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ニッポン樫鳥の謎
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ニッポン樫鳥の謎の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点2.75pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全8件 1~8 1/1ページ
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1937年発表の本作品は、日本でだけ通用する国名シリーズ。 このところ、角川文庫の新訳版で、国名シリーズ9作すべてを読んでしまった関係で、題名は知りつつ未読だった本作品が気になり、読んでみることとしました。 ただ、本サイトのレビューを始め、全体的に国名シリーズとしては、評価が芳しくなく、一抹の不安を抱えながらの、読書でした。 ニューヨーク・マンハッタンにある日本文化の趣味に彩られた屋敷で発生した密室殺人と呼ぶべき事件。 被害者の女流作家の姪、エヴァが現場の状況から容疑者にされてしまう。 これに対し、エラリー・クイーンが、名推理で導き出した真相とは…といったストーリー。 原題が、「The Door Between」のところ、邦訳の際、無理矢理「日本」を冠した国名シリーズにしてしまっただけあって、同シリーズの神髄である、「緻密なロジックによる推理」という点が薄まっていて、やはり国名シリーズとするには、物足りないな、というのが正直なところ。 でも、後半には、意外な真相が待ち受けているし、最後の最後にもう一ひねりある点は、評価して良いのではないかと思います。 作中の日本文化の説明には、「?」な部分も見受けられましたが、「ニッポン樫鳥」という日本独自の邦題は、事件解決のキーポイントを上手く表現していて、そういう意味では、日本限定で国名シリーズとしても良いのではないか、という気もしました。 クイーンの諸作の中では、あまり高順位にはならないけれど、国名シリーズが好きな日本人なら、読んでおいて損はない作品といえるのではないでしょうか。 ただ、やはり日本語訳が古めかしく、できれば新訳で読みたかったというのが、正直な思いでもあります。 | ||||
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30年ぐらい前に読んでいたが、全く記憶になかった。同時に、後で書くが、極めて重要な一説を読み落としていた。 まず、単体のミステリとして読むと、さほど面白くない。 なかでも、殺人事件がおきるまでは、読むのにかなり骨が折れた。 エヴァ・マクルア、テリー・リング、リチャード・バー・スコットの関係もかなりありきたりだし、謎解き全体についても、斬新さは感じられない。もちろん、発表当時(1937年)であれば、殺し方に驚く人もいたかもしれないが、現在からみると、どうだろうか。本作を、人生最初のミステリにでも選ばない限り、感じ入ることはないだろう。 それと、本作は、厳密な意味では“国名”シリーズではない。原題『The Door Between』を見ても明らかである。 ただ、興味が惹かれる部分がないわけではない。 一つは、発表当時の日米の関係を考えると、なぜに、これほど「日本」趣味を作品のなかに取り入れ、描いたのか。 それと、ラストの「エラリーは、火のない暗い暖炉の前で、少し寒気がした。まるで、神の役を演じているような気がして、しんから愉快になれなかった」という部分。これは、後期のクイーン作品につながる重要な文章だろう。この文章がある限り、日本国内でタイトルに“国名”を入れたとしても、作品そのものは、後期に重心を置いていると言わざるを得ない。 | ||||
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1937年作 舞台 ニューヨーク マンハッタン 日本庭園 著名な文学賞を受賞した女流作家の死 常ならぬ展開に不意の訪問者!そこから 始まるんだね、うん。もとの掲載の事情からメロにうるさい品質管理(笑)。さて内容は、 悲劇的背景、数奇なべいべつ 瞬間的出来事の邪念的虚偽による疎外効果は、いつまでも実体のないカリスマ性であり可視領域外に追いやられた巍然(偽善)即身成仏(笑)。 背後にあったまったく別のリアリティ... ...その時、凶悪なまでに緻密な傍証的垂迹。ともなう皮肉な脱落身心。。 装飾的興味、日本情緒 満足のいく材料とはなりえなかった?非常に肩入れしながら、定期的に優位意識(笑) マリアは良い方を選んだ それを取り上げてはならない 徹底的分析、密室仕掛け 限界を越えてしまった物の見方は無芸的技術水準(笑)、まさかそんなところに祀ってあったなんて(笑)。そして核心に迫っていくなか背後に あった思いがけない第二の真実・・・トリミングが施された突きつめた極点だけど(笑)。発見と位置付け、巧妙に形作られながら確定さを欠く 葬礼。絶対的把握 そして気持の整理のつかぬまま。。。振り分け おぼろげながら察する 弔う という具合に三位一体で、ではここでヒント、この事件のヒントはChet Fakerの「I'm Into You」のビデオのなかにあるよ じゃ最後に組織的構造、一国二制度、じゃなくて一冊二解決 基本的にはこの時期特有のメロな類似点があり、異国情緒をまといながら古き良きと進行形の調和のとれた統合にして、まさに決定的要因が いよいよなってくる決定的矛盾ということで、組み立てる力と同じくらいの破壊装置、それが後々彼を闇の中に押しやっていくと・・・・・ 主体性のない終わりなき決断を迫られて・・さて、ではこれを現代ニッポンの謎としてミクロクローズアップとマクロロングショットを 組み合わせて脳内ラボラトリーすると(笑)、結局、鳥瞰的な視角で神秘性を指向する踊るピエロで、あくまでたなびく非再現的なものとしての 神秘性を取り除いてきたんではないかと、 しかしまあ傾向に基づく総覧として、不即不離に置き換えて抽出していく過程において仏教もキリスト教も儒教も同じような変種になっていく わけだから、あらためて思うと 驚異(笑) 草木も成仏するを押し付けがましい宣教師のノリでもってして閉鎖的に垂れ流す、これがなにかだなと思ったら、象徴的表象としてなにかだなと 思ったら、あっ これが日教組なんだ(笑) しかししょせんプロレス的瞞着で教育を語ったところで票にならない金にならないそのひたすら即物的スピード感の一致にとらわれた美意識の 欠如、個々人の美意識のなさ そういうことじゃないかな | ||||
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日本の帝国大学で教えていたという英国人をめぐるもので、キヌメとかいう変な名前の侍女が出てくるが、トリックはなし。単に、日本人はハラキリをしたりする珍妙な民族だという偏見だけでできているようなお粗末な「推理小説」。ひたすらアホらしい。 | ||||
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本書の原題は「The Door Between」で、いわゆる国名シリーズの作品ではないが、死んだ女性が日本趣味である等、日本が関係することから国内限定で「ニッポン樫鳥」と題されている。 元々雑誌掲載時のタイトルが「The Japanese Fan Mystery」だったのが、当時第二次世界大戦が近づきつつあり反日感情が高まる中、「The Door Between」に変えられたという話がまことしやかに伝えられているが、これは江戸川乱歩の推測が流布したものだろう、「The Japanese Fan Mystery」の原題が掲載されたという雑誌は存在しない。 東京帝国大学教授の娘で作家のカーレン・リースが密室状態の自室で死体となって発見され、容疑者としてカーレンの婚約者の養女エヴァが疑われる。この事件の真相をエラリーが読み解くという本書は、国名シリーズからライツヴィルものへの移行期の作品として人間ドラマに重きを置いているようだ。 ミステリー作品としては偶然が事件をわかりにくくしているだけでトリックなどなく、国名シリーズ初期に見られた鮮やかな謎解きの論理は期待できない。だから国名シリーズではないのだろう、読者への挑戦状もないし。(この内容では、挑戦のしようもないか) かといって、人間ドラマとしても登場人物に魅力がなく、前作「中途の家」の方が上。ほとんど見るべきものがない作品。 | ||||
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国名シリーズの最終作で、我が日本を題名にしている、ファンにとっては嬉しい作品。しかも他の国名シリーズに付けられた国の名前がたいした意味を持たないのに比べ、本作の内容は日本との関連性が深く、その意味でも興味が持てる。 本作でクィーンはありったけの日本の知識を披露するが、その様子は微笑ましい。だが、問題は解決の部分である。あの女性は何のために、どうしてああいう方法で自殺したのか ? クィーンは一生懸命説明してくれるが、日本人である我々には理解できても、欧米人にはちょっと無理ではないのかなぁ。日本(人)を対象にした作品としては、ふさわしい解決で喜ばしいのだが、恐らく欧米人には受けなかったであろうことを考えると複雑な気持ちになるのである。 | ||||
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初版が1961年。43年前。翻訳者は当時60歳。43年前の60歳かぁ...と思えば、へんてこな文章も理解できる...かなぁ。解説(翻訳者とは別人)にあるように「忠実な訳」過ぎて英文の持つリズムが分断されてしまっているように見える。 『Xの悲劇』では主人公がドルリイ・レーンで無くてはならない程に彼の個性が発揮されていたけど、「ニッポン樫鳥の謎」では主人公がエラリー・クイーンである必要は無いように感じる。こうまで主人公の影が薄い小説も久しぶりに読んだなー。 謎解きは、さすがに最後はすごかったけど、所々「マジ?そんな説明?それってこじつけ?」と思える箇所はあった。中盤まで謎のひとつとされていた行動が「ただの偶然」で片づけられたり。結果的な(=必然性のある)偶然なら仕方ないけど、必然性のない偶然は、存在が不要。しかもその場面は話の筋には必要のない伏線なので、余計に気になる。 「国名シリーズ」の最後の作品らしいけど、どうだかなー、この作品を持って「国名シリーズ」を評価するのは危険かなー。って、このシリーズの翻訳は全てこのおっさんなんだよなー。 | ||||
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「国名シリーズ」の掉尾を飾る作品。とはいえ、元々"Japanese Fan Mistery"だったタイトルを、当時反日感情のあった作者が"The Door Between"としたため、正確にはタイトルに国名は入っていない。折角この国名シリーズに日本が選ばれたというのに運の悪いことだ。日本庭園で、日本滞在経験もある売れっ子作家が殺される。凶器は見つからない。錯綜する人間関係。エラリーが導き出した答えは恐るべきものだった・・・随所に日本ネタが出てくるものの、日本人からすればステレオタイプだったり不快だったりする表現もある。まあ時代を考えて、仕方ないとしておこう。 | ||||
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