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日の名残り
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日の名残りの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.46pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全402件 41~60 3/21ページ
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きれいでした。 順調に受け取りれました。 | ||||
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ほとんどの人が誰かに仕えている、何者かの下にあって振る舞う姿という言外の意味があるような、英国執事の謙虚さに人としての姿があるようなメッセージを、本書から受け取った。現代は平等主義の下に人の間に上下はない。法律的、道徳的、倫理的にはまさしくその通りだが、心理的にはどうだろう。社会の現実はどうだろう。必ずしも全てが平等ではなく、どこにでも頭の上がらない人はいるし、尊敬して仰ぎ見る人はいる。常に人の上に立っていないと気が済まない人もいる。人の下で虐げられたようになって社会の底辺にいる気持ちに陥る人もいる。 本書は第二次世界大戦の前から戦後にかけて、英国貴族に仕える執事がその当時を振り返る形で話は進む。執事の謙虚さ、誇り、洞察がそのまま文体に現れている。その一人称の視点が読み手にも移るような意図があるのだろうか。主人に仕えることで存在意義を示すが、その主人がいない屋敷の外ではどのように振る舞うべきか。個人として認められたい、他者からの尊敬を受けたいという承認欲求が芽生えるのか。何者かの下で誇りを持って生きて満足していても、そのルールの外に出て、また別の社会規範の下にいけば満足の形も変わる。本書を読んでいないと何のことかさっぱりわからないと思うが、人間の心は一面、そういうところがあるのだろう。 ある社会では特権を持ち高い位置にあったとしても、社会が変われば立場は微妙にずれていき、ひどいときには全く無用のものになっていく。しかし広いこの世の現象としては、切り捨てるようなものでもない。そこには哀愁があり、ノスタルジーがあり、誇りがある。例えば日本では、江戸時代まであった武士階級は確かになくなってしまったが、後世の人々の生き方や誇りとして残っている。イギリスの執事という職業も、抑圧の中で最高まで可能性を高められた精神だったのかもしれない。後世に語り継ぐに値する精神。それは服従という形の中でも最高の位置付けにあった。服従の中で卑屈に陥ることなく、自己を保ち、その姿勢に誇りさえまとっているのである。 現代においてこの精神にどのような意味があるのかと考えてしまうのは、読者の悲しい性である。主人公スティーブンスの示す職業意識には感嘆する。この仕事への誇り、徹底ぶりは、昨今の職業に照らした時にどれだけ存在するだろうか。マニュアル通りに動けば成り立つような仕事、理想も大義もない無駄でしかない仕事、意義も見出だせない多くの仕事があり、現代人を骨抜きにしていく。いや、それはスティーブンスの仕事もまた無意味に満ちているように見える。銀器をどれだけきれいに磨くか。現代の視点では意味がなさそうだが、伝統的な貴族社会では銀器がきれいに磨かれているかでその家の状況、格式がわかるという重要な意味があった。さらに国の政治を動かすような人物の仕事を背景で補佐することで、スティーブンスは無駄に見える様々な仕事に意味を見出だしていた。そうみると現在無意味な仕事に辟易していても現代的な深い意味が隠されているかもしれない。誰かの役に立っているんだと自分で自分を信じ込ませるのも、生活を充実させていくには必要だろう。 丸谷氏は最後の解説で大英帝国の落日を手厳しく批評した。しかしこの小説からは、著者が執事に一人称で語らせた主観には、批判めいたものはなく、繁栄の落日に心地よさを感じている。思いがけない自由のためか、繁栄を身分相応に謳歌できたためか。斜陽の帝国に批判的な目を向けたくなるが、著者の視座はもっと別のところにあると感じてしまう。落日をあるがままに受け入れるような、旧きはいずれ消えゆくのをじっと見つめるような、一人一人の生活者にとっては時代の大きな流れなど思いも及ばないことでなおかつ重大ではないかのような、目の前の生活こそ関心事であるとほのめかすような。 インターネット、SNSが発達した昨今、市民の政治参加が容易になったことに水をさすような向きもある。この現象は市民が高度な知識を持ち得た証拠だと思う。これはこれで新しい時代の展開だ。一方、そういううねりとは外れたところで目の前の生活に向き合っていたい人々もいる。この小説で描かれる市民の姿が思い浮かび、現代の多くのそのような人々の姿と重なるのである。 主人公の執事の目から見た世界、この人物の誠実で勤勉で高尚な精神が見せる世界は、揺るぎない平穏をたたえているように見える。第二次世界大戦の激動、権謀渦巻く国際社会、国内の批判の目。このあまりに不安定な世も、この人物の目を通して見れば、確固たるものとして見えてくるから不思議である。誇りとか誠実さ、自らを高く据える心持ち、つまり高い自尊心というものは、世界の見方すらも変えるのかもしれない。他者の承認も確かに一時的に気分を高めてくれるが、それはあくまで一過性だ。一つのことに固執することもまた趣旨とは違う。旧き良き伝統には揺るがない心がセットとしてあったことを伝えようとしているのかもしれないと考えると、この読後に湧き上がった奥ゆかしい郷愁の裏付けがとれたように思った。 | ||||
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本書の筋書きについては多くの評者の方々が書かれていますので、私が追加するようなことはありません。ただ、他の方々が言及されていない点について少し違った観点から感想を述べさせて頂きたいと思います。それは、著者のカズオ・イシグロが主人公の執事ステーィブンスについて多少「嫌な奴」という意味を込めた性格設定をしていることです。主人のダーリントン卿に対する忠誠心と執事としての仕事に全力を込めているのはいいのですが、例えばミス・ケントンが親切心で部屋に飾る花を持ってきたのにあの様に頑固に断る必要は無いと思いますし、何かと言うと「執事の品格」を持ち出して昔の名執事の話をしたがるのはちょっと嫌味です。また、ダーリントン卿の亡くなった後、新しい主人の許しを得て小旅行に出ますが、その途中で戦後売国奴扱いされたダーリントン卿のもとで働いていたことを否定するようなことを言ったり、立ち寄ったパブで自分が執事であるのを隠して紳士であるように振る舞い、有名な政治家達と顔見知りであったようなことを言います。そして次の日にパブで知り合った医師にそのことを指摘されてしまいます。ただ、これらの「多少嫌な性格」は人間として誰でも持っているものですので、主人公を否定するようなものではありません。しかし、このような「少し嫌な性格」は著者が意図して主人公に付与したものと思います。そのことでこの小説に複雑な深み(陰影)が出ていると私は理解します。これにより「仕事に忠実な執事と若い女中頭との秘めた恋物語」というような平板なストーリーを脱しているのではないかと思います。 また、別の見方では、人間の持つ弱みを描いているとも言えます。ステーィブンスには上記のような性格の弱み(欠点)がありますし、ダーリントン卿に関してはドイツ人の友に対する友情からベルサイユ条約の過酷さ(紳士的でない条約)に対して怒りを覚え、その弱みをナチに握られて付け入れられることになります。ミス・ケントンはユダヤ人の少女達が解雇されることに激怒し屋敷を辞めると言いますが、自分の生活のことを考えて結局辞めないことになります。 頑迷なステーィブンスに対してミス・ケントンは実に素直で優しい女性です。二人の間に恋愛感情があったかどうかについては分らないとしか言いようがないのではないでしょうか。ミス・ケントンがお屋敷を辞めたのはステーィブンスに対する恋心が実る可能性が無いと諦めたのか、仕事に対する集中力をもはや持続出来なくなったためか判りません。ステーィブンスが旅行に出た際には彼女に対するある程度の期待というのがあったのかもわかりません。しかし、最後のバス停での別れは英国人らしくさっぱりしたものです。ミス・ケントン(ミセス・ベン)は愛してもいない夫のもとに帰り、ステーィブンスはあまり気の合わないアメリカ人の主人に仕えるためにお屋敷へ帰ります。二人ともこれから最後の日まで今の生活を続けるしかないという宿命を前向きにとらえているように思えます。ある意味では感動的な別れです。「日の名残り」とはこれから先の彼らの生涯のことでしょう。 カズオ・イシグロの作品には一つとして同じようなものは無いのですが、本書は彼の多くの作品の中でも傑作だと思います。深く味わって読む小説です。お薦めです。 追記:カズオ・イシグロは5歳から英国で暮らし英国籍を持つ小説家です。英語を母国語とし、日本語は基本的に話せません。ノーベル賞をもらったことから、あたかも日本人が賞をもらったような騒ぎがありましたが、彼は日本人のルーツを持ち、それを大切にする英国人です。彼を取り巻く文化はあくまでも英国のものですので、そこを誤解してはいけないと思います。 | ||||
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注文から1日以内に到着!きれいな状態!凄い感動です。 | ||||
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当方には面白くなかった | ||||
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イギリスの田園地方の情景がありありと目の前に浮かび、長い歴史の中で培われた伝統と、それに対する少しの反発が、美しい文体の中で混じり合っている。この小説を読むことで落ち着いた時間を楽しむことができる。良作。 | ||||
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丁寧な語り口 見え隠れする自尊心 大きなことを成し遂げようとチャレンジするひとの脇にいて補佐をすることで自分も成し遂げたかのような錯覚 自己正当化、都合良く美しく改変された記憶 ある女性への思慕、そのものはおそらくは真実 踏み込めなかったことに対する後悔の正当化 いままで長く本を読むことをしてきましたが、 一人称で語る主人公には信頼を置いてきました。 本当のことを語る、本当でなければ本当ではないと認識している、オネストであることが前提です。 この本で信頼できない語り手という定義を初めて知りました。 一方で、はなから悪党だったり錯綜したする主人公の語りは疑うことを前提として読んでいる。 そんな偏見と思い込みをもつ自分を自覚し、そう言った意味でも衝撃を受けています。 スティーブンスはこの旅で自己の矛盾と向き合うことになります。 途中の呆れるほどのしつこい自己正当化も薄らいでいきます。 過去を振り返っていても仕方がない、前を向くのだという見知らぬ老人のアドバイスをこの後の人生で彼はどうしていくのか。 その余韻に浸っていこうと思います。 素晴らしい作品です。 | ||||
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それだけだった。初めて読んだ彼の作品だった。執事の仕事やその人間関係の話で終始します。とりわけ時間の無駄といって差し支えないだろう。 ひどい事を言うが、王でもリーダーでもない人に仕える執事の仕事観に興味は持てなかった。 最後まで読める文章ではあったが最初から最後まで特になにも波はなく平坦に淡々と終わっていく。ずっと退屈な読書だった。 カズオイシグロの初めての作品をこれにするのはおすすめしないとかじゃなくて止めた方がいい。個人的にはもう他の作品も読む気も起きない。さようならカズオイシグロ。 | ||||
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古いですが問題ありませんでした。とても素晴らしい小説でした。 | ||||
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翻訳のせいなのか、 ノーベル賞を受賞するほどの作品には 思えない。 | ||||
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〇 魅力ある小説。その魅力は、古風な文体、主人公の思考(理想のバトラーとは何か)、垣間見えるイギリス領主の生活、イギリスの田舎の風景描写が生み出すものである。 〇 正直だが狭量でもある主人公の語る思想は著者の思想でもあろう。バトラーの仕事にすべてを捧げ、dignityを理想のバトラーが備えるべき資質であると考え、理想像に近づくべく精進する姿は、バトラー道を突き詰める求道者の姿である。そして、彼は理想を持ちつつ分を弁えている。自分のような者でも、人類の善のために貢献できる仕事をしたい。そのために力ある立派な主人を見つけ、その主人に誠心誠意仕えたることが一番だと考える。 〇 その主人が死に臨んで「果たして英国の外交政策に関する自分の判断は正しかったのだろうか」と述懐したとき、主人にはかかる判断の余地があるが、主人が正しいと(盲目的にあるいは白地的に)信じて尽くした自分にはかかる判断をする自由も能力もないことを知って不安を感じる。しかし、彼はまた明日から、自分の主人を信じて尽くすしかないのだ。人はそんなものではないだろうか。それでよいのではないだろうか。きわめて良心的な生涯だったのではないだろうか。 | ||||
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なんとも主人公のスティーブンスの古くさい格式張った、それでいてプライドの高いめんどくさい男っぷりがすごくて一体なんの物語なのかと思った。 ナチスに加担したと断ぜられた前の主人のダーリントン卿から、アメリカ人の今の主人へと館ごと仕える先が変わったスティーブンス。英国の執事としての矜持を胸に毎日の仕事をこなしている。そしてそこに絡むかつて屋敷にいたミス・ケントンからの手紙・・・。屋敷の運営のためにと彼女に会いに行くスティーブンスの数日間と過去が彼の視点でいったりきたりしながら見て行く。 彼の視点なのだ。 彼がどう思っているかだけが綴られているので、一方的な彼の勘違いの可能性も、読者は予想しながら読むのだ。そこが面白い。結局人間の認識なんて、確かなものなんてないんだという前提で進む。 一つは、彼の前の主人がどんなに善人であったかわからないが、結果ナチスに加担したとされたという事実。そして執事としてそれを誇りに思うべきなのに人にダーリントン卿に仕えたことを一瞬隠してしまうスティーブンス。「君の意見はどうなんだい」という問いかけに、仕事をすべてとしてそれ以外の答えを出すことをしなかった自分を認識し出す。 小説はすごく良かった。そして映画も見ることに。 | ||||
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ノーベル賞作家カズオイシグロの代表作。大変著名な作品であるので、内容に関しては触れないが、これから読む方にアドバイスを二つ。その1、テキストは是非、ノーベル賞記念版で読むこと。村上春樹の解説が絶品で、英語圏の現代の古典の新訳および解説を書いてきた、当代いちの日本人作家の解説は一聴に値する。その2、映画を見て感動した方も、是非本作を読むべき。映画と異なる感動があります。これぞ、小説を読む醍醐味かと。 以下、蛇足ながら個人的感慨を。評者は65才で主人公の執事と同年代である。人生の黄昏時に、越し方行く末を考えると、主人公の哀感が大変よく分かる。個人的な事では、大切な人との関係でもう少しましなやり方が有ったのではとおもう。時代との関わりでは、我が国の絶頂期と斜陽期の二つを経験し、斜陽期に傍観者として過ごした事に不甲斐なさを恥じる。そんな評者には、お互いに好意を寄せながら結ばれる事の無かった女性に語る、主人公の優しい言葉が胸に染みる。「いまさら時計を後戻りさせる事はできません(中略)私どもは、みな、いま手にあるものに満足し、感謝せねばなりますまい」残る人生を誇りを持って生きたいと思わせてくれる。 | ||||
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大英帝国の残滓を引きずる1950年代のイギリスが舞台。 主人公は、栄華を誇った前主君の過去を回顧する。 多くの方が書くとおり、本書は歴史に残る名作だと思うものの、私はこの主人公が嫌いだ。 主人公は、重要な局面では、決して主体的に考えないし、行動もしない。 自分というものを持たないまま、主君であるダーリントン卿の判断を妄信し、考えないまま老境に至ってしまった。 自分の意見を持たないだけでなく、人間としても鈍感である。 たとえば、自分に好意を持っていた女中頭に対する応対も、機械のように冷たいものであった。 内心では主君の意思決定が間違っていることや、女中頭の心情や諸事情を薄々把握してはいるものの、結局は何も言わず行動もせず、単に従うだけである。 なんと情けないというか、ロボットみたいなつまらない奴だなと読んでいて思った。 主人公は全てを見て見ぬふりをした挙句、最終的には何も残らず、後悔することになる。 ここから未来を考え創っていこうとするも、もう60歳を超えた主人公に残された時間はどう見ても少ない。 これはまさに悲劇そのものだ。 個人的には、主人公のことは、反面教師とすべきだと思う。 とはいえ私はこの小説に思いきり引き込まれた。 執事としてのプロフェッショナリズムや、貴族階級がもっていた良い意味での騎士道精神、そこに対する主人公の崇拝と疑念や葛藤をはじめとする、言葉では言い表せない素晴らしい内容がふんだんに含まれている。 このあたりは私も上手く言葉では伝えられないが。とにかく良い作品なのだ。豊饒の海を読んだときの感覚に似てるかもしれない。 また、名家の没落という点でも感じるところがあった。 私の祖母は大地主の家に生まれ、20代まではまさに本書のような家で育ったものの、第2次大戦後の農地改革や新円切り替え等で資産をほぼ全て没収され、戦後は没落していった。 当時のアルバムなどはまだ残っている。私も祖母や親族からは、戦前の栄光をよく聞く機会があった。 本書の舞台は日本ではないが、繁栄した名家が没落していく点では、私の家とも重なり、とても引き込まれるものがあった。 長々と書いたが、本書はとても良い本であることは間違いない。読んで本当に良かったと思う。 | ||||
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「偉大な執事」とは・・・。「品格」とは・・・。 主人公はイギリスの風景をバックに車で小旅行しながら、昔を回想する。 息子と父の関係、男と女の思いが、静かな口調で丁寧に描かれている。 素晴らしい作品。映画も是非見たい。 | ||||
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初めてのaudible作品 タイトルに惹かれて… イギリスの田園風景に想いを馳せながらゆったりとした気分で聴きました 聴き終えて何かとても清々しい気分になった作品 日の名残り…美しい… | ||||
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ノーベル賞を受賞されるまで、カズオイシグロ氏の名前すら知りませんでした。そして、難しく、堅苦しいイメージを持っていた本作でしたが、なんと読みやすく情緒たっぷりで驚きました。イギリス・ロンドンに2年ほど暮らした当時のことも思い出しました。イギリスに縁のある人なら、これだけその文化、気質、風景が見事に文中に現れていることに感動できると思います。素晴らしい国です。そして、素晴らしい作品でした。 | ||||
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“自分が信じた真に価値のあるものへ尽くそうと願い、その試みのために人生の多くを犠牲にする覚悟を持ってそれが実践できたならば、結果はどうあれ自らに誇りと満足を覚える” これがスティーブンスの矜持である。よって父の死に目に立ち会えなかったことも、ミス・ケントンと生涯を共にするチャンスを逃したことも、悲しさは覚えても後悔はしていないはずだ。 このことから、巻末の丸谷才一氏の解説は全くもって同意ができない。 しかし同じ一冊の本を読んだのにも関わらず、人によって真逆の捉え方になるところは小説の面白さであり、本というものが秘める可能性である。 | ||||
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英国紳士の執事として仕事に没頭した スティーブンスが、仕事を離れて執事としての役割を脱ぎ過去の輝かしい時間を振り返る 最初は人に誇れるような仕事の数々 やがて、あのときはこうすれば良かったなという別の選択肢を選んだ自分を想像する 私が過去を振り返るときにも同じ順序をたどっていることに気が付く。 夕暮れと世界の幸せそうな人々を見ながら、孤独な自分を後悔する。 それでも、彼には名家で数々の行事をこなしてきた自負が有り。一流の執事として一事を成してきたという拠り所がある。苦手なジョークも、自分の自信のあるフレームワークに押し込んで解決しようと前を向く。 後悔や違う自分をまったく想像したことのない人はいないと思う。 でも、人はまったく別人には変われないし 変わる方法を考えても結局今までのやり方からしか考えられない。 スティーブンスには前を向いて努力出来る自信が有る。それは執事として一事を成し遂げた自信が有るから。 私は一人で前を向かなければいけないときに、拠り所する自信が湧くだろうか? 自分の目の前のことを一流としてこなしたと自信を持って言えるだろうか 結局目の前のことは世界から見たらほとんどのことはちっぽけなこと。 でも、振り返ったときに何も無い人生だったなって 思わないように自分なりに努力しよう そう思った。 また読み返したい | ||||
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ありがとうこざいました。 | ||||
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