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果てしなき流れの果てに
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果てしなき流れの果てにの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.20pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全14件 1~14 1/1ページ
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本作の主人公は人間ではなく、タイトルにある通り、「流れ」です。しかも「果てしな」い「流れ」。そのスケールには圧倒されますが、自分の場合、1人の主人公を通してしか物語に入り込めないのでダメでした。 | ||||
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すでに半世紀以上前の小説ですから如何せん古臭くなるのは仕方ないですが、それがバキバキのSFという事で小説内での未来と今現在の現実との間の齟齬が凄まじく広がっていて違和感が気になって仕方ない。インターネットだのスマホだのがいかに予測不能だったかという事でしょうけど。なんせタッチパネルという物が小説内の時間で数千年後ですら存在しない事になってるんですから。 さらに言うと、超能力やUFOがまだ科学の領域に存在しており古代遺跡にも超科学的妄想を抱けた時代の小説なので当時のそういう世相や雰囲気を知らないとよくわからないって事になる。昔のSF小説でネタになってた超能力もUFOも古代文明もこの半世紀で見事になくなりましたね。今じゃ極々少数の年寄りが気にする程度だ。昔はどれも若者が本気で存在するって思ってたんですね。 ネットもスマホも存在しないうえに超能力だなんだが当たり前になってる世界の話を今読んでもそりゃ理解できないですよ。 ついでにいうと、文章もクドいです。つうか、この半世紀で徐々にではあるけど日本語が変わってきていたんでしょうね。読みにくいったらありゃしない、書いてる事は理解できるんですよ同じ日本語だから。でもね、全然頭に入ってこないというか読んでても情景が浮かばないというか兎にも角にもわかりにくい。明治時代の文章を昭和の時代に読んだような違和感がこれだったと思うけど。内容は理解できるけど文章のリズムが全然違うような違和感が最初から最後まで続く。 内容がわかりにくいって人は「地には平和を」を先に読めばかなりわかりやすくなると思います。あの短編で小松左京が描こうとした事がほぼまんま書かれてるんですから。 日本SF小説における金字塔なんでしょうけど、今読んでも完全に手遅れでギリギリ内容を理解できる程度で発表当時の感動なんかは望むべくもないです。同じ小松左京でも日本アパッチ族は楽しめるんだけどね。内容に普遍性あるかないかの差でしょうが。この小説わからないって人はそっち読みましょう。おもしろいから。 | ||||
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前半は面白い。 五章ぐらいまでは先が読めるような読めないような展開で、 オチはどうなるんだろう、どうやって落とすの? とワクワクしたのだが・・ 後半がいけません。 詰め込み過ぎ? 風呂敷広げすぎ? とっ散らかった感じで取りとめのない話が続きます。 最後の方はもう飛ばし読みになってしまった・・残念。 この作品に限らないけど、オチに 上位者とか、超越的存在とか、絶対的存在とか、 《神》みたいな概念を持ってくるのは反則だと思う。 そんなの出したらもう何でもアリじゃん 50年以上前の作品ですが普通に読めます。 言葉が若干古くさいけどね、シャボンとか(笑) | ||||
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とにかく、スケールが大きい。 神がかり的な装置類を分かりやすい単語で表現(置き換え)しているが、僕にはわかりずらかった。 想像力がない僕は、読んでいてしばし本の中(4次元)で迷子になってしまいました。 | ||||
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第一章はよくわかりましたし、非常に引き込まれたのですが、それ以降は難解すぎてわかりませんでした。 輪郭自体はわかったので、もう一度読み直してもあまり変わらないかな。 | ||||
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小松左京氏の評価の高いSFを読む。 とても引き込まれたのですが、SFぽい表現が続き、時間と空間を飛び回るので 最終的に良く分からん。と言う感じでした。決着してなく中途半端感も。 私はスペースオペラの方がやっぱり好きですね。 映画で言うなら2001年宇宙の旅。意思を持ったコンピュータとの音のない戦いは 良かったが終盤は全く分かりません。 | ||||
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とんでもないドライヴ感のある作品。 そして締めがとてもいいので、読後感も凄まじいものがある。 ただ、現代小説を既に読み慣れている若輩者からすると、全体の話の収まり具合や、 仕方ないが、科学的考察や観念的世界観の古さは感じる。 SF的ガジェットをこれでもかとぶち込み四次元時空をぶち抜いてる「流れ」、というか奔流に飲まれて、 話の展開や様々な世界に行くことによって読書的目眩を引き起こすのが、長所であり、短所でもある。 たぶん思い出補正はそれほどでもなく、年代も考え名作と言われるのは納得。 | ||||
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後半は、『何だ?何だ?』と振り回されて頭が混乱しました。 壮大と言えば壮大ですが、もっと話を短くまとめた方が良かった気がします。 | ||||
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50年近く前に書かれたとは思えない先見性が光る作品で原石の魅力がある。様々な分野の科学者と同様、「我々はどこからやって来て、どこへ行こうとしているのか ?」という問いを発し続ける作者の原点とも言える作品だと思う。本作は「時間と認識」を基本コンセプトとして、人類の歴史・進化を"非常に長いスパン"で俯瞰した(あるいは再構築しようとした)物で、見かけ上は異なるものの、後の「継ぐのは誰か?」の姉妹編と言った趣きがある。また、後の「日本沈没」の基本構想とも思える記述がある点にも興味を覚えた。 ただし、物語の構成手法はどうであろうか ? 異星人とのコンタクト、多次元宇宙、タイム・スリップと言った道具を用いて、人類の歴史・進化を見直そうとしているのだが、物語として練れていない感が否めない。異星人とのコンタクトに関しては、A.C.クラーク「地球幼年期の終わり」を想起させるものがあり、(執筆当時としても)新規性が感じられない。多次元宇宙、タイム・スリップにしても、最初の二章程読むとその構造が読者に分かるくらい核はシンプルなのに、ワザと記述順に変化を持たせて複雑な物語に見せかけている感がある。作者自身が"あとがき"で述べている通り、中盤の展開は主題から発散する傾向にあり、読んでいて退屈感を覚えた。極端に言えば、プロローグを含む最初の三章程度と中盤の要約とエピローグさえあれば充分と言った印象さえ受けるのである。 また、本作の主要な概念である「階梯」という用語にも違和感を覚えた。本作では「階梯=認識のレベル」程の意味で使われているのだが、それでも階層社会を想起させて嫌味がある。もっとも、作者の皮肉かもしれないが。一方、こうした構想の物語の中で、男女の愛を根底に据えている点は作者らしく、これも後の作品に受け継がれている。作者の原点を知る上では好適な書と言えるのではないか。 | ||||
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永遠に砂が落ち続ける砂時計が発見された。それも、白亜紀の地層から。なぜそんな時代に想像も できないものが存在したのか?N大学の理論物理研究所の助手の野々村は、研究所の大泉教授と その友人の番匠谷教授とともに解明に乗り出す。しかし、彼らに危機が迫っていた・・・。 人類が存在しない時代にその砂時計はあった。永遠に砂が落ち続けるという、常識では考えられない 砂時計。それがなぜ白亜紀に存在していたのかという謎の答えは、実に壮大なドラマの中にあった! 時間を超越し、過去も未来も、今まで私が認識していたのとはまったく違う概念の中にある。過ぎて しまった時間の中にあるものさえ、確定的ではないのだ。過去があって未来がある。この作品では 逆も言える。未来があるから、流動的な過去がある。いったい確かなものはどこにあるのか?いや、 そんなものは存在しないのかもしれない。この作品は1960年代に出版されたが、今まで色あせる ことなく存在する。難解だが、スケールの大きな一読の価値のある作品だと思う。 最後に。どんなに人類の科学が発達しても、最後に残るのは「愛」なのではないだろうか。ラストの 描写に、作者の想いが強くこめられているのを感じた。 | ||||
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前半部分は非常に面白いんですが、後半は難解かつかなり辻褄が合わなくなってきてしまうので微妙かな〜という感じでした。 SF作家さんの挙げる名作SFランキングみたいなものに必ずランクインする作品だとのことですが、 正直そこまで面白い作品ではないという印象です。 | ||||
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小松左京の手による時空超越テーマSF。 1966年の作品である。軌道エレベータがきっちり描写されているなど、クラークの「楽園の泉」が1979年ということも考えると、なかなか先進的な作品なのか。 物語の発端が、白亜紀の地層から発掘された奇妙な機械装置、というあたりから、ははぁあの手のテーマかな、というところは想像がつく。しかし、当初ゆるやかに始まった(と思った)ストーリは、ある時点からどんどん視点を変えながらジェットコースタのように進んでゆき、そしてついに到達すべきところへ到達し・・・。という感じなのですが、ともかくすごいスケールの話です。SF、特にハードSFは、結構読みつけているつもりなのですが、これはなかなか話に付いていけなくて大変だった。そのあたりも含め、ベイリー作品などに通じるところがあるようです。 ともかく、どうやら名作と呼ばれている作品のようなので、SF読みならば一度読んでおくのが良いと思います。結構ハードですが。 | ||||
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SFは中学生時代から大好きで数多く読んできたが、日本人の作品はさほど多くない。アシモフやハインラインといった巨匠の作品を始めとして海外の作品はどちらかというと明るくて論理が明快な作品が多い一方で、日本人の(少なくとも当時の)作品は内省的でどちらかといえば陰鬱な作品が多いイメージがあったからだ。 小松氏の作品も大ヒットした日本沈没以外は読んだことがなかったが、あるテレビ番組で本書を取り上げていたので興味を持って読んでみた。時間旅行・パラレルワールド・超能力といったSF的な素材を扱っているものの、それ自体を目的にした内容ではなく、これらを土台に人類の種としての行く末を描くことに挑戦した作品だ。 正直言ってストーリー展開はかなり強引で、論理的には無理がある部分も見受けられたが、作品の持っている叙情的な雰囲気に乗せられて最後まで読み進めることができた。主人公は野々村と恋人の佐世子の二人だと思うが、時間の流れに飛び込んで時空を駆け巡ることになる野々村が、最後に記憶を失いながらも佐世子の元に帰ってくるところは共感できた。 但し読後感がすっきりしないのも事実。比べること自体に無理があるかも知れないが、自分にとっては同じ時間物であればアイザック・アシモフの「永遠の終り」の方が素直に面白いし感動できる。興味がある人は日米の巨匠の作品を読み比べてほしい。 | ||||
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この作品は、昭和40年のSFマガジンに連載されたものである。しかし、今読んでも古くささや不自然さは感じない。ただし、時間や空間の移動が激しいので、一気に読まないと混乱する。二度読みをしても良いが、全十章のうちの第二章の後に、一番感動的なエピローグ(その2)があるため、結末を知っているとその感動が薄れるかもしれない。 作者が言わんとしている宇宙や時間の概念を理解することの難しい、時空を超えた壮絶な戦いを描くSFであるが、純愛小説として読むことも可能である。 | ||||
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