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グリーン家殺人事件
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グリーン家殺人事件の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.09pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全33件 1~20 1/2ページ
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小学生の頃、児童向けミステリーシリーズで読んで犯人の名前と挿絵が記憶にあった。 還暦過ぎて再読。時代を感じさせない面白さで一気に読了。訳文は素晴らしいと思う。 | ||||
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ある程度推理小説やサスペンスドラマを知っている人には事の成り行きはすぐに察しがつくかも知れない。それほど日本ではよく観るシチュエーションだが裏をかえせばそれほど日本の推理業界に影響をあたえた作品の一つであると思える作品。推理小説好きならとりあえず通ってみるべきかも。 | ||||
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表紙の「S・S・ヴァン・ダイン全集/THE COMPLETE WORKS OF S.S.VAN.DINE」が、もはやネタとしか思えないような刊行の遅さ。本当にこのペースでCOMPLETEできるのだろうか。 いよいよ名作にして代表作の一つ「グリーン家」の登場。出だしから「グリーン家大虐殺(ホロコースト)」との口上で煽り捲る。裕福な証券投資家、ブロードウェイの花形女優に続き、本作ではニューヨークの富豪一族と、大衆受けする舞台設定がまたあざとい。 約四十数年ぶりの再読にもかかわらず、結構細かいところまで覚えているのは驚きだった。グリーン家の各家族、雇用人、担当医にいたるまで、性格描写や会話をはじめとするやり取りは、巧みに描かれ厭きさせることがない。さらに終盤、事件のポイントを98個に要約し、読者を置いてきぼりにしないよう配慮されている。 また本作は欲望に憑りつかれた激しい衝動と二面性を持つ特異な犯人像を描き、その点は「Yの悲劇」で犯人を単なるモンスターとしたクイーンとの違いが際立っていると感じる。 そして連続する事件の前に傍観者と化す探偵ヴァンス。お約束だから仕方がないが、途中また容疑者たちとポーカーでもやればと突っ込みたくなるのは私だけか? もはや100年近く前の前世期の古き良き探偵小説、さらに過去の遺物となったグリーン屋敷を訪れ、いにしえの連続殺人事件をこの迷探偵と辿る時、新たな読者の目に映るのは、かび臭い埃塗れの陳腐ながらくたの集まりなのか、それとも何か新たな宝物の数々なのか興味深いものがある。 しかし相変わらず背後霊状態のヴァン・ダイン氏、メモか録音機でも片手に張り付いているのだろうか。存在感を消しながらのその詳細かつ綿密な記録ぶりに恐れ入る(笑)。 | ||||
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アメリカの富豪の屋敷で殺人が起こり・・・というお話。 あるお屋敷で連続殺人が起こり、名探偵が推理し、やがて解決、という現代の推理小説の構成に重要な影響を与えた作品として、解説で巽氏が指摘されている通り、推理小説の歴史に重要な位置を占める作品。 真相で明かされる、凶器の隠蔽工作はドイルのシャーロック・ホームズの作品からのパクリですが、真相で明かされる館の構造は、某作品にも影響を与えているし、352ページから1~100までで時系列で事実関係を説明する所や395ページの脚注でファイロ・ヴァンスが真相に辿りついた過程を前述の時系列でヴァンスの思考過程を順を追って再構成する所は、後続のエラリー・クイーンがデータを全て提示して読者に解決できるかという挑戦をした「読者への挑戦」にも影響を与えているかもしれないので、やはり重要な作品に思えました。 また、以前の訳で作品自体はそれほど面白く感じなかった記憶がありますが、今回の新訳で素直に面白かったので、訳の日暮さんの訳も良かったかもしれません(個人的な読後感ですが)。 私が読んだ限りでは、プロットの瑕疵がないし、結構フェアプレーに徹している様に思えましたが、私よりも聡明で読解力のある方が読んだら欠陥がある、と指摘されるかも思いますし、古い作品なので、そいういう部分も多分あるにしろ、一応面白いし、重要な作品に思えます。が、「東西ミステリーベスト100(2013年版)」というランキングの本では、「僧正殺人事件」がランクインして本書では圏外になってしまって、評論家の方も落ちてもやむを得ないとおっしゃっていて、まぁそうなのですが、前述の理由で本書も再評価されると嬉しいです。 今の時代からすると、ある館の家族が連続して殺され、警察が抑止できないのが不自然で不可解ではありますが、この時代ではまだこういう事もありえたかもしれないという事だし、アガサ・クリスティの「そして誰もいなくなった」で謎の招待状で孤島に人が集まるのが今からすると不自然ですが、書かれた頃のイギリスで孤島を旅するのが流行ったとか、そういう時代なので今の視点で読まない様のして読んだので、結構楽しめたかも。 推理小説の歴史に結構重要に思える、再評価を要する作品。是非ご一読を。 以下、個人的に興味深かった所などを書き込みます(読まないでもいいです)。 346ページから349ページからの引用。 「すぐれた絵画とただの写真との違いは、こういうことなんだ。一方は配置し、構図を決めて、まとめあげたもの。一方は行き当たりばったりにある場面の印象や現実の断面を、自然にあるがままの姿で切り取ったものだ。つまり、表現形式があるが、無秩序であるかの違いだな。たとえば、真のげいじゅつかが絵を描くとしたら、色彩や描線をあらかじめ得た着想に合わせて配置するーつまり、その画面のあらゆる要素を基本の構想に沿わせるわけだ。そして、構成に沿わない、あるいは均質な表現形式を完成させるんんだ、絵画に描かれた対象物はことごとく、はっきりしとした意図のもとにそこにあり、隠れた構成パターンに合致する特定の位置に配されている。画面上に無意味なものはいっさいないんだ。細部にすら無関係なものはないし、つながりのない対象物は描かれないし、角の明暗も考えなしに配置されていない。形と線はことごとく互いに依存し合い、どの対象物もーそれどころか筆の運びひとつひとつがー決まったパターンのうちで的確な場所を占め、所定の機能をはたしている(中略)ところが写真の方は(中略)美的な意味での構想や配置がない。そりゃ、写真家だって人物のポーズや衣装に凝るぐらいのことはするだろうがーネガに焼き付けるつもりの木の枝を切り取ったりもするかもしれないが、画家のようにあらかじめ思い描いた構想に合う内容の画面を構成するのは、まず無理というものだ。写真には必ず意味のない細部が移り込んだりさまざまな光と影が調和せず、質感が整わなかったりもする。あるいは、しっくりしない線や違和感のある面もある。カメラというのはひどくあけすけなものだよー芸術的な価値になどおかまいなしに、前にあるものを何でもかんでも記録してしまうんだから。その結果、当然ながら写真は秩序と調和に欠ける。よくてせいぜい単純でわかりきった構成にしかならない。おまけに無関係な要素だらけー意味も目的ももたない対象物だらけだ。画一性のある構想は写真にはない。無計画、不均質、無目的、無定形ーそれが写真の性質なんだ。(中略)構想が難解かつ巧妙な絵画だと、見る者にはその構成がすぐにはわからないことがよくある。というか、構想が単純でわかりやすい絵画だけが、すぐに理解できるんだな。たいていの場合、絵画を鑑賞する者は注意深く見なければいけないーリズムを追い、形を見比べ、細部を考察し、顕著な特徴が調和しているかどうかを見るんだーしかるのちに、隠れていた構想がはっきりしてくる。たいてい、調和のよくとれた完璧なバランスの絵画はールノアールの人物画、マティスの室内絵、セザンヌの水彩画、ピカソの静物画、レオナルド・ダ・ヴィンチの解剖図なんかは、構図という観点からすると、一見無意味に見える。形がばらばらでまとまりなく思えるかもしれない。色彩の広がり具合や線状の明暗が勝手気ままに置かれているかもしれない。鑑賞者が画面上の整数すべてを関連づけ、それぞれの対位法的な働きをひととおりたどってみて初めて、それらが意味をもち、作者の制作動機となっ他構想が見えてくるー」 ながながと引用しましたが、この辺の推理機能は著者の本名のウィラード・ハンティン・ライトの方でやっていた美術評論家としての考え方がもろに反映されている様で興味深かったです。 「カナリヤ殺人事件」でも記述がありましたが、ファイロ・ヴァンスの名前は仮名だそうで、本名を知っている方がいれば教えて欲しいです(原寮さんも沢崎の名前を秘密のまま亡くなったそうで残念です)。 | ||||
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金田一やコナンなどサスペンスが好きな頃、家庭用学習教材の付録雑誌に、この本の紹介がありました。 まだ本屋がいくつか残っていて検索機能もなく、推理コーナーを探してやっと見つけたこの本。そこからもうワクワクドキドキしかなく、登場人物を覚えるのに手間取ることさえも、とても楽しくかった(笑) 当時の私はとにかく犯人が誰なのか知りたくて、でもそこに辿り着くのが長いほど胸が高鳴るんです。 異国の背景とトリックに目が離せず読みふけり、おそらく人生最大の瞬間を楽しんでいました。 一番王道なタイプであろう故に、犯人にたどり着く描き方以外のストーリーにも惹かれていきましたが、この本なくして推理小説には目覚めていません。体調を崩し好きなサスペンスしか読まなかったけれど、いつかもう一度この本を読んだら、どんな感想をもつのかとまた、ドキドキしています。。 | ||||
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昔読んで、けっこう気に入ってた作品だったので、新訳が出てたら嬉しかったんだけど…。旧訳しか見当たらなかったので、旧訳を手に取った。結局章末にある(注)のために栞をあっちにやり、こっちにやりと結構面倒な作業を強いられたが、まずまず満足。結局は「Yの悲劇」も横溝正史の諸作も、おどろおどろしい推理小説の原型はこいつなんだあ~と強く思った次第。だいたいほぼほぼ「完全犯罪」を達成してしまう連続殺人の犯人が自ら命を絶つという伝統を始めたのも本作だと思うし…ね(正確には「カナリア」からなのかな?)。 まどろっこしいのは時代のせいもあるだろうし、ヴァンス自身が名探偵じゃないからというのもある。ヴァンスは友人のマーカムが冤罪被害者を生み出さないように協力してるだけの素人なんだし…。快刀乱麻といった趣の名探偵をお求めの向きにはお薦めできないかな…。な~んて言っても、他の作品でも連続殺人がやすやすと起きてる段階で、すでに「名探偵」じゃないんだけど…。でもでも、この怪奇趣味スレスレの感じが、特に日本の推理小説では継承されてて、気付かないうちに、この作品の影響を受けてる人も多いんだろうな…なんて思ったわけ。原初の旅に赴きたい人には一読を勧める。 | ||||
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私はこの小説は中学生当時に読みました。再読する気持ちは今は無いのです!何故か?犯人が余りにも当時の自分としては意外な人物でしたので(笑)でもヴァンダインの作品は前期の物が断然に良いですね!今ではこの種のトリックと顛末を何だと一笑する方も多いと思います。ましてや探偵のファイロヴァンスは理論派で多少なりとも理屈っぽいし、足で歩く探偵では無い頭脳明晰型、例えるなら有栖川有栖の火村英生タイプですね、でも古典推理小説ファンの方には忘れられ無い名作であると思います。今の時代の感覚から気持ちだけをその時代にそぐわせて楽しむと古き良き時代の探偵小説の魅力を感じる一冊と評価します。 | ||||
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中島河太郎氏訳の「世界の名作推理全集8」(秋田書店)でこの作品を読んだのは中学1年の時。 その晩は眠れないくらいに怖かった。 同シリーズには⑨Yの悲劇 もあり、ストーリーはほぼ同じだが、こっちは全く怖くはなかったことを考えると、このグリーン家殺人事件のジュニア版は、非常によく描かれて(訳されて?)いるということだろう。 いまこれを創元推理文庫で読み返してみても、作品に没入することはあり得ないくらい古臭い=ハッキリ言って読みづらい。 ヴァンダインの魅力の一つに、1920~30年代のアメリカのクウキを感じることが出来る点がある。 ホッパーの絵画や、バルトーク後期の音楽作品などと相通ずるクウキ感であり、これを鑑賞することも読書の一つの楽しみであるとすれば、ジュニア版がそうであるように、「忠実な翻訳ではなく、現代風の文体で100年前の世界を描く」ような翻訳版が現れれば、おのずとこの作品の評価も変わるのではないだろうか? で、繰り返しになるが、目下のところこの作品が一番楽しめるのは「ジュニア版」である。 | ||||
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若い頃を含めて3回は読んでいるがいずれも推理の部分が弱いため高い評価とはならなかった。最近は推理に関しては考え方が変わったため再度読んでみたが、やはり同様な評価であった。犯人がわかっていて読むと結構大胆に伏線が張られていることがわかる。事件全体としては無理が無く真相も納得のいくものであるがヴァンスも含め捜査陣の手ぬるさが目に付き本格推理作品としてはやはり不満が残った。 ただし連続する4つの惨劇により捜査陣がきりきり舞いする展開は重厚で緊迫感に満ちグイグイ引き込まれた。尋問場面は現実的で臨場感にあふれ緻密な会話劇が心理戦の中で巧みに進んでいく。さすがは美術評論のプロの寄稿家だけあってこの作者の表現力の右に出るものはいないのではなかろうか。 登場人物も生き生きとしており各個性が見事に描き分けられている。冷酷で口やかましい寝たきりの老グリーン夫人、貴族としてのプライドが高く狭量な長男チェスター、気が強く辛辣な次女シベラ、屋根裏部屋で数学や天文学に没頭する小心で神経質な次男レックス、養女で怯えてばかりいる三女アダ、良識的な主治医フォン・ブロン、いつも冷静で無頓着な執事スプルート、信仰篤く今回の事件を天罰だと主張する女中頭ヘミング、色目使いの女中バートン、口の堅いドイツ人の料理女マンハイムと多彩な顔ぶれである。各人が各場面でどんな様子でどんな発言をするかが興味深く読み続けることができた。 終盤にてヴァンスは絵画と写真の違いを述べ絵画ではそれを構成する線の一本一本に作者の意図が込められていること、その意図を分析することによって作者を判別できると主張する。今回の犯罪も同様な手法で98個の事実を挙げてこれらの背後に潜むものを分析して真犯人を暴こうとする。美学の専門家たる作者の画期的な手法として注目に値するが結果はいかがなものであろうか。確かに真犯人が独創的な天才であれば成立するかもしれないが今回は結局は模倣したに過ぎない。背後に犯罪研究の大家がいたとしてもそれは個々の仕掛けについてであり全体としては素人の浅はかな犯行であり天才の隠された意図が潜む名画とは程遠いのではなかろうか。ヴァンスの推理過程としては最終頁(p458)の注(1)に98個の事実を並べ直している。今回この順序をたどってみたがマンハイムの証言が出発点になっていること以外は特に注目すべき点は見当たらなかった。 真相がわかってみて興ざめしたのは捜査陣の手ぬるさである。この手ぬるさが無ければ犯行計画は成り立たないので犯人側から見たとき危険があり過ぎて現実的でない。そういう点でもこの犯罪を名画に例えるのは無理がありそうである。 ヴァンスの饒舌な博識ぶりはいつもながら閉口する。蛇足ながら本作の数学用語による比喩(p177,p243)は使い方として不適当なものもあると思われる。例えばp243のファシエンズであるが、これは原語ではfaciends、つまり被乗数のことと思われるが複雑な数学の公式の構成要素として挙げるものではない。次回作の「僧正殺人事件」では数学用語が頻繁に出て来るがその下準備中だったのであろうか。いずれにしても数学用語を使って相手を煙に巻こうとする姿には苦笑を禁じえなかった。 | ||||
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今回はこの作家の本を何冊かまとめて読みたくて、注文しました。 | ||||
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格調高い館ものミステリーの古典的名作。今読んでも、異常に互いを憎しみ合っている家族が一人ずつ殺されていくサスペンスが素晴らしく、十分に楽しめる。本格ミステリとしては「意外な真犯人」が最大のトリックかと思うが、どんどん対象者が減っていくので、途中でほぼ推測されてしまうのが難点。ただそれは後続作品を沢山読んでいるから思う事であって、当時としては斬新なアイディアだったに違いない。大作なので難しいが、再読すれば真犯人の用意周到さが発見出来て面白いかも知れない。真犯人が物理トリックや化学トリックを駆使して、他の人間に犯行をなすり付けようとするミスリードの巧みさも読み所だ。ただし個々のトリックには無理を感じさせるものもあって、気になった。 もう一つ難を挙げると名探偵ファイロ・ヴァンスが終盤まで動きが鈍い事。最後は見事な謎解きを披露してくれるが、途中では煙に巻いてばかりで、実は犯人に翻弄されっ放しだったように読めてしまった。相棒も辟易している衒学趣味もやり過ぎで、読者としても辟易する所があった。 しかしながら現代でも十分に通用する名作である事は間違いない。 | ||||
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歴代の本格推理のランキングで必ず入るヴァンダィンの僧正と並ぶ2大傑作のグリーン家である。 1920年代に発表されたこともあり、かなり古い作品だが、今読んでも十分楽しめるのは凄い事である。 館内での住人5人程度が次々殺害されていき、犯人はその中の一人・・・という王道的館ものクローズドサークルものの古典であり、教科書である。 現在、作者のヴァンダインの著作が全て刊行されているのは日本だけらしいが、要するに作風がこれは日本人好みだなという感じがする。 | ||||
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この本には話しの筋にはなんの脈絡もなく、また登場人物にもなんの関係もなく ウォール街の株式取引所の喧騒が出てくる。 ・・その日市場は異常な活況を呈していた。修羅場はほとんど耳も聾せんばかりで、 取引台あたりの熱狂的な活況は、興奮した群集が暴動化したかと思われるほど だった・・・ このシーンは1929年の大暴落の前後あたりだろうか、事件とは直接なにも関係ないが、 でも人間の持つ貪欲さや躍動、無秩序に対する憧憬をあらわしていて、この本の底を 流れるテーマに沿っているのかもしれない。 文体はちょっと修飾語過多で最初はとっつきにくいが、慣れればどういったことも ない。でもやっぱり固すぎる。 ・・この戦慄すべき犯罪の背後に横たわる残忍きわまる狡知とか・・ といった調子。しかしヴァン・ダインの代表作だし、なんといってもいまから 80年以上も昔に書かれた古典だから我慢しよう。 表紙の絵がなんとも奇妙。詳細に眺めるとこの絵のなかに犯人の姿が心霊写真の ように現れている。面白い。私だけの妄想かもしれないが。 それに線をひいてPARTSの名称を書いているところが、なんともEroticなのである。 考えすぎかもしれないが、どういう意図なんだろう。 | ||||
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たくさん読んだ推理小説を手放した後、再び買った本。 外国の推理小説は細かな情景や心理の描写、そして細かく論理だてた推理に惹かれる。 | ||||
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犯人に意外性がない、機械的トリックがあるなど批判的コメントは確かに当たっているとは思います。 ですが、私がこの作を読むたびに感じるのは、前人未到の領域(館テーマ)に挑もうとする作者ヴァン・ダインの凄まじい気迫です。 文中の端々にあふれるこの意気込み!この点、本作を凌駕しているとされる「Yの悲劇」でも足元に及ばない。 読み終わってから3~4日は、圧倒的な作品世界の余韻に苦しめられる。 この気迫を感じ取れる人かどうかで、評価が二分されてしまうでしょうね。 | ||||
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文句なしにヴァン・ダインの全作品中最高傑作。 本作は発表年代が古く、古典の部類に入ってしまうため、現代の読者には犯人がすぐわかってしまうという弱点はあるが、 そこに至る途中経過、グリーン館の中で繰り広げられる人間模様、その異常な家族とヴァンスの心理的な駆け引きや 屋敷内のおどろおどろしい空気、マーカム、ヒースらの捜査陣とのやりとりなど、そしてヴァンスの皮肉たっぷりな言動も。 この作品はそれら総てのものを混在させ、トータルバランスにたけたサスペンス・ミステリーなのかもしれない。 | ||||
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著者の作品中一位、二位を争う代表作品。 プロットも登場人物も文句なし、最初から読者を飽きさせない、見事な作品。 トリックは至ってシンプルだが、遺言書と変質狂一家が作品にサスペンスとミステリーを高めます。 古さを感じさせない名著です。 | ||||
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僧正殺人事件が面白かったので、こちらも読んでみようと思いました。 外国の作品は読みずらい印象で、エラリー・クイーンなど途中で挫折することが多いのですが(翻訳の問題なのでしょうけど)ヴァン・ダインは私と相性がいいようです。 | ||||
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内容の重厚さ、不条理感、納得の犯人像。 いずれも真っ向勝負、本格派推理小説の醍醐味を満たしてくれ て充実の読後感である。 ただ、微妙なトリックもありその点少し不満がのこるが、その不満を 補ってあまりあるプロットだと思う。 | ||||
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「古畑任三郎」、「相棒」や「名探偵コナン」、「金田一少年」を見たことがある、読んだことがあるといった軽いミステリファンであってもヴァンスに先んじて犯人を指摘できるだろう。古典といわれる作品の中でも特に真相の部分がありきたりになってしまった部類に入る。じゃ、つまらないか?とんでもない。グリーン館に限定された世界観の中でグリーン一家に降りかかる連続殺人。莫大な遺産と前当主が残した遺言に縛られた家族がひとり、またひとりと殺害されていく。残った家族のなかに犯人がいるはずなのだが・・・マーカム検事、ヒーズ警部を中心とした捜査陣の努力も結果に結びつかず、さらにマーカム検事の友人で「ベンスン」「カナリア」の両事件を解決に導いた天才ファイロ・ヴァンスでさえ次々に起こる殺人を防ぐことが出来ない。 いわゆる「館もの」なのだが、これが「元祖」。殺人ー尋問ー殺人ー尋問の繰り返しのストーリ展開は、単純といえば単純なのだが、「グリーン家」に触発された後継者たちの作品が真相の部分も含めてテーマの先鋭化を試みた結果、マニアックになってしまったのが多いのにくらべるとストーリーが骨太で力強いのだ。必要以上に読者の想像を超える展開がない分、変な言い方だが読者はストレートに連続殺人のサスペンスを堪能できる。こういってはなんだが、世の中のたいていの人間は妙に凝ったものより予想道理の枠内に収まっている作品の方を好むものだ。こういうのを「王道」という。個人的な感想にすぎないが、一族にまきおこる連続殺人のサスペンスの高まりという一点において「グリーン家」は孤高の地位を未だもっている。「グリーン家」にインスパイアされたであろう浜尾四郎の「殺人鬼」、クイーンの「Yの悲劇」、横溝正史の「犬神家の一族」もみどころの多い作品であり、それぞれ傑作、佳作の名に恥じない作品である。が、サスペンスの高まりという一点においては「グリーン家」を超えていない。まさに「王道」である。 ヴァン・ダインの作品を読んであまりに長編本格として展開がありきたりでないか?という感想を持つ読者もいるだろう。それは、それで当然といえば当然の感想。しかし、長編本格の「ありきたり」といわれるスタイルこそ「ヴァン・ダイン」が確立したという点を忘れてはならないだろう。密室物の古典「黄色い部屋の秘密」を読んでみるとわかるが名作とされる「黄色い部屋」ですら、事件と関係がないエピソードが散見していてスタイルの確立という域に達していない。それは、同時期のイギリス作品も似た傾向はある(そこがいいともいえる)。有名??なヴァン・ダインの推理小説二十則も他の書き手にこれを守れといったというより、「ヴァン・ダイン」が作品を書く上で表明した「マニュフェスト」と見るほうが妥当ではないか?と最近は考えている。もっとも、ヴァン・ダイン自身がの推理小説二十則をきっちり守って作品を書いている訳ではない。こうしてことあげつらって批判するやからが昔からいるが、もっと寛大になれといいたい。先駆者はなにかと大変なのだ。こうした矛盾こそ創作という作業のおもしろさであり、理論と実践のつばぜり合いなのだ。 ミステリ初心者はもちろんではあるが、マニアといわる人たちにとっても意味がある作品であろう。いわば、故郷といってもいい。私などは、たまに読み返すとなんか安心する。まさに「王道」である!! | ||||
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