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日の名残り
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日の名残りの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.46pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全402件 381~400 20/21ページ
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執事からイメージされるのは、推理小説の登場人物くらいで、あまり現実感がないので、イギリスのお屋敷の一流の執事たるものは、どうあるべきかという読み物として読んでしまうと単なるボヤキ?あるいは「執事の品格」になってしまいます。 時代背景が、第一次世界大戦と第二次大戦の挟間で世界が大きく動く歴史をおさらいして読むと、もう少し、理解ができるものと思います。 ダーリントン卿にお仕えした執事の仕事の達成感と寂しさ、ダーリントン卿が失脚して、新しくアメリカから来たファラディ様に仕え、イギリス流とは違ったジョークを勉強しなければならない苦痛感。執事のスティーブンが、ファラディ様の好意で休暇を取り、フォードを借りて、かつて一緒に働いた女中頭ミス・ケントン(ミセス・ベン)からもらった手紙を頼りに、彼女に会いに行く物語。スティーブンの執事としての人生・スティーブンとケントンの恋物語・ダーリントン卿の衰退とイギリスの衰退という時代背景がうまく溶け込んでいます。 執事が物語を淡々と語るので、物語に引きこまれていきます。 ★2つをつけると、この小説に対して理解不足だと叱られそうですが、個人的には、そんなに面白い小説とは感じませんでした。しかし、こうした静かなイギリス的な?ものを読むのもいいのかもしれません。 その時だったと存じます。男がこう言ったのは――「人生、楽しまなくっちゃ。夕方がいちばんいい。私はそう思う。みんなにも尋ねてごらんよ。夕方が一番いい時間だって言うよ」 「たしかにおっしゃるとおりかもしれません」と私は言いました。 私はここに残り、今の瞬間を――桟橋のあかりが点燈するのを――待っておりました。先ほども申し上げましたが、楽しみを求めてこの桟橋に集まってきた人々が、点燈の瞬間に大きな歓声をあげました。その様子を見ておりますと、あの男の言葉の正しさが実感されます。たしかに、多くの人々にとりまして、夕方は一日でいちばん楽しめる時間なのかもしれません。では、後ろを振り向いてばかりいるのをやめ、もっと前向きになって、残された時間を最大限楽しめという男の忠告にも、同様の真実が含まれているのでしょうか。(本文から) | ||||
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イシグロさんの作品は「わたしを離さないで」に続いて二作品目。 ということもあり、小説の作品の展開というより「舞台のどんでん返し」に期待してしまいなんというのか、この作品をうまく楽しむことができませんでした。 その点はちょっと残念。 「わたしを」のような展開の小説ではない、文章や舞台を味わう作品なんだとイメージを入れていたら違った読み方になったかもと思っています。 どんでん返しがいつ、どのように起こるのか、どう暗転するのか、それを探しつつ、いやこの作品はそういった小説ではないんだと気がついた時は物語が終盤にきていました。 もう一度読返して味わうといいのかなと思っています。 ただ、そんなに起伏にとんだ作品ではないように感じました。 ドラマティックにしない、あくまで「冷静」で「品格」を保ち続けるイギリス紳士の物語。 | ||||
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読み始めたら途中でやめられなくなり、一気に読んでしまいました。しかも最後のほうでは、涙が出てしまいました。本を読んでいて泣くなんて、あまり経験がない。映画を先に観ていたのですが、原作のほうがよりくっきりと主人公の人生への後悔が語られている。日の名残というタイトルが意味するところも。自ら選択をしなかった人生がどういうものか?遠い世界の話とは思えない、すごく身近なテーマであるとも思える。映画版は女中頭との恋愛感情により焦点があてられているように思う。でも主人公の人生を象徴したようなラストシーンなど映画は映画で、ストレートに語られていないところに深みが感じられてイイです。アンソニー・ホプキンス、エマ・トンプソンの名演、ジェームズ・アイボリー監督の名演出もありますしね! | ||||
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「浮世の画家」を読んで、またあの世界に入ってみたくなり、この作品を読んでみることにしました。 重いテーマが貫かれているものの、どこか軽やかさやユーモラスな感じがあり、悲劇を描きながらも悲しいだけの話で終わらず、悲喜劇という言葉がぴったりきます。 主人公の細やかで丁寧なモノローグは上品でもったいぶったものだけど、合間の人物たちと共に見せる数々の短いドラマは、何気ない日常の中にこそ人生の喜びや悲しみ、輝きや影があることを示し、彼が物語るほど(彼が理想としたほど)彼の人生が淡々としたものではなかったことが分かっていきます。 ほろほろ苦く、ほろほろ甘い。最後の数ページは本当にしみじみ泣けます。 | ||||
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ふだん、テンポ感のある大衆的な小説を読み慣れていると、 最初は単調な展開に戸惑いを感じた。英国貴族に仕える執事 の物語なんて、現実味に乏しく想像力が及ばなかった。 どうして評価が軒並み高いのだろうか、と、不思 議でもあったのだけれど、ページを追うごとに胸にじんわり 主人公の切なさが染み込んでくる。 人生の夕暮れ時に近づいて、誰でも悔いることや、また、か なわなかった夢に、苦い感情を抱くことはあるのだろう。 ちょっとした歯車の狂い、ボタンの掛け違え、、、 及びもしない過去を振り返り、あったかもしれない別の人生 を想像してみる。 後半部分、特に、主人公が思いがけないアクシデントがきっ かけになり出会う人々、そのあたりからの心理描写は秀逸! 最後まで引き込まれるように読んで、深い感銘を受けた。 タイトルの意味は、過ぎ去った一日を振り返ってそのとき目 に入るもろもろのこと、と、訳者のあとがきにある。最後に 夕暮れを比喩にしたメッセージ的な台詞が出てくるが、タイ トルと微妙に異なる。 是非、あとがきもしっかり読んで欲しい。 あとがきにもあるように、まさに上質の感動を得られる作品 だった。 | ||||
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アンソニー・ホプキンズの出ている映画が気に入って原作を読んでみましたが、主題は小説の方が伝わってきました。 「夕方が一日で一番良い時間だ」一日を一人の人生に置き換え、「後ろを振り向いてばかりいるのをやめ、もっと前向きになって残された時間を最大限楽しめ」というくだりは現在そしてこれから進行する高齢化社会へのメッセージだとも思えました。 日本で生まれた著者がここまでイギリス的な作品を書いていることに感銘を受けました。 イギリス小説の好きな方にぜひ。 | ||||
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大英帝国の没落、ダーリントン・ホールがイギリス人からアメリカ人の手に、スティーブンスの執事としての絶頂期の終焉、すべてが一日のうちの夕方を示しています。 作者は言います。「いつも後ろを振り向いていちゃいかんのだ。気が滅入るんだよ。」「後ろを振り向いてばかりいるのをやめ、もっと前向きになって、残された時間を最大限楽しめ」と。 過去の栄光を振り返り現在を嘆くのではなく、前を向いて生きろと言っています。それは、スティーブンスとミス・ケイトンとの関係にも言えるかも知れません。執事と女中頭として、恋することを心の奥に押し込め仕事に専念した時代。それは、二人にとって最高の日々だったでしょう。でも、時は移ってしまいました。時は逆戻りすることはありません。二人は、現在を受け入れるしかなかったのです。 スティーブンスにとっても、執事として精進することを選んだ以上、失われた別の人生を羨んでいても仕方が無いということでしょう。 映画では、アントニー・ホプキンスが、憂いの溢れる演技で見せてくれました。 | ||||
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日本で生まれた人が書いたとか,そういうことは考えなしに名作です。 ほほえましく読もうとしたら,執事スティーブンス(朴念仁)の一喜一憂の日々。 このまじめ一辺倒の男がとても愛しく読めます。 ミステリーとして読もうとするのならば,スティーブンスの人生を捧げた卿の実体を追うとその巧妙さに鳥肌が立つでしょう。 旅行小説ロードノベルとして読むと,目の奥にイギリスの田園風景が広がります。 人生を捧げた主人と現在のアメリカから来た主人,休暇の旅行,イギリスの戦争時代が渾然一体となり話は進められます。その,展開の緻密さに読者はすぐにこの小説世界に引き込まれていきます。 そして,その終わりに, 心の中に閉じ込めてある箱。その中身を認めてしまったら自己の崩壊につながるような,決して直視したくないもの。スティーブンスは開けてしまいました。そして,やっぱりパンドラの箱には希望が残っていたのでした。 | ||||
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まさしく傑作。「古きよき日本」という言葉は嫌いだし、そんなことないだろうか、と思う。この小説は「古きよきイギリス」が描かれていて、それが本当に美しい。 執事的に完璧であろうとした男が、イギリスの美しい風景の中をドライブしながら自分の半生を回想する形で淡々と話はすすんでいく。文章は美しいとしか言いようがないし、回想で綴られるドラマチックかつ哀愁漂う数々のエピソードは本当に驚嘆させられる。 過去の哀愁と現在の風景の美しさが同調するように盛り上がっていく構成は完璧である。また、執事が語っていることがどれだけ本当のことなのかもさっぱりわからないし、間違いなく欺瞞もある。人間的感情を押し殺し、それを美しく見せるこの手腕はどうだろう。 リーダビリティも驚くほど高く、是非多くの人に読んでもらいたいまぎれもない傑作。ブッカー賞(イギリスでその年で最高の作品に与えられる)にはずれなし。 | ||||
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日系英国人作家、カズオ・イシグロの長編第三作である。 イシグロは本作でブッカー賞を受賞、大家の仲間入りを果たした。 本人も認めているが、『遠い山なみの光』 『浮世の画家』と同じトーンで貫かれており、 本作は初期作品の完成形と言えるだろう。 本作では前作『浮世の画家』にも増して語り手の 「回想」の隠蔽・改竄が周到に行われており、 事実関係がどうだったのかますますわからなくなっている。 そこから浮かび上がるものは、 生身であることを放棄した執事の姿と 内面に巣食う巨大化した欺瞞の精神であり そのグロテスクなまでの二面性に、私たちは 人間の素晴らしさと恐ろしさを同時に見ることになろう。 ラスト、欺瞞に満ちた生涯ながら、 それでも人生を肯定しようとする想いに 心動かされない読者はいないだろう。 | ||||
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伝統的なイギリスの名家(貴族、事業家など)がまだイギリス政治・外交の 中心であった時代(1920〜50頃が中心)とその落日を史実に照らし 合わせながら、ある貴族の執事の視点から描き直した物語です。 執事は主人と執務に余りに忠実で滑稽なほどです。いつの時にも執事は 自分の存在意義や幸福の定義に照らし、考えを肯定しながら前進していくの ですが、それらに多くの間違いが含まれていたことをクライマックスの 夕暮れ時に悟る執事が哀れでなりません。 社会的な仕組みに重要なパラダイムが起こる際には必ず旧世代と新世代の せめぎ合いが発生するわけですが、そこで旧世代の考え方にしがみついた 者の顛末はいつも悲劇的であり、新世代から見れば滑稽と捉えられても 仕方の無いこともあると思います。 しかしながら、本書の救いは絶望に打ちのめされた執事が、それでも旧式の スタイルに希望を見出すところで締めくくられており、一縷の望みを託せる ところでしょうか。 人生をも変えてしまう決定的な瞬間を人はどうして見落としてしまうのか。 深く私自身に問いかけてくるとともに、ほろ苦い心象を残した是非一読を お勧めしたい書です。 | ||||
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2つの大戦の頃、政界の名士のお屋敷で、誇りと威厳を持って自分の半生を職務に費やした執事が、主人から暇をもらって、英国の田舎へ旅をする。 静かな田園風景や小さな村を旅しながら、完璧でありたいと努めてきた我が半生を回顧し、抑制された静かな口調で訥々と語る。 敬愛してやまない、世界を動かす主人に仕え、優秀な執事として風格さえも身に付けた自分への誇り、お屋敷内で繰り広げられる英国上流階級の紳士淑女が織り成すドラマ、女中頭との微妙な人間関係、かつては秀逸な執事だった父の衰え、新しい主人が求める新しいサービス。 これといって、ドラマティックな展開や激情、目を見張るような絶景が登場してくるわけでもないが、物静かな口調の語りに引き込まれ、あっというまに読破した。 旅の最終目的地の海辺で、長い回顧の末に彼が悟ったものは何だったのか。彼が流した涙の意味とは。 読後、静かな感動が胸を満たし、また微かな痛みとほろ苦ささえもが心地良く、満足して本を閉じた。 | ||||
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下のレビュアーの方が素晴らしいコメントをしていらっしゃるので、余り付け加えることはありませんが、この小説をくっきりと輪郭の明確な、きりっとしまった印象を与える堅固な作品にしているのは、その小説の構成の上手さもひとつの要因だと思いました。昔自分の勤めていたお屋敷を訪ねる主人公。そして心は魂は過去へと遡る。そして滞在の日が一日一日と過ぎて行く。英語は優雅で柔和な感じですが、滲みるような優しい声で語られ、解り易くシンプルです。翻訳も自分でやってみるとわかりますが、訳者の努力と工夫が忍ばれます。 でも何と言っても、あの大英帝国貴族の邸宅で勤め上げた老練なバトラーの回想を日本人の作家が書いた。それもこのような素晴らしく優雅な英語で!それだけで、同じ日本人として、そして海外に長く生活するものとして、誇りに思ってしまうのは私だけではないと思います。 | ||||
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4年ぶりに、また、読んでみました。舞台はイギリス、主人公は執事なんですが、なぜか、日本の田舎で育った庶民の私と精神的にシンクロする部分が多いんです。主人公の固さや不器用さ、筋の入り方や優しさが心で素直に感じられる。そして、その舞台が、優しい色で目の前に奥行きをもってイメージされる。これは、イシグロマジックと言わせて頂きましょう。ただ、この作品をめいっぱい味わうには、読む側の心のゆとりがキーとなるかもしれません。 | ||||
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長らく先送りにしていたことが悔やまれるほど、本当に素晴らしい作品でした。自分のしている仕事への誇り、または仕えている主人への恭順、畏敬の念、などと単純に言ってしまえるものでもないとは思うのですが、そうした内側から人を支えるものの不確かさや、それが不確かであるがゆえのおかしみや悲しさ、といったものが、読み進むにつれて心の芯に近い場所をひたひた満たしていくような感じがしました。物語はゆっくりわずかずつ流れ、その傾斜は読後感として後からくるので、安心して(というのも変ですが)一行一行、一語一語を噛みしめて読むことができました。また、わたしにはそうする価値の十分にある一語一語に思えました。訳文もとってもいいムードで、しばらく間を置いてからぜひまた読みたい一冊です。 | ||||
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イギリスに興味を持つ日本人として是非読んでおきたい本だと前々から思っていたのですが、やっと手に取る機会に恵まれました。 読む前はもっとむなしさを感じる話だと思っていたんですが、とても温かい物語でした。 スティーブンスが昔を回想する淡々とした口調。 じっくりと物事を分析するスティーブンスの言葉に引き込まれ、一気に読みました。 電車の中で読み終わったときは涙を止めるのに苦労しました。 最近読んだ本の中では一番おすすめです。 | ||||
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単に執事さん好きだという邪でくだらない思いで読んだこの本。活字と難しいことが苦手なのでちゃんと最後まで読めるかどうか不安でした。 同僚の女中頭ミス・ケントンに会うために自動車旅行をする執事さんことスティーブンスが昔の回想をするというストーリーですが難しい話が嫌いな自分にこれを説明するのは困難です。 理想の主人ダーリントン卿、立派な執事だった父、そしてときには対立し、それでもよき同僚だったミス・ケントンへの想い。自分が考える「執事」というものなんだか色々話がありますねえダーリントン卿の話がらみは第2次世界大戦前のイギリスの話です。ドイツがたくさんの賠償金を払わされ、ヒトラーが出て、イギリス譲歩してここらへんの世界史を知らないと「何言ってんだこれ?」になるかも。それに加えて自分の執事像を語る場面がありますね。こんな職業日本にないから「マジですか?」と思うところがあります。なんか武士っぽい感じ(違うな、きっと)。 その話と双璧になるミス・ケントンの回想。執事としていっさいの私情を挟まないスティーブンスと、感情出まくりのミス・ケントンはとにかく対立しますねえ見ていて腹が立ちますが(個人的な好き嫌いです)それでも読者に対してスティーブンスはミス・ケントンに対する自分の思いを言わないのだから、プロですね。 最後の最後にミス・ケントンと再会し、ようやくここでスティーブンスの彼女への想いがわかります。そして、ダーリントン卿が悲劇的な最期を遂げたことで、自分は一体何だったんだろうと話すこの2つの場面は、初めて読者に自分の率直な感情を伝えているようで、ようやく人間らしい彼が浮き彫りにされているみたいです。最後までがんばって読んで報われました。個人的にこの2つのシーンとと、父が危篤になっても執事として自分の信念を貫いたシーンが大好きです。萌えます。 でも、ジョークが言えるよう真面目に考えて練習しようと意気込む執事らしいスティーブンスはもっと好きです。電車男並に応援したくなる。 | ||||
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郷愁をまねく昔日の日々。もうイギリス本国でも絶えて久しい、本当の執事の姿が描かれています。慎ましさ、慇懃さ、そして誇り。人間としての美徳を体現するスティーブンスの姿は現代に生きるわたしの目から見ると、忍耐と抑圧ばかりの毎日みたいなのですが、しかしそこには確かに「品格」がありました。スティーブンスとケントンの歯がゆい関係も目を離せませんし、全編に漂うウイットにとんだユーモラスな雰囲気もいい感じです。 | ||||
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人生の夕方に居る「私」スティーブンス。 思い起こす日々は鮮やか。 そして切ない。 スティーブンスの語りであるというのに、ミス・ケントンの立場で読んでしまった。 スティーブンスの、彼であるが故の過ちや、潔さ。 もどかしさ、愚かさ。 とても尊敬する人に勧められて読んだ。 英語では無理だったので、日本語で読んだ。 非常に美しい流れるような現在と過去の日常。 とても切なく、いとおしい思い。 可笑しいかもしれませんが、私はこれは恋愛小説だと思います。 | ||||
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~A-イギリス・オックスフォードシャーにダーリントン・ホールという、大きなカントリーハウスがある。と言ってもこれは小説の中の話しなんだが。 B-何ですか突然、小説の話しとは A-いや、カントリーハウスの建築については、様々な本があるが、そこでの生活については全く知らなかったと気づかされたんだ。 ~~ B-カントリーハウスですか、映画では時々出てきますよね、礼儀作法が滅法厳しい慇懃な執事とか。 ~~ A-ぼくが面白いと思ったのは、その役割なんだ。貴族の生活の場、自然をエンジョイする別荘という単純なものではない。一人の執事を中心として沢山の使用人たちによって維持される、一つの都市のようなものなんだ。国際的な政治交渉の場であり、秘密会談の場、事業の場、情報交換の場、そしてホテルであり、そこを訪れる人々、あるいは使用人として生活する~~人たちが様々な恋や人生を育む舞台のような場なんだ。建築写真や映画からは見えてこない、生きた世界がこの本には描かれている。 B-カントリーハウスの生活とはどのようなものなのですか。 ~~ A-大阪市立大学の福田晴虔氏の「パッラーディオ」(鹿島出版会)の中で、かれの建築を読み解く重要な鍵として「貴族の責務ーノブレス・オブリジェ」が挙げられている。この小説では1920年代のカントリーハウスが舞台だが、そこでの生活も、16世紀イタリアの同様、この責務が基盤となっている。責務を全うするダーリントン卿、執事職という役割から懸~~命に「主」の選択を信じ支えるミスター・スチーブンス。その役割は建築物同様あるいはそれと一体化し、ある種の品格を醸し出すものなのだ。小説は一時代の役割を終えたダーリントン・ホールの執事が美しいコンウェール地方をドライブしながら、かっての「主」との生活を回顧する形になっているが、テーマは偉大なイギリスの風景、イギリス貴族、そして豪壮な~~邸宅を語り、それを支える人々の役割と生き様を描くことにあるようだ。「うねりながらどこまでもつづくイギリスの田園風景、大聖堂でも華やかな景観でもない、偉大な大地、表面的なドラマやアクションとは異なる美しさを持つ慎ましさと偉大さ、この偉大さこそ大きな屋敷に使える執事の目標となるものである」と主人公の執事、ミスター・スチーブンスは語る。 ~~ B-「貴族の責務」ですか、それが建築にとって、どんな意味を持つのですか ~~ A-住宅にしろ公共建築にしろ、建築である限り「主」がいるのが当然だ。しかし、その「主」は現代における施主とは些かニュアンスが異なり、どの時代でも、社会的、時代的責務に支えられた存在であったことが大事なんだ。その責務とは中世においては、日本も同様、宗教的精神の反映であったし、宗教改革以降のヨーロッパにおいては「貴族の責務」が基盤だっ~~たのだ。ダーリントン・ホールは執事共々アメリカの事業家を「主]として迎える、そして、ミスター・スチーブンスは新たな「責務」を持つアメリカ人を信じ、執事職を建築物と共に継続しようと決意するんだ。~ | ||||
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