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日の名残り
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日の名残りの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.46pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全27件 1~20 1/2ページ
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「ダウントン・アビー 」を観て、イギリスの貴族と家事使用人の関係に興味を持ち、執事のひとり語りによるカズオ・イシグロの『日の名残り The Remains of the Day』を読んでみた。 Wikipediaによると家事使用人の本質はリスペクタビリティとスノビズムらしい。つまり、社会的地位と俗物根性。 本作を読み進めるなかで、原題の「the day」がいつなのか気になって仕方がなかったが、複数形なら執事としてダーリントン卿に仕えた日々となりスッキリするのだが。 | ||||
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まだ充分な時間ぎ取れないので、完読していませんが、読み切りたいと思います。 | ||||
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第二次世界大戦が終わって数年が経った「現在」のストーリー。本が読みたい時間にゆっくり読める内容と持ち運びしやすい大きさです。とても感銘を受ける一冊です。 | ||||
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忠君であり続けたカタブツすぎる老いた主人公執事。頑なにすぎる人間が老いて気づくこと。本当は気づいていたのに気づかないようにしてきたこと。信念の生んだことと、喪わせたこと。 一人称の文体から、話し手は気づかず読者には透けて見える、度し難い、微笑ましいような、哀しいような、喪失。 全く立場も時代も違うが、信念を通そうとかっこつけてきて致命的な喪失になったことは数ある。それは誰しも人生の夕方に気づくものなのかもしれない。そしてそれは悪いことではないのかもしれない。 | ||||
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翻訳のせいなのか、 ノーベル賞を受賞するほどの作品には 思えない。 | ||||
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執事という日本人にとっては馴染みの薄い世界の小説だ。執事のプロ意識や心情を読み解くと、こんな世界があるんだと言う、不思議な共感世界に入り込める | ||||
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普通 | ||||
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読むタイミングが早かったかなという印象です。 執事として働いてきた、老人が過去の仕事を振り返るお話。 私は本に啓蒙や共感を求めているのですが、共感を得るのはもうちょっと年をとってからかなと思いました。 | ||||
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最初の100ページに達しないころ、「こんな話を読んだことがある」と、ぼんやり思った。何だったろうと、本を置いて考えてみると、アガサ・クリスティの『春にして君を離れ』に似ているのだと思い出した。あれは、個人的にはとても読後感の悪い話だった。主人公の結論のつけ方にぞっとしたのと、強い嫌悪感は自分にも似たところがあるからだろうと気づき、さらに気分が悪くなったのだった。 この話も、そんなオチだったら嫌だなぁと思いつつ、ここまで読んだのだからと読み続ける。「同じような結末を読みたくない」という気持ちがあるためか、ますます似ているような気がしてくる。いやいやノーベル賞を取ったくらいなのだから、そんなに後味の悪い話でもなかろうと、自分を励ましながら話を辿る。 一言で言ってしまえば、どちらも日常生活に満足している主人公が旅に出る話だ。日常生活を離れた一人きりの旅行は、旅につきものの非日常への対応のため、自分にとって何が大切で何を優先させるかなどを考え直す機会となり、嫌でも内面に目を向けざるを得ない。 一人きりでいると、記憶の奥に沈めたはずの思い出が、どんどん蘇る。楽しかった日々の思い出。しかし、どこかに違和感を秘めた記憶は、日々の忙しさに押し込めていたはずの闇を、遠慮なく暴きにかかる。仕事に対するプライド、一流となるために重ねた努力、何が自分にとって大切なものか、思考をあちこちに彷徨わせた結果、旅の終わりに自らの人生がどういうものだったのか、やっと気づく。 幸いなことに、この小説はクリスティのものとは異なる方向に結論を出した。いや、そうだろうか。日常に戻った時、この主人公は旅に出る前の自分に戻ってしまい、単にまた「いい旅だった」と思い出すだけに留まったりはしないのだろうか。私が、クリスティの小説を「後味の悪い話だ」と片付けてしまったように。 | ||||
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少し退屈するところもありますが、ノーベル賞受賞作家の作品なので、頑張って読みました。 | ||||
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盛り上がるところはないし、何を訴えたいのかもわかりませんでした。 | ||||
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この小説は物語を紡いだものではなく、ある種、イシグロの私的な論説と感じることを抑制できなかった。 (おそらく) 彼は自身の考えを論説という狭く、誤解を受けやすい形ではなく、得意分野である、小説の形で表現した、のでしょう。日本にもこの種の小説は、もちろん、たくさんあるが、議論好きのイギリス、アメリカ人は、とりわけ大好きな感じがする。 もちろん、この作品に物語がまったくない訳ではなく、ひとつは【第一次世界大戦後、そして第二次世界大戦前夜における各国の主要人物たちの活動、ここに主人公である執事達がどのように関わっていたのか】、ふたつ目は【執事と女中頭の不器用なプラトニック・ラヴの行方】。 正直な感想では、一つ目の主題、お屋敷での各国の高官同士の行動と執事の活躍に、この作品の殆どのベージが割かれているが、乱暴(極端)に言わせていただければ、そこはむしろ、サポーティング・エピソードであり、イシグロが主題としているのは、「執事」と「女中頭」の中学生どうしのような恋愛模様がメイン・エピソードのような気がしてならない。 最期の10数ページに、執事(たぶん、イシグロ自身でもあるのでしょう)の人生の晩愁における―――それでもなお、まだ未来志向であることの大切さ―――心の持ちようを提示している。 この形式、この内容のイシグロ自身の論説(的小説)では、ここでは、物語の総括・結語を書く大切な部分ですので、このような作者の御高説を伺うのも、作家イシグロの熱い信者なら嬉しい部分となっているのでしょう。 [追記] この物語の最後に執事が自らを省みて 「自分もこれからはユーモアの勉強もしなくては・・・・」 という要旨の部分があります。 「イシグロさん、ユーモアは勉強して身に付く類いのものではなく、その個人が生来的に有しているか、否かです」 と言いたい (笑顔)。 | ||||
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新品購入できました。作品はなかなか、面白い内容でした。良かったです。 | ||||
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久しぶりで、主人公がカタカナ、その他出演者もカタカナ、どうも、私は頭に名前が残りません。やはり、カタカナは慣れが必要です。 | ||||
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遠い山なみの光、日の名残り、わたしを離あないで、3冊を読破してのレビューです。先ず言えることは、外国の小説の翻訳書を今まで一度も読んだことのない方は、買うのをやめた方がいいです。多分、著者の小説はどれも同じ手法で書かれていると推察できる。このノーベル賞作家の小説はイギリス文学でありながら哲学的要素がひじょうに濃い文であり、構成で書かれている。同じノーベル賞作家、川端康成の小説と比べるなどしないことである。観点が異なるからであり、発想も次元も違う。起承転結は無いようで、隠されている。はっきり言うなら、面白くない、と言うことである・ | ||||
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以前に、「わたしを離さないで」を読んで、静かな文体の中にある何かに惹かれて、時折、読み返していました。ノーベル文学賞受賞を機に、気になっていた「日の名残り」を注文。映画は見ていないのですが、読むごとに映像が浮かび上がってきます。静かな語り口に、心落ち着きます。映画を見たくなりました。 | ||||
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知人のすすめでカズオイシグロさんの本、初めて読みます。楽しみです。 | ||||
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売り切れでkindleでしか買えなかった小説でした。イギリスローカルの小説の雰囲気です。以上。 | ||||
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動けよスティーブンスぅうううう!!! と、読みながら腹の立つことしきり。 敬愛する主が他人に影響されてユダヤ人の使用人を全解雇しようが、ナチ系の政治家と接近しようが、その判断を内心でどう思おうが、主人公の執事スティーブンスは何もしない。分を弁えた姿勢こそが、執事の品格と考えているから。周囲の誰にどう言われようが、決して動じない。動じなかった自分に、勝利感すら覚える始末。 今際の際の父よりも仕事を、女中頭の涙よりも仕事を、今は亡き主を選んで選んで従って、人生の夕暮れ。旅と女中頭との再会を経て、やっと自らの品格に疑問を抱く。自問したところで、もう時は戻せないのだけれど。 夕方こそがいい時間、自分を責めても仕方がない、何かに人生を捧げられた満足感、ジョークを学ぶという新たな目標……最後に数々のささやかな救いがあっても、これで本当に良かったのかなぁと思ってしまう。スティーブンスの生き方としても、物語としても。 品格という強い信念の下とはいえ、主人公が何もせず、大きな変化を起こそうとしない。過ぎゆく状況をただ見つめるだけ。いかに美しい文章で綴られていても、構成と心情の機微が見事でも、これを物語と呼んでいいものか。ただの視点、描写、観察記録に過ぎないのではないか。 自発的な人生の激変なき文章を、私は物語と認めたくない。 最後まで飽きずに読めた、けれども大きな不満が残った。 | ||||
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プロの執事としてあるべき姿をあらゆる犠牲を払って追い求めた。それは、大きな達成感、満足感として、スティーブンスの誇りである。しかし、主人がなくなって環境が変わってしまった。犠牲にした事柄を振り返り、これで良かったのかと自問する。振り返るよりも前を向いて今の環境を生きていくんだと悟る。平易な文で、日本語訳も自然、休日一日一気読みをおすすめします。充実した何時間かを過ごせますよ。 | ||||
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