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果てしなき流れの果てに
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果てしなき流れの果てにの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.20pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全115件 41~60 3/6ページ
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昔読んで面白かったのにちょっと凝り過ぎたかな。 | ||||
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初読時、もう作者は活躍しておらず。 リアルタイムだと、首都消失が出てた記憶が朧気にあるくらいの世代で、当時は他に活躍する作家を追っかけてた。 なので、往時の活躍も知るはずもなく。 読んだのはハイペリオンやら何やらよりも後です。 一読してシビれた。 こんなものを書ける作家がいたのか。 同時に、アニメにもなりリメイクもされたセガサターンのゲームの「この世の果てで恋を唄う少女 YU-NO」は、これが元ネタなんだろうな、と気づいた。 日本SFの歴史に、燦然と輝く名作だと思います。 | ||||
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55年を経て色褪せぬ凄まじき想像力と体力。巧みな「寄り」と「引き」のカメラワークで描かれた幅10億年の宇宙人類史。個々の危機的場面はきっと当時より現実味が増しており背筋がぞっとした。彼の存在自体がすでにSFです。 | ||||
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還暦目前のSFファンです。中学の頃からずっとSFが好きで読んできましたが、やっぱりいい。 私の中では百億の昼と・・と並んで日本SFのツートップです。 最近、三体を読んでうーん、中国も凄いなぁと思いましたが、50年以上前のこの作品、全然負けてません!おすすめです。 | ||||
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前半は面白い。 五章ぐらいまでは先が読めるような読めないような展開で、 オチはどうなるんだろう、どうやって落とすの? とワクワクしたのだが・・ 後半がいけません。 詰め込み過ぎ? 風呂敷広げすぎ? とっ散らかった感じで取りとめのない話が続きます。 最後の方はもう飛ばし読みになってしまった・・残念。 この作品に限らないけど、オチに 上位者とか、超越的存在とか、絶対的存在とか、 《神》みたいな概念を持ってくるのは反則だと思う。 そんなの出したらもう何でもアリじゃん 50年以上前の作品ですが普通に読めます。 言葉が若干古くさいけどね、シャボンとか(笑) | ||||
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とにかく、スケールが大きい。 神がかり的な装置類を分かりやすい単語で表現(置き換え)しているが、僕にはわかりずらかった。 想像力がない僕は、読んでいてしばし本の中(4次元)で迷子になってしまいました。 | ||||
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※ネタバレあり 先に内容のあらましを大雑把に説明すると、 過去も未来も並行世界(パラレルワールド)をも縦横無尽に駆け巡り、 人間の進化を管理しようとする側と、それを壊そうとする側との 激しい争いを描くことにより、全宇宙において人間の進化とは? 存在意義とは何ぞや?ということを、小松節炸裂な演出でもって 追及された作品です。 正直、とある古墳の説明など、何度読んでも頭に思い浮かべられない 部分があったりもしますが、それを差し引いても、そのスケールのでかい ストーリ展開や意表を突く章立て構成、そして様々な世界の描写など 読みどころ満載。家庭用PCや携帯電話の姿・形もない1965年に この作品を書き上げた小松氏の、壮大且つ先進的な発想力と想像力には 本当に圧倒させられます。 本来、時間ものSFでは歴史を変えようとする側が「悪」とされる ことが多い気がしますが、この作品ではそれが逆。 確かに主人公が抱く「人間の成しえた様々な技術革新が、 もっと早い段階で発生した場合、人間の進化のスピードは 飛躍的に上がるのでは?」という発想は、個人的には とても面白いと思いました。 大体、時間ものSFでは、歴史の改変を良しとしない意図の 作品が多いと思うので、そういう意味でも読む価値ありだと思います。 終盤山場の神がかった描写、そしてラストの落とし方も秀逸です。 | ||||
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読後に去来する感情はとても複雑である種の放心状態に陥る。日々読み続けてもこういった本に遭遇する事は稀である。 第2章とエピローグその2の後、全く違う小説を読んでいるかのような世界観に移行しほぼ全編それが続く 未来現象と細部設定の何でもありな感(タイムワープ的な物)に冷めてしまう箇所もありSFが苦手な人には少々辛い。 只、そこに様々な伏線や種が撒かれている為、辛抱して読み進めて欲しい。 怒涛の如く押し寄せる第10章と全てが結実するエピローグその1で断念しなかった読書が報われる。 個人的な感想だが、面白くてページをめくる手が止まらずあっという間に読み終えるという類の本ではなかった。 "沈没”や”復活”等とSFへのアプローチが異なるが小松氏の本流はこちらなんだろう。 初版あとがきにある、この小説を書き上げるに至る氏の懊悩に、(そうだろうな)と妙に納得してしまった。 博識な頭脳と常人には比較しようもない天賦と合わせ、一瞬の閃きと元来あったイマジネーションを絞り出すように紡ぎだしたのでしょう。 作家にもその時期にしか二度と書けない作品というのがあって本書にその実感を強めた。 | ||||
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本作の内容や登場人物がどうとか言うのは些細な問題で、単純にスケールが大きいSFを読むと妄想が広がって いくのが気持ち良いですね。 普通の人は自分の一生が世の中のすべてですが、それより前も後も果てしない時間が流れるのだなという事を考え させてくれました。 宇宙誕生から138憶年と言っても、永遠の未来からすれば宇宙は始まってすらない状態かもしれない。 今は4つの力に支配されているそうですが、それも相転移の途中であり測り知れない未来には第5,6・・の 力に分離されていく。 そう今もインフレーションの初期段階なのだ。 とか妄想が広がります。 | ||||
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同窓会にて、小学生のころ(35年も前)先生が読んでくれた事が話題にでてみんなで買い求めました。 最後はどんなだったか。。 | ||||
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第一章はよくわかりましたし、非常に引き込まれたのですが、それ以降は難解すぎてわかりませんでした。 輪郭自体はわかったので、もう一度読み直してもあまり変わらないかな。 | ||||
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小松左京先生のストーリーテラーとしての物語の運びかたが秀逸ですね。ラストも復活の日以上の感動を呼ぶ展開に、ハードSFとしても難解な解説も多い後半ですが一読のマスト作品です。 | ||||
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書籍版を持ってるはずなのに、本の山に埋もれてしまって見つからないのでkindle版で購入。これでもうなくさない。あらためて読み返しても物語の骨格は少しも古くない。小松左京はすごいなあ。逆にデティルが古いのはご愛敬。むしろレトロフューチャーの趣があって良し。 | ||||
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高校2年に読んで受けた衝撃は、その後読んだ『2001』『幼年期の終わり』と同じぐらい大きかった。それらクラークによる宇宙階悌理論への反発が反映した世界観と言えるが、それをヘーゲル=マルクス弁証法(笠井潔)とか言う等々解釈がある。私は神と子と聖霊の三位一体のキリスト教世界観に対抗する、父たる松浦とアイの合体のアイマツラ(=善神アウラマツダのアナグラムauramazuda→aad mazuura)と松浦の子野々村(=悪神アンラ・マンユのアナグラムanramanyu→nanamyura)の対立するゾロアスター教世界観の構造を持つと見る。 野々村は最後までアイマツラに反抗するが、最後はマツラと一体化し、父子の共鳴現象でアイマツラを解体する。父なる神が処女マリアにキリストを懐妊させ、キリストは磔刑で死して再生する。対して、イザナミ・イザナギの如く父は母と物理的に交わり子はゾロアスター教の善神アウラマツダを解体し、父子一体となり宇宙世界秩序をも崩壊して、一人の人間として再生する。拝火教の代わりに拝時教が登場する。 野々村の殺害には時間を遡ったり、父松浦を殺したりすれば良いのにと思わせたりするが、平行宇宙が立ち表れ、破綻しているようでそう思わせない。時間機(タイムマシン)を縦横無尽に使い過去未來の時間と、全宇宙空間を無制限に舞台として、壮大な秩序と反秩序の抗争が父と宇宙人の合体物アイ松浦らと松浦とエルマ(=キリストの母マリアのアナグラムmaria→iarma)の子、野々村らの間に繰り広げられる。アイと松浦が一体化するのはタイムパラドクスを予め回避するご都合主義だが、そう思わせない。 佐世子と彼女の元へ戻った、記憶を失った「松浦+野々村」をいとおしく思いつつ私は宇宙秩序崩壊は相当に勿体ないと思った。また、超能力は実際にあり得ないから、現実的能力のメタファーとして読み替えるべきである。『幼年期の終わり』『2001』も同じ。直前にポール・アンダースン『タイムパトロール』とブルーバックス『ブラックホール』、人類の進化史についてを読んでいたので時々現れる用語や、説明省略にも何の違和感もなかったのは幸運だった。 | ||||
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というか買い足し? 持ってるのがボロボロなのでkindle版を買いました。 一応保存版にしようかなと。 初読当時はあまりの壮大さ(と言うのは相応しくないか) 圧倒されたものです・・・懐かしい | ||||
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久しぶりに読みたくなって購入しました。 読んだのは10年以上前ですが、久しぶりに読んでも色褪せず、 重厚感のある壮大なSFで楽しめました。 | ||||
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懐かしくなり購入しました。ただ、やはり最初に読んだ時の様な、中途半端感を感じました。時空間に存在する一種の階層的な知性体系を描いていると思うのですが、ラストがやはり「?」でした。 同時期に読んだ「2001年宇宙の旅」の印象が強すぎたのかも知れません。 | ||||
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とりあえず読了しましたが、一回読んだだけでは理解できません。 ストーリー全体としては分かるのですが、登場人物や宇宙や時間がゴチャゴチャしていて分かりづらいです。 再読を始めて、やっと理解できてきました。 この話は最低2回は読むべきです。 | ||||
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16か17の頃に読んだきりで記憶も曖昧なのですが、アシモフの永遠の終わりの劣化版東洋的停滞ディストピア風味て感じでした。 とてもエヴァレット解釈もバタフライ効果もカオス的安定も無かった1955年の作品とは思えないSF的アイデアとサスペンスフルなストーリー、爽やかな開放感のあるエンドを迎え読後感の良い詩情あふれるラストを迎える、古典的自由主義賛歌な永遠の終わりとことなり、執筆年代の1972年を考えてなお、どっかで見たようなSFガジェッタばかりで家父長主義の犠牲者(と書いて負け犬と読む)な閉塞感ある後味の悪い終わり方を迎える作品でした。 この前にも小松左京作品は何作か読んでたはずですが、これを読んで「もう小松はいいや合わねー」と切ってそれ以降は一作も読まなくなったという意味で記憶に残ってる作品です。 | ||||
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大勢の方がレビューを書き、オールタイムベストにも当然入るようなこの作品、今更私が何を書こうが、誰も気にはしないでしょう。 なので好き勝手に思いのままに。 文章はわかりやすく、誰も見たことの無い未来、過去、どのようなシーンでも、イメージした時に空間場面がすぐに頭の中に広がる。 そして私は時空を飛び回る話が、めっぽう好きだ。誰が、誰で、誰と。この結びつきが絡まって、それでも誰かと誰かが出会ったり、すれ違ったりする。SFの中の人間ドラマが好きだ。この作品は、その中でも最高に泣ける。壮大な時間的長さと宇宙的広さを持つ物語なのに、最後はひなびた田舎の家で、愛する人を想う。そんな小さな話に集約する。そんなどうしようもなく愛しい話。 | ||||
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