれども、残りの時間を楽しもうとして、思い立ったのは、ジョーク(冗談)の技術の研究であった(アイロニー!)。 スティーブンスが執事人生で最大の勝利感を感じた夜、彼はダーリントン卿がもった重要な会合のために部屋の外で控えていた。ちょうどその時、惹かれ合っていたミス・ケントンは他の男からの求婚を拒むようにスティーブンスから求められるのを心待ちにし、哀しみにくれていたのである。 スティーブンスが関係した会合とは、ナチスに利するだけのものであったことが後に分かり、しかも彼はその場に一時間立っていただけだった(アイロニー!)。たしかに身にまとった「執事職」を「脱ぎ捨てるような真似」は、絶対にしないことを守った。それは勝利であった。けれども、ミス・ケイトンは去り、二人の人生に大きな悔悟を残したのである。 もし、第三者の視点から、回想ではなく、進行形で語られていたら、皮肉やユーモアが際立つことになったかも知れない。しかしそのようなシニシズムに堕することを作者は好まなかった。 上では二点だけを例としたが、スティーブンスの言動と時代との不調和は、枚挙に遑がないほどだ。それらに暖かい愛情を注ぎつつ、肯定も否定もしないところが優れた作品である所以であろう。 このような熟達の小説を35歳で執筆したカズオ・イシグロの感性に英国人はエキゾチシズムを感じたのだろうか。 | ||||
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