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日の名残り
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日の名残りの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.46pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全402件 361~380 19/21ページ
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もっと勉強していれば良かったです 主人公に影響されて 形だけでも真似したいです こんな雰囲気の映画をもっと探します 後で買って ゆっくり英語の勉強します | ||||
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さすがに代表作だけあって本当に素晴らしい作品でした。 ・読んでる恋愛小説をミス・ケントンにからかわれるところ ・自分の父親にダメ出しするところ ・ユダヤ人召使いをクビにするところ ・落ち込んでるミス・ケントンをさらに落ち込ませてしまうところ(しかも悪気なく) ・最後のプチ告白のシーン いくつもの情景があざやかなイメージとともに思い出されます。 まるで本当にそれを体験したかのように。 つまり、読者の体験と共鳴させるほどの筆力があるということなのでしょう。 ワタクシ思いますに、本当に優れたものというのはいつも何かを思い出させるような気がします。 ほんとの駄作は何もインスパイアーしない。 執事の仕事に意味があるかどうかは主人の行動にかかってる とかいうテーマもあるみたいですが、 僕にとっては執事とミス・ケントンとのすれ違い、もっというと主人公の鈍感さ、気づかいの出来なさがひたすら悲しい作品でした。 というのも当然僕に人の心が分からないからですが。 いわば召使いロボットの悲しみというか。 いつになったら人間になれるのかなってなブルーですね。 まあそれはともあれ、不可避の要因が重なって重大な危機に陥ってしまう悲劇性、そこはかとない喜劇(若い貴族に結婚初夜のことを教えるハメになるところ)、美しい邸宅の情景が渾然一体となって一大交響曲が奏でられていると思います。 たぶんこのレベルだと好き嫌いを超越してるんだと思う。 っていうか、繰り返しになるけど、この作品のキモは、 愛する人とのすれちがい、 相手の気持ちはもちろん自分の気持ちにさえ鈍感な人間の悲しみ だと思う。 早く人の気持ちが分かるようになりましょう。 すでに分かってるひとは別ですが | ||||
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Good quality of the paper and easily readable. | ||||
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老執事の「旅」が終わりに近づく・・・・・ということは、スティーブンスとミス・ケントンとの再会が近づくということであり、我々読者もその現場に立ち会えるということだ。と、同時に、スティーブンスとのこの旅を導いてくれたこの物語との別れということにもなる。 残り少なくなるページをこれほどいとおしく思う本というものはそうそう沢山あるものではない。私にとってこの本は、そうした数少ない本の一冊になるだろう。 土屋政雄の上品な翻訳が素晴らしく、見事だ。 既に多くの好評価を得ている本書であるので、まずは、読んでいただきたいというのが正直な気持ちである。 | ||||
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「私」と一人称で語られるこの小説における語り手であるスティーブンスは、極めて高い職業意識を持った執事としてダーリントン卿に仕えることに人生を捧げてきた。 新しいアメリカ人主人から短い休暇を得た彼は、イギリスの美しい田園地方を旅し、ダーリントン卿に仕えていたかつての日々に思いを馳せる。ダーリントン卿への敬慕、偉大な執事であった父、そして、共にダーリントン・ホールで仕事をした女中頭、ミス・ケントン…。 品格(dignity)ある執事であろうと、人生を職務に捧げ、忠実に卿に仕えてきたスティーブンス。老年の域に達した彼の回想には、執事としての尊厳とともに、執事として自己を抑制してきた者の哀しみが宿る。彼の見出した希望とは…。 土屋政雄さんの翻訳も本当に素晴らしいです。 | ||||
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NHKテレビ3か月トピック英会話 2010 11―聴く読むわかる!英文学の名作名場面 で紹介がありました。 ブッカー賞を受賞との事。 最初に取り上げた文は Stevens, are you all right? で,重要表現とのこと。 名場面は When I was young, I used to keep all sorts of tropical fish in a tank. Quite a little aquarium it was. I say, Stevens, are you all right? I smiled again. Quite all right, thank you sir. とのこと。 読むきっかけができました。 | ||||
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十数年ぶりにバトラーである主人公スティーブンスの述懐を再読。「日の名残り」の題名のとおり、読後の心をひたひたと埋めていくのは、豪華な夕焼けのあとの、黒ずみ色あせ、しかし芯にはいくらかまだ熱が残る残照と、その陰にある人の姿。日が落ちいつか闇夜になろうとも、人の世は人を静かに朽ちさせてはくれない。全身全霊で職務を全うし生きる、主人公の今の心の軽みとしなやかさが、尊く、そして切なく懐かしい。目の前の事柄を丁寧に行い生きることが、どれほど美しく多様であることか。若い熱意や日の輝きばかりが美しいのではない。すばらしい余韻です。生涯の書物の一冊。 | ||||
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カズオ・イシグロが長編第3作目として、30代半ばでこの小説を書いたことは、驚嘆するほかありません。 いったいどんなものを読み、どんな経験を積み、どんな世界を自己の中に構築していけばこんな小説が書けるのでしょうか。 他のレヴュアーの方も書いておられましたが、これが世界文学のレベルというものなのでしょうか。 面白さ、美しさ、豊かさ、深さにおいて、そこらの三文小説との差には愕然とするものがあります。 作者は、お金では買えない、人間にとって最も大切なもののひとつであるところの「pride」を軸に、この完璧な回想記を書ききっています。 登場人物は皆完全に作者の手中にあり、神のごとき手際で彼らを動かし語らせています。 しかしそれらのすべてが、スティーブンスの口から、スティーブンスという人間のフィルターをとおして語られるため、 不確実性という紗をかけられた物語をどう受け取るか、読者にゆだねられることになります。その構成は見事というほかありません。 この奇跡のような小説が生まれる過程で、作者は、どのように着想を得、構想を練り、いったい何度書きなおすのだろう。 編集者に渡るまで、どんな肉付けがされ、どんな言葉をつけたし、どんな言葉を抑制したのか。 一作ごとに作者がどれほどの心血を注いでいるかは、その寡作ぶりをみれば明らかです。 そうやって生み出された小説は、一部の文学愛好者だけではなく、物語を愛するすべての人たちの心に届きます。 | ||||
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レビューでの評価が高いですが、私もやはり★五つです。 イシグロの作品は、初めて手にとりましたが、表現豊かで、人間の細かな感情も丁寧に書き込んでおり、読んでいて安心感がありました。 この作品は、ある程度年齢を経てきた方には非常に共感するものがあり、穏やかな気持ちで読了できることと思います。 生きるとは何か、日々とは何か、自分というものをどう捉えたらよいのか、など、答えはなく人それぞれでしょうけれども、本書にはある一人の執事の人生を通して、それらが穏やかにそっと書かれています。 しかし…訳者のあとがきが最低です。 素晴らしい感動を小説からもらい、それにひたりながらシメとして私はあとがき又は解説を読むのを楽しみにしているのですが、本書もそのようにして読みましたら、本当に嫌な気持ちになりました。小説のよさが台なしです。 私はこの訳者に詳しくありませんが、品格を疑いました。 こんなに素晴らしい小説を訳し、訳された文章に関しても申し分ないのに、何故そのようなことを書くのですか? 下らない、としか言いようがないことばかりです。特に、イシグロのミスを論うなんて信じられません。作家と訳者の間でのやりとりで、既に記述が変更されたのですから、完成された小説を前にして作家のボロを露呈させることに何の意味がありますか? 内容が素晴らしかっただけに、非常に腹立たしく、残念です。 このレビューを見た方、どうぞ訳者あとがきは読まずにいて下さい。感動したあとを踏みにじられますよ。 | ||||
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本書は、現代英国文学界を代表するカズオ・イシグロの、英語圏で最高の権威を持つ文学賞「ブッカー賞」’89年度受賞作。アンソニー・ホプキンス、エマ・トンプソンらが出演した映画にもなっている。 かつて政界の名士であるダーリントン卿のもとで自他共に名執事として許していた‘私’ことスティーブンスは、1956年の夏、新しい主人であるアメリカ人の富豪ファラディの好意で、ひとり自動車旅行に出かける。‘私’は昔の同僚で女中頭のミス・ケントンとの再会に胸膨らませながら、イギリスのすばらしい田園風景の中を西へ向かう。 旅の途中、‘私’の内によぎるのは、長年仕えたダーリントン卿への敬慕、執事の鑑だった亡父、ふたつの世界大戦の間に邸内でも催された外交会議の数々、そしてそんな中での自分の執事としての仕事ぶりだった。 本書は、慇懃丁寧ともいえる人生の黄昏を迎えた‘私’の述懐というスタイルで、じつに温和に、優しく、静かに語られるのだが、そこには、第二次大戦後、対ナチ協力者として葬り去られ、不名誉をもって亡くなったダーリントン卿や、いまやアメリカ人の富豪の所有するところとなってしまい、使用人も数えるほどしかいなくなった、由緒あるダーリントン・ホールなどに象徴される、今はその光を失った「古き善き大英帝国」の栄光に対する哀惜の心がうかがえる。 最期のシーンで、ミス・ケントンとの再会ののち、‘私’は涙しながら、新しい主人に対してアメリカ流のジョークの練習をしようと思い立つ。 本書は、失われつつある伝統的な英国が、執事である‘私’の述懐で抒情的に描かれた、心にしみる名作である。 | ||||
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執事ときたか。なるほど、これほどイギリス的な存在もあるまい。ミスター・スティーブンスの滅私奉公ぶりと職業的矜持が気高く語られる前半部。なるほどねえ、とふむふむ頷きながら読んだ。父子二代の執事とは!老いた父の最期は、静かな緊張感のある一幕だった。 後半の、見方を変えてカメラを少し引いたような描き方で、スティーブンスの石部金吉ぶりが描かれる。女心が分からなすぎるだろう!というか、自分の気持ちを自分でごまかしているだけじゃん!コミカルな部分と読むことも出来るし、スティーブンスの偏屈石頭ぶりにカチンときながら読むことも出来る。 終盤、ダーリントン卿とナチス・ドイツの関係が明確に語られることによって、スティーブンスの独白がすべて自分への言い訳だったことがはっきりする。私の人生は無駄だったのか?私の人生はすべて過ちだったのか?自分で自分に、いや、そうではなかったはずだ…と彼は独白し続け、疲れ果てたのだ。 ミス・ケントン=ミセス・ベンに心からの祝福を述べて別れ、スティーブンスは静かに海を見る。もう心残りもないではないか。スティーブンス、寂しさと空白の中にあるその心の軽さ、それこそが自由なのだ。イギリスの若者たちが命をかけて守った自由なのだ。結果として一時は間違った力に荷担したとはいえ、一所懸命生きたからこそ、スティーブンス、その自由を楽しむ権利が君にはあるのだ。 | ||||
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私が読んだ3冊目のイシグロ作品である。 同じ作者のものを続けて読みたくなるのは久しぶりのような気がした。 それだけ、書き手としての実力があるのだと思う。 本書の主人公は今までに出会ったことのないようなタイプ、主人公としては地味すぎで、 まじめで、一歩間違えば退屈で面白みのない仕事人間なのだが、読み進めるうちに その人柄のとりことなってしまう。 自分のやるべきことをひたすらにやる。 主人公である執事がしているのはただそれだけのことだ。 しかし、ただそれだけのことがどれほど困難か、社会に出て働いた経験がなくとも 挫折を経験した人なら分かるのではないだろうか。 彼が得る満足感というものは、私には想像がつかない。 ただ彼が貫いた生きる姿勢は尊敬に値すると思う。 本作品は人生に迷ったり、途方に暮れてしまったときにヒントになるかもしれない。 | ||||
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あの映画からは、原作がまさかこんなに笑える部分のある小説だとは想像できませんでした。 イギリス流ユーモア。ちょっと意地が悪くて、でも私はそんな意地の悪さが大好き。 いやー、おもしろい。 しかしながら、30そこそこでこんなに痛みのある作品を書いてしまうのだから、やっぱりこの人は天才なんだなぁと思う。物書きとしても、人間観察家としても。 | ||||
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作者名がカタカナだったので、日系二世か日本人が英語で書いた小説かなと思って、手に取って見た。作者は五歳のとき英国に渡っているから、英国の言葉、文化のなかで育っているのだろう。本作品でブッカー賞(英国最高の文学賞)を受賞している。思考や感性や生活習慣も英国に適応していることが窺われる。日本的な面がないかと読んでみると、語りの調子が日本的な気がしたが、読みやすくするための訳者の熟達した技なのかもしれない。大雑把な推測であるが、英国貴族の生活を執事が語るという手法は平安時代の宮廷生活を女官が物語るのに似ているのではないかとも思った。 この物語は日本のものとは違って英国流のユーモアがある。余裕(遊び)があるから解釈の幅が広い。仕事と理想(空理)に生きる男(執事)が現実において女性(女中頭)の心理を理解出来ない滑稽譚と見ることもできるだろう。私はその滑稽さは好ましく、共感出来た。 | ||||
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非常に静かで体感的な文章だと思う。 陳腐な表現になるが、この作品に限らず どの作品にも「透明な悲しみ」様のものが 最初から最後まで、静かにヒスノイズのごとく流れている。 なんというのか、この人の文章を読んでいると さまざまに流れている冷たい水の特性そのものを味わっている感覚になる。 それを見ていて、見ている側がそのものになっていくようだ。 動いている洗濯機をなんとなく見ていてトランスに入っていくみたいに。 こういう文章を味わう読書ができる作家との出逢いは非常に稀で、 個人的には成人してからは5,6人程度。 しかも、洋の東西を問わずカズオイシグロの文章の玲瓏さは極上である。 原文でも同じ感覚を得られるだろうかと原書も並行して読んでみた。 日本語でかんじたままにかなり近い独特の文章世界を感じる。 彼の文章の持つ質感を極力壊さない形で日本語に移していく 翻訳者の方の力量もすごいなと同時に思う。 こういう事を書いて、この作品のレビューとしてなりたつかどうかは別として、 この作家との初めての出逢いがこの作品だった。 そして、この作品からカズオイシグロを読み始めたのは 大正解だったと思うので書いた。 | ||||
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老いた執事が主人に休暇を貰い、自動車旅行に出て半生を回想する話。 第二次大戦頃は名士の尊敬する主人に仕え、第二次大戦前後の政治局面を決定づけるような会議がその屋敷で行われる中、ただ「執事であること」「主人の至福のときが、自分の人生のゴール、至福」ってな価値観を貫いた執事の中の執事、スティーブンスの物語。 栄華を極めた屋敷ですが、主人亡きあと、アメリカ人に買われて、使用人もわずか四人という祭りのあとな状況説明がプロローグであり、あとは旅の六日間が描かれているけど、道中浸すら回想ばかりしております。 自分の目標の執事だった父上がだんだんトシで仕事できなくなったこと、そして相愛であったのに、執事であるという生き方のために犠牲にした、ミスケントンとの恋…… この執事の語りは 「謙虚な口調のウラの誇り ・流麗な表現(多分原文じゃさぞ格調高きクイーンズイングリッシュが用いられてるんだろう) ・執事の美学 ・理論武装」 のキーワードにつきる。 文章自体は非常に拡張高い美文。なんだけど、スティーブンスの語りはとても不正直なんですよ。 「人が減って、ミスが増えた」って長々述べるけど、述べるほど「あぁ、亡き父と同じ『老いによって、自分の唯一の矜持最高の執事として働き続けていること』を失いつつあるって自覚してんのね」と伝わって、その理論武装がほんと悲しいけど……いとおしいんだなぁ…… また、能力云々の前に、アメリカ人の現主人に買われた時点で、彼はそもそも「英国型執事」であることを求められてないんだ。今の主人は「旧家の名執事を持ってる」ってのがいいだけ。全くの成金なんだもの。 物語中で彼は「品格というのは結局、他人の前で服を脱ぎ捨てないことに尽きると思います」って言ってるけど、これは己を抑制する執事の美学であると共に自分が周囲の人間にとって、読者にとって「信用できない語り手」であるという著者の仕掛けなんじゃないかなぁと思います。 さて執事であることを失いつつある彼は自分の人生に疑問を呈し始めます。「主人の望みを最大限に叶え、政治的な話は執事の語るところでない」って生き方は本当に正しかった? ……アメリカ型自己実現の価値観的じゃ「個のない無益な人生」ですよね。邸内でぶたれた「私利私欲から智謀に走らないやり方を我々は品格と呼び未だ重んじているのだ」っていう美しいけど愚かなイギリス人の演説シーンはのちのスティーブンスを暗示しているようにも見える。 でもスティーブンスの語りの含蓄は、この「執事としてあるべき自分」と「本来のミスケントンを恋い父を愛す自分」との長年の乖離に培われた自己矛盾の病だと個人的に思います。それが彼の品格になってるとも ラストシーン、スッティーブンスは、自分の老いや、人生の欠落をようやく少しだけ吐露します。 そばにいる初対面なのに、ジョークを連発しうちとけてる(とスティーブンスが類推する)若者を横目に、 (あ〜夜なのに、これから朝が始まるみたいにはしゃいどる(←人生の夜だが、今を始まりにもできる、とスティーブンスは考えるのですね)あれはジョークの力かも、自分もジョークを言えるようになって主人を感服させてやろう(英国価値観→アメリカ価値観、を含むような、本人の価値観の転換をし残りの人生を懸命に生きようじゃないか。という心情吐露なのでしょう))なんて考える彼ですが、これ、希望のシーンじゃない。彼は、もう能力落ちてる老人で老いが確実に仕事を阻害してるんだもの。主人は執事とはなにかも理解してない男で、スティーブンスは結局執事であるという誇りと美学は棄てられないのだもの…… (なお、上記のように人生を朝〜夜に例えるのは、「最も人生で輝かしいのは人生の正午(中年期)とのユングのセリフに端を発す発達心理学も念頭に置いてと思われます。類似のセリフがさりげなく文中に類似のセリフも出てくるし) という悲しい話なのに全体を通しては、著者のユーモアのセンスが抜群で、結構声笑えます。とくに前半部!前半部は本当、声出して笑いますよ。特に、外交相手の息子が近々結婚するので性教育を施してやってほしいと頼まれるスティーブンスが右往左往するのを大真面目に回想してたり(笑) 笑えて読後の悲しい余韻が素晴らしい、間違いなく読み継がれる名作となるでしょう。 | ||||
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英国ブッカー賞受賞作品で、評判が高く、一度読んでみようと思っていたところ、ハーバード大学のMBAの学生に一読を薦めているというので、ついに手にした。 小説の楽しみ方、感じ方は人によってそれぞれで、多くのレビューにあるように、古き英国を伝える美しい文章に感じ入るもよし、登場人物たちの心の動きを楽しむもよしだと思うが、自分は一人語り調の文章があまり得意ではないので星を一つ減らしました。 MBAの学生に大学が考えさせようとしたのは、主人公の「生き方」についてであろう。つまり、主人公の執事の立場を現代のビジネスマンにしたとして、仕事に対してある意味「美学」とも言えるほどの高いレベルの仕事をすることに心血をそそぎ、出会った人々の心の機微にも気づこうとせず、家族を持つこともせず、ただひたすら会社の社長を敬愛し、信じて働き続けてきたが、実は会社は国家の存亡も揺るがすようなことに加担しており、自分は長年その会社の実態に気がつかず、あるいは気づこうとせずに生きてきて、すべての事実に気がついたときには職業人生もそろそろ終盤を迎えようとしたら…。人生は失敗だろうか? 人によっては失敗だと考えて、「仕事一筋にならないようにしよう」とか、あるいは「もっといろんなところに気づけるように能力を高めよう」と考えるかもしれない。 私自身は厳しい事実に胸が苦しくなったが、最後の数ページで夕暮れの人々の楽しげな情景のなかで、主人公が旅を終え、前向きにお屋敷に戻っていこうとする場面に救われた。 そう、どんな人生を送ってきたとしても人生に失敗はないのだと思う。 | ||||
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よく本を読むのが早いといわれるのですが、 イシグロさんの本を読むときはじっくりじっくりです。 気持ちに余裕があるとき、 でも、ハイになってないとき、 夜、ひとりで静かに読みます。 じわじわきます。違う時間が流れるかんじがします。 | ||||
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裏表紙の説明はヘン。「輝きを増して」とかでも、古きよきイギリス、とかでもない。 自分の生き方をしっかり持って、その生き方の中では最高に近い形で生き抜いたのに、なんで全てが(全てが、である)うまくいかなかったのだろう、という思い。 父親の老いとその死に行く姿と、現在の自分との重なり。 父親の「自分はいい父親だったのだろうか」という問いは、 主人公の「自分に何の品格がありましょうか」という嘆きに重なる。 それでも前向きに生きていく。生き方を変えず。 だけど、それは作者の真意だろうか。説得力があまりにも薄い。自分には、作者が主人公を幸せにしたかっただけのように思える。 | ||||
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格調高きイギリス貴族の大邸宅で、ひっそりと昔に思いを馳せる老執事。登場人物も決して多くはないし、彼の行動範囲も広くない。私情を挟むことなく、仕事に徹してきた人生に、時間はゆっくりと確実に過ぎていった。女中頭に思いを寄せるが、それを伝えることはできなかった。彼女は何度かチャンスをくれたのに…。老執事は、彼女のもとへ旅に出る。だが、彼女にも時間はゆっくり流れていた。最後部の「人生で最良の時は、夕方だ。」がこの小説の要と言われるが、私は、「生活する中でだんだん夫を愛する自分に気付いた。」という彼女の告白に胸がじんとした。一度近づいてまた離れていった思いは、二度と交わることはない。だが、「もしも…」がなければ到達しない感情を、この作品は魅せてくれると思う。 | ||||
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